実は昨日、「広末バッシングエッセイ」を書く前に冒頭表題の再掲載エッセイを全文仕上げて保存したにもかかわらず。
再び保存画面を開いてみると、原左都子の感想部分がすべて削除されている(飛んだ??)のに驚き、愕然とさせられた。😱 😭
どこをどういじっても我が感想部分が再現されないため、無念にも昨日はその公開を諦めた次第です…
本日気持ちを改めて、今一度論説をし直して冒頭表題エッセイを以下に公開します。
昨日(2023.06.20)、哲学者ウィトゲンシュタインを取り上げていたgoo内某記事に接した。
そのブロガー氏の記事を拝見して、私は久しぶりに2度目の大学にてW教授による「科学哲学」の授業受講したことを鮮明に思い起した。
このW教授、今まで私が接してきた哲学関連授業の中でも、特段哲学に造詣が深い人物と一瞬にして判断できた!
そのW教授の「科学哲学」の授業を思い起しつつ、以下に我がその経験を語ろう。
W先生の授業は、米哲学者ローティの哲学論も取り上げていた。
参考のため、ローティの略歴を紹介すると。
Rorty (米国の哲学者 リチャード・ローティ ネオプラグマティズムの代表的思想家。 後にスタンフォード大学教授となり、哲学と比較文学を教えた。)
夏期休暇前の最後の授業で、W先生が配布したローティの論文(もちろん英文)を読んで自分の意見を述べる小論文課題が学生達に課せられた。
その提出日が夏期休暇明けの10月とのことで、休暇前にW先生のローティ授業が成された部分が、冒頭と上記の写真である。(今回は写真を割愛します。)
実はこのローティに関しては、我が記憶が現在明瞭ではない。
当然ながら小論文課題は夏期休暇中に消化して提出したのだろうが、おそらく“ピント外れ”の記載をしたことであろう。😫
そして私のみならず他の学生も同様だったのだろう。😵
小論文提出後の10月のW先生の講義は、それら“ピント外れ小論文”を受けて、今一度「哲学」の基本を一から述べて下さった上で、ローティに関しても再度分かり易く解説されたようだ。
それを聞き取り筆記したのが上記講義ノート2ページだが、以下に要約しながら転載しよう。
(哲学とは)ある意味ではあたりまえのことを言っている。(これは大事なこと。) 過去や現在の哲学的なことを批判している。
哲学とは、あたりまえの事を言うもの。 しかし、その先は何であるかという点に関しては述べられていない。
哲学には、様々な分野や問題がある。
ある種のリアリティを前提にしているような問題へと進んでいくものであるが、ローティはそれを駄目だと言っているのではない。
ローティは対話しかないと言っている。 dialogue connversation
realは問題ではない。 単に話し合いをする。 相対主義ではない。
ethnocentlism
話し合って白黒つけるのではなく、基本的には我々側に引き入れようとする活動。 ある意味では、そうであると言えるが、そう見ると非常に表面的。
しかし、あたりまえのことを誰も言わなかった。
(他の人は)話の中身に立ち入って議論しようとしてきた。 ローティはそうしない。 あたりまえであるので反論も出来ないが、それで一体どうしたと言いたい。
“我々”という言葉が、この論文内で一つのkey。 “我々”とは、一体誰を指しているのか? (これはローティにとって、現代のアメリカ社会、西洋)
ただ、意見の一致しているcommunityは存在しない。
ローティはミッションのような話し方をするが、背後には何もない。
西洋的デモクラシーと言っても、様々な慣行や考え方があるはず。
ローティは、細かいことはどうでも良いとしている。 細かい議論になると、おそらく破綻する。
現実には様々な具体的問題がある。 東と西の問題(これは大きな問題)もそうである。
我々が問題としなければいけない様々な問題がある。
どちらかに加担するしか解決策がないように、ローティの論文からは見える。
それが正解だ、とローティは言っているのかもしれない。
しかしそうすると、やはりtribial(あたりまえ)である。 tribialなことは批判出来ないため、認めるしかなくなる点がひっかかる。
対話とは常に何かについての対話であり、その何かが問われている。 おしゃべりだけでは済まない側面がある。 埒があかない。 実際やってみる、研究をする事を欠くことは出来ない。
単なる話を超えて、実際にあるものへ向かう。 この姿勢がRealism。
この姿勢を求めていかないと、むしろtribialではなく、馬鹿げている。 行為、研究を話の中に取り入れようとすると、この話は成り立たない。
あまりにもtribialな側面に目を奪われている。
dialogue 対話が続けられないことを前提としている。
もはや対話が続けられない場合、どうなのか? “対話可能性”はいつもあるとは限らない。 ① 翻訳可能性が無い(何を言っているのか分からない)場合はどうなのか? ② 推論の様式が違っている場合、話しても無駄、続行する意味が無い、ということもあり得る。
その辺をローティはどう考えているのか?
(以上、我が講義ノートより転載したもの。)
夏期休暇前の最後の授業で、W先生が配布したローティの論文(もちろん英文)を読んで自分の意見を述べる小論文課題が学生達に課せられた。
その提出日が夏期休暇明けの10月とのことで、休暇前にW先生のローティ授業が成された部分が、冒頭と上記の写真である。(今回は写真を割愛します。)
実はこのローティに関しては、我が記憶が現在明瞭ではない。
当然ながら小論文課題は夏期休暇中に消化して提出したのだろうが、おそらく“ピント外れ”の記載をしたことであろう。😫
そして私のみならず他の学生も同様だったのだろう。😵
小論文提出後の10月のW先生の講義は、それら“ピント外れ小論文”を受けて、今一度「哲学」の基本を一から述べて下さった上で、ローティに関しても再度分かり易く解説されたようだ。
それを聞き取り筆記したのが上記講義ノート2ページだが、以下に要約しながら転載しよう。
(哲学とは)ある意味ではあたりまえのことを言っている。(これは大事なこと。) 過去や現在の哲学的なことを批判している。
哲学とは、あたりまえの事を言うもの。 しかし、その先は何であるかという点に関しては述べられていない。
哲学には、様々な分野や問題がある。
ある種のリアリティを前提にしているような問題へと進んでいくものであるが、ローティはそれを駄目だと言っているのではない。
ローティは対話しかないと言っている。 dialogue connversation
realは問題ではない。 単に話し合いをする。 相対主義ではない。
ethnocentlism
話し合って白黒つけるのではなく、基本的には我々側に引き入れようとする活動。 ある意味では、そうであると言えるが、そう見ると非常に表面的。
しかし、あたりまえのことを誰も言わなかった。
(他の人は)話の中身に立ち入って議論しようとしてきた。 ローティはそうしない。 あたりまえであるので反論も出来ないが、それで一体どうしたと言いたい。
“我々”という言葉が、この論文内で一つのkey。 “我々”とは、一体誰を指しているのか? (これはローティにとって、現代のアメリカ社会、西洋)
ただ、意見の一致しているcommunityは存在しない。
ローティはミッションのような話し方をするが、背後には何もない。
西洋的デモクラシーと言っても、様々な慣行や考え方があるはず。
ローティは、細かいことはどうでも良いとしている。 細かい議論になると、おそらく破綻する。
現実には様々な具体的問題がある。 東と西の問題(これは大きな問題)もそうである。
我々が問題としなければいけない様々な問題がある。
どちらかに加担するしか解決策がないように、ローティの論文からは見える。
それが正解だ、とローティは言っているのかもしれない。
しかしそうすると、やはりtribial(あたりまえ)である。 tribialなことは批判出来ないため、認めるしかなくなる点がひっかかる。
対話とは常に何かについての対話であり、その何かが問われている。 おしゃべりだけでは済まない側面がある。 埒があかない。 実際やってみる、研究をする事を欠くことは出来ない。
単なる話を超えて、実際にあるものへ向かう。 この姿勢がRealism。
この姿勢を求めていかないと、むしろtribialではなく、馬鹿げている。 行為、研究を話の中に取り入れようとすると、この話は成り立たない。
あまりにもtribialな側面に目を奪われている。
dialogue 対話が続けられないことを前提としている。
もはや対話が続けられない場合、どうなのか? “対話可能性”はいつもあるとは限らない。 ① 翻訳可能性が無い(何を言っているのか分からない)場合はどうなのか? ② 推論の様式が違っている場合、話しても無駄、続行する意味が無い、ということもあり得る。
その辺をローティはどう考えているのか?
(以上、我が講義ノートより転載したもの。)
参考余談だが、「科学哲学」のみならず大学の授業とは教官が板書はせず、学生各々が授業内容を個々のノートに“聞き取り書き”をするのが通常だ。 手前味噌ながら、原左都子はこの“聞き取り書き”に元より長けていた。 上記の如く、英語もすぐに聞き取り書きできる能力があった。 いつも学生達が「ノートを写させてください!」と列をなして嘆願に来たものだ。 それに対する我が対応は、普段から付き合いがある学生はOK、そうでない人はお断りした。
先程 このローティの論文を探してみたのだが、残念ながら見つからなかった。
一体私が如何なる小論文を書いて提出したのかも、まったく思い出せない。
実は、W先生が夏期休暇前にこの小論文課題を出した後の後期初めての授業に於いて、元々少なかった受講生の数が更に減少していた。 (おそらく当該小論文課題が重荷となり、受講をやめたのであろう。)
残された受講生は、私を含めて3,4名だった記憶がある。
おそらくその中で私が(哲学分野に関しては)一番の劣等生だったのだろうが、この少数の学生達が小論文課題に於いて“的外れ”だったことを認識したW先生は、さぞや落胆されたことであろう… 😨 )
それにもめげず少数学生相手に、こんな「哲学及びローティ」に関する初歩解説をして下さった事に、今更ながら感謝申し上げたい。
この後も、(劣等生なりに)我がW先生の「科学哲学」への思い入れは続き、次年度にはW教授の「自然科学概論」も受講させていただいた。
このW教授は、残念ながら71歳の若さでこの世を去られているようだ。
今尚ウィキペディア情報にても、W教授の業績の程を辿れるのだが。
この渡辺先生(おっと!本名を書いてしまったが)、面白いことに元々物理学を専攻されていたようだ。
• 1971年3月 東京大学理学部物理学科卒業
• 1973年3月 東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論専攻)修士課程修了 詳細
• 1973年3月 東京大学大学院理学系研究科(科学史・科学基礎論専攻)修士課程修了 詳細
このご経歴の後に、他の大学にて「科学哲学」分野の教授として活躍された様子だ。
我が2度目の大学へは「非常勤講師」の身分で週1ペースで来られていたが。
とにもかくにも、「科学哲学」を静かに語られるその口調と、私を筆頭とするごく少数の“哲学ド素人”学生達に対しても 紳士的かつ出来るだけ分かり易い授業を心がけて下さったその優しさを、私は一生忘れることは無い。