原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

グランマ・モーゼス ー 素敵な100年人生 シリーズ ー vol.12(最終回)

2022年07月09日 | 芸術
 (冒頭写真は、朝日新聞愛読者プレゼント「グランマ・モーゼス 素敵な100年人生」シリーズ 最終回 より、油彩「グランマ誕生の地」。)


          

 早速、解説文を紹介しよう。

 グランマ・モーゼスは1860年9月7日、ニューヨーク州グリニッチに生まれ、奉公に出るまでの12年間をこの地で家族と共に過ごした。 モーゼスの自伝「私の人生」には、母の手伝いや妹の世話をするほか、森を散策して花を摘むなど、当時の幸せな日々が綴られていた。 モーゼスはこの頃より、父ラッセルが子どもたちに与えた白い紙や、ブドウのしぼり汁などを用いて絵を描いていた。 グリニッチは、モーゼスの自然へのまなざしや創作の喜びを育んだ地といえるだろう。
 本作は、モーゼスがまもなく100歳を迎える1959年にグリニッチを描いたもの。 モーゼスは、このほかにも「グリニッチへの道」をはじめ、複数の作品に新しい記憶が残る故郷の風景を描いた。

 原左都子の感想だが。

 そうなんだ。 グランマ・モーゼスは、私が4歳の時に100歳を迎えたんだなあ。
 そして、100歳にして未だ絵画制作に取り組んでいたという計算になる。

 私事だが、我が4歳時(1959年)の頃にも私なりの記録的な出来事があった。
 それは、幼稚園にて生まれて初めて受けた「知能検査」にて当該幼稚園歴代一位となるIQ168を打ち立てて、周囲に驚かれたとの逸話だ。 そして園教諭が我が親どもに尋ねて、「家庭で何か特別な教育をしていますか?」 親が応えて、「何もしていません」。 実際な~~~んもせずに、手がかかる姉と裏腹に下の娘の私は一貫して放ったらかしの家庭だった。
 ただ、この逸話は後々の我が大いなる励みとなったことは確かであり、その自信が我が後々の学習・学問活動を支えたといってよいだろう。




 2枚目の作品は、「虹」。

          


 「虹」と聞いて思い出すのは、我がエッセイ集2013.10.03付「虹は人の心と心をつなぐ架け橋」と題するエッセイだ。

          
 (当時、我が家のバルコニーより撮影した、消えかかっている虹。)

 当該バックナンバーの一部を、以下に引用させていただこう。

 昨日の午前中は台風通過による雨に見舞われた東京だった。 午後になって雨がやむと同時に蒸し暑さが漂い始める中、私は所用のため外出した。 夕刻になり出先の建物より外に出ると、蒸し暑さが倍増し10月初旬とは思えないような不快な空気が我が身を襲ってくる。
 この時期に、まさか熱帯夜が到来せねばよいのだが…  などと危惧しつつ道を歩いていると、母親が男の子2人を引き連れた家族が程近い場所で同じ方向の道の帰りを急いでいる。
 この親子に関して説明すると、母と幼稚園児程の下の男の子は自転車に二人乗りし、小学校中学年程と思しきランドセルを背負った長男がそれを追うようにハーハー息づかいで小走りしているシチュエーションである。 
 長男と母親との会話が私の耳元に届いてくる。
 長男曰く「○○を買って欲しい」。  母が応えて曰く「そんなもの必要ないよ!」。
 長男君が息を切らしつつ母に訴えるその嘆願を端で聞いていると、単に“だだをこねている”と言うより、ある程度の論理性を持って母親にそれを購入する妥当性を訴えている様子だ。  にもかかわらず、あくまでも母親の回答は「No!」一辺倒の様子だ。

 その時である。
 空を見ていた長男君が叫んだ!   「あっ。虹だ!」

 私はすぐさま長男君の視線の先の大空を見上げた。

 長男君の叫び声に、一家の母も弟も自転車から降りて空に視線をやった。 「ほんとだ! わあ~、きれい!!」

 その後一家は3人一緒に大空の虹に見入ったようだ。 長男君の嘆願も一旦中止となり、一家は虹を眺めながら仲良さそうに帰り道を歩んで行った。

 いや、この虹が実に実に美しい。
 私も我が家への帰り道を急ぎつつ、反対方向から来る小学生女児団体が背面にあるこの虹に気付いていない風景に出会った。 よほど「ほら、みんな。素晴らしい虹が出てるよ!」と教えてあげたかったものの、女児達の大声での盛んなおしゃべりの程に圧倒され、言いそびれた……

 その後角を曲がり車の通りが少ない公道上で、私は携帯を取り出し滅多に見る事のない立派な虹を写真撮影する事とした。 そうしていると、やはり虹を背面に一人で下校中の小さい男児が私の撮影に気付いた。 (この人、何を写しているのだろう?)なる懐疑心の下、男の子はすぐさま私のカメラターゲットである背面空の虹を振り返り「すごい!!」の歓声である! 私も「すごいね!」と返すと、少年はほんの少し微笑み返してくれた。

 私の携帯撮影を背後で見ていた高齢女性が声をかけて下さる。「本当に綺麗ですね。」  応えて私曰く「こんな立派な虹を東京で見られる事は滅多にないですね」 それに更に応えて女性曰く、「さっきはもっと綺麗だったのですよ。そろそろこの虹も消え去るのでしょうね。」…

 いやはや、大都会東京に於いて行きずりの人々と会話をする機会など普段は皆無と言ってよい現世ではなかろうか?  特に下手に小学生程の小さい子どもに声をかけようものなら、不審者扱いされかねない現代の悲しい社会事情だ。
 にもかかわらず大都会における人と人との一期一会の心の触れ合いを、天空のいたずらにより突如出現した虹が一時もたらしてくれる昨夕の出来事だった。 

 (以上、本エッセイ集バックナンバーより一部を引用したもの。)


 
 画家グランマ・モーゼスの「虹」は1961年晩年に描かれたそうだが、彼女の最後の完成作とされているようだ。
          

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