先だっての1月24日に召集された第177回通常国会であるが、野党側の鋭い質問に応える菅総理をはじめとする与党閣僚の答弁の“摑みどころのない不明瞭さ”に、原左都子としては欲求不満を募らされる日々である。
国会答弁も“言葉のあや”の世界とでも表現するべきか、与党側の答弁は野党側の質疑に対し論点をはぐらかし逃げてばかりで、答弁として何ら機能していない感覚を抱かされるのだ。
昨日(1月28日)午後1時過ぎからテレビで見聞した自民党参院議員(元地方自治体の市長であられる方のようだが、失礼ながらお名前をメモし忘れていることをお詫び致します)氏は、国と地方自治体との関係における政権の一連の失策を取り上げておられた。
この質疑内容が実によくまとまっていて説得性があり的を射たものであったため、原左都子も一国民として唸ったのも束の間、それに応える菅総理には愕然とさせられたものである。 何を応えたのかも記憶に残らないような、要するに政権与党のマニフェストや日頃の政策を何とかごまかして正当化するに過ぎない安直な内容だったのだ。
答弁が“不明瞭”であるうちはまだしも、昨日(1月28日)の菅総理の答弁の中に、明らかに「誤り」と判断出来る許し難い発言があった。
それは昨日、 みんなの党 の川田龍平氏が「イレッサ訴訟」に関して国の責任を迫ったことに応えた際に発した菅氏の言葉である。
菅総理応えて曰く、 「イレッサ訴訟問題に関しては、『癌患者全体の利益』を考慮して解決していくべきと考えています。」
菅氏のこの発言は、元医学関係者である原左都子にとって、どうしても聞き捨てならないのだ。
イレッサ訴訟に関しては「原左都子エッセイ集」の読者の方々は既にご存知であろうが、ここで参考のために、万人に分かり易く解説されている新聞記事を以下に引用することによりその経緯を簡単に説明することにしよう。
ある治療や薬を施してそれで良くなる人もいれば、症状があまり改善しない人もいる。むしろ悪くなる場合もある。医師や医療従事者は経験的に知っている。
従来型の抗癌剤は癌細胞だけでなく正常細胞にも作用する。重い副作用が出てくる可能性が高い。製薬会社や薬事行政の担当者なら常識だろう。
だが世間の常識はどうか。「癌」のことなど知りたくないと考えている人も少なくない。万が一、病気になれば「治る薬」を求める。副作用の説明を受けてもまさか自分がそうなるとは考えない。 薬の危険性についても国は国民にもっと知らせるべきだと専門家は言う。しかしこの溝はなかなか埋まってこない。
肺がん治療薬「イレッサ」で深刻な副作用を受けた患者と副作用によって死亡した患者の遺族計15人が、国と輸入販売会社のアストラゼネカ(大阪市)に損害賠償を求めた訴訟で、東京、大阪両地裁が和解勧告したのは今月7日だった。 国がイレッサの輸入を承認した2002年7月5日の時点で、副作用で致死的な間質性肺炎が起き得ることについて国や企業は十分に注意喚起していなかった。そのため国などは患者や遺族を救済する責任があると裁判所は判断した。
これに対し、国は安全対策に誤りはなかったとして和解を拒否した。
しかし、話を少々広げすぎではと感じる。あくまでイレッサの承認過程と使用方法の問題である。800人以上の副作用死を防ぐ事前の手だてはなかったか。
イレッサは新時代の治療薬と前評判が高かったために、優先審査制度を使って通常1年余りかかる審査を5カ月余りでパスした。 だが、市販直後から間質性肺炎を含む肺障害の報告が相次ぎ、3カ月後に重大な副作用として「警告」が出された。 イレッサが有効な場合も逆効果の場合もあった。当初から慎重に使っておけば副作用死は減らせたのではないか。
素人から見れば、判断は性急で安全が十分考慮されたと思えない。裁判所が国などに責任ありとしたのもうなずける。
国は承認の誤りは認めないが、抗がん剤による副作用被害の救済制度などを検討するという。だが求められているのは国の率直な反省だ。昨年4月には薬害肝炎の検証と再発防止に関する分厚い報告書も出た。過去の教訓をもっと生かしていかないと悲劇は繰り返される。
(以上、西日本新聞1月29日朝刊記事の一部掲載)
原左都子の私論に移ろう。
上記のごとく長い新聞記事の引用とならざるを得ないのは、医学・医療分野とは人の命がかかわる領域であるが故に専門性が高く、一般市民には一見して分かりにい分野であるからに他ならない。
そういう意味では上記の西日本新聞記事は素人にも分かり易く的確に書かれており、これをお読みいただけると、通常国会において菅総理が明言した “イレッサ犠牲者との和解に踏み込まないこと イコール 「癌患者全体の利益」” 発言が、医学を心得ない素人もどき者からの不適切発言であることがお分かりいただけることであろう。
結論から言うと、医学分野においては 「全体の利益」 なる言葉はまったく通用し得ないのである。
それは教育分野においても同様であるが、人の人格的個性が様々であるように、人が持って生まれた身体の個性、すなわち体の形態や機能とは実に多様であるのだ。
ある癌患者にとっては“イレッサ”が有効だったことであろう。 ところがある人にとってはこれにより死に至ることが実際に少なからずあったからこそ訴訟に至っているのである。
この現象を、決して国の指導者たる者が“統計学的”に片付ける過ちを犯してはならない。
統計上死者が少数で済んだならば「全体の利益」を考慮して少数派である犠牲者を捨て置くという発想ではなく、医学も国政も自らの過ちを認め被害者である少数に丁寧に対応してこそ、今後国が進化発展していくというものではないのか!?
菅総理が昨日の国会答弁でイレッサ問題に関して明言した 「癌患者全体の利益を考慮すべき」 の発言の背景にある思想とは、まさに人間個々の個性を心得ない我が身息災な国益論に基づく“全体の利益思想”に他ならないのだ。 それは極論としては、恐ろしいことに日本の過去において戦争を肯定した思想と一致すると捉える私は、背筋が寒くなる思いである。
一国の総理が旧態依然と「癌患者の全体の利益」を唱える前に、国政全般に渡る国民個々の心身共の個性を尊重する観点に立ってこそ薬害問題や医療過誤問題の再発防止に繋がり、今後この国の国民も活気付くのではあるまいか。
そのためには現在国家財源食い潰しのネックとなっている民主党票取り目的の“カネのバラ撒き政策”を本気で早急に廃止することも視野に入れつつ、貴重な血税により運営されている国会に於いては、野党の建設的な質疑にも少しは耳を傾けて政権閣僚は真摯に応えるべきとアドバイスしたいのである。
国会答弁も“言葉のあや”の世界とでも表現するべきか、与党側の答弁は野党側の質疑に対し論点をはぐらかし逃げてばかりで、答弁として何ら機能していない感覚を抱かされるのだ。
昨日(1月28日)午後1時過ぎからテレビで見聞した自民党参院議員(元地方自治体の市長であられる方のようだが、失礼ながらお名前をメモし忘れていることをお詫び致します)氏は、国と地方自治体との関係における政権の一連の失策を取り上げておられた。
この質疑内容が実によくまとまっていて説得性があり的を射たものであったため、原左都子も一国民として唸ったのも束の間、それに応える菅総理には愕然とさせられたものである。 何を応えたのかも記憶に残らないような、要するに政権与党のマニフェストや日頃の政策を何とかごまかして正当化するに過ぎない安直な内容だったのだ。
答弁が“不明瞭”であるうちはまだしも、昨日(1月28日)の菅総理の答弁の中に、明らかに「誤り」と判断出来る許し難い発言があった。
それは昨日、 みんなの党 の川田龍平氏が「イレッサ訴訟」に関して国の責任を迫ったことに応えた際に発した菅氏の言葉である。
菅総理応えて曰く、 「イレッサ訴訟問題に関しては、『癌患者全体の利益』を考慮して解決していくべきと考えています。」
菅氏のこの発言は、元医学関係者である原左都子にとって、どうしても聞き捨てならないのだ。
イレッサ訴訟に関しては「原左都子エッセイ集」の読者の方々は既にご存知であろうが、ここで参考のために、万人に分かり易く解説されている新聞記事を以下に引用することによりその経緯を簡単に説明することにしよう。
ある治療や薬を施してそれで良くなる人もいれば、症状があまり改善しない人もいる。むしろ悪くなる場合もある。医師や医療従事者は経験的に知っている。
従来型の抗癌剤は癌細胞だけでなく正常細胞にも作用する。重い副作用が出てくる可能性が高い。製薬会社や薬事行政の担当者なら常識だろう。
だが世間の常識はどうか。「癌」のことなど知りたくないと考えている人も少なくない。万が一、病気になれば「治る薬」を求める。副作用の説明を受けてもまさか自分がそうなるとは考えない。 薬の危険性についても国は国民にもっと知らせるべきだと専門家は言う。しかしこの溝はなかなか埋まってこない。
肺がん治療薬「イレッサ」で深刻な副作用を受けた患者と副作用によって死亡した患者の遺族計15人が、国と輸入販売会社のアストラゼネカ(大阪市)に損害賠償を求めた訴訟で、東京、大阪両地裁が和解勧告したのは今月7日だった。 国がイレッサの輸入を承認した2002年7月5日の時点で、副作用で致死的な間質性肺炎が起き得ることについて国や企業は十分に注意喚起していなかった。そのため国などは患者や遺族を救済する責任があると裁判所は判断した。
これに対し、国は安全対策に誤りはなかったとして和解を拒否した。
しかし、話を少々広げすぎではと感じる。あくまでイレッサの承認過程と使用方法の問題である。800人以上の副作用死を防ぐ事前の手だてはなかったか。
イレッサは新時代の治療薬と前評判が高かったために、優先審査制度を使って通常1年余りかかる審査を5カ月余りでパスした。 だが、市販直後から間質性肺炎を含む肺障害の報告が相次ぎ、3カ月後に重大な副作用として「警告」が出された。 イレッサが有効な場合も逆効果の場合もあった。当初から慎重に使っておけば副作用死は減らせたのではないか。
素人から見れば、判断は性急で安全が十分考慮されたと思えない。裁判所が国などに責任ありとしたのもうなずける。
国は承認の誤りは認めないが、抗がん剤による副作用被害の救済制度などを検討するという。だが求められているのは国の率直な反省だ。昨年4月には薬害肝炎の検証と再発防止に関する分厚い報告書も出た。過去の教訓をもっと生かしていかないと悲劇は繰り返される。
(以上、西日本新聞1月29日朝刊記事の一部掲載)
原左都子の私論に移ろう。
上記のごとく長い新聞記事の引用とならざるを得ないのは、医学・医療分野とは人の命がかかわる領域であるが故に専門性が高く、一般市民には一見して分かりにい分野であるからに他ならない。
そういう意味では上記の西日本新聞記事は素人にも分かり易く的確に書かれており、これをお読みいただけると、通常国会において菅総理が明言した “イレッサ犠牲者との和解に踏み込まないこと イコール 「癌患者全体の利益」” 発言が、医学を心得ない素人もどき者からの不適切発言であることがお分かりいただけることであろう。
結論から言うと、医学分野においては 「全体の利益」 なる言葉はまったく通用し得ないのである。
それは教育分野においても同様であるが、人の人格的個性が様々であるように、人が持って生まれた身体の個性、すなわち体の形態や機能とは実に多様であるのだ。
ある癌患者にとっては“イレッサ”が有効だったことであろう。 ところがある人にとってはこれにより死に至ることが実際に少なからずあったからこそ訴訟に至っているのである。
この現象を、決して国の指導者たる者が“統計学的”に片付ける過ちを犯してはならない。
統計上死者が少数で済んだならば「全体の利益」を考慮して少数派である犠牲者を捨て置くという発想ではなく、医学も国政も自らの過ちを認め被害者である少数に丁寧に対応してこそ、今後国が進化発展していくというものではないのか!?
菅総理が昨日の国会答弁でイレッサ問題に関して明言した 「癌患者全体の利益を考慮すべき」 の発言の背景にある思想とは、まさに人間個々の個性を心得ない我が身息災な国益論に基づく“全体の利益思想”に他ならないのだ。 それは極論としては、恐ろしいことに日本の過去において戦争を肯定した思想と一致すると捉える私は、背筋が寒くなる思いである。
一国の総理が旧態依然と「癌患者の全体の利益」を唱える前に、国政全般に渡る国民個々の心身共の個性を尊重する観点に立ってこそ薬害問題や医療過誤問題の再発防止に繋がり、今後この国の国民も活気付くのではあるまいか。
そのためには現在国家財源食い潰しのネックとなっている民主党票取り目的の“カネのバラ撒き政策”を本気で早急に廃止することも視野に入れつつ、貴重な血税により運営されている国会に於いては、野党の建設的な質疑にも少しは耳を傾けて政権閣僚は真摯に応えるべきとアドバイスしたいのである。