原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

成熟期を迎えた「原左都子エッセイ集」

2009年09月05日 | 自己実現
 ブログとは「生き物」であるようだ。

 ネット上で周辺環境の影響を大きく受けながら、開設以来人間同様に幼年期から少年期、そして思春期へと成長を遂げつつ成熟期に入っていくような感覚がある。

 我がブログ「原左都子エッセイ集」が明日(9月6日)2周年を迎えるのであるが、自己分析では既に思春期を経て成熟期に入った印象がある。 日々ただブログを綴り公開して手放しで無邪気に充実感を満喫できた時期は、もう既に通り越したと実感しているためである。

 今回の記事では、明日2周年を迎える今現在の我がブログに対するその辺の思いを綴ることにする。


 少し古くなるが、7月31日の朝日新聞朝刊「ひととき」欄に、“ブログ「もう1つの庭」”と題する45歳女性の投稿があった。 早速紹介しよう。
 最初は友人に反対されたブログの開設だったが、半年を経過した今、自分のブログにさまざまな地域、年代、職業の方が共感やアドバイスを寄せてくれ、一つの記事から沢山の枝葉や花や実が生まれていく。そんなブログは自分にとってもう1つの庭のようだ。友人に、ブログはそんなに悪いモノじゃないよとそろそろ電話してみようかなと思っている。(以上、「ひととき」欄投稿より引用)

 
 開設後半年頃というと、我がブログ「原左都子エッセイ集」は“思春期”と判断する時期で、予想をはるかに上回る面白いほどの反応をザクザクといただきつつ、ノリに乗って次々と記事を綴っていた頃である。

 遡って開設当初の幼年期は、どなたのブログもおそらく同様であろうが、ブログ開設を連絡した知人よりチラホラとコメントをいただけるのが関の山である。 当然ながらアクセス数も伸びない中、ネット上に自分のブログを公開したこと自体を感慨深く思いつつ、新鮮な思いでブログを綴っていたものである。

 そんな「原左都子エッセイ集」を某ブログコミュニティに登録した直後の少年期頃から、劇的に読者登録数が伸び始めるのだ。 当該ブログコミュニティにおいて人気ブログの地位を築いたのかと思われる「原左都子エッセイ集」は、読者登録をいただいた大勢の皆さんに“チヤホヤ”されることを当然のごとく受け取っていた“栄光の時代”とも表現できる思春期が、その後1年半近く続くことになる。

 ただ私自身の内面には、元々抱いているネット世界自体に対する不信感に近い思いや、いただいている人気の“実体感”の乏しさ…、  あるいは、頂戴したコメントにはそのすべてに返答することを我が信条としているのだが、コメント返答に費やす時間で日常生活上支障が出るほどのコメント数の多さ、……    それら諸々を含めた自分自身にとっての今後のブログライフのあり方について、モヤモヤ、イライラした思いが頭を過ぎりつつあった。

 我がブログの周辺環境を変えるべきかと思い始めた私に、折りしもその転機が突然やってきたのだ。 半年程前の今年2月に上記のブログコミュニティが運営方針を大幅に転換し、従来のブログの読者登録制度を廃止してブログを介したネット上の友達作りに主眼を置いたのである。 この方針の転換はどう考察しても私のブログライフのあり方にそぐわないと判断した私は、即刻友達申請制度には不参加の立場を取り、そのコミュニティから大きく距離を置くこととなった。 我がブログの読者が激減するであろうことは重々覚悟の上での判断だった。

 ところがこれまた時を同じくして、「原左都子エッセイ集」が某ネットニュースのトピックス記事で取り上げられたことにより、一時大ブレイクすることになるのだ。 ある日一日の訪問者数が 3000IP 余りを記録して、 gooブログ の総合ランキング10位に浮上した時には、システム上の桁違いのエラーかと我が目を疑ったものである。

 そんな一時の熱気とは直ぐに冷めるのが世の常であるのだが、そのブレイクのお陰で日々ご訪問下さる読者の方々が絶えることなく現在に至っているという有難い現状である。
 今となっては距離を置いている上記のブログコミュニティからも、一部の読者の方が昔と何の変わりもなく我がブログをご訪問下さって毎記事にコメントを頂戴したり、別便で温かいメッセージをいただけることは私にとっては何よりもうれしく、この場を借りて日頃の御礼を申し上げたい次第である。
 加えてどこからご訪問下さっているのか私自身が把握できないでいるのだが、様々な環境の中で様々な人生を歩んでいらっしゃると想像させていただく方々から、広く私どもの種々のカテゴリーの記事にコメントを頂戴できる現状は、ブログの公開性に鑑みてブロガー冥利に尽きる思いである。

 ブログの周辺環境を変えたいと目論んでいた時にタイムリーに偶然が重なったお陰で、我がブログが私自身が目指すべき方向へと自ずと進化していることを実感させてもらえる現在である。


 「原左都子エッセイ集」はご覧の通り(一部のカテゴリーを除き)自己のオピニオンを発信し続けているブログである。 その特質として、読者の好き嫌いを呼びやすく敵を作りやすいことも重々心得ている。(どうやら毛嫌いされ敬遠されてしまい、消え去った読者の方々も多数であろうと推測している。)

 我がブログがある程度の恒常的な読者数を保持し続けている現在、たかが(私がそもそも好まない)ネット上とは言え、その社会的責任もある程度は頭の片隅に置くべきなのであろう。
 それを踏まえた上で、今後も著者である原左都子自身の生き様やポリシーの一部を(ペンネームという匿名の制限の下ではあるが)我がブログに反映し続けたい思いは強い。 そうすることにより“成熟期”を迎えていると自己診断する我がブログの“成熟期”を出来るだけ永らえたい思いでもある。


 明日「原左都子エッセイ集」2周年を迎えるにあたり、何はともあれ継続を支えていただいている読者の皆様に心より感謝申し上げる次第である。
      
Comments (18)

飲酒運転は撲滅だ!!

2009年09月02日 | 
 自他共に認める“底なし飲兵衛”の原左都子であるが、飲酒運転の経験だけは今までの人生においてただの一度もないと、神に誓って言い切れる。

 自分が酔った後のパッパラパーの頭とコントロール不能なヘベレケ身体状態を想像するだけで、よくまあ、あのコンディションで車の運転をする気になるものだと恐怖心におののくばかりの私である。
 飲酒運転による悲惨な事故が後を絶たない現状であるが、一体全体どういう神経で飲酒後に車の運転をしようという発想が出るのか、アンビリーバブルとしか言いようがない。


 朝日新聞8月30日(日)朝刊一面記事によると、成人男性の32%が「飲酒運転をした経験がある」との厚労相の調査結果であるらしい。 一方、飲酒運転により検挙された人は7%にとどまっているようで、今尚飲酒運転のほとんどが野放し状態であるということになる。 しかも、今回の調査に正直に回答した人は少数であるとも推測できるため、もしかしたら飲兵衛のほとんどは飲酒運転経験があるのかもしれない。 怖い事態を実感であるが、その辺を走っている車の何台かに1台は“飲酒運転車”であるとしたら、歩行者はうかうか道路を歩けたものではない。


 冒頭で、私自身は飲酒運転歴は皆無であると述べたが、実は“飲酒運転車”に同乗した経験は何度もある。 (若気の至りの時代の遠い昔の話であってもう時効も成立していることと思われるため、どうかお見逃しいただけますように…)
 結局何もなく済んでいるのだが、それだからこそ、飲酒者はついつい大丈夫だとの甘い判断で飲酒運転を繰り返してしまうのが常習者の心理なのかもしれない。

 あるいは地域的な事情もあろうか。 都会の場合は交通網の発達により外での飲酒後の帰宅の交通手段に不自由ないが、主要な交通手段を車に頼らざるを得ない地方の場合、飲酒後マイカーで帰宅しようと安直に考えてしまうのであろうか?? どうか、タクシーを利用する等、他の交通手段を確保してからお酒を楽しんで欲しいものである。


 上記朝日新聞記事によると、飲酒運転で2回以上検挙されたことがある男性の場合、その68%が週に5日以上飲酒しているのに加えて、飲む量が日本酒に換算して3合以上と普段から多量の酒を飲む習慣がある人に多い傾向があるそうなのだ。 要するに、飲酒運転を行う人はそれが常習化しているとも推測できる調査結果である。
 
 しかもこの調査結果は酒が分解される時間についても言及していて、医学的には例えば25度の焼酎を3合飲んだら、その後約22時間は運転するべきではないとのことである。
 うっっ。 原左都子もちょっと苦しい立場に追い込まれてしまったようだ。
 25度の焼酎を3合と言うと、純アルコール量に換算すると135ml。 昔はそれ位の量ならば平然と飲めてしまう私だったが、次の日の朝にはこれまた平然と車の運転をしていたものだ… 
 アルコール分解能力の個人差も大きいのだが、分解能力の低い方々は要注意である。 二日酔いで気分が悪い翌朝等の車の運転は避けないことには“飲酒運転”として検挙される運命にありそうだ。


 近頃、飲酒よりも数段恐怖なのが覚醒剤や大麻等の想像以上の勢いでの世における蔓延りようである。(この件に関しても後日持論を展開する予定でいるのだが。)
 先だって、真昼間の空いた電車の中で何とも不信な若者グループに出会った。酒に酔っているノリとは明らかに異質の奇妙とも言える“ハイ状態”で場違いに車内で浮かれ騒いでいるのだ。 これぞ、もしかすると覚醒剤のなせる業か?? とピンときた私である。 電車内だったからまだしも許せたものの、こういう連中が車を運転するとなると、飲酒運転どころではない惨事をもたらしかねないものである。

 ここ数年、早朝や昼間に歩道を通行中の保育園児や通学中の子ども達等の歩行者集団に車が突進する事故が多発し多くの死者を出しているが、あれらの事故の原因は解明しつくされているのであろうか。 まさにここ数年の奇妙な交通事故と私などは捉えているのだが…
 現行の道路交通法においては、覚醒剤や大麻等を取り締まる手立てはないように認識しているが、飲酒運転に加えてそれらに関しても厳重に取り締まるべく法改正が早急に検討されるべきでもある。(当然ながら、覚醒剤関連の法令で取り締まっているのであろうが、差し迫った課題として道路交通法上も早急に何らかの手立てをするべきでありますよ、民主党さん。)


 いずれにしても、酔っ払いの車にひかれて死ぬような“犬死”のみは誰しも避けたいものである。 ある程度の死生観を確立している私ですら、そういう死に方は断固として勘弁願いたい思いは強い。
 飲酒運転だけは、どうしても撲滅したい原左都子である!! 
Comments (7)