原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

そもそも「老後」がどうして不安なのか?? を考察しよう。

2025年01月19日 | 自己実現
 世の老人皆が、日々“不安感”に襲われつつ暮らしている訳でもないであろう。

 
 この原左都子自身(今年「古希」を迎える立場だが)のことを思い浮かべてみるに。
 おそらく私の場合 高齢域に達したからと言って、決して“日々不安感に苛まれている”訳ではない。

 むしろ たった今、その不安感に苛まれようとしている感覚があるのだが。😨 😰 
 それは、今回のエッセイテーマが「そもそも『老後』がどうして不安なのか??」なるマイナー心理を分析せんとするものであるが故だろう。

 要するに、この手のテーマ課題とは。
 その時々の心理状態に大きく左右される対象物であると言えよう。

 そうなると、だ。

 この課題を正確に分析するためには、人それぞれの生活実態分析から開始するべきだろう。
 ただおそらく 楽天家の方々とは自身の生活実態にかかわらず、日頃から“不安感”に襲われる経験すら無いとも分析可能だ。??

 この原左都子を分析するに、決して「楽天家」ではない。 かと言っていつもいつも「悲壮感」に苛まれている程でもないし。
 まあ一応 “平均的な心理状態”で人生を送っている立場かな??

 いや、人の「心理状態」の分析とはそれ程いい加減かつ簡単では無いことだろう。
 この辺の分析は、「心理学者」等々の専門家にお任せするとして。



 「老後の不安感」に話題を戻そう。

 そうだなあ。
 本日、この原左都子がこの種のテーマでエッセイを書こうと思いついた原点とは。

 最近、日々の人とのかかわりの中で ついつい自身の「古希」を意識してしまう故だ。
 正直言って、昨年までそんなことは絶対無かった!!
 年齢よりも比較的若く見える外見を保っている事実(ホントかよ!??)が自慢の我が身だったし… 😜 😖 
 とにかく、愚かにも(空虚な自信)に溢れていた我が身だと、つい最近まで勘違いしていたようだ。😱 


 その勘違いに少しづつ気付かされるようになるのが、「古希」を迎える意味合いなのか… とすら思わされるこの頃だ…

 いや、実際。 
 人間とはいつまでも、“勘違い”でこの世を渡っていける訳もない。

 もしかしたら、古希との年齢に達する事態とは。

 いつまでも“若気の至り”で勘違いしている私の如くの人種に。

 「空虚さを捨て去って、せめて余生を真っ当に生きよ!」 とアドバイスされる年代であるのだと。
 
 やっと、自覚できた気もする…


この記事についてブログを書く
« 寿命を迎えるまでの老後とは... | TOP |   
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 自己実現