原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

やみくもに他者へ嫉妬心を抱くより、その矛先を絞り込もう

2014年09月07日 | 自己実現
 男子テニスプロ 錦織圭氏の快進撃が素晴らしい! 

 テニス全米オープン男子シングルスベスト4まで進んだ段階で既に大快挙だったのに、何と!錦織氏は、9月6日(ブルームバーグ)準決勝にて、第1シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)を6-4、1-6、7-6、6-3で破り、アジアから初の4大大会決勝進出を決めた。

 以下にネット情報よりその詳細を記そう。
 錦織圭氏(24)は第4セットの第1ゲームと最終ゲームを含む5つのジョコビッチ(27)のサービスゲームをブレーク。 世界ランキングトップ10の選手をこれで3人連続で打ち破った。 勝利の瞬間、ラケットがコートに落ち、錦織は両拳を天に突き上げた。
 コートサイドでのインタビューで、錦織氏は「テレビで見ている日本からの応援を感じた。日本では朝の4時だけど、みんな観ていてほしい」と語った。
 シード10位の錦織は8日の決勝戦でマリン・チリッチ(クロアチア)と戦う。
 (以下は競技とは関係の無い話題だが)、フォーブス誌のアスリート年間長者番付によれば、錦織は男子テニスで5位。2013年6月-14年6月に稼いだ1100万ドル(約12億円)のうち、900万ドルはアディダス 、デルタ航空など企業とのスポンサー契約による収入だった。 錦織は「ユニクロ」を展開するファーストリテイリングとも契約している。
 (以上、錦織圭氏快進撃ニュースをネット情報より引用。)


 世界のトップを目指すアスリート達の共通項とは、「負けず嫌い」である事に間違いない。

 上に紹介した錦織圭氏もその例外ではない様子だ。 別のネット情報によれば、錦織圭氏はテニスを始めた頃より“負けず嫌い”気質を周囲に全開していたとの報道がある。 
 あるいは冬季ソチ五輪 男子フィギュアスケートで金メダルに輝いた羽生結弦氏も、自らの“負けず嫌い気質”を大いに認めておられるようだ。

 世界規模で快進撃を遂げられるはずもない庶民とて、「負けず嫌い」気質を存分に内在している人種は多い事であろう。
 何を隠そう。 私事を述べると、この原左都子とて現在尚間違いなく「負けず嫌い」気質の持ち主である。
 私の場合、それに気付いたのはおそらく遅い時期だったかもしれない。 と言うよりも、人間の勝負時とは、自立後(自分自身の能力で生活可能になった後に)やってくるものと心得るのだ。

 そうした場合、上記の錦織氏や羽生氏の事例に於いても、自分自身が実力を発揮するにつれ知名度が上がるに比例して、自ら稼ぐ金銭収入増額を伴いつつ彼らは「無敵感」を募らせたことと私は推測する。


 突然だがここで庶民レベルの話に戻し、9月6日付朝日新聞“悩みのるつぼ”より、60代主婦による相談内容を以下に取り上げよう。
 60代の主婦だが、思い起こせば幼少時代から私の嫉妬心が燃えていた。 友人が可愛い服を着たり男子からもてたりする事をねたみ、付き合いを避けて来た。 中高時代の関心事は成績と容貌だったが、どちらも秀でていた女子の足を引っ張り嫌がらせさえやった。 その後自分自身の成績が振るわず進学を断念し地元で仕事に就いたが、今尚大学を出ていない事に劣等感を抱いている。 同じレベルの夫と結婚し同じレベルの子育てをしつつ、運の悪さ故の劣等感を引きずりつつ60歳過ぎた現在尚、近所の夫婦が憎たらしくてしょうがない私は異常でしょうか。 よその家が気になってしょうがないのは、自分が暇を持て余しているからですか?? 

 ここで一旦、原左都子の私論に入ろう。

 “悩みのるつぼ”相談女性とは、自己分析力がある人物と私は評価する。  それに加え「負けず嫌い」気質をも兼ね備えている女性とも推察する。
 そのような客観力を備えていらっしゃるのに、何故60代に達して尚、ご自身が日頃お付き合いがある近隣の家庭との関係に於いて、それ程までの「劣等感」に苛まれ続けておられるのか?!?

 今回の“悩みのるつぼ”回答者は 経済学者 金子勝氏であられるが、「あなた自身がねたまれているかも」なる、貴女を肯定する回答を展開しておられる。
 相談者氏がこの回答で満足できる人物ならば、恐らく今回“悩みのるつぼ”には投稿しなかったであろう。
 

 そこで、原左都子が“悩みのるつぼ”に相談を寄せた60代主婦の身になって、回答申し上げよう。

 貴女は、冒頭に記したプロテニス界の若手である錦織圭氏の今回の歴史的活躍の程に感動出来たのであろうか!?  還暦近い私など若き男性の活躍に感涙しつつ感激頂点に達したのだが、もし貴方もその感動を共有できたならば、おそらく同類の人種と心得る。
 他者の歴史的活躍に感動可能な魂を内在出来ているならば、きっと自分も少しはそれにあやかろうとの意志が内面にあるはずなのだ。

 庶民にとってその“あやかり対象”が、まさか“世界チャンピオン”でなくていいだろう。
 年齢にかかわらず何らかの自分の目指す方向が特定できたならば、その方向に向かって夢を描き精進できるはずなのだ。

 参考のため、朝日新聞相談者と同じく思春期時代には周囲へある意味(協調性に欠ける、集団行動が嫌い等々)での劣等感を抱いていた私が、その後目指したのは「科学・学問」だった。 (今となっては、この“天邪鬼気質”こそが自己活性化のエネルギー源であり、武器であり長所と捉えている。)
 ついでに参考だが、私の場合自分が持って生まれている体型的条件には“周囲より絶対的に恵まれてる!”との優越感を若い時代に認識出来たのも私の勝負所であった。 それを現在に至っても大いに活用して生き延びていると表現可能だ。 

 
 最後に、原左都子の私論でまとめよう。

 他者に対する“嫉妬心”など、若き時代に捨て去ろうではないか。
 それを捨て去れる一番の条件とは、自分の“強み”“長所”を見直せる自己分析力であろうと私は結論付けたい。

 他者に対して「妬み・そねみ」を抱き続け、それにより自分自身に「劣等感」を植え付けてしまう人物とは、自己分析が未だ叶っていない人種と私は結論付ける。

 庶民である億千万の誰だって、“世界の一番”を目指すには程遠い存在だ。
 ただ、それを目指して夢を叶えている若者がこの国に存在している事実のみで、私は大いに活性化され夢を描かせてもらえる思いだ。

 とにかく何歳になれども自分自身の夢を叶えるべく矛先の将来を見つめ、自分なりの目標を設定し精進し続ける事で劣等感など払拭されると私は信じ、日々行動しているつもりである。

下っ端同士で歪み合うより組織体制自体を見直そう

2014年09月04日 | 時事論評
 昨日3日、「第2次安倍改造内閣」が発足した。
 安倍首相は3日夜の記者会見に於いて、「引き続き経済最優先でデフレからの脱却を目指し、成長戦略の実行に全力を尽くす。 私たちの改革はまだ道半ば…」等々と述べた様子だ。

 その意思表明の割には、経済産業大臣に小渕優子氏の登用だ。 この女性が元首相である小渕恵三氏の娘さんである事は皆さんもご存知であろうが、(原左都子が少し調査したところ)経済産業に関するバックグラウンドが何ら無いと言ってよさそうである。 (余談だが身長のみは168㎝と高く、上から下を見下すにはもってつけかもしれないが…)
 要するに世襲二世との“知名度”のみでの抜擢と、国民から勘繰られてもやむを得ないのではなかろうか。

 安保相を固辞した石破茂氏には「地方創生相」なる椅子を用意した安倍首相であり、それを受諾した石破氏である。 何をする省庁なのか得体がしれないものの、自民党内外で人気が高い石破氏を、安倍氏が死守しておいた方が得策との策略が見え見えだ。

 幹事長に総理経験者の谷垣氏。 この人事も、要するに国民に対する“知名度”を優先したものと私は解釈している。

 女性5名の登用もかなり無理がありそうだ。 元経済産業副大臣の松島みどり氏以外は省庁経験が乏しく、如何なる政治力があるのか疑問だ。 (ただ前民主党政権に於いて閣僚に登用されていた蓮舫氏よりは、少しはマシな経歴を持った人物達なのかとの感想しか抱けない。

 近い将来に安倍首相が「第2次改造内閣」に失敗したならば自民党政権の今後がないのは歴然だが、はてさて今回の閣僚人事が上手く機能するのか否かを、国民は引き続き厳しい視線で見定めようではないか。


 ここで、話題を庶民レベルに移そう。

 昨日、私は大学夏季休暇中の娘と一緒に映画を観た後、イタリアンレストランにて夕食を楽しんだ。
 現在(のカジュアル系)イタリアンレストランとは世代を問わず女性に人気のようで、店内は女性客を中心として賑わっている。

 そうしたところ我々母娘が案内された席の後ろ席で、おそらく小中学校へ通っている子供を持つママ友達が繰り広げる議論を聞かされるはめと相成った。
 (私の推測によれば皆さん“専業主婦”のようだが)、有職者である母親達への怒りが収まらない様子である。  以下に、専業主婦ママ達の怒りの程を紹介しよう。
 「仕事を持ってるからPTAの雑用を免除して欲しいと(有職者の)母達は主張するけど、いつもボランティアで学校の雑用を手伝わされるのは我々専業主婦達だ。 あの人達は勤め先からお給料をもらっているが、ボランティアで学校の手伝いをしている我々には一切の報酬がない。 その辺を考えてもらって、有職者の母親達にも仕事を休んででも5回に一度は学校の雑用に参加するべきだ。」

 一旦、原左都子の私論に入ろう。

 ママ友達の“いがみ合い”現象に関し過去に幾度もエッセイを綴り公開している私にして、そんなママ達の苦悩の一部に昨夜レストランで今一度出会った気がする。
 ここで私事を述べるならば、原左都子自身が娘の義務教育時代に学校のPTA活動を一貫して避けて来たのは、“ママ友達との接触が鬱陶しい”それが主たる理由だ。 (特に、この種の“世間知らず専業主婦ママ達”こそ、私にとって実に鬱陶しい存在だったのが正直なところだ!)
 
 えっ? 世間ママ友達とは「有職ママ達は会社からお給料をもらているのに、専業主婦である我々が学校活動ボランティアをしたとて、一銭のカネにもならない」事態が一番の苦痛だったの??

 だったら、早く私にそう言ってよ! (と言いたいところだが、上記の専業主婦事例は現在少数派かもしれないと想像が付くような気もする…)
 私など、我が子が公立小学校入学直後より転校後の小学校卒業まで、公立小学校PTA活動の在り方に関して学校現場(ある時は校長宛)に意見書を提出し続けてきた立場だ。
 それはあくまでも原左都子個人の見解による行動であり、昨夜偶然イタリアンレストランで耳にした専業主婦ママ達の嘆きとは、次元を異にするであろうとは思うが…。

 それにしても、子を持つママ達にももう少し広い視野で物事を捉えて欲しい思いだ。

 学校PTAとは、そもそも法的には「任意参加団体」の位置付けにある。 その組織への保護者の参加は本来任意であるにも関わらず、恐らく学校長ですらPTAの法的位置づけを心得ていないであろう事は私も承知している。
 そうだとして、可愛い我が子を公教育現場である学校に入学させた暁には、必ず親こそが子供を守るべきなのだ。 その守り方に関しても悲しいかな、どうやら勘違いをしている親どもが多い現状かと推測する。

 周囲の様々な子供達と同じ学校へ我が子を通わせる以上その親とて多種多様であれども、皆同じ弱者の立場である事に変わりない。
 「仕事を持っている母がどうのこうの」 あるいは、「専業主婦として子供を育てているから何たらかんたら」を超越して、一人間として物事を捉えてみてはいかがか?
 そうした場合見えてくるのは、決して「母親」V.S「母親」の対立関係ではなく、 「学校」 V.S 「生徒・保護者」 との上下図式関係ではなかろうか? (公立の場合は、学校を統治している教委や自治体にまで標的対象が拡大するが)

 だからこそ、特に専業主婦のお母様方、「子供VS子供」あるいは、「母親VS母親」 なる狭い視野から今すぐ脱却する事をお勧めしたい。  貴方達が文句を垂れる相手とは、必ずや「学校」であり「教委」であり、はたまた「国政」であるはずだ!
 子供に寄り添う母親達こそが現在より少しづつ視野を拡大しながら子育てを実行した暁に、子供達の未来が繋げると信じ、原左都子は娘幼少期より苦悩・精進し続けている事をお伝えしたい。


 最後に「安倍第2次内閣」に関しての私論をまとめよう。

 過去に於いて、束の間の民主党政権より政権を脱却した安倍内閣発足時、私が一番注目したのは「アベノミクス経済政策」に他ならない。
 ところが昨日、安倍氏はその失敗を認めるがごとく、今更ながら再度“デフレからの脱却”を一番の趣旨として第二次内閣を発足した。

 さてさて、安倍内閣の今後の生命力とは如何ばかりなのか、国民の皆さん、鋭い視点でそれを見極めようではありませんか!!

高齢者の“老いぼれ方”も多種多様

2014年09月01日 | 自己実現
 (写真は、我が郷里の高齢母が制作した「重ね箱」。 上段が20箱重ね、下段が10箱重ね。 ほぼ実物大。)


 今回のエッセイは前回に引き続き、今夏郷里帰省に際し経験した事象に関して綴り公開する内容である。

 まずは、上記写真に関して補足説明をしよう。
 「重ね箱」とは私が勝手に付けた名称なのだが、その名の通り、手作りにて制作した「箱」を幾重にも重ねた芸術作品(??)である。

 郷里の母がこれを最初に制作したのは、遠い昔の若き時代の事だったそうだ。 
 元々手先が器用で手芸が趣味の一つでもある母は、地方公務員の定年退職が間近に差し掛かった現役終盤頃より、自分が選んだ師匠の下で本格的に手芸に取り組み始めた。  セーターやカーディガン等の編み物等から室内装飾品や小物に至るまで、ありとあらゆる手作り作品制作に取り組んでは我が家にも作品の一部を宅配してくれたりもした。
 ただ時の流れと共に後期高齢域に達した頃から“目の疲れ”“腰の痛み”等々の体内不調により、手芸に没頭する事が苦痛になり始めた様子だ。 その後は師匠の下を去り、自分自身で無理なく作れる小物制作に励んでいるらしい。

 そんな折、若き時代に作った「重ね箱」を思い出したそうだ。
 本人曰く“ボケ防止”に打ってつけ!と考え自主的にその制作に励んだところ、上記のような完成品が仕上がったとの事だ。

 「重ね箱」作成手順を、母の説明により以下に記そう。
 まずは新聞広告等不要な紙を、大きさ1㎜(2㎜だったかもしれない?)違いに正方形に計測して、自分が作りたい箱数の紙をはさみで切る。  その後、切った紙を箱型に折る。(申し訳ないのが、その折り方を母から聞いていない。) ただ私の感覚としては昔「籠」を折り紙で作ったように制作すれば同様かと考察するのだが。
 母曰く、切る作業、箱型に折る作業、いずれも緻密に正確に取り組まねば、決して「重ね箱」完成に至らないとの事だ。 母宅に訪れる親戚の子供達の中に「どうしてもこれを作りたい!」なる訴えをする子がいるらしいのだが、未だかつて制作に成功した子供はいないとのことだ。

 冒頭より、我が実母が高齢者にして“しっかりしている”部分を「重ね箱」制作を一例として取り上げた。


 今回のエッセイ本題である、高齢者の“老いぼれ方”とは多種多様である事を実感させられる事実を以下に記そう。

 私は実母と同年代の義母の保証人としても、現在活躍せざるを得ない立場にある。
 義母の保証人代行一番の実質的責任を負っている私に対し、義母も「自分こそがしっかりしている」事実の訴えと実行に躍起である。

 確かに現在民間有料介護施設に入居中の義母が、昔から実業家として実に“しっかり”しているのは私も婚姻直後より認めている。
 義母の“しっかり度合い”は以前より素晴らしいのだが、 さすが元実業者としての営業力のなごりなのか、ケアマンション内の職員は元より入居者を含めた周囲の人々に“配慮心”を欠かすことなく施設を渡っておられる様子だ。
 ところがこの海千山千実業家だった義母とて、施設内で疎まれている立場のようだ。
 ケアマネジャー氏曰く、「配慮され過ぎてもケアがしにくいし、施設内の皆との整合性が取れない。自然体で過ごしてくれるのか一番なのだが…」 その指摘が十分理解出来る私だ。 
 義母の出過ぎた配慮心とは、もしかしたら“自分こそが施設内皆の上位に位置している”との意識の裏返しであり、周囲からもその感覚を抱かれる危険性があると、(同じく周囲への客観力があり過ぎる)私も理解可能である。


 我が郷里の実母に話を戻そう。
 
 実母の話によれば、「私は自分の能力を客観視して頑張っているのだから、どれだけ自治体から老人福祉施設への訪問を願われたとて一切そんな施設で過ごすつもりはない。 あんな所へ通っても、年寄りを馬鹿にしたようなプログラムを強制されるだけでつまらない。」 「私は車の運転も出来るし、今後も命ある限りこの家で一人で生きていきたい!」
 そんな実母の“かたくな”さに娘である私自身の生き様がダブりつつ、 一応それを尊重する事にして郷里を去った私だ。


 その後東京の我が家に帰りついたとたん、有料高齢者介護施設に住む義母より電話があった。

 「〇子さん(私の事)の留守中に、とんでもない事態が発生しているのよ!」 「今日は〇子さんも郷里から帰ったばかりで疲れているでしょうから、明日以降に対応をお願いします。」

 ご両人共々プライドの高さを失わず年齢を重ねている事は承知の上だし結構なことだが、そんなこんなで我が身近に抱える“老いぼれ”高齢者対応は今後に至って続く課題である…