人との出逢いとは、いつ何時も感動的なものだが。
こと、“相性良き”相手との出逢いとは、奇跡的とも表現出来そうに思える。
そういう意味では、やはり現実世界での出逢いこそがそれを叶えてくれそうだ。
前回のエッセイ内で郷里観音寺のマチコさんよりのお手紙内容を紹介したが。
あれを読ませて頂いて、今回そんな我が思いを叶えてくれたように思う。
いや、私の勘違いか? 単にマチコさん側は“社交辞令”を述べているだけなのに、私が浮ついて一人勝手にはしゃいでいるだけだろうか??
そうではないように思える。
もちろんマチコさんという人物とは、そもそも律儀な方なのであろう。
一応この私もそうであると自己分析している故に分かるのだが、律儀な人間とて好き嫌いは当然あるものだ。 人間関係の形式を重んじつつも、特別好意を抱かない相手に対しては、知らず知らず次第と距離を置いていくものだ。
今回のマチコさんとの関係に於いて、マチコさんが先にお手紙をしたためて下さった事実が私にとって劇的だった。 国立大学医学部恩師の奥様でもあり、こちらから観音寺に押しかけたとの理由もあるため、当然ながら、こちらから先に「御礼状」をしたため投函するべきである。 それが遅れている間に、「また是非お越し下さい」なる趣旨の感動的な文面のお手紙を頂戴できるとは、思ってもいなかった。
現在やっとお手紙の返答を書き始めているのだが、どうも筆がいつものように進まない。 何と言うのか、今後ともマチコさんとの“良き関係”を構築し続けたい思いが先走りしてしまうのだ…
過去の私事に入ろう。 (ここでは男女恋愛関係ではなく、あくまでも女性同士の交友関係に関して綴るが。)
特に我が適齢期を過ぎてからの“良き友”との出会いとは、どうしても年齢面や職業面で限定されていたように振り返る。
それでも私は独身時代に良き出会いに恵まれた。 例えば高校教師時代の同僚独身女性との出会いは、その後長年続いた。 無念な事に、彼女は60代の若さで独身一人暮らしの部屋にて“くも膜下出血”で倒れ、帰らぬ人となってしまった…
そう言えば、(本エッセイ集内で度々登場する)美術家はるこ先生なども良き出会いにより知り合いにならせて頂いたお相手であろう。
ご本人が主宰されているギャラリーに「モニカ展」にてつい最近立ち寄らせて頂いた折に、「またお暇な時に海外出張に付き合ってね」と声をお掛け頂いている。 ブエノスアイレス程の地球の反対側でなければ付き合います、と回答させて頂いた。
何と言うのだろうか。
“相性良き相手”とは時空間の経過に係わらず、いつお会いしてもつい先ほどまで会っていた感覚があるものだ。
これが無い相手とは所詮長続きしないのではないか? と悲観的に考察したりもする…
とにかく郷里のマチコさんとの出会いを大切に育みたいと、私は志している。
明日には必ずお手紙を投函しますので、いましばらくお待ち下さいますように。
付け焼き刃的に付け加える訳では無いが…
ネット上の関係とて、原左都子にとり印象的で大事な人物は存在するに決まっている。
今現在少しご無沙汰致しておりますが、マチコさんへのお手紙を投函し次第、すぐにご訪問致します。 (えっ? 特段急がなくても不都合無し、ですって??)