原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

自分が産んだ障害児の後見を別の子に委ねるなど言語道断!

2017年08月28日 | 人間関係
 表題と同趣旨のエッセイを本エッセイ集バックナンバーにて既に公開しているのだが、公開エッセイ本数が1700本に近づいている中、自分でいくら探しても見つけられないため、再びこれをテーマに私論を述べさせて頂こう。


 8月26日付朝日新聞“悩みのるつぼ”の相談は、22歳女性による「家族と生きていく自信がない」だった。
 早速、以下に要約して紹介しよう。

 22歳の女性だが、私の家族は、父、母、知的障害をもつ二つ年上の兄、私の4人家族だ。
 兄と母は依存し合っており、兄を置いて死にたくないという母の思いは伝わっている。
 私は、もしも母が兄より先に死んだら兄にどう説明するか、「施設にだけは入れないで欲しい」と母に懇願されているので、私は兄と2人きりで過ごさねばならないのか… などと不安に襲われ、いつも「私以外の家族は今すぐ死んで欲しい」と思ってしまう。
 中学から寮生活をしており、家族と離れて暮らすことでほどよい距離を保てていたので、介護や兄のことで家族と近くなるのが怖い。 兄と生きていく自信がない。
 かと言って家族が嫌いな訳ではなく、人一倍思い入れがあるため、約束を破ったり面倒を人任せにしたりは出来ない。 そんな将来への不安と嫌悪感を抱くたびに、「私が死ぬか、家族を殺す」という安直で非現実的な考えにしか辿り着けず、危機感すら覚える。 新しいものの見方や考え方があれば教えて欲しい。
 (以上、朝日新聞 “悩みのるつぼ” 相談内容を要約引用したもの。)


 一旦、私見及び私事に入ろう。

 この相談女性の現在の立場や心中を察して余りあるどころか、その母親の愚かさや弱さを感じ取り、いたたまれない思いすら抱く。

 ここで私事を語るなら、既に再三再四述べている通り、我が子は出生時のトラブルより若干(あくまでも若干の範疇だが)不具合を抱えてこの世に誕生している。
 私の場合、元より子ども一人を希望していたが、娘を産んで以降は更にその思いを強くして、この子こそがかけがえのない唯一無二の我が子として、全身全霊で手塩に掛けてサリバン業を全うして来ている。
 要するに、この子を産んだ責任は一生を賭けて私一人で貫徹する! なる強靭な意思に燃えていた。(現在尚燃えている!)

 この相談者の家庭の場合、相談者女性が障害者である兄よりも2年後から生まれている。 
 どのような背景でそうなのか、私にはまったく計り知れない。 ただ一点安堵するのは、相談女性がずっと寮暮らしをしているとの点だ。 もしかしたら親の計らいで、兄に手がかかる家庭内事情を鑑み、下の娘はその悪影響を受けない環境下に置いてやりたいとの配慮だったのかもしれない。

 それにしても、相談内容に記載されている母の言葉 「(自分ら親が死んだ後も、兄を)施設にだけは入れないで欲しい。」なる娘に対する懇願は、親としての責任放棄であるし、許し難き発言だ!
 法的側面から考察しても、それを娘さんが遵守せねばならない条文など何処にも無いのではなかろうか?
 道義上から考察しても、こんな言葉を親の立場から未だ若き娘に吐き捨てるなど、常識を逸脱して余りあろうと私は考える。
 未だ社会経験の無い22歳の若さでこんな言葉を実の親から投げかけられたならば、「自分が死ぬか、家族を殺すかどちらか」なる究極の心理状態に陥るのも必然的だったことだろう。

 以上の理由で、原左都子としては全面的に相談者である娘さんの味方に回り、今後の対策を考えたく思うのだ。


 さて、今回の“悩みのるつぼ”回答者は、評論家の岡田斗司夫氏だった。

 一読すると、岡田氏も原左都子の意見と大きくは異ならない内容であると判断した。
 岡田氏の回答内に、相談者が悩むべき選択肢として具体的アドバイスの記述があったため、その部分を以下に紹介しよう。
 「家族も何もかも捨てて逃げる」 「母を言いくるめて、兄を施設に入れるよう納得させる」 「大ウソつきになって母の死後、兄を施設に入れる」
 ただ、相談者の母の場合、自分自身は有利な条件下で悩んでいるとも岡田氏は述べている。 母の場合、「父というスポンサー」「専業主婦というポジション」これがあるからこそ兄のケアが出来ている、とも述べておられる。 
 それに比し、相談者は実力不足で、未だこの問題を解決できる能力が無い。 自分の能力以上の約束をしてはダメ。 そして岡田氏の結論としては、相談者はこの問題から逃げるか、引き受けるためのチカラを身につけるか考てて下さい。 と締めくくっている。
 (以上、岡田斗司夫氏の回答の一部を紹介したもの。)


 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 一旦家庭内に障害者を抱えると、おそらく一般の方々が想像している以上にそれはそれは壮絶な日々だ。
 相談者の母親がその日常に思い余った挙句、未だ社会経験すらない下の娘さんに対し「自分が死んだ後も障害者の兄を決して施設へ入れないで!  要するに、「私の死後は兄を妹の貴方にお願いしたい!」と一言伝えることにより、早くも娘に依存したかったのだろう。

 ただ、それはやはり親としては大いなる失言である事実には間違いない。
 おそらく未だ学生の身分の可愛いはずの娘さんに今現在その言葉を発しては、娘さんを傷つけ不安に陥れるばかりだ。 それを考える余裕もない程に、母親にとって兄である障害者の日々の世話は重労働かつ重荷であることは想像が付くが…。
 
 この相談内で、父親に関する記述が一切無いことが気にかかる。
 私の想像では、おそらくこの一家の父親は現役世代の職業人であることだろう。 そうだとしても、障害者の父であることには間違いないはずなのに。
 で一体、二人の子供達に対して父として日々如何なる対応をしているのだろうか?? 

 とにもかくにも、相談女性が今直ぐに結論を欲しているとして、対応可能な選択肢とは。
 上記に岡田氏が書かれているがごとく、「家族も何もかも捨てて逃げる」 「母を言いくるめて、兄を施設に入れるよう納得させる」 「大ウソつきになって母の死後、兄を施設に入れる」 これ以外の回答はないのだろう。

 はてさて。  我が家の娘に話を移すが。
 ある程度美人かつとてもいい子である事には間違いなく、社会人2年目にして日々真面目に誠実に通勤し、おそらく経済面では(親が残してやれそうな資産も合算して)親の死後も一人で生きられるバックグラウンドは確保出来そうな段階に入っているのかもしれないが……。

 それでも未だサリバンのこの私にも、この子より先に死ねない大きな課題が残されている。 
 単独では能動的な人間関係が築けない程の“寡黙性”を未だ引きずっている娘だ。 母の私があちこち同行し、あれやこれやと我が知人らに会わせたりしても…  娘自身の主体的な人間関係が築きにくいなるテーマが解消されない現実には違いない…。

 やはり私の使命とは出来る限り長生きして、今後もずっと娘と二人三脚で、人との付き合いの鍛錬を積ませ続ける事かなあ。

この記事についてブログを書く
« 今夏も観賞しました! バレ... | TOP | 明日( 9月1日 ) 学校へ行き... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 人間関係