(冒頭写真は、昨夕私宛に届いたマチコさんよりのお手紙。)
実に嬉しいと同時に、恐れ入ってしまっている…
何故ならば、御礼状は私の方こそがしたためて投函するべき立場であるからだ。
郷里旅行から帰宅後、早くマチコさんに「お礼状」を出さねば… と日々思いつつ、最優先課題が義母の青色申告だった。
それを水曜日に済ませ、次なる課題はマチコさんへのお手紙、週末には書こう!と思いながら昨日先に頂戴してしまった始末だ…😓
ただ、昨日我がエッセイ集にて「3年ぶりの郷里旅行記」を書き終え、観音寺にての思い出が我が脳裏に鮮明に蘇った直後の、タイムリーなマチコさんよりのお手紙でもあった。
このマチコさんからのお手紙は、私にとって二重三重に嬉しい内容である。
自慢話になる事を承知で、少し紹介させていただこう。
まず、マチコさんからの私に対する「先生」なる呼称だが。
これに関しては直にお会いした時真っ先に、「“先生”など滅相もございませんから、どうか“さん”付けでお願いします。」とマチコさんに嘆願したのだが…
どうやらマチコさんにとって、私はどうしても「先生」であるらしい。
私の場合、過去に高校教諭経験もあるため、実際「先生」と呼ばれた時期があるにはある。 ただ、マチコさんはその事の詳細を知らない。 あくまでもマチコさんにとっては、私が「医学方面で業績を上げたことに対する敬称」であるようだ。
お手紙の中にも「大学では原先生は観善さん(我が故恩師)の自慢の卒業生でした。いつも心から原先生のことを応援していました。」とお書き下さっているが。
我が医学部恩師であられたマチコさんのご主人が、私のことを生前「優秀な学生だった」と語って下さっていたようだ。 「あの子は凄い! 開学以来初めて単身上京して東京で医学の仕事を頑張っている。 その後別分野で修士号を取得し教師として活躍した後、またもや理化学研究所へ就職し今度は“脳科学研究分野”で頑張っている。 あんな子、他にいない。」云々とマチコさんに話されていたご様子だ。 (マチコさんがこれ程明確に記憶されている訳ではないが、とにかく故恩師先生が生前私のことをよく語って下さっていたことには間違いないようだ。)
一つ、それを証明する写真を掲載させていただこう。
これは我が医学部時代の「卒業研究論文」を我が卒業後に観善先生が医学誌「BIOMEDICAL JOURNAL」に投稿してくれたものの最後の2ページだが。
確かにこの卒業研究は、自分でもよく頑張ったと思い起こす。 実験過程はもちろんのこと。 最後に参照した英文文献を掲載しているが、これらは観善先生の指導に従い医学部図書館へ通い詰め、我が卒業研究関連の英文文献を探し当てつつ真面目に読解したことが思い出深い。
あるいはマチコさんとの初対面に関して、「明るく笑顔が美しいステキな方」と私のことをお手紙内で表現して下さっている。
確かに私の人付き合いのモットーとして、「笑顔」が第一にあることは揺るぎない事実だ。 私が高校教師時代に生徒間で人気教員であったのも、この「笑顔を絶やさない」事が一番の理由であろう。
ただこの「笑顔」も、人との相性に基づき発揮するべきであることもわきまえている。 実際「笑顔」に抵抗感がある人物も必ずや存在するものだ。
そういう意味では、マチコさんと私は人格面で元々相性が良いのであろう。
更には、マチコさんは手紙内で我が娘と実母にもご配慮下さる記述もなされている。 (これらに関しては、今回は割愛させていただこう。)
「また徳島へお帰りの時はお目にかかりたく思います。 どうぞお元気でご活躍下さいませ。」と結ばれている。
マチコさん、必ずや近い将来に私はマチコさんにお会いする目的で郷里へ旅に出ます。 一泊程度の旅行とは実に容易い業である事も、今回十分に学習しました。
その前に、お手紙を書きます。 明日午前中にでも書きます。
マチコさんとのご関係を今後大事に我が心の中で暖めつつ、続行したく思っております事をしたためるつもりです。