原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

介護士、看護士の皆さん、過重労働をお察しします。

2013年02月11日 | 時事論評
 我が子の「お抱え家庭教師」である私は、娘が中学生になった頃より将来の職業選択に際してある一つの事をアドバイスし続けている。


 そもそも私自身の職業選択の失敗から、“基本的に自分が好きな事、やりたいと思う事を職業とするべき”との確固たる考えがある原左都子だ。
 私が職業選択に於いて如何なる失敗をしたのかに関しては、当エッセイ集バックナンバーにおいて幾度となく述べてきている。  ここで手短に記すと、若気の至りで未だ周囲への反発力が備わっていなかった私は、不覚にも親の意向に沿う道を選択してしまったのである。

 「確固たる専門力を身に付けて生涯自立して生きよ」 これが我が親の口癖だった。
 我が愚かな親はその考えを未だ高校生の私に強要し続けたのに加えて、大学は地元国立限定、可能ならば理系、国家資格が取れる職業等々…  実に細かい制約の下に進路を決定せざるを得なかった私の行く先は、自ずと限定されていたも同様だ。

 ただ当時の私の脳裏には「この職業だけは絶対に避けたい。これを選択したなら私には未来がないも同様」とイメージできる職種があった。 それは「看護士」である。(参考のため、当時は「介護士」なる職業は未だ存在しない時代背景だった) それだけは何がなんでも回避せねばとの思いは強靭で、「看護士」への道程のみは避け通してきた。
 結果としては医学方面への進路を選択して地元大学で学業に励み国家資格を取得し、その後上京して民間企業へ就職した私だ。 何故民間企業を選択したのかに関しても、臨床医療現場である「病院」への就職を是が否でも避けたかったからである。(これに関しても、既にバックナンバーに於いて記載済みだが。)

 「看護士」「病院」の何がそんなに嫌なのか?
 おそらく私が抱くイメージとして、とにかく“暗く”て“地味”。 基本的に派手好きの身としてはそんな場に日々出向く訳には到底いかない。 加えて天邪鬼の私は「人の命を助ける」だの「社会貢献度が高い」だのとの、大それたレッテルを貼られる職種には大いなる違和感を抱かされる。
 しかも、たちが悪い事に「看護士」とは過ぎ去りし時代に“白衣の天使”などと美化され語られてきた割には、現実労働の過酷さと言えば世のすべての職業の1、2位を争う厳しい現状であろう。 
 

 私事が長引いたが、そんなこんなで我が脳裏には娘の職業選択に際しても、親の立場から是非共アドバイスしておきたいことがあったのだ。

 我が子中学生の頃から言い聞かせているのは、「看護士、介護士のみは貴方の職業選択肢から何が何でも外しなさい」
 このように表現すると“とんでもない親”との大いなる誤解を生みそうだ。 だが、私自身は病院勤務経験がないものの、パラメディカル分野の専門職として長年従事してきた経歴から、我が娘には医学関係職種への“適性”が一切ないと判断するのが第一の理由である。 
 (残念ながら「介護士」分野には私は精通していないが)「看護士」に関してはその学業の過程からして大変な時間数を必要とする事を、同じ医学分野の専門資格を取得している我が身に照らして理解している。 過酷な病院実習もこなしつつ、大学生の立場であるなら卒業研究にも励みながら、その合間に国家資格取得勉強を強いられる。  臨床医学職業分野とは就職にありつくまでの道程自体が、おそらく理系他分野の比ではなく厳しい。
 やっと国家資格取得の道程を乗り越えた後、就職後に待ち構えているのは過重労働の世界…。 その中で人の死をみとり、重病人に寄り添い、日夜を徹して身を捧げる…。 元々体力精神両面に於いて、我が娘がそのようなキャパシティを持ち合わせていないと判断する私は、思い切ってその分野へ進むための“無駄な寄り道”を避けさせようと考えたのである。


 さて、原左都子が今回のエッセイを綴るきっかけを与えてくれたのは、やはり朝日新聞「悩みのるつぼ」である。
 2月9日の上記欄によれば、20代女性が「介護現場で悩んでいます」とのことだ。
 早速、この相談の一部を要約して以下に紹介しよう。
 2年前、ヘルパー2級講座を受け実習でも「介護」について学んだ。 ところが、実習先はひどく現場は時間に追われ、職員はイライラし笑顔なんてある場ではない。 「思いやり」などという言葉が何度も講習で出てくるが、現場は「適当」そのもの。 食事も主食副食、薬まで一緒に混ぜて急いで食べさせる現場だ。 最近の仕事の募集は「介護職」ばかりだが、わたしには無理。 それでも思い切って派遣として仕事に出たが、周囲の皆が辞めていく。 一人で過酷な労働に耐える中「思いやり」の気持ちなど持てる訳もない。 勤務先は正職員雇用を求めてくるが、利用者にケガでもされるかと不安でこのまま続ける事が怖い。 辞めずに「適当」にこなせばいいのか?
 (以上、朝日新聞「悩みのるつぼ」より一部を要約引用)

 今回の「悩みのるつぼ」の回答者は社会学者の 上野千鶴子氏 であられる。
 この回答内容が原左都子の脳裏にある考えとほぼ一致するのだが、それを以下に一部を要約して紹介しよう。
 多くの介護現場があなたのおっしゃる通りの(悲惨な)現状であることを承知している。 だからこそせっかく志を抱いて資格を得たのに、現場でバーンアウトする介護職員の離職率が低下しないのであろう。 この不況のさなかでも介護労働市場に限っては有効求人倍率が常に1,0以上。 そんな中こんな綱渡りのような勤務を続ければ介護事故が起こるかもしれないし、あなた自身の責任も問われるだろう。 しかもこのまま「適当」に業務を続ければ感覚の麻痺と思考停止に陥るか、バーンアウトするか。あなた自身がお年寄りへの加害者になるかもしれない。 いっそ、派遣という立場を活かして、いくつもの職場にお試し雇用をなさってはいかがか。
 介護事業の問題だらけの現実にあなたが責任を負う必要はない。自分の働き易さを第一に優先しましょう。
 (以上、「悩みのるつぼ」 上野千鶴子氏の回答の一部を要約引用) 


 いやはや、原左都子が我が娘にアドバイスしている以上の現実の厳しさを思い知らされる相談内容である。

 この相談を読んで考察するのは、パラメディカルの一員である「看護士」とは一職業としてその歴史が長いが故に、今に至っては労働者としての権利をある程度勝ち取って来ているのであろうとの事だ。 
 それに比して「介護士」資格とは、介護保険が成立すると同時頃に発足した資格ではなかろうか? それ故にその歴史がまだまだ浅く、労働者組合(あるいはそれに代替する組織)も存在せず、職場より不利に使い回されている現状ではないかとの懸念を抱く。

 そうだとして、自民党政権の安倍首相に提言したいことがある。
 貴方は「アベノミクス」なる経済政策を、政権発足以前よりメディアに大袈裟なまでに宣伝している様子である。 それに対する期待感から「株価上昇」「円安」等の経済指標が貴方に味方するかのごとく変動し続けている事実に関しては私も理解している。

 今を時めく介護業界は国家歳入である「介護保険料収入」は元より、「アベノミクス」政策により法人税減税等の恩恵を受け今後更に活気付くことであろう。  それが証拠に外食産業や教育業界、はたまた民間報道企業等々が次々と介護業界へ参入し、私が住む都心部でも介護付き高齢者施設(ケアマンション)が乱立している有様だ。
 片や、末端労働者である「介護士」等の権利充実や支援が一体どれ程進んでいるのであろうか?
 
 両者を同時進行で進めて行かないことには、自民党政権の未来もおぼつかないことであろうと私は考察するのだが…

AKB“丸刈り騒動” 浅はかな営利売名行為だよ

2013年02月09日 | 時事論評
 今回の記事は、大いに“意地悪ばあさん”色の強いエッセイであることを最初にお断りしておく。

 それにしても今時若き女子が一時頭を“丸刈り”にしたとて、私にとってはさほどのインパクトはないなあ。
 若き女優さん達も、自分の行動失態の謝罪目的ではないにせよ、役柄作りのため一時“丸刈り”姿になった例は数多い。 “丸刈り”にしてこそ判明する真の美人度!とでも表現するべきか、それら女優さん達の“丸刈り”姿の凛とした美しさに感動させられた経験が何度かある。


 冒頭から厳しい意見を述べよう。

 AKBの峰岸さんとやら、 あなたの髪の毛は時間さえ経過すれば直ぐ元通りにふさふさと美しく蘇り、今まで通り“可愛い子ちゃん”タレントとして舞台に復帰し輝かしいスポットライトを浴びる日は、もうすぐそこに到来することであろう。
 でも“意地悪ばあさん”の私としては、“丸刈り”にするに当たってもう少し視野を広くして考えて欲しかったことがある。
 自分のスキャンダルを詫びるために“丸刈り”??  何故そんなくだらない事由で頭を丸めるとの“目立つ”行為に出て世間の目を引きたかったの?

 ちょっと世の中を見渡してみようよ。
 各種重度の疾患や抗癌剤の副作用で髪の毛が抜け落ちる事を余儀なくされたり、心身的ストレスで脱毛症を患ったり、頭部の手術により一生髪の毛が蘇らない人間も存在するよ。 そういう人達がこの世に存在する事実に少しは思いを馳せられたのかなあ?

 あんまり自分の事を披露したくはないけど、この原左都子もその一人なのよ。
 私の場合過去に於いて頭部に皮膚癌を患い、それの切除手術を受けたがために一生頭の一部に髪の毛が生えない運命を背負っている。 今となってはもう還暦近い年代だから、何もそれ自体が辛いだのどうだのとの感傷的な思いは一切ないけど、普段より日々ウィッグ使用を強いられていて、それにかかる費用が馬鹿にならないのよ。  死ぬまでオーダーウィッグを作り続ける場合の予算計上額が数百万円!  頭に手術跡さえなければ、この少なからぬ予算額を我が自己実現費用としてもっと有意義に使えるのに…… と無念に思うことはよくある。

 そういう私的事由もあって、峰岸さんが“丸刈り”にして泣いている姿をメディア上で垣間見ても、あなたの髪の毛は直ぐに生えてくるじゃないの!、と申し訳ないがさほどのインパクトがないのが正直なところだ。


 このAKB“丸刈り”騒動に興味があるなしにかかわらず知らない人はいないとは思うが、ここで朝日新聞2月2日記事を参考にしながら少し復習することとしよう。
 実は原左都子自身はこの騒動にまったく興味がない。 その立場で( )内に原左都子の“意地悪私論”を展開しつつ話を進めていく。

 AKB48の峰岸みなみさんとやらのメンバーが、動画サイト「ユーチューブ」に丸刈り姿で登場して涙の記者会見をした。 (私はAKBには元より興味がないためどんなメンバーがいるのかもさほど知らないが、ファンの皆さんの誤解を恐れずに言うと峰岸さんとはもしかしたら“ブス”度が高いメンバーの一人かな?)
 この峰岸さんの男性関係が週刊誌で報じられたが、その週刊誌スキャンダル報道当日に峰岸さんは早くも“丸刈り”姿になって記者会見に応じたらしい。  (ん?? この峰岸さんとやら、むしろ自分の男性関係を公にしたかったのではなかろうか? メンバーの中で“ブス”度が高くさほど目立たない峰岸さんにとって、男性スキャンダルこそ自分がAKBメンバーとして今後生き抜く命!と考えたのではなかろうか。 今時、彼氏がいない女性タレントなど特に女性ファンにとっては魅力に欠けるのではなかろうか。 売れに売れている女性タレントが突然電撃結婚妊娠会見をする風景もよく目にする。 昔と異なり、その種の女性タレントの方がタレント生命を繋げていると私は判断する。 その後離婚と相成ったとて、それもタレント生命を繋ぐ恰好のスキャンダルでもあるし…)


 どうやらAKBは「恋愛ご法度」令を施行しているようだが、これとて客寄せ戦法に他ならないのは原左都子には見え見えだよ。
 それが証拠に、AKBの中でも売れ筋中心メンバーに関しては、決して「恋愛」が表ざたにならないようバリアーを張っているではないのか? 例えば、私が知る限りで記すと、大島優子、篠田真理子、リーダーである何とかみなみ(このリーダー、私は確かにリーダーシップ力あり!と好意的に捉えているのに苗字が分からずごめんなさい)、に関しては今後のAKB存続のため、くだらないスキャンダルが表面化しないよう事務所が命がけでバリアーを張っていると私は捉えている。

 要するにAKB事務所は、二の次の位置付けにあるメンバーを今後もっと活用する手段として、あえて男性関係を明るみにする等、メディアを有効利用して大騒ぎをさせているものと私は理解する。

 だからこそ、峰岸さん、あなたは今回“丸刈り”会見などする必要はなかったのよ。
ただ、あなた自身が所属事務所の意向を理解していてそれを実行したならば、それでよかったのかもしれないね。 報道によると、未だ若きあなたは「AKBをやめたくない」と訴えているとのこと。 そうだとすれば、今回の“丸刈り”騒動はあなたにとって売名行為だったのだろう。

 ただし、AKBメンバーの一人である峰岸さんの今後の“扱い”は、あなた自身の意向ではなく事務所が決定することになることには間違いないよ。 
 今回の“丸刈り”騒動が峰岸さんにとって吉と出るか凶と出るか、それは私がメディア界とは何らのかかわりもない無責任な立場の一市民でしかない事を、最後にお詫びしておくが…

土曜授業より個性に応じた学ぶ場の多様化を

2013年02月07日 | 教育・学校
 少し古い話題になるが、去る1月12日、文部科学省の下村大臣は現在公立学校で実施されている「完全学校週5日制」を見直し、土曜日にも授業をする「6日制」導入の検討を始めると発表した。

 文科省が導入しようとしている「学校週6日制導入」の趣旨とは、授業時数を増やした新学習指導要領が既に小中学校で完全実施されているのを受けて、土曜日も使い授業時数を確保して子ども達の学力向上を目指す事にあると言う。
 私立学校の中には土曜授業を続けている学校が多く、公私の学力格差拡大懸念を払拭する狙いもあるらしい。
 参考のため、この「学校週6日制導入」に関して東京都小学校PTA協議会が10年に実施した調査では、土曜授業について保護者の86%と教員の38%が「必要」、保護者の7%と教員の52%が「反対」だったとの事だ。
 (以上、ネット情報より要約引用)


 冒頭より「学校週6日制導入」に関する本エッセイ集著者である 原左都子の私論の結論を記させていただくと、表題に掲げた通り基本的に「反対」派である。 
 その論拠は後に述べることとしよう。


 この下村文科相の発言を受けて、朝日新聞1月21日「社説」に 「土曜授業 答を急ぐことはない」 と題する論評が掲載された。

 以下にその一部を要約して引用しよう。
 下村大臣は土曜日の授業を復活させたい意向を示したがその問題提起はわかる。 一方で、学校週5日制は週末を家族とゆったり過ごすライフスタイルをもたらした。土曜も授業となれば親子の会話が減る。そこをどう考えるか。 学校が土曜完全休みになったのは11年前。ゆとりの学習指導要領とともに始まった。 公立校の勉強だけでは足りないという不安が保護者に広がり、塾に通うお金がある家庭とそうでない家庭で学力に差がついた。都市部では土曜も授業をする私立に子どもが流れた。  横浜市教委のアンケートでは保護者の7割が土曜授業に賛成した。  大臣は「世論の理解はあると思う」と言う。
 日本の子に足りないのは応用力と学ぶ意欲。知識よりも考える力である。 増えるべきは実験や観察、討論に振り向けるべきだ。  教職員も交代で休めるよう増やす必要がある。これは容易なことではない。 週末の暮らしが様変わりすることだろう。部活動や地域の子ども向けの催し、スポーツ教室や習い事、塾は土曜休みを前提に営まれている。 家族の遠出も減るかもしれない。 社会への様々な影響があり得る。 答を急ぐことはない。
 (以上、朝日新聞1月21日「社説」よりその一部を要約引用)


 ここで、原左都子の私事に入らせていだだこう。

 我が家の場合“特異的事例”であるかもしれない点をまずはお断りしておく。

 我が子が生まれながらに若干の事情を抱えていたこともあり、医学及び教育学分野のバックグラウンドがある母の私が「お抱え家庭教師」として我が子就学以前より教育指導を担当してきている。  娘が持って生まれた個性に対する私なりの専門力に基づく「指導計画・展望」があり、かつ娘が抱えている事情を一番理解していると自負する母の私自身が、我が子の教育を小学校入学後も可能な限り“私主体”に執り行いたい希望が強かった。
 そうは思えど当然ながら小中校は義務教育課程であるため、保護者とは子どもを公教育現場の学校へ通わせる義務を法制度上負っている。 それをもどかしく思いつつも、とりあえずは2002年時点で土曜が完全に休みになることを待ちわびていたとも言える。

 上記朝日新聞「社説」に記されているごとく、数多くの保護者が“公立校の勉強だけでは足りない”との不安を持ったとの経験は、原左都子に関してはただの一度もない。  我が子は私の指導の下、十二分に学習に励んでくれた。 むしろ、その他分野の我が子の個性や能力に応じた活動をする時間が十分取れないことにやきもきさせられたものだ。
 例えば、我が子は音楽やダンス(バレエ)、造形絵画方面に幼少時より興味を抱いていたためその方面の習い事に長年励ませて来たのだが、小学校高学年、はたまた私立中学進学後にはこれに裂く時間が十分に取れない事態に難儀させられた。
 “学習指導”は私が全面的にフォローするものの、娘の趣味や能力に応じた他分野活動の時間がもっと欲しかったものだ。  もしも学校で費やす時間が短く済めば、その分野の専門家氏に娘の成長を委ねるべく多くの時間を確保できたのにと、どれ程残念に思ったことか…
 
 結局は小中高学校現場が土曜日も授業に当てるとの方策を採用するならば、立場が弱い保護者はそれに従わざるを得ない現状だ。
 我が家の娘の場合、所属私立中高が土曜日授業を行っていたため他分野活動に十分な時間が取れなかったものの、私自身が学習指導において「お抱え家庭教師力」を発揮した結果、第一志望大学への公募制推薦合格が叶い、現在大学生となり学業に励んでいるためまだしもマシな立場であるのだろう。
 そうではなく他分野での能力の発揮・成就が学習よりも主たる願望である家庭のご子息は、一体全体土曜日も学校へ行かねばならない“弊害”と如何に闘って来られた(行かれる)のであろうか?!?


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 下村文科相は、「学校週6日制導入」こそが我が国の児童生徒の学力上昇に繋がるとお考えのようだが、その発想は一体如何なる根拠によるものなのか??

 真にこの国を支えている人材達が過去に歩んだ道程を、今一度捉え直すことも重要であろう。
 現在安倍政権はその経済政策である「アベノミクス」を政治理念の中心に掲げているようだ。 そうであるとして、この国の経済発展を民間レベルで真に支えてきた人物の過去の経歴にまで遡った場合、必ずしも小中高の学力が秀でていた訳でもなかろう。  小中高時点で学校教員から低評価されたとて、そんなもの取るに足りない事象であり、本人の真の実力が試される実社会の中ではさほどの影響を及ぼさないのが世の常でもある。

 それが理解できたならば現自民党政権とて、今後義務教育過程に於いて何を優先するべきかに関する方針が自ずと限定できるであろう。  最優先するべきは、子どもの個性に応じた“学ぶ場の多様化”に他ならないと私は考える。
 あくまでも社会的弱者保護観点から土曜日も学校を運営するべきと自民党政権が捉えているとするならば、原左都子とてそれを少しは応援したいものだが…。  少なくとも土曜日登校は各家庭の判断により自由選択とする等、融通性を持たせて欲しいものである。

「駆け込み退職」 私は肯定する

2013年02月04日 | 仕事・就職
 現日本国憲法 第二七条に、 「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」 との定めがあるが、その文言通り、日本国民は皆、勤労の権利を有し義務を負っている。

 と同時に、すべての国民は様々な都合により勤労を辞する権利も有していると私は解釈している。

 冒頭から、今回のエッセイテーマの原左都子の結論を記そう。
 労働基準法に準拠する範囲内である限り、本人が職を辞したい場合その時期がいつであろうと、本人の主体的意思で退職を決定して何らの問題もないと私は普段より捉えている。

 「原左都子エッセイ集」本日の記事においては、地方自治体「教員」にターゲットを絞り、現在世を騒がせている「駆け込み退職」現象に関して私論を展開したいと考える。


 国家公務員の退職金減額措置に連動して、全国各地の地方自治体でも地方公務員の退職金を減額する条例改正に着手している。 
 この措置により、今年3月まで働いて受け取る退職金より改正条例が施行される前に自己都合退職により受け取る退職金の方が多くなる「逆転現象」が起き、全国の自治体で1月時点で早期退職する教員が続出した。

 全国自治体学校教員による「駆け込み退職」現象に戸惑った学校現場の子ども達や保護者の実情を受けて、下村文科相は「最後まで職責を全うしていただきたい」と呼びかけているとのことだが…

 この問題を受け、朝日新聞1月27日付社説において「駆け込み退職 子への影響防ぐ知恵を」 と題する記事が掲載された。
 以下に、その一部を要約して紹介しよう。
 いつ辞めるかは先生や職員の判断次第だが、児童生徒が割を食うのは理不尽だ。自治体は子ども達に悪影響を生じさせない対策をとる必要がある。 一方で、損しても働けと強いる事も出来ない。 制度設計の問題こそが大きい。 (3学期は)進路選びなどの大事な時期である。担任教師が代わるのは子ども達にとって望ましくない。教室に大きな影響が出ないようにすることを優先して考えたい。 下村文科相は退職者慰留の説得を各教委に求めている。 それに従い、佐賀県教委は早期退職した教員の大半を臨時任用制度を利用して残した。短期間で人を探すのは難しいし、同じ人を再任した方が教育活動に支障が出ないと判断した。 この騒ぎで教師不信を募らせる人もいるが、辞めた人にもどんな事情があったかは分からない。
 (以上、朝日新聞社説より一部を要約引用)

 上記の朝日新聞「社説」を受けて、その内容に対し何点かの疑義を抱く原左都子である。

 早速、我が疑義に関する私論に入ろう。
 

 まず第一点。

 学校現場の教員が今回「駆け込み退職」をしたことにより、風評が飛び交っているがごとく児童生徒や保護者に実際それほどの「混乱」を招いているのであろうか?? 3学期は進路選び等で大切な時期だから、そんな時期に退職者を出すのは望ましくない???

 ここで原左都子自身が遠い過去に、小学校現場に於いて児童の立場で経験した私事を述べさせていただくこととしよう。
 小学校4年生の時の出来事だ。 担任である50歳前後程の女性教諭が「糖尿病」を患っているとのことで、担任であるにもかかわらず普段より職務を休む日が多かった。 この教員は学校現場に於いてはベテランの位置付けにあるようで、休みが多いにもかかわらず、学校職員や保護者の間で“擁護論”が幅を利かせている事を幼き私は十分に理解していた。
 この担任、生来備わっている気質としてたちが悪いことに暴言暴力を日々生徒に投げつけるのだ。(教員の生徒児童への暴力が未だ肯定されていた時代背景である。) これに大いなる抵抗感を常に抱いていた私は、ある時母に訴えた。「担任の○○先生は暴言暴力を振るうから私は嫌いだ。どうにかして欲しい。」…  ところが母から返って来た回答とは「先生は糖尿病を患って大変なのよ。自分の体が辛いからそのような行動に出ることを分かってあげて…」  おそらくそのように子どもに説得するよう、保護者は学校側から指導されていたと私は当時から察していた。
 そうこうしていたところ、この「糖尿病」担任の容態が悪化して2学期途中から入院する事となり、一切学校には来なくなった。 これが私にとっては何ともラッキーだった! その後を引き継ぎ臨時採用担任が赴任してきたのだが、若き女性教師は我がクラスに間違いなくフレッシュな環境をもたらしてくれた! その代替教員のお陰でクラスの皆が活性化して子どもらしく楽しい学校生活が成り立った記憶がある。

 原左都子の提言として、教員個人が抱えている事情の程はともかく辞めたい人には辞めてもらうことこそが、児童生徒は元より学校現場全体をリフレッシュできるまたとはない好機なのではなかろうか。
 今現在の学校現場においては、まさか重病を抱えている教員を子ども達の担任として配属させていない事と信じたいが、そうである教員には管理者側から率先して退職を導くように動くべきとも思う。


 朝日新聞「社説」を受けて抱く原左都子の疑義・異論のもう一点。

 上記我が小学生時代の私事と重複するが、教員退職者を臨時任用教員として即刻雇い直す事は是非共避けるべきである。 
 「社説」の最後に記されている通り、辞めたい人にはどんな事情があるのか分かったものではない。 まずは「辞めたい」との本人の意思を尊重して“すっぱりきっぱりと”退職させてあげようではないか。  そして、臨時教員を雇い直せばよい話だ。
 過去において高校非常勤講師の経験もある私は、非常勤教員登録制度の実態に関しても把握している。 今の時代臨時任用、あるいは非常勤教員希望者は掃いて捨てる程に存在するであろう。 若手のその種の人材を是非共学校現場で活用して欲しい。 その中に、素晴らしい教員資質を持つ人材が必ずや掘り起こされるものである。


 次に、朝日新聞1月29日「声」欄 55歳男性による「駆け込み退職、恥じることない」と題する投書の一部を紹介しよう。
 小学校高学年の時、春闘で授業が自習になったことがある。 その時、担任の先生が教室で話して下さった。 「聖職という言葉があるが、教師を聖職と考えるのはおかしい。 働いてお金を稼いで生活している賃金労働者だ。」  後任者への引継ぎや生徒への説明はきちんとする必要はあろう。 また、自身の退職の意味を、教員最後の教えとして生徒達に誠実に伝えていただければ何よりである。


 最後に原左都子の私論でまとめよう。

 上記「声」欄の春闘に出た教員と私の思想とは、おそらくそのバックグラウンドが大幅に異なる事と推測する。 それにしても 「教師が聖職」 などとは今時この世に生きる人間は誰も考えてもいないことであろう。
 だからこそ、“教員”だから「駆け込み退職」をしてはいけないなどとの論理は、既にこの世において成り立たないと結論付けたい。

 教員とて、一労働者の権利として自由に職を辞せばよい。
 確かに、自分を信じてくれていた(?)生徒や保護者に対する説明責任は果すべきであろう。
 それを実行した暁には世論になど翻弄されることなく、かつ自分は教育者だったなどとの思い上がりを鬱陶しくも周囲にチラつかせるでもなく、自分なりの新たな人生を歩めば済む話であろう。

トイレのよつばちゃん

2013年02月02日 | 芸術
 (写真は、我が家のトイレに掛けてある今年のカレンダー2月のページ。 トイレ内で撮影したため不明瞭である点をお詫びします。
 どうやら、このカレンダーの写真は 「よつばちゃん」 との漫画主人公と風景写真のコラボレーション作品集であるようだ。)


 我が家では、子どもが幼少の頃よりトイレ内に写真付かつスケジュールを記載できるカレンダーを前面に掛ける習慣がある。
 同様のご家庭も少なからず存在するかと想像するが、とにかくトイレ内とは一人単独の時間空間を誰にも邪魔されずに一時寛げる場だ。  そんなまたとはない貴重な時空間内で、私が一番したい事とは綺麗な写真を眺めつつスケジュール確認をする作業である。

 上記写真を解説すると、カレンダーにスケジュールを記入するための4色ボールペンを中央に吊るしている。 
 我が娘幼少時のある日、トイレ内カレンダーにそのボールペンで落書きのお絵かきをし始めたのだ。 親馬鹿ながら我が子の絵が結構素晴らしく、その絵にご褒美の花◎印や私の絵などを書き入れつつ娘と私の交換日記のごとくのトイレ交流が始まり、それが長年続行した。
 娘が大学生となっている現在、さすがにカレンダーに絵を描く時間は元よりその発想すらないであろうが、トイレカレンダーは今に至って健在である。

 我が家のカレンダーを買い求める担当者とは、何故か昔から我が身内である。 12月初旬頃になると、放っておいても自主的に来年のカレンダーを数冊買い求めてくる習慣が身についている。  身内を滅多に褒めない私の目にも、カレンダーの選定センスのみは毎年イケてるのだ!

 ところが当初、今年のトイレカレンダーに対する私の評価は違った。 「何でこんな訳の分からん漫画少女キャラが写真の中に入った“ろくでもない”カレンダーを買ったの??」
 そうこうしているうちに昨日より2月に入りカレンダーをめくってみると、(上記写真のごとく)色彩のみはある程度美しい写真が掲載されていた。
 やっとトイレカレンダー写真に少し興味を抱いた私は、初めて12月までのページのすべてをめくることと相成った。


 要するに、写真とアニメのCG合体による今時珍しくもない作品が毎月展開しているのだが、それでも私はカレンダー12枚のCG作品に私なりの「芸術性」を読み取る事ができた。

 アニメの小さき少女と写真のコラボレーションが実に味わい深いのだ! 特に少女が写真画面内で見せている表情やしぐさがいい。 可愛らしさの中に不安感や好奇心そして幼きなりの強さが十分に表現できていて、母性本能をくすぐられたり、はたまた我が娘にも少女の持つ強さが備わっていて欲しいと思ってみたり…  
 一例を挙げると、3月の作品は混み合っている食堂の中で果敢にも一人で食事をするアニメ少女が描かれている。  今時は一人で食事をする“惨めさ”が助長され過ぎている世間である。 だが私は「食」とは人間の生命を繋ぐ最大の源であるが故に、たとえ幼くともたとえ一人であってもバクバクとメシを食うべき!と考える人種だ。 そんな一親の思いを表現してくれた素晴らしい芸術作品であると感じる。


 昨日身内に確認したところ、我が家のトイレカレンダーの幼き少女は 「よつばちゃん」 との名であり、当該アニメ主人公を題材として作成されたCG作品集カレンダーであるらしい。

 そこで原左都子なりに「よつばちゃん」なるアニメ作品に関するネット情報を収集してみた。  以下に、その一部を紹介しよう。

 あずまきよひこ氏による日本の漫画であり、2003年3月から連載されている、ちょっと変わった5歳の女の子「よつば」が日常の中で体験する様々な「初めて」や「感動」を描く内容である。
 作品全体のキャッチコピーは、「いつでも今日が、いちばん楽しい日。」
 作者によると、「紫陽花市という人口20〜30万人くらいの架空の町」を舞台として想定しており、特定の実在する市町村を意図しての舞台設定はせず、描写の参考にしているだけであるという。
 自らが子を持つ親となった時に感じる 「子どもがもっている世界解釈のストレートさ、ひねくれぶり、逆転を実にうまく抽出して作品にしあげているんですよ。だから子育て層がもっと読んでもいいと思うんですけどね。」 「この漫画の味わい深さかもしれませんが、同時に読み手の成長によって大きな変化をこうむる、一つの典型的なケースだということができるかもしれません。」等々と、この漫画を高評価する論評も存在するとのことだ。
 

 子を持つ原左都子も、重々納得だなあ。
 
 子どもとは親にとって「よつばちゃん」のごとくこの世を強くたくましく生き延びる存在であって欲しいものと、私も常々考えている。
 にもかかわらず子どもに生来的に備わっている“ストレートさ”や“ひねくれぶり”“逆転力”を、日頃潰すことに躍起になっている現世の親どもであり社会であることをまずは反省するべきであろう。

 私自身は持ち前の“天邪鬼”気質故か、幼き「よつばちゃん」の生き様にいたく感動させられる思いだ。
 今年我が家のトイレに掲げられたカレンダー「よつばちゃん」のパワーを日々感じ取りつつ、今後も親として我が子とかかわっていくことにしよう。