(写真は、Kバレエカンパニーのファーストソリストダンサー 橋本直樹氏。 朝日新聞10月2日別刷「be」記事より転載 新聞写真を再撮影して転載したため不明瞭な点をお詫び致します。)
昨日(10月3日)、世界的バレエダンサー熊川哲也氏率いるKバレエカンパニーによる「コッペリア(全幕)」を、東京文化会館大ホールへ娘と共に観賞に出かけた。
我々一家は娘がまだ小学生だった6年前の2004年春にも、Kカンパニーによる「コッペリア」を同じ会場で観賞している。 当時の主役はスワニルダ役に神戸里奈氏、そしてフランツ役は言わずと知れた熊川哲也氏であった。
熊哲氏のフランツも再度観賞申し上げたい思いは山々なれど、今回は娘のスケジュールの都合で、フランツ役橋本直樹氏版の「コッペリア」を観ることと相成った。
ところでこの橋本直樹氏という男性バレエダンサーを、実は私も娘も今回の「コッペリア」観賞3日前までまったく存じ上げていなかった。 と言うのも、6年前の「コッペリア」のパンフレットを引っ張り出して隅々まで再確認してみても、橋本氏の名前はどこにも見当たらなかったのだ。 2004年当時には端役コールドとしても出演していない、新星のごとくデビューしたKカンパニーの橋本直樹氏とは如何なるダンサーなのか興味を持っていたところ、タイムリーに上記朝日新聞記事を発見したのである。
まずは朝日新聞をいつものようにめくっていて、インパクトのある写真に注目した私は「このイケメンは誰?」と思わず目を奪われたのだ! そしてその名前を見た途端、このイケメンこそが明日我が親娘が観賞する「コッペリア」のフランツ役橋本直樹氏であることを知り、唸ったものである。
「うわ~~、こんなカッコイイ人が明日の主役だよ!!」と娘を巻き込み、母娘で盛り上がったものである。
ちなみにここで橋本直樹氏の経歴を上記朝日新聞から転載すると、98年にモスクワ留学、06年にKカンパニー入団、07年にケガで降板した熊哲氏の代役で主演して注目され、その後同カンパニーにおけるファーストソリストダンサーの地位を揺ぎないものとしておられるようだ。
我が娘が幼少の頃よりクラシックバレエに勤しんでいたことについては本ブログ「原左都子エッセイ集」において何度か披露している。 そのお陰で今尚親子でクラシックバレエの観賞趣味が続行していることに関しても、バックナンバーにおいて同様に記載させていただいて来ている。
数多い古典クラシックバレエ演目の中でも、親馬鹿ながら我が娘が舞台出演した演目がどうしても印象深く脳裏に刻まれているのだ。
その中でも一番印象に残っているのが、娘が8歳の時に初めて舞台に立たせてもらえた「コッペリア(全幕)」なのである。 巷の零細バレエ教室が東京の名立たる会場でクラシック古典全幕を上演するのは並大抵のことではない(大抵の教室はハイライト部分のみをかすっているのが現状である)のだが、我が娘が当時通っていたバレエ教室は主宰者の熱意によりそれをやり遂げたのだ。
まだ幼き我が娘は、第3幕の「仕事の踊り」にわずか2分程度コールドとして出演させてもらえただけであるが、その練習やリハーサルに本番までの1年余りの期間来る日も来る日も付き添った母の私は、控え室や舞台裏で見聞した「コッペリア」の全曲と全振り付けを自ずとマスターせざるを得なかったのである。
娘も同様の事を口にしている。 自分の出番はほんの少しだけど、当時待ち時間にずっと上級生や大人の練習を見ていたお陰で、今尚全曲の音楽と振付を憶えているのだと…。
そんな母娘が、元より「コッペリア(全幕)」を楽しめないはずもないのだ。
Kカンパニー版の「コッペリア」はおそらく熊哲氏の理念に基づいているものと察するが、古典原版にほぼ忠実で我々のような素人にも分かり易いのが特徴なのではなかろうか。
6年前に観たKカンパニーの「コッペリア」と同様のストーリー展開である今回の舞台は、フランツが橋本直樹氏に若返っていることを除けば前回とほぼ同じ「コッペリア」の再現だったと言える。
熊哲版の「コッペリア」の特徴は、古典原版では3幕で登場する「闘いの踊り」を1幕に配置して男性ダンサー達の見せ場とし、村の女性達のコールドと対比しているところが興味深い。 そして3幕にオリジナル曲(?)を3バージョン新設して、Kカンパニーのスターダンサーのソロを披露している所が6年前の舞台同様に特異的であろう。
スワニルダ役の神戸里奈氏に関しては、全3幕を通しての長丁場のソロ演技は相当の負担であろう。 その辺に熊哲氏が配慮したのか、特にスワニルダのソロ通しの最大の見せ場である2幕においてソリストを少し休ませる(?)配慮があったのが多少残念だったような… (あの2幕をスワニルダ一人で踊り切ってこその「コッペリア」の真骨頂ではないのかと、素人の私は思うのだけれど…。)
それにしても、今回のフランツ役の橋本直樹氏は単にイケメンであることのみならず、パワーと存在観を実感できるダンサーであり、一観客である私にも重々訴えるものがあった。
クラシックバレエに限らず観客がいてこその舞台芸術とは、観客相手に観せる(魅せる)エネルギーが不可欠である。 それが育たない役者(バレエの場合“ダンサー”であるが)は、そもそも舞台人として門前払いとなるのであろう。
古典的芸術であるクラシックバレエの場合、その能力が天性のものであれ後天的努力によるものであれ、この世界で生き延びる能力のある者のみが活躍するべき世界であることは自明の理である。 その辺のダンサーの天性の持ち味や能力を、熊哲氏はご自身の天性と努力の歴史を考察しつつ抜擢しておられることを実感させてもらえる舞台であった。
如何なる分野であれ世の中で生き抜くこととは厳しいものであると、以前より原左都子も本ブログで訴え続けている。
熊哲氏が類稀な天性と能力・手腕により、わずかな年月で一代で築き上げたKバレエカンパニーというクラシックバレエ分野に於ける我が国の文化芸術の殿堂、 そして研ぎ澄まされた舞台芸術の世界を賞賛申し上げると同時に、今後もKカンパニーに限らず総合芸術であるクラシックバレエ観賞を我が趣味として嗜好し続けたい思いである。
昨日(10月3日)、世界的バレエダンサー熊川哲也氏率いるKバレエカンパニーによる「コッペリア(全幕)」を、東京文化会館大ホールへ娘と共に観賞に出かけた。
我々一家は娘がまだ小学生だった6年前の2004年春にも、Kカンパニーによる「コッペリア」を同じ会場で観賞している。 当時の主役はスワニルダ役に神戸里奈氏、そしてフランツ役は言わずと知れた熊川哲也氏であった。
熊哲氏のフランツも再度観賞申し上げたい思いは山々なれど、今回は娘のスケジュールの都合で、フランツ役橋本直樹氏版の「コッペリア」を観ることと相成った。
ところでこの橋本直樹氏という男性バレエダンサーを、実は私も娘も今回の「コッペリア」観賞3日前までまったく存じ上げていなかった。 と言うのも、6年前の「コッペリア」のパンフレットを引っ張り出して隅々まで再確認してみても、橋本氏の名前はどこにも見当たらなかったのだ。 2004年当時には端役コールドとしても出演していない、新星のごとくデビューしたKカンパニーの橋本直樹氏とは如何なるダンサーなのか興味を持っていたところ、タイムリーに上記朝日新聞記事を発見したのである。
まずは朝日新聞をいつものようにめくっていて、インパクトのある写真に注目した私は「このイケメンは誰?」と思わず目を奪われたのだ! そしてその名前を見た途端、このイケメンこそが明日我が親娘が観賞する「コッペリア」のフランツ役橋本直樹氏であることを知り、唸ったものである。
「うわ~~、こんなカッコイイ人が明日の主役だよ!!」と娘を巻き込み、母娘で盛り上がったものである。
ちなみにここで橋本直樹氏の経歴を上記朝日新聞から転載すると、98年にモスクワ留学、06年にKカンパニー入団、07年にケガで降板した熊哲氏の代役で主演して注目され、その後同カンパニーにおけるファーストソリストダンサーの地位を揺ぎないものとしておられるようだ。
我が娘が幼少の頃よりクラシックバレエに勤しんでいたことについては本ブログ「原左都子エッセイ集」において何度か披露している。 そのお陰で今尚親子でクラシックバレエの観賞趣味が続行していることに関しても、バックナンバーにおいて同様に記載させていただいて来ている。
数多い古典クラシックバレエ演目の中でも、親馬鹿ながら我が娘が舞台出演した演目がどうしても印象深く脳裏に刻まれているのだ。
その中でも一番印象に残っているのが、娘が8歳の時に初めて舞台に立たせてもらえた「コッペリア(全幕)」なのである。 巷の零細バレエ教室が東京の名立たる会場でクラシック古典全幕を上演するのは並大抵のことではない(大抵の教室はハイライト部分のみをかすっているのが現状である)のだが、我が娘が当時通っていたバレエ教室は主宰者の熱意によりそれをやり遂げたのだ。
まだ幼き我が娘は、第3幕の「仕事の踊り」にわずか2分程度コールドとして出演させてもらえただけであるが、その練習やリハーサルに本番までの1年余りの期間来る日も来る日も付き添った母の私は、控え室や舞台裏で見聞した「コッペリア」の全曲と全振り付けを自ずとマスターせざるを得なかったのである。
娘も同様の事を口にしている。 自分の出番はほんの少しだけど、当時待ち時間にずっと上級生や大人の練習を見ていたお陰で、今尚全曲の音楽と振付を憶えているのだと…。
そんな母娘が、元より「コッペリア(全幕)」を楽しめないはずもないのだ。
Kカンパニー版の「コッペリア」はおそらく熊哲氏の理念に基づいているものと察するが、古典原版にほぼ忠実で我々のような素人にも分かり易いのが特徴なのではなかろうか。
6年前に観たKカンパニーの「コッペリア」と同様のストーリー展開である今回の舞台は、フランツが橋本直樹氏に若返っていることを除けば前回とほぼ同じ「コッペリア」の再現だったと言える。
熊哲版の「コッペリア」の特徴は、古典原版では3幕で登場する「闘いの踊り」を1幕に配置して男性ダンサー達の見せ場とし、村の女性達のコールドと対比しているところが興味深い。 そして3幕にオリジナル曲(?)を3バージョン新設して、Kカンパニーのスターダンサーのソロを披露している所が6年前の舞台同様に特異的であろう。
スワニルダ役の神戸里奈氏に関しては、全3幕を通しての長丁場のソロ演技は相当の負担であろう。 その辺に熊哲氏が配慮したのか、特にスワニルダのソロ通しの最大の見せ場である2幕においてソリストを少し休ませる(?)配慮があったのが多少残念だったような… (あの2幕をスワニルダ一人で踊り切ってこその「コッペリア」の真骨頂ではないのかと、素人の私は思うのだけれど…。)
それにしても、今回のフランツ役の橋本直樹氏は単にイケメンであることのみならず、パワーと存在観を実感できるダンサーであり、一観客である私にも重々訴えるものがあった。
クラシックバレエに限らず観客がいてこその舞台芸術とは、観客相手に観せる(魅せる)エネルギーが不可欠である。 それが育たない役者(バレエの場合“ダンサー”であるが)は、そもそも舞台人として門前払いとなるのであろう。
古典的芸術であるクラシックバレエの場合、その能力が天性のものであれ後天的努力によるものであれ、この世界で生き延びる能力のある者のみが活躍するべき世界であることは自明の理である。 その辺のダンサーの天性の持ち味や能力を、熊哲氏はご自身の天性と努力の歴史を考察しつつ抜擢しておられることを実感させてもらえる舞台であった。
如何なる分野であれ世の中で生き抜くこととは厳しいものであると、以前より原左都子も本ブログで訴え続けている。
熊哲氏が類稀な天性と能力・手腕により、わずかな年月で一代で築き上げたKバレエカンパニーというクラシックバレエ分野に於ける我が国の文化芸術の殿堂、 そして研ぎ澄まされた舞台芸術の世界を賞賛申し上げると同時に、今後もKカンパニーに限らず総合芸術であるクラシックバレエ観賞を我が趣味として嗜好し続けたい思いである。