今年のウィーンフィルニューイヤーコンサートは近年稀な華やかさだった。
オレンジ色の総合芸術に彩られた3時間のコンサートを、昨日(1月1日元日)の夜一家で堪能した。
とは言っても現地のウィーン楽友協会大ホールで観賞したはずもなく、当然ながら我が家の場合“しょぼく”も毎年自宅のテレビでの観賞である。 トホホ…
しかも、普段はほとんどニュースと天気予報しか見ない我が家のリビングのテレビは、何とも無惨なことに今時21型の小型、ハイビジョンなどという立派な画面とは程遠く、購入後10年ほど経過して画像も音声も不良である。 加えて、NHKのニューイヤーコンサートはオーケストラコンサートにしてアナログ放送である(でしたよね?)
以上のように音楽を鑑賞する環境とは程遠い悪条件の中にあっても、テレビでウィーンフィルニューイヤーコンサートを観ないことには我が家の1年が始まらない元旦の恒例行事である。
毎年世界に名立たる大物指揮者が登場するこのニューイヤーコンサートの本年の指揮者は、フランスのジョルジュ・プレートル氏であった。一時期パリオペラ座の音楽監督も経験しておられ、世界を舞台に活躍する名指揮者であられる。 プレートル氏は2008年の同コンサートの指揮も務めていて、1年おいての再登場である。 1924年生まれの85歳という高齢にして音楽感覚の衰えはなく、大ホール全体を明るく盛り上げるエネルギーを発散され、すばらしい2010年ニューイヤーコンサートの歴史を刻まれた。
ウィーンフィルニューイヤーコンサートの特徴は、ウィーン生まれの作曲家であるヨハン・シュトラウス父息子の楽曲を中心に、毎年全体を通して新年を祝うに相応しい明るい楽曲で構成されている。
今年の楽曲を紹介すると、まずオープニングである第一部はポルカ・マズルカの数曲のダンスナンバーが展開された。
そして何と言っても今年のニューイヤーコンサートの特徴は、この第一部の後の休憩時間中の、全世界へのテレビ放送向けに作製された各方面に渡る芸術紹介にあったのではないかと私は捉える。
まずは、チャイコフスキー作曲「くるみ割人形」の中から「足笛の踊り」のバック音楽に合わせて、今回のコンサートの第二部で登場するバレエダンサーの「衣裳」を取り上げ、その製作過程が初めて画面で公開紹介された。「舞台衣裳」を含めて服飾とは今やこの世になくてはならない芸術の立派な一分野である。
次は、同「くるみ割人形」の中から「花のワルツ」に合わせて、楽友協会大ホールを埋め尽している花の紹介である。 今回のコンサートのテーマは“オレンジ色”とのことで、オレンジを中心とする鮮やかな花をイタリアから取り寄せた様子が紹介されていた。 まさに花をはじめとする動植物の存在自体(人間の身体も含めて)が自然界における芸術なのだが、たとえば我が国では「華道」という芸術が長い歴史を刻んできている。 今回の大ホールもその花の芸術でオレンジ色にコーディネートされていた。
上記「衣裳」を身につけたダンサーを撮影する「写真家」の芸術も紹介された後で、今度は「くるみ割人形」の中から「金平糖の踊り」をバックに、ウィーンフィルの私服でのリハーサル風景が写し出される。 あの華やかな舞台の陰にはオーケストラのメンバー一人ひとりのどれ程の日々の努力があるかは、中高生の頃にブラスバンドやオーケストラ部を経験した私にも重々理解できる芸術の舞台裏風景である。
さて、それら総合芸術のコラボレーションによるコンサート舞台は第二部を迎える。
ここで総合芸術のさらなる展開として、ヨハン・シュトラウスの「ワルツ ウィーンのボンボン」に合わせてパティシエ(お菓子作り職人)の五線にト音記号を書き込むお菓子の作成風景が紹介された。 まさにパティシエを含めて世界中の料理も芸術の一分野である。
次の同じくヨハン・シュトラウスによる「シャンペン・ポルカ」の演奏の後で、パーカッション担当の楽員が実際にシャンペンで乾杯して場を盛り上げた。
その後、いよいよ私が楽しみにしているバレエが披露されるのであるが、今年のバレエの舞台は「ウィーン美術史美術館」よりの中継だったのが感動的である。 芸術の都ウイーンの美術館の芸術性の高さもさることながら、その美術館の大理石の床の上での踊りを観る機会などまずないのだが、上記のすばらしい衣裳での美術館内でのバレエ披露の演出も粋な計らいである。
パリオペラ座バレエ団より男女二人のソリストの踊りの後、ウィーンのバレエ団による華やかなバレエが次々と披露される。 曲目をあげると、すべてヨハン・シュトラウス父息子による「ギャロップ・パリの謝肉祭」「喜歌劇・ラインの妖精」「美しいエレーヌのガトリーユ」「ワルツ・朝の新聞」…
その後、ハンス・クリスチャン作曲による「シャンペン・ギャロップ」でウィーンフィルのメンバーが楽しそうに合唱をしつつ演奏し、最後の「ポルカ・狩り」で一応の幕を閉じる。
恒例では、その後指揮者による2、3分のスピーチがあるのだが、今年のプレートル氏は「新年おめでとう!」の一言のみだったのも、さすが大物ですっきり明るくてよかった!!
アンコールの一曲目は定番の「美しき青きドナウ」。この曲に合わせて、ドナウ河沿岸の東欧の国々のいとも美しき影像が映し出されたのも感動的だった。
そして、極めつけの最後のアンコール曲は「ラデツキー行進曲」!!
これを聴きたいがために、我が家が毎年ウィーンフィルニューイヤーコンサートをはずさずにテレビで観賞していることは、当ブログにおいて2年前から披露済みである。
今年は「ラデツキー」の後、観客席からの“ブラボー”の掛け声が少ないように感じたのがちょっと残念だった。
おそらく世界中に放映されているであろう「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」においては、ウィーンのファンのみならず、“素人ファン”のニューリッチ族が世界中から現地まで押しかけて観賞しているがために、舞台との一体感が欠けるのではないかと推測する私である。
(舞台に感激したならば、その御礼の意味でもアンコールの後は大拍手と共に「ブラボー!!」と叫びたいものだよなあ……)
もし「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」にご興味をお持ちになりましたら、明日(1月3日)の午前10時5分よりNHKテレビにて再放送があるようですので、ご覧下さればと存じます。 (決して原左都子はNHKの回し者ではございません。 あくまでも個人の趣味でこの記事を綴りました事を付け加えさせたいただきます。)
(さらに付け加えて今回の記事を綴るに当たり、母である私が音楽・バレエ等芸術分野に大いなる関心を持ってその影響力を与えつつ幼い頃から育成してきている我が16歳の娘より、(親バカながらも)私を既に超える“感性”と“記憶力”の協力を得たことを最後に明記させていただきます。)
それにしても、はやり芸術とはすべての分野においてすばらしい限りである!
ブラボー!!
オレンジ色の総合芸術に彩られた3時間のコンサートを、昨日(1月1日元日)の夜一家で堪能した。
とは言っても現地のウィーン楽友協会大ホールで観賞したはずもなく、当然ながら我が家の場合“しょぼく”も毎年自宅のテレビでの観賞である。 トホホ…
しかも、普段はほとんどニュースと天気予報しか見ない我が家のリビングのテレビは、何とも無惨なことに今時21型の小型、ハイビジョンなどという立派な画面とは程遠く、購入後10年ほど経過して画像も音声も不良である。 加えて、NHKのニューイヤーコンサートはオーケストラコンサートにしてアナログ放送である(でしたよね?)
以上のように音楽を鑑賞する環境とは程遠い悪条件の中にあっても、テレビでウィーンフィルニューイヤーコンサートを観ないことには我が家の1年が始まらない元旦の恒例行事である。
毎年世界に名立たる大物指揮者が登場するこのニューイヤーコンサートの本年の指揮者は、フランスのジョルジュ・プレートル氏であった。一時期パリオペラ座の音楽監督も経験しておられ、世界を舞台に活躍する名指揮者であられる。 プレートル氏は2008年の同コンサートの指揮も務めていて、1年おいての再登場である。 1924年生まれの85歳という高齢にして音楽感覚の衰えはなく、大ホール全体を明るく盛り上げるエネルギーを発散され、すばらしい2010年ニューイヤーコンサートの歴史を刻まれた。
ウィーンフィルニューイヤーコンサートの特徴は、ウィーン生まれの作曲家であるヨハン・シュトラウス父息子の楽曲を中心に、毎年全体を通して新年を祝うに相応しい明るい楽曲で構成されている。
今年の楽曲を紹介すると、まずオープニングである第一部はポルカ・マズルカの数曲のダンスナンバーが展開された。
そして何と言っても今年のニューイヤーコンサートの特徴は、この第一部の後の休憩時間中の、全世界へのテレビ放送向けに作製された各方面に渡る芸術紹介にあったのではないかと私は捉える。
まずは、チャイコフスキー作曲「くるみ割人形」の中から「足笛の踊り」のバック音楽に合わせて、今回のコンサートの第二部で登場するバレエダンサーの「衣裳」を取り上げ、その製作過程が初めて画面で公開紹介された。「舞台衣裳」を含めて服飾とは今やこの世になくてはならない芸術の立派な一分野である。
次は、同「くるみ割人形」の中から「花のワルツ」に合わせて、楽友協会大ホールを埋め尽している花の紹介である。 今回のコンサートのテーマは“オレンジ色”とのことで、オレンジを中心とする鮮やかな花をイタリアから取り寄せた様子が紹介されていた。 まさに花をはじめとする動植物の存在自体(人間の身体も含めて)が自然界における芸術なのだが、たとえば我が国では「華道」という芸術が長い歴史を刻んできている。 今回の大ホールもその花の芸術でオレンジ色にコーディネートされていた。
上記「衣裳」を身につけたダンサーを撮影する「写真家」の芸術も紹介された後で、今度は「くるみ割人形」の中から「金平糖の踊り」をバックに、ウィーンフィルの私服でのリハーサル風景が写し出される。 あの華やかな舞台の陰にはオーケストラのメンバー一人ひとりのどれ程の日々の努力があるかは、中高生の頃にブラスバンドやオーケストラ部を経験した私にも重々理解できる芸術の舞台裏風景である。
さて、それら総合芸術のコラボレーションによるコンサート舞台は第二部を迎える。
ここで総合芸術のさらなる展開として、ヨハン・シュトラウスの「ワルツ ウィーンのボンボン」に合わせてパティシエ(お菓子作り職人)の五線にト音記号を書き込むお菓子の作成風景が紹介された。 まさにパティシエを含めて世界中の料理も芸術の一分野である。
次の同じくヨハン・シュトラウスによる「シャンペン・ポルカ」の演奏の後で、パーカッション担当の楽員が実際にシャンペンで乾杯して場を盛り上げた。
その後、いよいよ私が楽しみにしているバレエが披露されるのであるが、今年のバレエの舞台は「ウィーン美術史美術館」よりの中継だったのが感動的である。 芸術の都ウイーンの美術館の芸術性の高さもさることながら、その美術館の大理石の床の上での踊りを観る機会などまずないのだが、上記のすばらしい衣裳での美術館内でのバレエ披露の演出も粋な計らいである。
パリオペラ座バレエ団より男女二人のソリストの踊りの後、ウィーンのバレエ団による華やかなバレエが次々と披露される。 曲目をあげると、すべてヨハン・シュトラウス父息子による「ギャロップ・パリの謝肉祭」「喜歌劇・ラインの妖精」「美しいエレーヌのガトリーユ」「ワルツ・朝の新聞」…
その後、ハンス・クリスチャン作曲による「シャンペン・ギャロップ」でウィーンフィルのメンバーが楽しそうに合唱をしつつ演奏し、最後の「ポルカ・狩り」で一応の幕を閉じる。
恒例では、その後指揮者による2、3分のスピーチがあるのだが、今年のプレートル氏は「新年おめでとう!」の一言のみだったのも、さすが大物ですっきり明るくてよかった!!
アンコールの一曲目は定番の「美しき青きドナウ」。この曲に合わせて、ドナウ河沿岸の東欧の国々のいとも美しき影像が映し出されたのも感動的だった。
そして、極めつけの最後のアンコール曲は「ラデツキー行進曲」!!
これを聴きたいがために、我が家が毎年ウィーンフィルニューイヤーコンサートをはずさずにテレビで観賞していることは、当ブログにおいて2年前から披露済みである。
今年は「ラデツキー」の後、観客席からの“ブラボー”の掛け声が少ないように感じたのがちょっと残念だった。
おそらく世界中に放映されているであろう「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」においては、ウィーンのファンのみならず、“素人ファン”のニューリッチ族が世界中から現地まで押しかけて観賞しているがために、舞台との一体感が欠けるのではないかと推測する私である。
(舞台に感激したならば、その御礼の意味でもアンコールの後は大拍手と共に「ブラボー!!」と叫びたいものだよなあ……)
もし「ウィーンフィルニューイヤーコンサート」にご興味をお持ちになりましたら、明日(1月3日)の午前10時5分よりNHKテレビにて再放送があるようですので、ご覧下さればと存じます。 (決して原左都子はNHKの回し者ではございません。 あくまでも個人の趣味でこの記事を綴りました事を付け加えさせたいただきます。)
(さらに付け加えて今回の記事を綴るに当たり、母である私が音楽・バレエ等芸術分野に大いなる関心を持ってその影響力を与えつつ幼い頃から育成してきている我が16歳の娘より、(親バカながらも)私を既に超える“感性”と“記憶力”の協力を得たことを最後に明記させていただきます。)
それにしても、はやり芸術とはすべての分野においてすばらしい限りである!
ブラボー!!