原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

リクルートスーツの「過ち」と「憂鬱」

2014年09月18日 | 時事論評
 学校嫌い・集団嫌いで“誉れ高い”原左都子が、「リクルートスーツ」なるものの存在を好意的に捉えている訳もない。


 私自身が就職して社会に旅立った40年近く前の時代には、「リクルートスーツ」なる用語は元より、それらしき“皆お揃い”のスーツを着用せねばならない(義務とも表現可能な)慣習すらなかったように記憶している。

 私の場合新卒での就職先が「医学国家試験取得専門職分野」と特殊だった事も大きな理由であろうが、そもそも私は「就職活動」なるもの自体を一切経験していない。  3月卒業前の秋口に自分自身で就職先候補を選択(私の場合は一大学附属病院と一民間企業を候補として選択)し、当該事業主体が実施する新卒対象入社試験日に試験会場へ直接出向いたものだ。
 その際に何を着て行ったかの記憶すらないのだが、少なくともそのためにスーツを仕立てたり購入した記憶は全くない。 おそらく普段着ている洋服の中で“無難そうな”色合いの洋服を選んで試験に臨んだものと振り返る。 (あくまで参考だが、私が結果として就職先に決定したのは、後者の民間医学関係企業である。)

 その後大幅に時代が経過して、今からほぼ10年程前の我が50歳前程の頃であろうか。
 私は再び「医学関連職歴」を活かそうと志し、某民間医学方面人材派遣会社に履歴書と職務経歴書を送った。 書類審査の結果、派遣社員選抜試験に臨んで欲しいとの電話が担当者氏よりかかって来た。
 その際担当者氏が50歳近い私に向かって伝達事項の最後に発したのが、「当日はリクルートスーツでお越し下さい。」なる一言である。
 (私の感覚から言わせてもらうと、若造担当者氏の“非常識ぶり”に仰天させられると同時に)すぐさま反論した。
 「私はリクルートスーツなる物を所持していませんし、今回私が貴社に派遣先として要望している職種とは、決してスーツを着て執り行う業務ではなく程遠い分野と認識しています。  それにもかかわらず何故、私にリクルートスーツを着用しての採用試験を要求するのかに関する具体的説明をお願いします。」
 そうしたところ返って来た回答とは、「失礼申し上げました。 リクルートスーツでなくても構いませんが、当日は若い世代の方々が大勢試験会場に来場しておりますので、それに準拠する格好での来場をお待ち申し上げております。」   参考のためその後の成り行きを話すと、各種筆記による試験後、電話をかけてきた若造担当者が私の面談を担当してくれ、若者達とは別枠で私の話を時間をかけて十分に聞いてくれたのが印象的である。  それもそのはず、私の過去に於ける医学経験が半端でないのに加えて、私は直前まで独立行政法人「理化学研究所」でアルバイトをしていたのだ。 (民間派遣会社とは、この種の経歴に滅法弱いのが弱点だよね……)


 ここで話題を、大学3年生後期を迎えようとしている我が娘に移行しよう。

 娘曰く、「そろそろ自分の大学でも後期授業が始まった後に、大学のサービスで“リクルートスーツ”着用の上での就職用写真を撮影してくれるようだよ。」
 う~~~ん。
 集団迎合を忌み嫌う母の下に育っている我が娘にも、いよいよ「リクルートスーツ」なる(学校の制服に準ずる集団服)を強制される時が忌まわしいまでも到来してしまったか…

 そうだとして、今の時代に迎合してでも我が娘の就職を成就してやらねばならない親の責任の程も実感させられる。 
 で、その親の責任とは何なのか? 世間に迎合して我が娘に「通り一遍のリクルートスーツ」を着せる事が親の責任であるはずがないのだ!!

 そこで原左都子は考えた。
 少なくとも、我が娘には“娘に似合うリクルート風スーツ”を是非共着せて就職活動に臨ませたいと!
 そうした場合、「リクルート風スーツ」とて多種多様であろう事から私も学習せねばなるまい。 そうと意気込んだ私は、早速娘の体型と雰囲気に合う「リクルート風スーツ」を各メディアより情報収集する事から始めた。 
 そうしたところ、ウエストが57㎝と特異的に細く全体にスリム体型である我が娘に似合いそうな「リクルート風スーツ」が世に存在する事も心得た!

 これこそ、あくまでも新卒学生に「リクルートスーツで就職活動や就職試験に臨め!」と指示・命令する雇用側事業所に対する原左都子のせめてもの反撃である。

 あなた方は、新卒者である若い世代から「何故リクルートスーツで就職試験に臨まねばならないか?!」との質問に、適切な答えが返せるのか!?  
 その自信が一切無くて、まさか「これが日本企業の採用常識だ」とか「我々も皆その常識に従って行動してきている」等々、答えにならない答を新卒者に返しつつ、それに従順に従う主体性無き若者のみを採用している現実と言えないだろうか?!?
 いつ経営破綻するかもしれない企業内で採用者側こそがいつまで自分の身がこの企業で持ちこたえられるのかと怯えているからこその、現在の新卒者採用実態ではないのか!??


 そんな軟弱企業存続を容認して来た国政にこそ、一番の責任の所在があるとしても……

 政治経済困窮時代に際して、新入社員の就職活動及び就職試験に於いて20歳を超える大人に対し、小中高校の制服のごとく「リクルートスーツ」着用を義務として就職を希望する皆に新調させている事態こそを、軟弱体質企業・事業所は率先して廃止してはどうなのか!??

 20歳を過ぎた(既に成人に達している)若者相手に「リクルートスーツ」着用義務を煽り続け、国政さえもが旧態依然として(と言うよりも旧時代に逆戻りしようと企んでいるようだが)日本国民の個性を潰し続けて、この国の将来発展・存続が可能とは到底思えない私だ……

何歳が「高齢者」なのかは自分自身が決める事

2014年09月15日 | 時事論評
 本日は「敬老の日」である。

 9月は連休が多い事は認識していたが、それに気付かされたのは我が集合住宅玄関口の掲示板に、町内会よりの 「敬老の日集会へのお誘い」 なる掲示を見た事による。
 その記述によれば、「9月15日は敬老の日です。今年60歳を迎えた人も加えてそれより高齢の方々は誰でも参加できる集会を実施しますので、ふるってご参加下さい。」

 ゲゲ!! この文書に従うならば、来年還暦を迎える原左都子も来年の「敬老の日集会」出席対象者なのか??

 そんなはずはないことは皆さん既にご承知であろう。 それにしても、今時還暦にして自分は高齢者だと自覚している人物など皆無と信じたいが…


 ただ一昔前(我が親の世代以前の時代)には、まだまだ「還暦」こそが高齢者の仲間入りとの感覚を皆が抱かされるノスタルジーの時代だった事であろう。

 例えば我が郷里に一人暮らしの実母がその典型例である。
 我が母が地方公務員の身にして定年退職した1990年代当初とは、高齢者皆がホクホクと多額の年金を享受できた時代だ。  それでも、どういう訳か娘の私に対し「老後はよろしくお願いしたい」なる決まり文句を発し続ける母には辟易とさせられたものだ。 
 未だ60代にしてそんな気弱な母に対し、当時より我が国の政治経済が厳しい方向に向かっている事を認識していた私は、(子育て中の若い世代にそんな余裕などある訳ないだろ!)なる大いなる抵抗感を持ち続けている。

 当時の時代背景とはバブル経済終焉期に差し掛かり、バブル熱から覚めた一般市民の暮らしが打撃を受け始めた頃である。 戦後長く続いた自民党政権が過渡期に差し掛かった頃でもあり、やっとこさ「高齢者年金制度」に関して見直しが行われ始めた頃と認識している。
 過去に於いてとてつもない過ちを犯し続けた「国家の年金制度」が見直されると同時に、その後高齢域に至る国民の年金とは減額、減額の一途だ…


 話題を変えよう。

 本日昼間たまたま民放テレビを見ていると、40代男性タレントが78歳テレビ視聴者女性に電話にて相談をする場面に出くわした。
 タレント男性曰く、「肩が痛くて背中で両腕が繋がらなくなってしまったが、どうすればいいのか?」
 それに応えて78歳視聴者女性曰く、「現在40代ならば後40~50年はこの世に生きるであろう。 私自身の40台を振り返ると仕事をしていた事もあり、体が痛いなる感覚すらなかった。 今現在も特に身体に痛い箇所は無く元気に生きている。 酒を楽しむとか適当な運動でもすれば改善するのではなかろうか。」
 その後、タレント男性が如何に返答したのかの記憶がないのだが、恐らく78歳女性の回答の程が素晴らしいとして終結したと思う。

 ここで原左都子の私事に入るが、上記タレント40代男性(中学生を筆頭に子供を5名抱えているとの事だが)の体内不具合の程が理解できるのだ。
 私とて40代の頃は我が子のサリバン先生としての使命に燃えている時期であり、それはそれは過酷な日々だった。 我が体内のあちこちが痛むにも関わらず、そんな弱音を吐いている時間さえなかったものだ。
 それに比し旧世代に於いて一般的だった「年功序列制度」の恩恵を受け、定年退職後順調に老後を迎えている高齢者達とは、おそらく現在“世のしがらみ”から解放され、恵まれた年金制度の下に比較的豊かな老後を渡っておられる事であろう。


 「高齢者を敬おう」なる過去の美辞麗句が、必然的に消え去ろうとしている我が国の実態だ。
 
 高齢者達こそが、今後世の中に生きて行かねばならない若者世代にカネを回せ!との指導すら国政が実行している事も私はわきまえている。
 その一端が「孫への教育費 1,500万円 までは非課税制度」 だ。
 それを幾度となく我が郷里の母相手に“暗にそれとなく”伝えている私であるが、実母から返って来る回答とは、「自分が病気になった時に入院費用等医療費が掛かるから、私の年金全てを自分のために温存しておきたい。」そればかりだ。 (母が年齢を重ねる毎にその思いが募っている現実に直面させられ続けている…)
 
 母からのこの回答によりいつも再び我が目を覚まさせられるのが、高齢者医療の歪んだ現実である。 
 「検査漬け・薬漬け」、その誤りを元医学関係者である私から幾度唱えたとて、母の回答とは「主治医先生に任せたい(言いなりになる)」こればかりの現状だ…
 正直なところ、古い時代を生き抜いて来て旧態依然とした価値観で凝り固まっている我が母の実態が、手に負えないといったところであろうか。


 最後に原左都子の私論に入ろう。

 私も後20数年経過してバリバリ高齢者域に入った時点で、我が母のごとく自分の娘に対して「高齢者は医療費が掛かるから、貴方には一切の遺産を残せない」とのたまっているのであろうか??

 何だかそうではない気がするのが我が今後に於ける明るい未来でもある。  一理由として私の場合、そもそも予防医学の観点から医療には極力依存しない人生を貫いているのに並行して、今後いつ自分自身を高齢者と自覚するかの展望が全くない事が挙げられる。

 加えて、私には我が娘に微々たる金額であれ遺産を残してやりたい思いがあるのだ。 そのためにも、政治経済共に厳しいこの時代に於いて尚、今後共に自分自身が現役の立場で切磋琢磨し続ける所存だ! 

「タメ口」の正しい使い方

2014年09月13日 | 人間関係
 少し古くなるが、8月上旬頃の朝日新聞「声」欄に、医療現場に於ける看護師氏が発する患者に対する“タメ口”に関する男性看護師氏よりの否定投稿があった。

 現在朝日新聞「声」欄は無断転載を一切禁止しているため、あくまでも原左都子の記憶のみに頼り上記投稿内容を紹介しよう。

 企業経験がある私(投書者)だが、医療の仕事を志し看護師資格を取得した後に現在医療機関にて看護師をしている。  その医療現場で大いに気になるのが、患者さん達に対して発せられる(特に女性)看護師氏達の“タメ口”である。
 民間企業(特にサービス業分野)に於いては、まさか顧客の皆様に対して“タメ口”などあり得るはずがないし、あってはならない現象だ。  もしかしたら、医療現場では患者さん達とのコミュニケーション目的で医療者側があえて“タメ口”を使用しているのかもしれない。 ただそれが単なる強者と弱者との上下関係を暗に意識して発せられる言葉だとすれば、とんでもない過ちである。
 (以上、朝日新聞「声」欄投稿より我が記憶に頼り引用。 原左都子の主観が大いに入っている事をお詫びするが。)
 

 ここで私事に入るが、我が義理の母が民間経営有料高齢者介護施設に入居して以降、2年余りが経過した。
 その保証人の立場として義務であるケアマネジャー氏との面談や、義母の不動産貸付業代行等経過報告のため、1~2ヶ月に一度程のペースで定期的に介護施設の義母の元を訪ねている。

 その際にいつも気付くのだが、義母が入居している介護施設は顧客である高齢入居者及び保証人含め家族等訪問者に対する“対応マナー”の程が徹底しているのだ。 館内の何処の場で様々な立場の職員氏達に出会おうと、必ずや笑顔でご挨拶頂ける。 
 義母本人の口からもいつも発せられるのは、「こちらの施設の職員さん達の対応が素晴らしく、私は居心地がよくて有り難い」との感謝の言葉だ。  ごく稀に(上記朝日新聞「声」欄のごとく)義母に“タメ口”で接する職員に出会う事も無きにしもあらずなのだが、次回訪れると当該“タメ口”職員が既に退職している現実に何度も直面している。
 要するに、この有料介護施設の経営ポリシーである“顧客に対する対応マナーの徹底”に違反する気質を抱えている職員達とは、自然淘汰されてしまうのであろう。
 被雇用者側の職員氏達にとっては、それ程までに厳しい経営ポリシーを貫いている企業の下での日々の勤務は、さぞかし辛く厳しい現実であろう。 ただ顧客側から考察した場合、私はこの企業の姿勢・体質を高く評価申し上げると同時に、民間企業の経営姿勢とはあくまでも“顧客の立場”から評価した結果こそが意味をなすとも捉えている。


 再び、別件の私事を記そう。

 私も冒頭の朝日新聞「声」欄投稿者と同じく民間企業勤務後職種を大幅に変え、公立高校教員を経験している身だ。  それ故に、投稿者が記述している「民間企業(特にサービス業分野)に於いては、まさか顧客の皆様に対して“タメ口”などあり得るはずがないし、あってはならない現象だ。」との記述部分に大いに賛同する。 
 現在に至っては、(医療及び介護現場を除外すると)まさか販売等サービスを主たる業務として成り立っている民間企業に於いて、職員から顧客への“タメ口”は既に排除されているものと(希望的観測を伴うが)私は信じている。 

 ところが、その例外が(好意的に)許される場面を原左都子自身が現在経験している。
 その現場とは、東証一部上場民間企業が経営している個室美容室内に於いてである。  私がその大手企業の美容師氏(女性)と初めて出会ったのは数年前の事だった。 その当時よりお互いに“ツーカー感”があったと私側は認識している。 大手企業に於いては転勤がつきものであるが、その美容師氏は一旦転勤後、どういう訳か私が通っている支店に戻って来たのだ。
 こうなれば顧客の立場である私にとって、まさに「旧友」にでも再会した気分だ!  その再会を大いに喜んだ私の口から自然と発したのが、彼女に対する“タメ口”である。 それに応えてくれた美容師氏でもある。
 ただやはり顧客との関係に於いて、“タメ口”を発する事を企業職員である彼女の方が戸惑っている様子だ。 その後は、お互いに“タメ口”と“営業上の丁寧トーク”を交えつつの不思議な関係を続行している。 


 またまた私事だが、私が過去に嫌悪感を抱いた“タメ口”トーク場面を以下に記そう。

 恐らく「原左都子エッセイ集」読者の皆さんは同じ思いと推察するが、面識が一切無い相手に初めて対面する場合、お互いに“タメ口”を避けるのが鉄則と私は考えているのだが、どうだろうか?

 ところが、我が子を幼稚園に入園させた時、及び公立小学校に入学させた時点で、母親連中から突然この“タメ口”で接して来られた時に、私は本気で仰天したものだ。
 ところが当時の公立小学校教員の話によれば、「母親同士で丁寧語を使いたがる親がいるようだが、親子共々仲良くするには母親同士とて“タメ口”が一番」なる説諭をする教員が実際存在する事態に、心底驚かされたのが正直なところだ。
 その思想の根底には「庶民とは皆同じだよ」との感覚が見て取れる事は私も認識済みだし、一部同感可能でもある。
 一方で子供を産んだ親とて、各自の生活環境・実態に応じ自由な生活を営んで許されるはずなのだ。 おそらく公立学校教員の思想の背景には、子供が歩む背景にいる母親も今一度同じ視点に立て、との思いが内在していたのであろう。 (それに関しても、私は十二分に我が子のサリバン先生として大いに苦悩しつつ今尚人生を歩み続けているのだが、それと母親連中との会話に於いて“タメ口”を避けたい意向とは別問題であろうに…)


 話題がズレたようだが、最後に表題に掲げた「タメ口」の正しい使い方に関しての私論をまとめよう。

 「タメ口」こそが人間関係今後未来の進展の一つの突破口となる事を、私自身が十分に認識・実行している。
 だからこそ、「タメ口」とは“この人と本当に親しくなりたい!”なる、その場面でのみ発しようではないか! 

 その他のシチュエーションに於いては、公私を問わずひとまず丁寧語で相手に接した方がおそらく無難ではなかろうかとアドバイスしたいのが、原左都子の結論である。

公教育過程小中学生への「ランニング指導」の提案

2014年09月11日 | 教育・学校
 本日のエッセイは、前回公開 「5km走れたなら地球上で敵無き境地にまで至れる!」 の続編の形となろうか。

 冒頭より表題と関連がある話題に切り替えるが、我がエッセイ集5年程前の2009年7月14日バックナンバーに於いて、「プールの季節の憂鬱」なるエッセイを公開している。
 以下に、その一部を要約して紹介しよう。

 ところで、我が子は6年間(幼稚園も含めると9年間)にも及ぶ公教育におけるプール指導の甲斐もなく、結局泳げずじまいである。
 日本全国津々浦々の小学校において6月から9月上旬までの約3ヶ月間、6年間もの長きに渡り、毎年毎年“プール指導”を教育行政の一環として全国の全児童に課すのであれば、教える側こそが全員を“泳げる”ように指導できる体制作りにも同時に着手したらどうなのかと、一保護者としては言いたくもなる。   我が子の場合ある事情を抱えていることもあり、特に小さい頃は何事にも習得に時間がかかる子だった。 たとえそうだとしても、6年間を通して誰一人として我が子に“泳ぎ”の指導が出来ないとは、公教育においては一体全体如何なる指導が行われているのか不信感のみを抱かされたものだ。    泳ぐ趣味など一切ない親子であり家庭環境であるため、別に一生泳げなくとも何ら差し支えはないのだが、学校現場が“正規の課題”としてプール指導を取り入れているのであれば、せめて全児童に5mでも泳げるように指導した上で卒業させるのが公教育の責任というものではないのか??
 しかも親として何より心が痛んだのは、泳げない児童を邪険に扱う教員が存在したことである。 その教員は泳げない児童を捉まえて「何でお前らは泳げないのか!」と叱り、全員をプールに“ぶち込んで”「泳げ!」とのみ言い放ち、後は泳げる児童をより速く泳がせる指導に没頭していたらしいのだ。 6月梅雨寒の頃にはプール内で寒さに震えつつ、立っているしか方策が打てない我が子に「せめてプールの中で“ウォーキング”でもして体を温めていなさい!」と助言するしか、母の私に力がないことも辛かった…  そんな母である私の助言に従い我が子が体を温めるべくプール内でウォーキングを始めたところ、すぐさまその教員から叱咤の罵声が飛んだのだという。    「歩いてないで、泳げ!!」 
 そもそも何故に“プール指導”などという、私に言わせてもらうと“至って特殊”な体育の一分野の種目を教育行政は全国の小学校において全員強制の課題としたのであろうか。  一説には、五輪等国際競技における「競泳」で活躍する“スーパースター”を作り上げることにより国力の活性化に繋げるため、との見解もあるようだ。   他方、水難事故等に備えて子どもの頃から“泳力”を育成することは有効だとの見解もあろう。
 私論は上記2説共に、その根拠は「乏しい」と捉えている。  確かに近年、オリンピック等国際舞台での「競泳」競技における日本選手の躍進には目覚ましいものがあろう。  片や“水難事故”説に関しては、これは教育行政が全国の全児童強制課題として取り上げるには、人間の一生において水難事故に遭う確率が微細過ぎると捉える。 加えて、水難事故に遭って“九死に一生を得る”人物とは、必ずしも泳ぎに秀でているだけの要素ではない現状は報道で伝え聞く通りでもある。
 最後に私論だが、極論かもしれないが、どうも“政府とゼネコンとの癒着が怪しい”と私は以前より捉えているのだ。  全国津々浦々の全小学校にプールを設置することにより、誰と誰が私腹を肥やしているかは、皆さんも少し考えれば一目瞭然の話であろう。  だがそれ以前の問題として、教育行政が公教育において「プール指導」を義務化している以上、その現場の学校でどのような指導が行われているか等のフォローは欠かせないはずだ。  過去に於いて教員の管理不行き届き等の理由で毎年少なからずの児童の死者さえ出している公教育における「プール指導」を、一部の子どもが単純に水遊びを喜ぶからとの理由で、教育行政は今後もこのまま続行する思惑なのだろうか?!?
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより義務教育に於けるプール指導強制実態に関する反論エッセイを要約引用。)


 いつもながら我がエッセイ集バックナンバーよりの引用が長引き恐縮だが、実は今夏に入った頃、公教育過程に於ける「プール指導」が過渡期を迎えているとの報道を目にしたのだ。
 これぞ、元々公教育現場に於けるプール指導に疑義を抱き続けている原左都子にとっては“吉報!である。

 以下にそのニュース報道内容を、原左都子がかいつまんで紹介しよう。
 「一校一プール」が原則だった公立学校の制度を見直し、水泳指導をスイミングクラブに委託したり、数校で拠点プールを設けたりする自治体が相次いでいる。 各校で老朽化するプールの改修費用が賄えないためだ。
 ただし、この施策にも大きな問題が内在している。 その最大の課題とは、事故対応面で誰が責任を取るかということであろう。
 国立鳴門教育大学教授氏は、次のように語っておられる。  水泳教育は1960年代から本格化したが、その議論が中途半端なままに学校現場でプール建設が進んだ。 もし今後教員免許のない民間人のみに学校水泳指導を任せる場合、法的課題がある。 民間委託を進めるならば、学習指導要領に沿った指導が保障されれよう国がきちんと基準を定めるべきだ。


 公教育に於ける「プール指導」に関する引用が長引いたが、ここで表題のテーマに戻そう。

 あくまでもランニング趣味がある原左都子の提案に過ぎないのだが、今後は事故の危険性が高い「プール水泳指導」を一切廃止して、公教育現場で「ランニング指導」を必修科目として取り入れては如何か。

 そのメリットの程を以下に列挙しよう。
 まずは、国政や自治体とゼネコンの癒着により巨額のカネがかかる「プール建設」及びそのメンテナンスを回避出来ることが一目瞭然のメリットである。  ランニング指導の場合、正規の体育の授業内で校庭にて児童を走らせるのみで、子供の心身機能発達との目標が十分叶えられる事が明白であろう。  しかも、校庭(運動場)とは児童皆が日々利用する場であるし、そのメンテナンスも既に日々学校現場に於いて実施されている事と推測する。

 もっと有意義なメリットとは、「プール指導」による水難事故を防げる事だ。 毎年毎年、公教育が実施する「プール指導」により学校現場で幼き命を犠牲にし続けている事態に対する反省もなく、何故いつまでも公立小学校では「プール指導」を全児童に強制し続けるのか??
  

 そして、最後に公教育現場に於ける「ランニング指導」の最大のメリットを紹介しよう。

 (ただ、その指導を教員の立場から強行し過ぎる等の過ちを犯したならば、「プール指導」と同じく最悪の場合、児童の死者を出すとの惨事に至る恐れがある事を今一度念を押しておこう。

 原左都子が描く理想的な「公教育に於けるランニング指導」とは、ともかくマイペースで“楽しく♪”児童を走らせる事に尽きる。 ランニングによる医学的効果を児童の年齢に応じ理解可能なレベルで指導し得たならば、それで必要十分であろう。 (例えば児童間で着順を競わせる等)教員からの専門力無き下手な指導など、児童には負荷になり危険を倍増させる結果となるだけかもしれない。

 極論を言えば「ランニング」に指導者など不要だ。 自分自身が走りたい意欲を身に付けるべく促せたならば、それだけで個々のランニング志向が高まり、生涯に渡りランニング趣味を継続できるものと信じる。

5km走れたなら地球上で敵無き境地にまで至れる!

2014年09月09日 | 自己実現
 原左都子にはランニング趣味があることを、本エッセイ集に於いて幾度か公開している。

 ところが4月中旬頃自宅ベランダにて転び、不覚にも左鎖骨と右手首の骨折により全治2ヶ月の重傷を負った後、しばらくはランニング趣味を封印せざるを得なかった。


 両腕骨折後、初めてランニング練習を再開した時に綴り公開した 2014.6.11「骨折後初ランニング練習5㎞完走しました!」とのエッセイの一部を以下に要約して紹介しよう。

 左鎖骨と右手首を骨折し“全治2ヶ月”の医師診断後、明日6月12日でちょうど2ヶ月目を迎える。   将来五輪に出場する訳もなく、たかが一ド素人ランナー(しかも高齢者域)の立場で何も練習再開をそんなに焦らずとも、ゆっくりと骨折の回復を待てばいいというのが大方のアドバイスであろう。 
 ところが一度骨折してみると誰しもお分かり頂けるだろうが、そんな呑気な気分には到底なれないものなのだ。    今日は回復しているだろうかと希望を持って朝起き上がろうとしても、(私の場合右左両腕に2箇所の骨折との最悪条件だったかもしれないが)、起き上がる動作すら簡単には叶わない。 やっとこさ起き上がっても、これまた来る日も来る日も両腕が自由に使えない。
 この状態とは、まるで牢獄にでも入れられている気分だ。 あるいは、独裁政権や歪んだ宗教統制の下に不自由を強いられている市民の感覚と同様だ。  はたまた、老人施設に入居した要介護のお年寄りがケアスタッフの言いなりになり、最悪の場合爪でも剥がれるのかとの恐怖心すら苛まれる。
 「骨折」との過酷な現実を一日も早く脱出しない事には、私はその歪んだ統制下で“不自由を強いられる”事に慣れてしまい、そのうち健全な人格を取り戻そうとの精神力すら失ってしまうであろう…   冗談抜きでそんな恐怖心にすら苛まれていた。  そんな恐怖心の下、我が身に課せられた“踏んだり蹴ったり”の課題すべてを“骨折の身で”一応順調に進めつつ、それでも私は自分自身がやりたい事こそを実践したい思いに駆られていた。
 そして、ついにその一つを成し遂げたのだ!  それは「5㎞ランニング練習」である。 ランニング中とは、上記に示したような“我が身にまつわる(心理内)無理難題”をすべて払拭してくれそうな効用が期待できる故だ。  昨日の5㎞ランニング練習は、正直なところ過去最悪タイムを記録したに過ぎない。
 それでも私自身としては、やっと自分自身の「骨折負傷」より一歩踏み出せた思いである。
 (以上「原左都子エッセイ集」より4月骨折後初めてランニング練習に挑んだ時の思いを公開したもの。)


 その後両腕完治とまでは言えない(今現在尚、右腕関節や左鎖骨周辺に違和感を抱えている)までも、私はジム通いを再開し併設されている室内走路にてランニング練習を再開できるまでに復活した。

 ところが、不幸とは重なるものだ。
 私がジム通いを再開した直後、不運な事にはたまた自宅にて椅子に右足をぶつけ、右足小指を骨折してしまったのだ
 ただ、私はこの事態の公開を一切避け続けるとの手段を採った。 
 と言うのも、周囲から返されるリアクションの程が十分に想像可能であるからに他ならない。 例えば、親に言っても「だから、注意しろとアドバイスしたのに。」なる陳腐な回答が返ってくることぐらい分かり切っている。 そんなアドバイスを受けたとて、自分の生活習慣など変えられるはずがないのだ。 他者よりの専門力無き身勝手な忠告など、一切お断りしたいのが私の信条だ!

 元々医学経験がある私は、1ヶ月が経過すれば足の小指の骨折が完治に向かう事と骨折当初より結論付けた。 下手に整形外科を頼ると、度重なるX線撮影に加えてギブス装着後「一切安静にして下さい」なるアドバイスが医師より下るのが医療現場の常識だ。 そんな不自由を強いられては身が持たないのが、現世を生き抜かねばならない現役世代の宿命であろう。
 私とてまだまだ現役世代と心得ている。 それ故に医療現場には一切頼らず、右足小指骨折部分が触れないサンダルを履いて果敢にも我が郷里に旅に出たりもした。


 そしていよいよ足小指骨折からほぼ1ヶ月が経過し、小指が快方に向かったとの自己診断後、ランニングン趣味の再々開と相成ったのが、昨日の5kmランニング練習だったのだ。

 昨日の東京地方の天候が風の無い涼しい気温に恵まれた事が幸いしたのだが、私は久しぶりにランニング5km練習を完走出来た!
 
 これぞ爽快だったとしか表現しようがない程だ。
 公園内を(デング熱蚊を警戒しつつも)5km走り切れた私である!
 右足指の骨折に関しては、ランニングシューズを履いて公園まで歩いていく道筋よりも、実際に公園内陸上競技場外周をランニングする方が痛みが弱かったとの印象だ。

 それにしても、ランニング趣味とは実に素晴らしい事を再確認させられる思いだ。
  
 還暦近くにして骨折経験を幾度も積んだ原左都子など、今再び5kmを走ってみようかとの思いが描け、それを実行出来る自らの体力と気力を実感可能なランニング趣味を持てた事に感謝感激である。

 まさに地球の上を5km走れる人間とは世に敵無き境地にまで至れそうな感覚を私は抱きつつ、今後共ヘボいながらもランニングを一趣味としてこの世を生き抜いていく事であろう。