(写真は、金沢21世紀美術館の前庭にあるカラフルな色彩のオブジェ)
私が今回北陸の地に旅しようと志したきっかけとは、この写真のオブジェが展示されている金沢21世紀美術館をテレビで見たことに端を発する。
2、3ヶ月程前のことであろうか、NHKテレビ昼の旅番組「昼ブラ」において上記の金沢21世紀美術館が取り上げられた。 ゲストのタレントはしのえみ氏がアナウンサー氏と2人で当該美術館を観賞して回ったその空間影像が実に美しかったのだ。
「これは必見! いつかはこの美術館を観賞する旅にでるぞ!」と心密かに決断した私である。
この3月には東日本大震災直後に予定していた郷里への帰省が、余震や放射能の影響により航空会社よりキャンセル奨励扱いとなり帰省を断念した。 郷里の母には夏に帰ると言っておきながら、実は私の心はこのテレビ番組を見た時から金沢に向いていた。 親不孝者の私の言い訳とは、娘の大学推薦入試を秋に控えているからそれが終了した時点で帰省すると母をごまかし、娘と共に北陸の地に旅立ったといういきさつである。
加えてお盆の時期とは家庭内で長期休暇の身内を抱え、主婦の身としては日々“飯炊き女”の負荷の重圧に耐えかねるのが現実でもある。 身内の世話に耐えた後さらに田舎の年寄りの長話に付き合わされたのでは我が身が持たないというものだ。 ここは身内と年老いた親には申し訳ないが、物静かで従順な我が娘を引き連れて現実逃避旅行に出かけるのが一番の方策というのが、主婦の身である私としては正直なところである。
さてさて前置きが長引いたが、いよいよ芸術の都そぞろ歩きの旅に話を移そう。
出発直前にネットを検索しつつ娘と旅のプランをいろいろと話し合った。 娘にとっては初めての訪問地である北陸にせっかく旅立つのだから、輪島等能登半島までも足を伸ばそうかとの案も出た。 だが結局は上記のごとく私自身が寛ぎたいのが今回の旅行の主たる目的であるため、ハードスケジュールとなる遠出は控えて2人でのんびりと金沢散策を楽しもうとの結論となった。
小松空港到着後、金沢駅行き直行バスに乗る。
車窓からは日本海が見える。娘にとっては初めて目にする日本海である。 天候も良く、穏やかな日本海が広がっているのを娘はカメラに納めたようだ。 そんな娘曰く、「北陸も四国(我が郷里)と似ているね」
確かにそうだ。 海が間近に存在し、山あり川あり田畑ありの北陸の風景は我が郷里と似ていると私も感じた。
宿は金沢駅構内にあるホテルを予約していたのだが、これは都会暮らしが長い女2人旅にとっては好都合であった。
金沢とは首都圏、阪神、福岡等に次ぐ日本における繁華街であるようだが、都会暮らしに慣れきっている我々にとっては何ら違和感や不都合がないのだ。 (こんな事を書くと“旅の神髄とはたとえ不便をしようが当地の生活文化に触れることである!”との反論を頂戴しそうだ。 これに関しては、既にエジプトやインドで重々不便を経験した私でもある。 今回の小旅行の目的は“寛ぎ”であることに鑑みてどうか我がままをお許し下さいますように…。)
当日の夜は娘の希望により、イタリアンレストランにて夕食と相成る。
ここで飲兵衛の私としてはとりあえずはワインのハーフボトルを注文したのであるが、北陸の地ならではの地酒を試飲したいものだ。 そんな私が発見したのが“能登ちょんがりぶし”との麦焼酎である。 これをロックで注文したところ、なんと私の好みの柔らかテイスト端麗で美味なのである! 最初からワインはやめてこれにしとけばよかった…と悔やみつつ、明日は別の居酒屋でこれを堪能するぞ!と心を固めながらも、未成年者の娘の前ではしらふのふりをして淡々と時を過ごす私である。(毎晩のことで、慣れてるしね~~)
さて翌日は朝からバスに乗って、いよいよ今回の旅の主たる目的地である金沢21世紀美術館へと向かう。
金沢はさすが観光客が多数訪れる観光地であり都会でもあるという市政運営上の条件に恵まれているのであろうが、バス運行のサービスも徹底していた。 土日祝日に限っては、観光地方面を運行するバスはわずか“100円”で観光地を巡れるのである!
この恩恵を受けつつ我々親子は金沢市街の各地の芸術施設を堪能したのだ。
そして到着したのが、第一目的地の金沢21世紀美術館である。
真っ先に目に付いたのは、やはり美術館前庭にある上記写真のカラフルオブジェであった。 ただし、私の印象ではNHKテレビ映像で見た印象よりかなり小さく感じた。 そういった理由もあるのか、このオブジェの存在すら認識せずして美術館の中に入る観客が多いようだ。
それから、NHKテレビにおいては前庭にあるラッパ状のオブジェについても解説していた。 それによるとそのラッパ状のオブジェは他の外庭にあるラッパオブジェと連結されていて、それを通してまるで“糸でんわ”のごとく会話が出来るとのことである。 ところが、これに関しても入場者の誰も認識していない様子でこれを楽しむ観客が皆無だったことも残念である。
(どうやら主宰者の宣伝不足のようだが、上記のオブジェは美術館に入場せずして利用できるようですので、是非共観客の皆さんこれらのオブジェを楽しまれますように! )
この21世紀美術館は現代美術の展覧会場であるようだ。
そこに展示されている作品は常設展よりも特別展が多数なのであろうか?
今回初めて訪れた私にとってはそれさえも分かりにくかったのだが、確かにこれが上記のNHKにて放映されていた常設展かと思しき展示もあった。 例えば観客が自転車を漕ぐ人力エネルギーにより形を変える電球オブジェ、 上から見るとまるでプールの底に人がうごめいているがごとく見えるオブジェ、あるいは多数の鏡が回転している中を鑑賞者が歩くことができその中での感覚を体験できるオブジェ、……
とにかく、この美術館の展示とは広い部屋に一つのオブジェの展示が原則であるようだ。 この展示室の広さが開放感を誘っていることは事実であろう。
ただしどうなのだろうか。 現代美術とは素人にとっては分かりにくいのが特徴であるが、もしもこの美術館が金沢に訪れた観光客の来館を煽る目的で単に“奇をてらった展示”を展開して入場料収入に頼っているとするならば多少残念な気もする。 と言うのも、この美術館は金沢に多数存在する美術館等芸術施設に比して入場料が格段に高いのだ。 (いえいえ、単に芸術素人の原左都子がその価値の程が理解できないだけの話なのだろう。)
観賞料無料コーナーにピーターマクドナルドの絵画「ディスコ」なる広々とした展示場があったが、あのコーナーなど可能ならば実際にディスコサウンド音声を発して観客が短時間でも踊れるスペースにするならば、展示と鑑賞者がさらに一体化できる空間となるのではないかとの素人考えが浮かんだ私でもある。(出品作品を傷付ける恐れがあるため無理なのか??)
等々の理由によりテレビ映像で見るのと実際にその場で観賞するのとでは残念ながら食い違いがあることを実感しつつ、21世紀美術館を去った我々である。
(金沢そぞろ歩きの旅の話は、次回に続きます。)
私が今回北陸の地に旅しようと志したきっかけとは、この写真のオブジェが展示されている金沢21世紀美術館をテレビで見たことに端を発する。
2、3ヶ月程前のことであろうか、NHKテレビ昼の旅番組「昼ブラ」において上記の金沢21世紀美術館が取り上げられた。 ゲストのタレントはしのえみ氏がアナウンサー氏と2人で当該美術館を観賞して回ったその空間影像が実に美しかったのだ。
「これは必見! いつかはこの美術館を観賞する旅にでるぞ!」と心密かに決断した私である。
この3月には東日本大震災直後に予定していた郷里への帰省が、余震や放射能の影響により航空会社よりキャンセル奨励扱いとなり帰省を断念した。 郷里の母には夏に帰ると言っておきながら、実は私の心はこのテレビ番組を見た時から金沢に向いていた。 親不孝者の私の言い訳とは、娘の大学推薦入試を秋に控えているからそれが終了した時点で帰省すると母をごまかし、娘と共に北陸の地に旅立ったといういきさつである。
加えてお盆の時期とは家庭内で長期休暇の身内を抱え、主婦の身としては日々“飯炊き女”の負荷の重圧に耐えかねるのが現実でもある。 身内の世話に耐えた後さらに田舎の年寄りの長話に付き合わされたのでは我が身が持たないというものだ。 ここは身内と年老いた親には申し訳ないが、物静かで従順な我が娘を引き連れて現実逃避旅行に出かけるのが一番の方策というのが、主婦の身である私としては正直なところである。
さてさて前置きが長引いたが、いよいよ芸術の都そぞろ歩きの旅に話を移そう。
出発直前にネットを検索しつつ娘と旅のプランをいろいろと話し合った。 娘にとっては初めての訪問地である北陸にせっかく旅立つのだから、輪島等能登半島までも足を伸ばそうかとの案も出た。 だが結局は上記のごとく私自身が寛ぎたいのが今回の旅行の主たる目的であるため、ハードスケジュールとなる遠出は控えて2人でのんびりと金沢散策を楽しもうとの結論となった。
小松空港到着後、金沢駅行き直行バスに乗る。
車窓からは日本海が見える。娘にとっては初めて目にする日本海である。 天候も良く、穏やかな日本海が広がっているのを娘はカメラに納めたようだ。 そんな娘曰く、「北陸も四国(我が郷里)と似ているね」
確かにそうだ。 海が間近に存在し、山あり川あり田畑ありの北陸の風景は我が郷里と似ていると私も感じた。
宿は金沢駅構内にあるホテルを予約していたのだが、これは都会暮らしが長い女2人旅にとっては好都合であった。
金沢とは首都圏、阪神、福岡等に次ぐ日本における繁華街であるようだが、都会暮らしに慣れきっている我々にとっては何ら違和感や不都合がないのだ。 (こんな事を書くと“旅の神髄とはたとえ不便をしようが当地の生活文化に触れることである!”との反論を頂戴しそうだ。 これに関しては、既にエジプトやインドで重々不便を経験した私でもある。 今回の小旅行の目的は“寛ぎ”であることに鑑みてどうか我がままをお許し下さいますように…。)
当日の夜は娘の希望により、イタリアンレストランにて夕食と相成る。
ここで飲兵衛の私としてはとりあえずはワインのハーフボトルを注文したのであるが、北陸の地ならではの地酒を試飲したいものだ。 そんな私が発見したのが“能登ちょんがりぶし”との麦焼酎である。 これをロックで注文したところ、なんと私の好みの柔らかテイスト端麗で美味なのである! 最初からワインはやめてこれにしとけばよかった…と悔やみつつ、明日は別の居酒屋でこれを堪能するぞ!と心を固めながらも、未成年者の娘の前ではしらふのふりをして淡々と時を過ごす私である。(毎晩のことで、慣れてるしね~~)
さて翌日は朝からバスに乗って、いよいよ今回の旅の主たる目的地である金沢21世紀美術館へと向かう。
金沢はさすが観光客が多数訪れる観光地であり都会でもあるという市政運営上の条件に恵まれているのであろうが、バス運行のサービスも徹底していた。 土日祝日に限っては、観光地方面を運行するバスはわずか“100円”で観光地を巡れるのである!
この恩恵を受けつつ我々親子は金沢市街の各地の芸術施設を堪能したのだ。
そして到着したのが、第一目的地の金沢21世紀美術館である。
真っ先に目に付いたのは、やはり美術館前庭にある上記写真のカラフルオブジェであった。 ただし、私の印象ではNHKテレビ映像で見た印象よりかなり小さく感じた。 そういった理由もあるのか、このオブジェの存在すら認識せずして美術館の中に入る観客が多いようだ。
それから、NHKテレビにおいては前庭にあるラッパ状のオブジェについても解説していた。 それによるとそのラッパ状のオブジェは他の外庭にあるラッパオブジェと連結されていて、それを通してまるで“糸でんわ”のごとく会話が出来るとのことである。 ところが、これに関しても入場者の誰も認識していない様子でこれを楽しむ観客が皆無だったことも残念である。
(どうやら主宰者の宣伝不足のようだが、上記のオブジェは美術館に入場せずして利用できるようですので、是非共観客の皆さんこれらのオブジェを楽しまれますように! )
この21世紀美術館は現代美術の展覧会場であるようだ。
そこに展示されている作品は常設展よりも特別展が多数なのであろうか?
今回初めて訪れた私にとってはそれさえも分かりにくかったのだが、確かにこれが上記のNHKにて放映されていた常設展かと思しき展示もあった。 例えば観客が自転車を漕ぐ人力エネルギーにより形を変える電球オブジェ、 上から見るとまるでプールの底に人がうごめいているがごとく見えるオブジェ、あるいは多数の鏡が回転している中を鑑賞者が歩くことができその中での感覚を体験できるオブジェ、……
とにかく、この美術館の展示とは広い部屋に一つのオブジェの展示が原則であるようだ。 この展示室の広さが開放感を誘っていることは事実であろう。
ただしどうなのだろうか。 現代美術とは素人にとっては分かりにくいのが特徴であるが、もしもこの美術館が金沢に訪れた観光客の来館を煽る目的で単に“奇をてらった展示”を展開して入場料収入に頼っているとするならば多少残念な気もする。 と言うのも、この美術館は金沢に多数存在する美術館等芸術施設に比して入場料が格段に高いのだ。 (いえいえ、単に芸術素人の原左都子がその価値の程が理解できないだけの話なのだろう。)
観賞料無料コーナーにピーターマクドナルドの絵画「ディスコ」なる広々とした展示場があったが、あのコーナーなど可能ならば実際にディスコサウンド音声を発して観客が短時間でも踊れるスペースにするならば、展示と鑑賞者がさらに一体化できる空間となるのではないかとの素人考えが浮かんだ私でもある。(出品作品を傷付ける恐れがあるため無理なのか??)
等々の理由によりテレビ映像で見るのと実際にその場で観賞するのとでは残念ながら食い違いがあることを実感しつつ、21世紀美術館を去った我々である。
(金沢そぞろ歩きの旅の話は、次回に続きます。)
ゴッホは、生きて絵を書いてる間に支えてくれる人を見つけられず、ゴッホが死んでから絵に価値が付き始めた。
ゴッホが生きている間に支えてくれる人を見つけていれば、耳を切り落とさなくて済んだだろうに・・・。
観光地といったところで、名所旧跡のみをPRしても今や集客力がないのが現状なのでしょう。
そこで、集客し易く入場料収入も稼ぎ易い美術館等は、新しい観光スポットとして観光地のドル箱的存在なのかもしれません。
そしてドカドンさんがおっしゃるように、その美術館を巨額の資金力で支えているスポンサーがバックに存在します。
金沢21世紀美術館の場合は財団法人のようですが、その種のスポンサーなくて現代美術は発展し得ないでしょう。
そういう意味では今は芸術家が活躍しやすい時代なのかもしれませんね。
ゴッホの時代は確かにバックにスポンサーが存在する時代ではなかったのでしょう。
ただそうであったからこそ、世紀を超えて後世に訴える迫力のある芸術作品が生み出されたとも言えます。
「おさんどん」を嫌う女性が増えています。これからは嫌うと言うより出来ない女性が増えるかも知れません。私も「無期休暇中」なので雰囲気は承知しています。
日本海に面した金沢の雰囲気と紀伊水道に面した徳島の雰囲気は相当違うように感じますが、普段海に接する事がない東京暮らしの方には同じように見えるのかもしれません。
ラッパ上のオブジェの利用者が少ないのは残念ですが、距離の問題ではないでしょうか。同じグループでも100m以上隔てた場合、その為に分かれて通話はしないと思います。
美術館の展示運営ですが、この地の方達は前田利家の性格を物の見方に引きずってしまっている事は無いでしょうか。悪く言えば彼は相当に鈍感であったようです。「広い部屋に展示が一つ」、豪放磊落、加賀100万石の気質を表してはいないでしょうか。
暇な方がやればいいのではないですか? にもかかわらずいくら忙しくてもいつもいつも女がやらねばならず、それを嫌う女性は欠格者呼ばわりされるのはどう考えても理不尽な話です。
私など真面目で律儀な人間ですので、嫌でも必ずや時間がきたら食事の準備に取り掛かります。 何かに集中していようとそれを中断せねばなりません。
このブログ記事とてそうです。大抵午後3時頃から書き始めるのですが、食事の準備のために5時頃までには終えねばならないプレッシャーは相当なものです。 完成型ではなく中途半端なままで一旦記事をアップして夜修正したりするのですが、中途半端なまま放置するのは私の性格として大いなるストレスです。
外出してもそうです。午前中であれ午後であれ必ずや食事の準備時間までには帰宅せねばなりません。 自分にとって重要な用件があろうとも「おさんどん」のために途中で切り上げて帰宅する必要があります。
この状態が身内の長期休暇で何日も続くと、ストレスで爆発しそうな気持ちもお分かりいただけることでしょう。
ラッパ状のオブジェは遠い位置にいる見知らぬ人と会話できる事に楽しみがあるのですが、皆単なる置物としか認識していないようで、ラッパに向かって話したのは私だけでした。
前田利家が鈍感であったが故に、当時としては無用の長物とも思える美術工芸文芸分野が加賀の地においてこれ程までに発展したのかもしれませんね。