原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

私はあげないし、要らない。

2009年07月19日 | 時事論評
 人それぞれの「死生観」の差は大きいのであろう。
 それにしても、いつをもって“人の死”とするかについて法的に喧々諤々議論した上で、幼き子どもの命までをもここからが「死」である、と法改正して“線引き”しようとすること自体に、現代社会の歪みを実感させられ戸惑いが隠せない私である。


 当ブログで再三述べてきているが、私は病院嫌いであり、薬嫌いであり、健診嫌いである。
 一応元医学関係者であるにもかかわらず、なぜそれ程までに“医療”を毛嫌いしているのか不可解に思われる方も多いであろう。 だが、むしろ、元医学関係者であるからこそ、私の“医療嫌い”には(多少の思考的偏りは認めつつも)それなりの確固としたポリシーがあるとも言えるのだ。


 まずは、生命体の自然治癒力を信じたい。
 現在の医療が「薬」「検査」等の“科学”の力に頼り過ぎているのは否めない事実であろう。 体のどこかに不調を来たすと、現代人は深い思慮なく直ぐに病院へ行ったり薬を買い求めて飲んだりの行動を起こすのが通常である。 その「薬」や「検査」により受ける体内の新たなダメージにまで思いを馳せる人は恐らく少数派であろう。 自然治癒で回復する不調の場合は、科学の力ではなく自らの生命力で治した方が安全性が高いに決まっている。
 ただし、通常は自然回復するかどうかの判断が自力ではつきにくいため、念のために病院受診や薬を買う手段に頼らざるを得ないのであろうことは私も想像がつく。 あるいは一時的に症状を抑えたり、とりあえず“痛み”のみを取り除く目的で、副作用等の危険性を覚悟の上で投薬に頼る場合も多いことであろう。


 この“医療行為”の究極が「臓器移植」であるように私は捉えている。 この「臓器移植」という医療行為が出現して以降、「脳死問題」が表面化したのは皆さんもご承知の通りである。

 「臓器移植」を語る上で、「死生観」観念ははずせない課題であると私は捉える。
 当ブログのバックナンバー「健康の基準と死生観」においても記述済みであるが、もしも不治の病で死を迎える場面に瀕した場合、この私ならば延命治療など一切せずに、その「死」を自然な形で受け入れたいと考えている。下手にみっともない“命乞い”など恥ずかしい思いすら漂う。
 私の場合、既に「癌」に罹患して闘病生活を経験しているのだが、その時とて同じ思いだった。ただただ、産んでまもない我が子をこの世に残しておくことのみが気がかりではあったが、それでも自分に“与えられた命の長さ”を受け入れる覚悟はその時から確固としてあった。 いつ死んでも「いい人生だった」と思いながらこの世を去りたい私は、その時40歳にして既にその域に達観していたとも言えるのだ。

 ましてや人様の“脳死後の臓器”を頂戴してまで生き延びようなどという発想は、この私にはまったくないと言い切れる。


 自分の命はともかく、それよりも貴い我が子の命を守り抜きたい親心は、同じ子を持つこの私にも理解可能ではある。
 親御さんご自身の経済力で子どもの命を守るために海外へ「臓器移植」に出かけるのならば、それは自由になさったらよいかと私は捉える。
 ところが子どもの臓器移植の実態と言えば、“他人様”よりの何千万、何億円もの“募金”に頼って“他人様”の臓器提供を受けようとしているのがその現状のようだ。
 実は我が子が小学生時代に、その小学校に所縁のある子どもが海外で「臓器移植」を受けることになり、その募金が半ば強制で全家庭に課せられたことがある。協力をしたものの、正直なところ大いなる違和感を抱いたものだ。 (その後、その子どもは集まった募金で手術を受けたのか、その後の予後はどうなのか等の事後報告が一切ないまま年月が流れている。)


 7月13日に参議院本会議で可決・成立した、「脳死は人の死」を前提とした0歳からの臓器提供を我が国内においても可能にする“改正臓器移植法”に関しては、賛否両論の見解が交錯している。

 年齢制限の撤廃を強く求めてきた「臓器提供」を欲する子どもを持つ家族や支援者が胸をなでおろす一方、脳死に近い状態が続く子の成長を見守っている子どもを持つ家族は「娘に死亡宣告されたよう」だと、肩を落としている。
 朝日新聞7月13日の報道によると、生後2ヶ月から「脳死に近い」状態にある遥(はるか)ちゃんは、心肺停止状態で脳細胞のほとんどが死んでいる状態にもかかわらず、2歳になっている現在、人工呼吸器と栄養補給のチューブをつけて眠りつつも、ベッドの上で“成長”し続けている。そんな遥ちゃんの両親は、遥ちゃんが“確かに生きている”姿に日々目を細め成長を喜んでおられる。
 そんなご両親が「(早く遥ちゃんの脳死を認めて)『臓器提供して他の子を助けてあげればいい』という雰囲気が世の中で強くなっていくのがこわい」と切実に訴えている現実が私にも身に滲みる程、今回の臓器移植案改正・成立の“怖さ”がある…

 話がこと子どもにまで及ぶと、断言がし辛くなるのが「臓器移植」問題の厄介なところではあるが、やはりこの問題は子どもの「臓器提供側」の“親の心理”こそが尊重されるべきではなかったのかと私は捉えるのだ。


 科学の目覚ましい発展は“人の倫理観とのせめぎ合い”をもたらした。
 さらに時代が突き進み、人の“倫理観”と“エゴ”との境界線の判定さえも困難にまで成り下がった現在における「子どもの脳死」法改正の可決・成立を、皆さんはどのように受け止めているのであろうか。
       
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“天才性”を見抜き育てる前に…

2009年07月16日 | 教育・学校
 昨日行きつけの美容院へ行った折りに、私のヘアケアをもう2年来担当して下さっている美容師氏とヘアカット中に“子どもの教育談議”になった。


 その美容師氏(4歳児を持つお母様でいらっしゃるのだが)は、先だって米国に於ける国際ピアノコンクールで優勝したピアニストの辻井伸行氏を引き合いに出して、以下のようにぼやかれるのだ。
 「辻井氏に関してはお母上が生後わずか8ヶ月の伸行氏の音楽的天才性を見抜いてピアニストとして育て上げたと聞いているし、原さん(私の事だが)もお嬢さんの適性をお母様として早い時期から見抜いて支援していらっしゃる。 それに引きかえ我が息子など、どういう角度から観察しても何の取り得もない子で、親として今後一体何を伸ばしてやればいいのか途方にくれている…」

 (プロの美容師氏としての“営業挨拶談議”の範疇の話題であることは重々承知つつ、それに応える私である……)
 「確かに辻井氏の場合、音楽的“天才性”を生来持ち合わせていたのに加えて、お母上が伸行氏のピアニストとしての今日の成功の陰で多大な愛情と熱意を注がれたようですね。 我が家の場合はそもそも子育ての趣旨がまったく違って、親としてはただ単に我が子に将来何かの分野で“一人で飯を食って生きて欲しい”思いで、娘の尻を叩き続けているだけの話ですよ。 それにしても美容師さん、わずか4歳の幼児にして、何らかの分野での才能が表出している子なんていないに等しいと私は思いますけどね。 息子さんも今後様々な分野で大きく成長されることでしょう。云々……」
 (この美容師氏ご自身の子育てのモットーが「その場の“空気”を読める子に育てたい!」との、なかなかの客観力のあるお母上であるが故に、私が心配せずとて御二世もきっとよい子に育つことでしょう。


 この美容師氏のお陰で、辻井伸行氏に関する記事を今回やっと綴れるきっかけを得た私である。
 実は至って僭越ながら、辻井氏のピアニストとしての今日の成功の報道に接した私は、恐れ多くもそのお母上がなされた事と我が拙い子育てとの間に重複する部分があるように錯覚し、感慨深い思いを抱いたというおこがましい事実があるのだ。

 辻井氏のお母上は、伸行氏の音楽的“天才性”を生後早くも見抜いた上で、その英才教育に熱意を注がれた模様である。
 それらの報道の中で私が特別感銘を受けたのは、お母上が伸行氏の芸術性を磨くために「音楽」のみならず「美術」鑑賞も並行されたとの報道である。目の見えない伸行氏を美術館へ誘い、その一枚一枚の絵画の前でお母上が“口述で”その色彩構成等の絵画の世界を伸行氏に伝えたそうである。
 そのお母上の類稀な熱意により、伸行氏はそれらの絵画が目には見えずとも心情風景として脳裏に刻み込まれたお陰で、現在の自身の精神構造を形創ることが可能となり感性の豊かさが培われた云々…、との報道である。
 
 不運にも「五体不満足」で出生して来ざるを得なかった我が子を母親として支え抜くためには(その“不満足”のレベルの差はあれども)、母親の子育てにおける理想が常識を遥かに超えて高くないことには、その情熱を注ぎ切れないことは私も実感なのだ。
 そういった母親の“尋常ではない意気込み”なくして「五体不満足」な子どもが“世間が認めるレベル”もしくは“それ以上”に育ち得ないことは、実際にそういう子どもを身近に育てている母親のみが知るところの、想像を絶する程に過酷な試練なのである。


 そういった“凄まじい”までの現実を母である私が乗り切って来ていることを、遠隔地に住む我が母でさえほとんど知らない。 言うまでもなく、近くに住む義理母も十分には把握していない。(普段の子育てを私に委ねている我が亭主ですら、どこまで理解できているのやら……)

 そんな我が娘が現在高校生になっている今、あくまでも学力的な面のみで評価すると(世間一般に分かり易い表現で申し上げて)難関大学も目指せそうな程に学力を付けてくれている現在である。

 この現状を、我が子が出生した当時の事情を知る親族一同が今どれ程に感慨深く思ってくれていることやら…。
 皆が口々に言うのだ。 「この子は、私の血筋で元々頭がいいからここまで来た…」「出産直後は心配したけど、私に似て“努力家”だから今の成長に繋がっている…」
 まあ何でもいいけど、どういう訳か実際に日々我が子を育てている“母親の努力”とは表舞台には出にくく報われないことを実感である。(それでいいんだけどね。トホホ…)


 私の“お抱え美容師氏”がおっしゃる通り、我が子の“天才性”を見抜き育てる以前の問題として、「その場の“空気”を読める客観性」をとりあえず子どもに育成していくことが今の時代先決問題だとは私も思うよ。
 
 とにもかくにも“子育て”とは子ども本人に“天才性”があろうがなかろうが、常に身近で子どもに寄り添って世話をし続けている(通常は)母親の力量次第であることを、我が子より実感させてもらえる今日この頃である。 
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プールの季節の憂鬱

2009年07月14日 | 教育・学校
 昨日最高気温が34℃まで上昇した東京地方では、予想通り本日気象庁より“梅雨明け宣言”が発表され、いよいよ真夏の到来である。

 毎年この季節になると騒々しく聞こえてくるのが、自宅に程近い小学校のプールからの児童達の歓声と教員の指導の叫び声の喧騒音である。(バックナンバー「先生、落ち着きましょうか」を参照下さい。)


 ところで、我が子は6年間(幼稚園も含めると9年間)にも及ぶ公教育におけるプール指導の甲斐もなく、結局泳げずじまいである。

 そういうこの私も、海の近くの出身のため子どもの頃は毎夏海水浴を楽しみ、中高生の6年間においては全員強制でプール指導を受けたにもかかわらず、“背泳ぎ”しかできない。(ただし、まっすぐには進めない。トホホ…)
 なぜ“背泳ぎ”なのかと言うと、腹ばいになったら浮けないからである。 顔をつける“バタ足”のみは出来るのだが、どういう訳か顔を水面から上げた途端に全身が沈み始めるのだ。 そこで思いついたのが、仰向きに浮くことである。この発想が大正解で、とりあえずは浮けたため“背泳ぎ”一辺倒でプール指導を凌ぐことになる。
 高校のプール指導修了時に、生徒全員がプールの中に“ぶち込まれ”何の泳ぎでも何時間かかってもいいから底に足はつけずに25mの対岸へ“生還”する課題を課せられた。私は“背泳ぎ”で何とか無事に“生還”をクリアしたものである。


 我が子が泳げないことに話を戻そう。

 日本全国津々浦々の小学校において、6月から9月上旬までの約3ヶ月間、6年間もの長きに渡り、毎年毎年“プール指導”を教育行政の一環として全国の全児童に課すのであれば、教える側こそが全員を“泳げる”ように指導できる体制作りにも同時に着手したらどうなのかと、一保護者としては言いたくもなる。

 我が子の場合ある事情を抱えていることもあって、特に小さい頃は何事にも習得に時間がかかる子ではあった。 それにしても、6年間を通して誰一人として我が子に“泳ぎ”の指導が出来ないとは、たかだか“プール指導”とはいえ公教育においては一体全体如何なる指導が行われているのか不信感のみを抱いたものである。
 泳ぐ趣味など一切ない親子であり家庭環境であるため、別に一生泳げなくとも何ら差し支えはないのだが、公教育において“正規の課題”としてプール指導を取り入れているのであれば、(“背泳ぎ”でも“まっすぐ”でなくても何でもいいから)せめて5mでも泳げるように指導した上で児童を卒業させるのが公教育の責任というものではないのか??

 このプール指導のために、年々体型的に成長を遂げる子どものサイズに合わせてスクール水着と“ボタン付きタオル”(なぜかそれが学校指定なのだが、こんな後々不用なものが「高価!」なのにも合点がいかなかったものだ)等の買換え負担が毎年親にのしかかってくる。しかも、あのゼッケンを縫い付けた“ダサい”スクール水着などレジャーではみっともなくて着せられないため、レジャー用は別購入となる。

 しかも親として何より心が痛んだのは、泳げない児童を邪険に扱う教員が存在したことである。 その教員は泳げない児童を捉まえて「何でお前らは泳げないのか!」と叱り、全員をプールに“ぶち込んで”「泳げ!」とのみ言い放ち、後は泳げる児童をより早く泳がせる指導に没頭していたらしいのだ。 ところが我が子など泳げないためプールの隅っこでつっ立つことになる。 6月のまだ肌寒い日など、プールの中で2時間つっ立っていると体の芯まで凍えるそうだ。
 その話を我が子から耳にした私は、(これは“いじめ”でしかない…、しかも初潮を既に迎えている女の子にとっては体を冷やすことは大敵でもあり、体の母性の将来に渡る発育の観点からもこれは許し難き過酷な“仕打ち”である!)との思いで居ても立ってもいられず、その非常識教員と“プール指導”自体の存在を恨んだものである。 我が子には「せめてプールの中で“ウォーキング”でもして体を温めていなさい」と助言するしか母の私に力がないことが何とも辛かった…
 ところがその後、この辛さにさらに追い討ちをかける教員の言葉が待っていたのである。 母の私の助言に従い我が子が体を温めるべくプール内でウォーキングを始めたところ、すぐさまその教員から叱咤の罵声が飛んだのだという。
      「歩いてないで、泳げ!!」 

 (こういった公教育現場の“弱者虐待”とも捉えられる非常識な指導の実態を作り上げている“教育行政”を今からでも遅くないから叩き直すべく訴えたい思いで、一保護者である“原左都子”が保護者を代表して?? この記事を綴っているのが本音だぞ!!)


 そもそも何故に、“プール指導”などという、私に言わせてもらうと“至って特殊”な体育の一分野の種目を教育行政は全国の小学校において全員強制の課題としたのであろうか。
 一説には、オリンピック等の国際競技における「競泳」で活躍する“スーパースター”を作り上げることにより国力の活性化に繋げるためだ、という見解もあるようだ。
 他方、水難事故等に備えて子どもの頃から“泳力”を育成することは有効だとの見解もあろう。


 私論は上記2説共に、その根拠は「乏しい」と捉えている。

 確かに近年、オリンピック等国際舞台における「競泳」競技における日本選手の躍進には目覚ましいものがある。 残念ながら私はそれら名立たる選手らの現在の活躍と小学校時代のプール指導との関連に関してはまったく情報を持たないため、その情報に詳しい方には伝授願いたいところである。
 片や“水難事故”説に関しては、これは教育行政が全国の全児童強制課題として取り上げるには、人間の一生において水難事故に遭う確率が微細過ぎる。加えて、水難事故に遭って“九死に一生を得る”のは、必ずしも泳ぎに秀でているためではない現状は報道で伝え聞く通りである。

 極論であるかもしれないが、どうも政府とゼネコンとの癒着が怪しいと私は以前より捉えているのだ。
 全国津々浦々の全小学校にプールを設置することにより、誰と誰が一番ホクホクしたのかは、皆さんも少し考えて下されば一目瞭然の話であろう。

 別にそれでもいいんですよ。“プール”を全国の小学校に作りまくった以上、せめて有効利用するべきだとは私も思いますよ。

 
 だがそれ以前の問題として、教育行政が公教育において「プール指導」を義務化している以上、その現場の学校でどのような指導が行われているか等のフォローは欠かせないはずだ。
 この「プール指導」によって教育行政が今後何を目指したいのかは、私は今尚摑み切れないままであるが、過去において教員の管理不行き届き等の理由で複数の児童の死者さえ出している公教育における「プール指導」を、一部の子どもが単純に喜ぶからと言って、教育行政は今後もこのまま続行する思惑なのだろうか??
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Rock with MICHAEL JACKSON

2009年07月12日 | 音楽
 マイケル・ジャクソンと言えば、やはりその代表曲は1984年に発売されて世界中で1億枚をセールスしたと言われる「スリラー」であろうか。あの独特の“ムーンウォーク”ダンスと共に、世界中のマイケルファンを熱狂させたものである。


 先だって50歳の若さでこの世を去った米国が生んだ世界のスーパースター  マイケル・ジャクソン氏であるが、この私も元々音楽好きであるのに加えて70年代にディスコ三昧の日々を過ごした流れで、氏には一応の思い入れがあるのだ。

 そんな原左都子が選ぶマイケル・ジャクソンのNo.1代表曲は 「Rock with you(ロック・ウィズ・ユー)」 である。
 この曲は、1979年に発表されたアルバム「オフ・ザ・ウォール」の中に収録されている。 このアルバムも世界中で何千万枚かのセールスだったようだが、その収録曲の中で、本国の米国でNo.1セールスとなったのがアルバム名と同名の「オフ・ザ・ウォール」、日本においてのNo.1セールスが「今夜はドント・ストップ」、そして、私の一押しの「ロック・ウィズ・ユー」はイギリスにおいてNo.1ヒットとなっている。 
 このように、国によってブレイクする曲が異なるというのは国民性の違い等の要因が考察できて興味深いのに加えて、それほどに氏のこのアルバムの内容の中身が濃いことも物語っている。

 なぜ私の一押しが「ロック・ウィズ・ユー」であるのかと言うと、それには私なりの思い出深い根拠があるためだ。
 折りしもこのアルバムが発売された1979年にヨーロッパ旅行に出かけた私は、ロンドン、パリ、ローマ各都市の当時の名立たるディスコへ繰り出したのである。 その中でイギリスの首都ロンドンの、まるで宮殿のように高貴で落ち着いた内装の広々としたディスコにおいて、この「ロック・ウィズ・ユー」が流れたのである。 イギリスでこの曲が人気という情報はあらかじめ得ていたのだが、やはりこの国ではマイケルというと「ロック・ウィズ・ユー」なのだと再認識である。 少しバラードっぽい大人びたロックのリズムが宮殿風のディスコの雰囲気に融合して、ロマンティックな雰囲気に酔いしれたものだ。
 そんな訳で、ヨーロッパ旅行というとロンドンのディスコで流れたマイケルの「ロック・ウィズ・ユー」を思い出す私は、今尚この曲を聴いてはその想い出に浸るのである。


 さて、そのマイケル・ジャクソンの「ロック・ウィズ・ユー」や「オフ・ザ・ウォール」を、このブログ記事を書くためにユーチューブの影像で観賞し直してみた。
 その影像を見る限り、当時おそらく20歳そこそこかと思われるマイケルが、ナイスバディで精悍な好青年なのである。
 マイケルは兄弟グループ“ジャクソン5”の時代の子どもの頃から結構可愛らしい少年だったのだが、私の目には、青年になっているマイケルも音楽性のみならずルックス的にもファンを魅了できる要素を十分に兼ね備えているように映るのである。

 皆さんもご存知の通り、マイケルはスーパースターの階段をのし上がるのと平行して外見を大改造し続けた。 肌を白くし、鼻をスラリと高くして、髪の毛はまっすぐに、そして体をスリムにし続けた。 その結果、白人だか黒人だか、男性なのか女性なのか、人間なのやら“化け物”なのやら見分けのつかない何とも奇妙で“特異的”な外観を作り上げてしまった。
 何故にマイケルは、持って生まれた十分に魅力的な外見を完全に捨て去ってあのような“特異的”な外観を作ることに躍起になったのであろうか。

 その背景には、自己のアイデンティティにおける“迷走”があったのではないかと私は考察するのだ。

 マイケルは父親には一切遺産を与えない趣旨の遺書を残していると聞く。その理由は、幼い兄弟を早くから世に売り渡して“稼がせた”父親に対し、敵意を持ち続けていたためとも見聞している。
 もしかしたら、マイケルは持って生まれた豊かな才能やそれにより後天的に得た人気や名声とは裏腹に、内面の心理構造は“不幸”と“コンプレックス”の塊だったのかもしれない。 それらすべてを消し去りたいが故に、まったく異質の外観を創り出すことによりマイケルなりのアイデンティティを確立しようとして、苦悩し続けた人生だったのかもしれない。

 世界中を一世風靡した華やかなスーパースターの陰には、様々な事件や疑惑も見え隠れしていた。
 死後相当の日数が経過しているにもかかわらず、未だに死因も公表されないままである。

 自己のアイデンティティの確立が成し遂げられないまま、心身共にもがき苦しむ人生を余儀なくされ、50歳の若さでこの世を去ったスーパースター  マイケル・ジャクソン。

 それでも、マイケルが成し遂げた音楽パフォーマンスは確かなアイデンティティをこの世で誇りつつ、永遠に音楽ファンの心に刻み続けられることであろう。

     Rock with MICHAEL JACKSON !!    
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眠れぬ夜の妄念

2009年07月10日 | 医学・医療・介護
 今年の夏は7月中旬にさしかかった今尚梅雨の曇天が続いているせいか、未だ“熱帯夜”を経験せずして朝を迎えられることに心底救われる思いである。


 夏の夜の寝苦しさにはかかわらず、老いも若きも“不眠症状”を訴える人種が増殖している今の世の中であるが、この私もその例外ではない。

 私の場合、“不眠症状”発症の引き金は高齢出産後の“夜中の授乳”であったと自己診断している。 

 当ブログバックナンバー「聖母マリアにはなれない」においても記述済みなのだが、私が当時出産した産院の“授乳指導”が驚くべき“杓子定規のスパルタ方式”だったのである。 (当時の産院はどこも、母子の個性や医学的特質を一切無視して担当職員が独りよがりの指導に走るレベルだったのだろうか??)
 (不眠症の話題からは少しずれるが、出産時に入院した産院の杓子定規の“授乳指導”に苦しめ抜かれた私はその実態を今尚忘れ得ずにいるのであるが、そのアンビリーバブルな“授乳指導”について、ここでその詳細を紹介することにしよう。)
 毎日決められた授乳時間(夜中も3回)になると、(私のように帝王切開の場合でも手術の3日後から、切り裂かれたお腹を抱えてよたよた歩きで)全員授乳室へ集合させられる。 そして、赤ちゃんの体重を例えば「3257g」等のごとく一の位の数値まで精密に測定し、その体重に見合った授乳量を自分で計算する。母乳でそのすべての量をまかなえる母親は、授乳後の再度の赤ちゃんの体重測定により必要量をクリアしていれば授乳室から“釈放”されるからまだしもラッキーだ。
 この必要授乳量を満たす母乳を赤ちゃんに供給できない母親は残量を人工乳で補うのであるが、まず赤ちゃんの再度の体重測定により自分が何gの母乳を赤ちゃんに供給できたかを算出する。 そして必要量の残量の人工乳を、赤ちゃんの出生後の日数に応じた濃度によりその総量を一の位まで精密に計算して、自分で作成した上での補給なのである。
 しかもその全量を赤ちゃんが飲み切るまで、親子で授乳室に“監禁”状態におかれるのだ。 我が子など出産時のトラブルによる“事情”を抱えての誕生だったせいか、どうも食(飲)が細いのに加えて飲む速度が他の赤ちゃんよりも極端に遅い。下手をすると、授乳を終えて授乳室から“釈放”されるまでに次の授乳時間近くまでかかってしまうのだ。 それでも“助産婦”たる国家資格を取得している職場主任の“杓子指導”に容認の余地は一切なく、私を筆頭とする“母乳落ちこぼれ組”の母子にあくまでも授乳室での「居残り」を強要するのである。
 そんな訳で、私の入院中はこの“杓子定規の授乳指導”のせいで、そのほとんどを昼夜“授乳室”で過ごしたとも言えるのだ。 これでは母体も赤ちゃんも心身共に休まる暇がない。 親である私は手術後の回復が遅れ疲労困憊状態、一方で子は痩せ細ったままの退院だった。(それでも、地獄のごとくの“授乳指導”から金輪際解放されることに命拾いした思いであった。)

 ところが悲しい事に、心身共に憔悴し切って頭が正常に働かず判断能力を完全に失っている私は、愚かなことに退院後も産院における“杓子定規の授乳習慣”の医学的信憑性の検証の意欲も回復しないまま、自宅でほぼ同一の授乳日程を続行してしまうのである。 日中はもちろんの事、夜中も3回きちんと起きて、スヤスヤ寝ている赤ちゃんをたたき起こして、朦朧とした頭で母乳と規定量の人工乳の授乳に日夜励むのである。
 その私の異様に切羽詰った心身状態を見かねた母や義母が「そこまで正確に丁寧に授乳しなくとも赤ちゃんは育つと思うから、ちょっと気持ちを楽に持ってとにかく母体を休めなさい」との適切な助言をしてくれるのだ。 だが産後の肥立ちの悪さから一向に回復しない私は、体調の悪さにムチ打ってこの授乳習慣を産後4ヶ月位まで続けることとなる。
 不幸中の幸いは、赤ちゃんである子どもの方は日毎にお乳を飲む量が激増し、体型的にはすくすく(というよりも“丸々”と)成長してくれたことである。
 (その後、私の心身状態も徐々に快方に向かうのであるが。)
 

 ここでやっと話を今回の記事の本題である“不眠症状”に軌道修正しよう。

 当時の産後の授乳習慣が元で夜中に3回起き続けた私は、その後夜中に3、4回目覚める日々が長い年数続いてしまうのだ。
 もう少し若い年齢での出産だったならば、回復も早かったのであろうかとも推測する。 私の場合、産後の子育て中に間もなくプレ更年期に突入し、精神的不安定さに拍車がかかってしまったのかもしれない。

 今現在は、数年前までと比較して“不眠症状”が相当緩和されていることを自覚して一安心している私でもある。

 
 そんな私も今尚、日常生活において厄介な事象に直面して大きなストレスに見舞われていたり、あるいは寝る前にお酒を飲み過ぎたり等の心身を揺るがすマイナス要因を背負ったまま寝床に就くと、必ずや“不眠症状”が出現するのである。

 その“不眠症状”がもたらす私の夜中の“妄念”たるや凄まじいものがあるのだ。 この年齢になってこれ程夜中に闘わねばならぬのかと思うほどの、心身消耗状態を余儀なくされるのである。
 その一例を挙げると、この「原左都子エッセイ集」を綴る事を“妄念”の中で義務化されたり、はたまたそのコメント返答をすることを強要されてうなされて夜中に目覚めてしまうことも、実はよくある有り様なのだ。 
 あるいは、現在高校生の我が子の“お弁当”をこの料理嫌いを自負する私が4月から毎日作るはめになっているのだが、朝方恐怖におののいて目覚めてしまうのは、このお弁当がどうしても作れない夢を見た瞬間である。

 こういった“夢現象”に関しては「無意識の観念」として心理学者のユングやフロイトも分析済みであることは私も既に心得ている。 
 それにしても、一旦目覚めてみれば取るに足りない事象であるどころか、普段はそれらの事象によってプラスの喜びも同時に得ていることを重々承知しているのに、“不眠症状”とは人の“悲しみ”“辛さ”“プレッシャー”等のマイナス面の無意識感情を増強した上で人に“悪さ”をするものだよね。

 だが人生経験を経て“要領の良さ”も持ち備えている私は、夜中に目覚めてしまった場合でも再び寝入る要領もちょっとわきまえてる。
 それの効用は人それぞれに異なると思うが、とにかく妄念を意識的に振り払って“もっと寝たい”と素直に思ってみるのも一つの方法かもしれないね。

 ところが、そんなに簡単な問題で済まされないのが真の「不眠症」の辛いところなのだろうなあ。 
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