原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

“タイガーマスク現象”における「善意」の真意を問う。

2011年01月20日 | 時事論評
 今世に流行っている “タイガーマスク現象” によって 「伊達直人」 なる人物の名前を初めて知った原左都子である。

 原左都子名付けて “タイガーマスク現象” をご存じない方はおられないと推測して、このまま話を続ける事にしよう。

 タイガーマスクの主人公である「伊達直人」を名乗る人物から児童擁護施設に寄付が届いたニュースを最初に見聞した時に、“天邪鬼”及び“へそ曲がり”を自覚する原左都子は、その行動の背景に「善意」はおろか、むしろ“事件性”を考慮して背中が薄ら寒くなったものである。
 一体 「伊達直人」なる人物の今回の寄付の魂胆は何なのだろう??  寄付を受け取った側の施設は御礼と感謝の思いをメディアを通して伝えているようだが、それで本当に事が済むのだろうか?   この人物は今回の行動により何らかの歪んだメッセージを社会に発信したいのではないだろうか?  施設の子供達を手放しで喜ばせていいのだろうか?? 等々、何やら不気味な感覚が心中に渦巻いた原左都子である。


 ここで少し、“タイガーマスク現象”を分析してみることにしよう。

 まず、今回の“タイガーマスク現象”は大きく二つの流れに分割できるであろう。

 その一つは、先陣切って寄付を実行した人物(あるいは組織)に関してである。
 当初、原左都子がこの現象をメディアで見聞した時、この寄付行為が真に「善意」であると仮定した場合、何処かのNPO等の民間団体、あるいは今流行りのネット上でのコミュニティ組織が企画した寄付事業なのかとも推測した(そうであることを期待した)のだ。

 そして、今回の場合は当初の寄付者がタイガーマスクの主人公である 「伊達直人」 を名乗ったことが功を奏したと分析できるのだが、この寄付行為に全国の“単純”「善意」の国民が共感して追随した結果、二次現象としての寄付が多発したと捉えられるのだ。 例えば同じくタイガーマスク、あるいは類似のメディア上の架空の英雄達の名を名乗ることにより、自分達の経済力の範囲内で全国の児童擁護施設への寄付行為が相次いだことが、今回の“タイガーマスク現象”の特徴と言えるであろう。


 当初の寄付者が実名を名乗り出ない限り、今後も今回の寄付行為の真相の解明は不可能なのかもしれない。

 そんな中、原左都子はどうしても今回の“タイガーマスク現象”を素直に喜べないでいるのだ。
 弱者救済の観点に関しては、原左都子とてもちろん異論はない。 今回の寄付現象の追随者である国民の中には、お年玉を寄付に差し出した小さい子供もいると見聞している。 その行為自体はとりあえずは賞賛に値するであろう。

 ただボランティア活動や寄付行為とは、提供側の発想が「自己満足」等自己の利益に留まっている限り、弱者を傷つけるのみの結果しかもたらさないのではなかろうか?


 そうこう思いつつ重苦しい心情を引きずっていたところ、やはりメディアにおいて原左都子の見解と類似するオピニオンを幾つか発見した。

 その一つは、贈る側の“我が身息災”な事情による寄付についての話題である。
 朝日新聞「声」欄投書によると、何処かの物品販売店がクリスマス商品の売れ残りを廃棄処分するよりは児童擁護施設にでも寄付した方が喜ばれると安易に判断して、当該施設に寄付を申し出たところ、「それはうれしい事だが、今年贈り物があると小さい子供とは必ずや来年も贈り物が届くことを期待するものである。そういった事情で辞退させていただくべきと判断する。」との施設責任者よりの回答だったとの逸話である。

 そして、里親として子供を預かっている女性による朝日新聞「声」欄の投書「本当に欲しいのは物より心」もごもっとものご意見であろう。 
 この女性は投書欄で曰く 「親が養育困難な子供を預かる身として、子ども達の心の奥の見えない傷を抱きしめ家庭の中で長い時間をかけて癒し、子供の心を豊かにしたいと頑張っている。 そんな子供たちが欲しいのはランドセルでもお金でもなく、親の愛情、親に代わる人の愛情であると断言できる。それでも私は伊達直人氏の寄付は心よりうれしい。これを初めの一歩として、一過性ではなく子供達のことを胸に留めて下さるように祈っている。」 


 この種の投書の数々を受けて、やっと別の側面から今回の寄付現象を報道することを勇気付けられたのか、朝日新聞1月16日付朝刊に 「タイガーマスクの心得」 なる、今後児童擁護施設へ寄付をしたい国民に対する寄付に関する“マナー”の記事が掲載されたのである。
 児童擁護施設に預けられている子供達の心理や、その子供達を預かって共に痛みを共有しつつ厳しい日々を歩んでおられる職員の方々の日々のご苦労を慮った場合、“タイガーマスク現象”を賞賛するのみでなく、マスメディアはもっと早期にこの手の寄付に際するマナー関連の記事を公開するべきだったと原左都子は捉えるのだ。

 それでは、上記朝日新聞記事 「タイガーマスクの心得」 を以下に端折って紹介しよう。
 この記事では寄付行為をする時の心がけを二つのポイントに絞って解説している。
 その一つは 「贈る際 できれば名乗って」 であり、もう一つは 「事前の連絡 施設側助かる」 とのことである。 これらに関しては、上記の朝日新聞への投書の内容をお読み下されば把握できることであろう。
 この記事の解説者である茨城県高萩市長も「暖かい善意の輪が広がっていることはうれしいが、モノをあげたら終わりではなく、これを機に家庭で暮らせない子供達への理解を深めて欲しい。施設出身者は大人になってからも差別されがちだが、そうした偏見は無知からくる。今回の寄付運動を、子供達が置かれた現実を知る一歩にして欲しい。」と述べている。
 そしてこの朝日新聞記事では、寄付金の使い道を指定できることについても言及しているので、今後寄付行為を志す場合、記事を読んで参考にしていただいたいものである。
 
 人が本気で弱者保護に乗り出したい場合、名前を名乗るのは当然のこと、その使い道を明確にしてこそ“生きた寄付金”になるというものであろう。 


 そういった現状をも踏まえて原左都子の“天邪鬼”視点で考察すると、世の寄付行為の大方は寄付する側の「自己満足」を満たすのが目的であったり、はたまた“税務対策”であるに過ぎないのが実態なのではなかろうか?

 今回の“タイガーマスク現象”の場合、当初の寄付者が 伊達直人 を名乗った事により、子供も含めて国民の間で寄付行為を“一時の流行事象”としてしまったことがプラスマイナス両面で社会全体に寄付行為に対する今後の課題を投げかけたとも言えるであろう。
 そういう意味では、今回の“タイガーマスク現象”もその存在意義はあったということなのかもしれない。
         
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「お若いですね」 は 今や褒め言葉ではない。

2011年01月18日 | 人間関係
 昨夕、自宅マンションのエレベーターに面識のないご婦人と乗り合わせた。
 普段エレベーター内で滅多に人と居合わせることはないため、先に乗り込んでいた私は重い買い物袋をエレベーターの床にドスンと置いていた。 後から乗り込んで来たそのご婦人に「こんばんは」との軽い挨拶の後、「大きな荷物を床に置いて申し訳ありません。」と頭を下げて買い物袋を手に持ち直そうとした私である。
 そうしたところ、ご婦人が応じて曰く 「いいのよ。大丈夫。」

 このわずか10秒間程の面識のないご婦人との会話ではあったが、この会話により原左都子は咄嗟にある事を悟ったのだ。
 (相手は私を自分よりもかなり年下とみたようだ。 もしかしたら、ずっと年下のギャルにでも見えたのであろうか??)

 上記のエレベーター内での会話は、そのように私が感じるような対話内容であると分析できないだろうか? 
 こちらとしては相手が面識がないご婦人であるため、当然ながら敬語で話を切り出している。 通常ならばそれに応える相手も敬語で返してくるのが良識的であろう。 にもかかわらず返ってきた返答は 「いいのよ。大丈夫。」  これは明らかに“上目線”からの発言であると分析できよう。

 人の年齢とは一見して分からないものである。 特に現在のごとく人のライフスタイルが多様化した時代においては、それが顕著であろう。

 上記のエレベーターで遭遇したご婦人に関しては、原左都子側としてはおそらく自分と同年代の女性であろうと想像した。 にもかかわらず返ってきた返答は 「いいのよ。大丈夫。」…… 
 これを“若く見られた”と善意に解釈することにして、話を進めよう。


 私事で恐縮だが、原左都子は社会人になって以降ずっと年齢よりも若く見られる人生を歩み続けていると言える。

 中高生時代及び学生時代は決してそうではなかった。 子どもの頃より身長が高かったことが大きな要因と自己分析するのだが、例えば中学生の頃にミニスカートで街を闊歩していると片田舎の地方にして既に年上男性にナンパされそうになったこともある。 それはおそらく身長の高さ故に殿方には私が“いっぱしの娘”に見えたからであろうと推測する。

 20代前半に上京して社会人になり、ディスコ帰りの朝方新宿歌舞伎町を歩いていた時に高校生に間違われて警察官に補導されそうになったエピソードについては、既に「原左都子エッセイ集」バックナンバーで暴露している。
 その後20代後半にして民間企業(参考のため現在東証一部上場企業です。)で同期新入社員の出世頭として係長に任命された後も、社内外問わず一見して誰からも私が職場長であるとは認識してもらえなかったものである。 私が対応に出ると必ずや「責任者の方にお目にかかりたいのですが…」と返されたものだ。 年齢よりも若く見られることの“不利益”を思い知らされると同時に、外見とは自己の内面と一致していることが理想なのかと認識した時代でもあった。

 その後年月が流れ、長~~き独身時代を経て高齢出産の娘が現在17歳になっている現在の原左都子はやはり、何処に出向いても「お若いですね!」の言葉のシャワーである。
 こんなことを書くと「そんなの、社交辞令に過ぎないよ」とおっしゃる方々も多いことであろう。
 その通りであろうが、上記のごとく違った角度からこれを聞き飽きている我が身としては正直なところ、結構鬱陶しくもあるのだ。

 
 話が大幅に変わるが、私は昼間在宅している時にNHKの対談番組「スタジオパークからこんにちは」を見る機会がある。
 あの番組の現在の司会者は、3月にNHKを退職して民放での再出発を志しているという住吉美紀氏との女性アナウンサーなのである。
 この住吉アナウンサーの司会が原左都子にとっては少々鬱陶しい。 何故ならば、その一つの理由は(今回の記事の趣旨からはずれるが)対談番組の司会者にして自己のプライバシー(住吉氏自身の離婚歴や親の職業等)を語りたがるのである。 対談番組の司会者たるや、あくまでも聞き役に徹するべきであろう。
 そしてもっと鬱陶しいのは、住吉氏はゲストが自分よりも年上の場合、番組の冒頭で必ず「お若いですね!」と決まり文句を発するのである。
 住吉氏にとっては「お若いですね!」が年配者に対しての褒め言葉の社交辞令であるとのご認識なのであろうが、これはテレビ視聴者の立場としては痛々しいだけである。 NHKのアナウンサーにして何故にその辺の客観力に欠け、いつまでも年配者ゲストに対し「お若いですね!」の決まり文句を多発するのか、そのキャパの貧弱さに辟易としている原左都子なのだ。

 あえて、その一例を挙げてみよう。
 例えば数日前にゲスト出演した うつみ宮土理氏 や 火野正平氏 など、原左都子の目からみるとその“外見”は今時の60代にしてはずい分と老け込んでおられるようにお見受けするのだ。 ところがお2人のトーク自体は輝きを発しておられる。 テレビのトーク番組とは、ゲストの人物像が本人の内面から湧き出てくるメッセージとして語られることに視聴者は魅力を見出せるのである。 司会者たる者、冒頭で「若いですね」などとの通り一遍の社交辞令で事を済ませるのではなく、その人生の重さを短時間で十分に引き出して欲しいものである。


 実際の世界でも事は同様なのだ。
 確かに「お若いですね。」の社交辞令の一言は原左都子とて一瞬うれしくはある。 その場限りのお付き合いの場合は、それで必要十分な挨拶言葉と言えるであろう。

 ところが初対面にしてのこの言葉とは、発せられた側としてはそれ以上の進展性がないようにも感じられるのだ。  極端な話、「あなたは若く見えることのみが取り得だ」と結論付けられているような側面も含有していると受け止められるのである。 もちろんその後の人間関係の進展度合にもよるが、この言葉によって、いつまでも“若く見えることのみ”を強要されたのでは本人としてはたまったものではない。


 要するに、外見を若く見てもらえることはもちろんうれしいのだが、それ以上に人間とは個々が“一人格”を誇りつつこの世に生きている存在である以上、外見的要因を超越して内面を研ぎ澄ました他者とのお付き合いを志すことこそが原左都子としての本望なのである。
            
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自滅の坂を転げ落ちる民主党政権

2011年01月15日 | 時事論評
 民主党政権よ、何を好き好んでそこまで落ちぶれたいのか??

 話題に取り上げるのもお粗末なレベルにまで自滅の坂を転げ落ちている民主党政権であるが、今回の「原左都子エッセイ集」では一国民としてあえて昨日(1月14日)の内閣改造を論評することにしよう。


 「たらい回し内閣」等々と野党より酷評されている昨日発足した菅改造内閣であるが、もはや国民の皆さんは失望を通り過ぎて呆れ果て、何を言う気もなくしておられることであろう。
 
 原左都子に言わせてもらうと昨日発足した内閣はさしずめ 「菅と与謝野の仲良し内閣」 と言ったところであろうか。 

 それにしても一体どうしたことであろう。
 昨夏の参院選直前の4月に、与党民主党打倒を目的として自民党から離党し周囲の“爺さん”達を集めて新党である「たちあがれ日本」を同じく自民党を離党した平沼氏と共に結成した与謝野氏である。
 あれから数ヶ月しか経過していない昨年末頃に菅総理より“連立”を打診された与謝野氏の心中はもう既に内閣入りの“美味しい飴”を鼻先にぶら下げられた犬のごとくであり、菅政権へ迎合する意思の発言を繰り返していた。 さすがに、平沼氏をはじめ「たちあがれ日本」は党としての政権との連立は回避したのだが、与謝野氏のみはあくまでも民主党政権での内閣入りを“冥土の土産”にでもしたかった様子だ。
 この方、与謝野鉄幹・晶子氏の孫であられるようだが、72歳にして血迷った醜態を世間に晒していないで、もうそろそろ政界を引退して歌でも詠んで心豊かな老後を過ごしたらどうなの? とでもアドバイスしたくなるというものだ。

 昨日“横滑り”で経済産業大臣に任命された鳩山派の海江田万里氏など、同一選挙区で民主党政権を批判する与謝野氏と闘っていると言うのだ。 ならば、菅内閣発足後は既に大臣の立場でもあった訳なのだから、今回記者会見を通して「人生は不条理だな」などと国民の面前で平然とホザいていないで、その思いを内閣の要人として菅総理にぶつけ、与謝野氏の内閣入りを何が何でも阻止すればよかったのではないのか!!? 
 「あなたはTPP担当だ」などと菅さんからおだてられ横滑りで経済産業担当大臣に任命されれば、それで事が済む程度の政治ポリシーなのだから、国民の目線から見れば与謝野氏と同レベルだということに過ぎないよ。


 女性の立場として、蓮舫氏も、もうそろそろどうにかして欲しい。 何の政治ポリシーもなくただ単に民主党の票取り目的の“看板娘”という理由のみでいつまでも内閣大臣に任命していたのでは、そのうち国民に愛想を尽かされるというものだ。 女性議員を1人でも入閣させることにより、男女共同参画が社会的に意味を成そうとしている日本社会の意向に形だけでも民主党政権が沿いたい思いは分からないでもないが、それにしても蓮舫氏はどう考察しても政治家、ましてや閣僚としては貧弱過ぎる。
 
 その背景には、民主党の女性議員の擁立のし方に大いなる問題があるのではなかろうか。 
 一昨年8月の衆院選でも小沢氏が擁立する政治経験が皆無に等しい若手の女性議員(いわゆる小沢ガールズ)が数多く当選し(てしまっ)た。 昨年の参院選においては、民主党が擁立したタレント議員達の多くが当然ながら落選したものの、結局柔道を本業とする“ヤワラちゃん”が当選してしまったというお粗末さであったことは、国民の皆さんも記憶に新しいことであろう。
 このような民主党女性議員の貧弱さに対して、過去における旧政権の小泉チルドレンなど、一応(あくまでも一応の範囲内だが)そのバックグラウンドとしては政治家として活躍できる資質を備えていたと原左都子は判断するのである。


 要するに野党が散々指摘し続けている通り、民主党政権とはそもそも政治家たる人材が乏しいのである。 それ故に鳩山、菅、そして菅改造と短期間で幾度となく内閣をとっ替えているのもかかわらず、野党の指摘通り「人材のたらい回し」を余儀なくされ続ける結果となるのだ。

 その中で、菅氏が今回の改造内閣においてあくまでも“小沢氏を切り捨てた”ことだけは、原左都子は評価したい思いである。
 小沢氏に関してはその政治的リーダーシップ力故に、今尚支持せんとする国民(特に年寄り連中)が存在することは「原左都子エッセイ集」へ頂くコメント等によっても承知している。
 ただ、小沢氏も既に政治家として当の昔に“旬”を通り過ぎたと言うべきではなかろうか? 政治家として潔白に年老いて来られたならば若い世代としてもまだしも支持できる要因はあろうが、一昨年政権交代した意義を思い返した場合、今の政治は断じて“金”に頼ってはならないのだ。 その意味で、小沢氏とは(その政治ポリシーに迎合するしか脳のない子分達も含めて)もう既に政界から去っていくべき人物なのである。
 
 元々一昨年の衆院選において、旧政権が積み上げた巨額の財政赤字を心得ない民主党マニフェストの実現不可能性の馬鹿さ加減に大いに落胆すると同時に、小沢氏が政権交代のためのみに擁立した政治的バックグラウンドがない“小沢ガールズ”が大量当選した時点で原左都子は既にこの政権を見限っていた。 何故この国の国民の多くは鳩山政権などに期待したのかと不可解極まりなかったものだ。 政権を替えたいと言ったって、次なる政権の実力の程をいつの時代も国民たるもの見定めてから投票するべきなのである。


 最後に、今回の菅改造内閣の要人中の要人である官房長官に抜擢された枝野氏であるが、実は原左都子はこの人の政治家としてのポリシーとバックグラウンドは買っている。
 と言うのも、枝野氏は一昨年の鳩山内閣発足直後の秋頃に“政治とカネの問題”が浮上した時、いち早く街頭演説を行って小沢氏批判を展開したことが印象的だったからである。
 
 それにしてもこの枝野氏にしてさえ、内閣の要人としてこの国を支えていく意気込みが感じられないのに、ますます失望させられる原左都子である。 
 昨日昼のNHKニュースにおいて官房長官任命直後の記者会見に応じて枝野氏曰く、「私は任命されれば受けて立ちます。ただ私は弱輩者ですから今回は年長者である藤井氏を副官房長として指名して下さることを条件として菅首相にお願いしました。」
 そんな意思軟弱な会見を、今後国を背負っていく要人たる官房長官からまさか聞きたくなかった思いの原左都子である。

 ああ~~  やっぱりこの国は自滅へと転げ落ち行く政権と共に自滅するしか今後の選択肢がないのであろうか???   
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時空間を超えて羽ばたけ!「原左都子エッセイ集」

2011年01月13日 | 自己実現
 「原左都子エッセイ集」は今年、年頭から幸先の良いスタートを切っている。

 と言うのも、年初の1月1日元旦に綴った 「今年も煌びやかに美しく!」 の記事に、いつもの常連読者の皆様からのコメントに加えて、初にお目にかかる方から感激的なコメントを頂戴したのである。

 以下に、頂戴したコメントの前半と末尾の部分を原文のまま紹介させていただくことにしよう。
 新年明けましておめでとうございます。ニューヨーク在住の種山壮(shuzannso)です。初めてコメントします。なるほど、そうかなあー、うむーん、してやったり、と毎回大変興味深く読ませてもらっています。「原左都子エッセイ集」には貴女の人柄、人生観が手に取るように感じれます。また継続は力なりを文字通り歩んでられるのに感服しております。 (中略) ますます磨きにかかったエッセイ楽しみにしてます。

 原文中に記載下さっているように、このコメントは現在ニューヨーク在住でいらっしゃる 種山壮さん(ご夫妻でブログを発信しておられます。)より頂いたものである。

 ネット世界の特徴とは、時空間を超越してリアルタイムで世界中の人達とのコミュニケーションが可能なことを改めて認識させていただけたコメントであった。


 開設後そろそろ3年半が経過しようとしている「原左都子エッセイ集」であるが、開設直後には一応私なりに“細々と”普及活動などしたものである。 例えば、現実世界の知人にブログ開設の連絡をしたり、ネット上のブログコミュニティに登録したりと。
 その普及活動の甲斐あってか、開設後さほど時間が経過しない時点でブログを訪問して下さる多数の読者の方々に恵まれ、今思えば「原左都子エッセイ集」は順風満帆のスタートを切ることができたのではないかと分析する。

 その当時より、日本国内のみならず諸外国から「原左都子エッセイ集」をお訪ね下さる方々は存在した。
 例えば現在尚時々ご訪問下さっているシンガポール在住の katsukoさん とは、もう既に3年近いネット上のお付き合いである。 私と同身長同体重であることがきっかけで「原左都子エッセイ集」にコメントをお寄せ下さったセレブのkatsukoさんが昨年1月に来日された時には、東京で初対面を果すことが出来たものである。(katsukoさん、その節はありがとうございました。今後共お時間がございます時に「原左都子エッセイ集」をご訪問下さいますように。)
 米国在住であられた今は亡きDRYさん は、当時癌闘病中だったにもかかわらずそれが信じられない程にいつも平常心を保たれつつ、紳士的にやさしく時にはウィットに富んだコメントを「原左都子エッセイ集」に幾度となく頂戴したものである。 そんなDRYさんが他界された事を私が存じ上げたのは、DRYさんが「原左都子エッセイ集」にコメントを下さらなくなって何ヶ月か経過してのことであった。
 その他、フランスパリやロンドン在住の日本女性が「原左都子エッセイ集」にご訪問下さり、何本かコメントを頂戴したこともある。
 片やネット各社の検索画面を開けば、日本国内のみならず世界中のあちこちのメディアが「原左都子エッセイ集」を取り上げていたり、記事を引用している実態に遭遇することが今でも数多い。

 著者である本人が単に好き放題オピニオンを発信している我が「原左都子エッセイ集」を、私自身が認識しない間にネット上のメディアで数多く取り上げられていたり、はたまた絶え間なく訪問下さる読者に恵まれ続け多くの反応が押し寄せるに従って、発信元である私としてはその現状に甘んじ自分自身に惰性感が生じてくるというものである。
 
 ところがそれと同時に、誹謗中傷等の歓迎しない反応も時の経過と共に入り乱れ始める運命を背負わざるを得ないのは、ネット上に公開するサイトとしてはマイナス面での当然の成り行きなのであろう。
 これに頭を痛めた原左都子が採った対策とは、ネット上のサイトでの普及活動を一切取り止めるという手段であり、そして、コメント欄の承認制の採用であったのだ。
 これが功を奏したのか「原左都子エッセイ集」は旧来の読者を失うことなくアクセス数もむしろ増加しつつ現在に至っており、比較的安泰を保ちつつ経緯しているのである。


 上記のごとく、バリアーを張ったことで「原左都子エッセイ集」を綴る事に関して比較的安泰を保てるようになり少々惰性に陥りそうになっていた、そんな折に頂戴したのが冒頭の種山壮さんよりの年頭の感激的なコメントだったのだ。

 そして種山壮さんは、昨日(ニューヨーク現地時間で1月11日)のご自身のブログ本文で「原左都子エッセイ集」をご紹介下さったのである。
 その文面の一部を改めてここに引用させていただくことにしよう。
 「原左都子エッセイ集」ふと目に入ったブログ。一読して気になり、回を重ねるたびにすっかり気に入ってしまった。 筆者はどのエッセイか不確かだが次のように書いてる。『もの書きを生業としない一般庶民が何故に一銭もならないエッセイを綴って日々ネット公開しているかと言えば、それはまさに私なりの“上昇志向”故であるからに他ならない』実に筆者らしい言葉である。 “上昇志向”の「種」は風に乗って旅にでてニューヨークで根付き成長しつつある。人は、本気の人の姿に心を奪われ、共感者となる。

 少々惰性に陥りそうになっていたことが否めない原左都子の目を激励の言葉で今一度覚まして下さった種山壮さんに、ここで心より感謝申し上げます。

 原左都子がエッセイを綴る時にはもちろんいつも“本気”です。
 一方で、ネットで公開する文書が時空間を超えて世界を巡っていることは愚か、それをお読み下さる人々の心に何某かのメッセージを訴える媒体であることに関する思慮が欠けつつあったとの反省をも促していただけました。

 日本の一ブロガーにしか過ぎない原左都子が綴るエッセイ集を時空間を超えてニューヨークでお読み下さった種山壮さんに感謝申し上げると共に、それにお応えするべく「原左都子エッセイ集」を今まで以上に羽ばたかせたい所存でおります。 
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資産家家庭に育った“お嬢様”姉妹の孤独死

2011年01月11日 | 時事論評
 このニュース(大阪豊中市の2人の女性孤独死)を最初見聞した時には、今時よくある貧困家庭における孤独死事件かと推測した原左都子である。

 まずはそのニュースを朝日新聞記事より紹介しよう。 
 大阪府豊中市のマンションの一室で60代女性2人の遺体が発見された。 その2人は姉妹であり姉の死因は心臓疾患とみられ妹は不明であるものの、2人の胃には何も残っていなかった。行政に相談しないまま生活に行き詰まり、病死あるいは餓死した可能性が高い。

 ところが、この姉妹は資産家家庭に育った“お嬢様”達だというのだ。
 引き続き、朝日新聞昨日(1月10日)の社会面 「お嬢様… 言えなかった“助けて”」 と題する記事からその内容を引用要約して紹介しよう。
 豊中市や府警によると、水道料や電気ガス等の光熱費は昨年9月から止められ、ゴミが散乱したマンションの一室に食べ物は何もなく、居間にあった財布には90円しか残っていなかった。 2人を知る人たちは“お嬢様”と口をそろえる。 地方銀行の重役だった父は土地やマンションなどを持つ資産家だった。 姉妹の生活が傾き出すのは父と母が相次いで亡くなった20年程前からのことで、姉妹2人が受け継いだ財産が逆に重くのしかかった。 その後姉妹は実家近くに今回最期を迎えるマンションを建てたのだが、目当ての家賃収入よりも建設時の借金でかえって困窮するきっかけになったのでは、とみる知人もいる。 その後資金繰りに行き詰まり、空き室が目立つマンションは昨春裁判所に差し押さえられ姉妹の収入は途絶えたとみられる。 近隣の住人によると、姉妹は人に対して心を開かなかったらしい。 豊中市は1月9日に姉妹が孤独死した事を受けて緊急の記者会見を開いた。 市はマンションを差し押さえた地裁執行部より姉妹についての相談を受けていたらしいが、姉妹は生活保護や介護サービスも申請しておらず連絡を取れずにいたとのことである。


 いや~~、この事件、高齢出産で産んだ現在17歳の一人娘を抱える母である原左都子としては大いに身につまされる話である。
 極論ではあるが、親の育て方が悪かったら、今の時代我が子とは将来親の死後“孤独死”する運命にあるのだろうかと!!


 それでは、原左都子の私論に入ろう。

 今回孤独死した60代姉妹の父親が地方銀行の重役だった時代とは、おそらく80年代バブル絶頂期だったことと推測する。 その頃の金融機関のバブルの有様は尋常ではなく、“バブルあぶく銭”を稼ぎまくった金融機関の役員は巨額の報酬を得ていたはずなのだ。
 おそらくこの姉妹の父親もその例外ではなく、庶民には信じ難い程の報酬を得ていたことと推測する。 (元々資産家だったのかもしれないが)、さらにその“あぶく銭”を資本として土地やマンションを買い漁ったものの、その運用のノウハウを“お嬢様”である娘達に伝授するでもなく、バブルが傾いた90年代に奥方と共にこの世を去ったということになろう。(もしも原左都子の推測通りだとすると、父親として何とも無責任この上ない話である。それとも父親ご本人自らが資産運用の知識なくして地方銀行の取引先お得意様の誘いに乗って資産を買い漁ったのだろうか??)

 片やこの姉妹の母親は何を信条として子育てしていたのかは不明だが、たとえバブル期にあっても、そもそもこの世とは政治的経済的に激動を続けつつ成り立っている事を親として我が子に伝えるべきであった。
 まだこの事件に関する真相が明らかにされていないためここで多くを論評することは差し控えるべきだが、今既に60代にまで年齢を重ねた姉妹が何故に今尚2人で暮らしつつ、2人共々孤独死に至ったのかについての府警や豊中市の解明を待ちたい思いである。

 私の記憶によると、バブルがはじける以前の昭和の時代には確かに“お嬢様”なる人物がこの世に ~ゆらりゆらり~ と存在し得る時代もあったかもしれない。 そのような“お気軽お嬢様達”を昭和時代に見聞した記憶が無きにしもあらずの原左都子である。(あの種の“お嬢様達”が今後孤独死に至らない事を願いたいものだ。)

 たとえ産まれた時点で“お嬢様”であったとても、親の教育如何でその後の人生がどう転ぶのかが大きく左右されると言えるはずである。
 その最悪の結果が、今回の60代姉妹の孤独死だったような気もする。

 今後ますます国力が衰退しそうな現在の我が国において、もはや“お嬢様”へったくれもないであろう。
 今17歳の娘を育てている真っ最中のこの原左都子もそれを肝に命じて、引き続き今後社会に巣立ち行く娘の自立教育に励みたい思いである。


 ところで、“お嬢様”なる言葉の真なる定義が半世紀以上生き延びてきている今尚分からない原左都子であるのだが、その解釈が分かったりそれを自覚している女性がいわゆる“お嬢様”なのでしょうかねえ~???
 と言いたいほどに“お嬢様”なる女性の存在が意味をなさない時代の進化を歓迎する原左都子でもありますよ~。

 “お嬢様”を自覚しようがしまいが、皆さん、国力の衰退にもかかわらず孤独死などすることなくこの世を力強く生き延びようではありませんか!!  
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