原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

家計節約の手始めに私は“虚礼”を廃止したい

2014年11月15日 | お金
 朝日新聞11月1日別刷「be」“ランキング”のテーマは、「家計で減らしたい支出」だった。

 読者へのアンケートによるその結果の程が、原左都子にとっては実に意外な内容だった。
 以下に、そのランキング結果のみを引用して紹介しよう。

   1位  電気代     2位  携帯・スマホ代     3位  ガス代
   4位  水道代     5位  外食代         6位  ガソリン代
   7位  診療・治療代   8位  ネット通信代     8位  生命保険料
  10位  住宅ローンの返済代金
          (中をとばして)
  17位  酒代     18位  灯油代     19位  家賃    20位  薬代
 (以上、朝日新聞記事より一部を引用したもの)


 早速、原左都子の私事及び私論に入ろう。

 このアンケート結果が面白いのは、国民の生活実態や国民が何を信条・主眼として日常生活を送っているのかが垣間見れる点だ。
 原左都子自身の日常生活と比較しながら、上記アンケート結果を考察する事にしよう。

 まず上位にランキングされているのが、要するに「光熱費」であるが、これなど既に我が家では節約を実施済みである。
 ところが我が家にも未だ残る問題点はある。 それは、光熱費使用に関する身内との価値観の相違だ。
 例えば「水道代」がその最たるものであるが、身内曰く「水とはそもそも生態系を循環する性質のものだ。たとえ一家庭内の水道代が多少高額になろうとて、地球のエコ観点から考察するなら環境汚染を招く電力やガスに比し取るに足りない事象に過ぎない。 我が家の家計が現状で成り立っているのならば今後共水を自分の習性で使う権利がある。」
 私が返して曰く「それは分かるが、家計節約ミクロ視野からも考察してもらったならば我が家計が得策だ!」  身内曰く「一家が抱える水道代料金など、マクロ国家財政が無駄に浪費している兆単位の財源に比すと微々たるものだ。 ○子(私の事)は今後もせせこましい事に神経を使わず、国政に物申すことにこそ尽力してはどうなのか。」
 確かに我が家の場合は、「水」以外の光熱費に関しては私が日々管理しているため、節約を実行出来ていると言えよう。

 2位に位置している「携帯・スマホ代金」に関しても、我が家は(現在20歳の娘も含めて)皆が「パソコン主動」体系を採用しているため、その支出は少額に抑えられている。
 むしろ料理嫌いの私の要望としてもっと増額したいのが、5位に位置付ける「外食費」なのだが、残念な事に身内の体調不良によりそれが叶わない…。

 6位の「ガソリン代」に関しては、身内及び私自身が今後一切車を運転する意思がない事により既に廃車措置を取っているため、その出費は皆無だ。 ただし、代替的に発生する「交通費・旅費」出費はおそらくガソリン代よりも多額と心得ている。

 7位の「生命保険料」 これは辛いなあ…
 バブル崩壊期に連動した保険会社の相次ぐ経営破綻に我が個人年金保険が引っかかってしまった…  現在解約しても大損失、保険料を支払い続けたとて98歳まで生き延びねば元が取れない有様。 今後一切保険に入る意志など全くない!

 10位の住宅ローンに関しては、居住物件購入後すぐさま完済し続けている。 それこそが我が得意技だったものだ。 (もし興味がおありでしたら、「原左都子エッセイ集」2007年12月7日公開の「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)

 7位「診療・治療代」及び 20位「薬代」に関してこそ、元医学関係者である私は国民に助言したい事がある。  
 たとえ各種健康保険が適用されようとて、それらに係る家計費とは膨大な数値となろう。
 それは何故かと言えば、医療の趨勢として国民の「命」がからむからに他ならない。 それ故にどうしても医療費及びそれに付随して発生する価格数値が高額にならざるを得ない事は承知するとしても、その“信憑性”の程を今一度国民にも吟味して欲しいのだ。 
 私などほとんど医療機関を頼らず“予防医学”観点及びある程度の“自己診断”でこの世を生き延びているが故に、我が医療費及び薬代など取るに足りない程の少額である。

 そんな私にとって、17位「酒代」は今後もキープし続けたいものだ。
 今に至ってはさほどの酒力がない私だが、今後共少しの酒力で我がストレスを改善出来るのならば、我が家族の安泰のためにもこれは利用し続けたいと志している。



 最後にやっと、表題に掲げたテーマに移れそうだ。

 人間関係に於いて、有効な「交際費」は是非共家計に計上するべきである。
 ただ人間関係とは単純ではないのが事実だ。 とにもかくにも様々な世代や人種が生活を営む都会に於いては、広い視野を持ち住民の皆さんとの摩擦を避けつつ暮らしていかねばならない事は歴然だ。

 ところが高齢者年寄(実母及び義母)を身近に抱えている身としては、旧態依然とした価値観の下「どうしても誰それにお礼をして欲しい。」と訴え続けられる我が身である。
 (特に義母に対しては)「はい。御礼をするべき事に関しては十分心得ていますからその旨を言葉でお伝えしました。」と言ってもどうしても駄目なのだ。  “何某かの品物”を持参せねば「御礼」になり得ない!との思想を旧態依然と抱え続けている昭和初期以前生まれの年寄り親族を複数抱える身にしては、その出費こそが一番の家計負担だ!
 もちろん、これを税務会計時の「費用」としてよしと年寄達(特に義母)は言うのだが、どうしても合点不能な私である。

 今時御礼とは言葉とハート♡で誠実に申し上げるに限る、と私は信じている。 それに加え、品物を差し出す行為とは相手にとってむしろ迷惑・失礼な場合も多々あろう。
 それを身内年寄達に指導するのだが、どういう訳か年寄達は自分らの価値観を全面に訴えつつ迷惑行為を繰り返す始末だ。

 とにもかくにも我が家(特に原左都子)にとっては、「虚礼」こそが家計の一番の負担(無駄)になる事には間違いない! 
 そうこう言っているうちに、最たる虚礼である「歳暮」を贈らねばならない時期がすぐそこまで到来している…

売られたケンカ、受けて立ちます!!

2014年11月13日 | 人間関係
 原左都子は短気だ。 
 それはおそらく生まれ持ってのDNAに由来する我が性分であろうが、私は物心ついた頃より“理性”でカバー出来るキャパを備えているため、その性質が表面に出る事は少なかったかもしれない。

 むしろ、子供の頃ほどその理性に自分自身が翻弄される機会が多かったように記憶している。 周囲の子供達が痴話ゲンカ(女子の場合、殴り合いバトルをすることは稀だ)を始めた場合など、なるべく見ないふりして第三者を演じ、ケンカの関係者とならないように身を守ったものだ。

 この習性は、高校卒業頃まで続いてしまっただろうか… 
 故に私は周囲より、冷静で客観的な子供との評価をもらっていたように記憶している。 片やそんな私の“策略”を見抜いていた友人などは、さぞや“陰湿な奴”との印象を抱いた事であろう。


 実は私自身が、“計算高い”とも表現可能な上記の我が気質を内面で嫌い続けていた。
 人間もっと勇気を持って素直に行動する事こそが、真の人生開花のきっかけかもしれない、などと思い始めたのは遅ればせながら成人して以降の事かもしれない。

 その事例として一つ思い出すのは、大学卒業研究に於いて共同研究者を務めてくれた学友と、とてつもなく激しいケンカバトルを繰り広げた事態だ。 
 研究課題に対する基本理念に於いて、その学友と認識が真っ向から対立していた。 二人で話合いを持っているうちに言い争いが激しくなり、ついに研究室内で大声で両者ががなり立てる程のバトルとなってしまった!   結果としては私側が自分の過ちを詫びるとの実に情けない状態だったのだが、この喧嘩バトルのお陰で当該学友との結束力が強まり、信頼関係が増した事を思い出す。 
 その教訓として、ネチネチと内心で恨みつらみを抱いていないで、内面感情に任せ自らの苦悩や不信感を相手に爆発させる事も、人間にとって重要と気付いた出来事だった。

 その後就職した後にも、企業内での様々なバトルに直面してきている。
 ある先輩曰く、「たとえ一社員とて冷静に対応してばかりいては限界が訪れる。 ある時には感情を表に出し、組織管理者側に牙をむいてでも訴えねばならない使命が底辺労働者にはある!」  この先輩の言葉こそが未だ若き私の五感に響いたものだ。
 その後、私はそれを実行して来たとも言えよう。 まさに社会人として自立した後には真に我が“怒り”を実力に転嫁しながら、私は民間企業で上司の立場をも経験しつつ生き延びて来ることが叶ったと振り返る。

 その後の我が人生は、むしろこちらから喧嘩を売る側に回る立場が多いとも表現出来よう。
 ただしそれは「意見書提出」等、書面にての冷静沈着な“喧嘩を売る行為”に過ぎないのだが…


 そんな私につい最近、いい年をして売られたケンカを受けて立たねばならない事態が発生した。

 それは私が20歳代前半期より40年に渡り愛読している新聞社(早い話が「朝日新聞」だが)の地元販売店(ASA)に、私側からとある“要望”をメールで投稿した事に遡る。
 実に取るに足りない内容であるためこの場での詳細の記述は控えたいのだが、我が拙たる要望に対し、ASAよりの回答とは「それは不能」との事だった。  私側とても「不能」ならばそれで結構、との文面を末尾に添えていた。 にもかかわらず、私がメールにて送信した内容が朝日新聞末端組織に位置する販売店ASAにとって、たかが一顧客(私の事だが)からの訴えが如何に“腹立たしかった”か!に関して切々と訴え返す返答だったのだ。

 産業界に於ける巨大企業と末端下請け中小企業との“力関係”の宿命など、私としては十二分に理解済みだ。
 それを承知の上で、末端販売店に於いても末端顧客に対してほんの少しだけ努力をすれば、今後の販売力が多少なりとも上向くのではないかとの“親切心”も伴う提案の意味もあった。

 それ故に私は大人げない事は十分承知の上で今回ASAから文面にて“売られたケンカ”を、電話をかけ直すとの手段で受けて立つ行為に出た。
 そうしたところ、電話に出た担当者氏が私が買って出た“ケンカ”に対し、私より更なる闘志を燃やしている人物だったのだ!  これには一瞬驚かされ多少怯んだものの、結果としてはその闘志が幸いし、電話にてとことん話し合えた(ケンカしまくれた)と私側は受け取っている。


 最後に、原左都子の私論で締めくくろう。

 上記朝日新聞ASA事例の場合、電話に出た相手が顧客である私に闘志を燃やして“ケンカ”を売って出てくれたことが幸いした。 もしもこの場面に於いて、ただひたすら「申し訳ございません」などと上っ面のみうそぶかれても、問題の解決が一切叶わなかったであろう。

 不必要な暴力的喧嘩バトルはもちろん回避するべきだが、人間関係に於いて、適宜に自らの感情をケンカという形でそのまま表面に出す行為が有効であるような気もするのだ。
 今の時代背景に於いては人間関係の希薄化が進み過ぎ、表面のみしつらっている事態こそを懸念する。

 主張したい事を双方が訴えられる意味でのケンカならば、私は今後共いつでも受けて立ちたい思いだ。

トップアスリートが抱える宿命と責任

2014年11月10日 | 時事論評
 つい先ほど、一昨年5月に北京で開催された当時の野田総理大臣と温家宝首相との会談以来、およそ2年半ぶりという日中首脳会談が終わったようだ。
 11月10日夜開幕するAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の首脳会議に出席するため、中国の北京を訪れている安倍総理大臣は、日本時間の午後1時前から人民大会堂で、中国の習近平国家主席との初めての日中首脳会談に臨んだ。 安倍総理は会談の後に記者団に対し、首脳会談が日中両国が戦略的互恵関係に立ち戻り関係を改善させていく第一歩となったと強調した上で、偶発的な衝突を避けるための海上連絡メカニズムの実施に向けた作業に入ることを明らかにした。
 (以上、ネット速報より一部を要約引用。)


 時を遡るが、11月8日中国上海で行われたフィギュアスケートグランプリシリーズ第3戦男子フリーのライブ映像をテレビにて観戦していた私は、仰天させられた。
 翌日11月9日に原左都子自身が出場する「ロードレース」に焦点を合わせ、その夜は早めに就寝しようとのスケジュールを立てていた矢先、衝撃映像が画面で展開されたのである。

 テレビで放送された番組にて、まず女子フリーの“録画映像”が放映された。 その後私の印象では、いつの間にライブ映像に切り替わったかを認識出来ないまま、男子フリー場面に移り変わっていた。

 そして男子フリー最終組直前6分間練習が開始した直後の事だ!
 なんと、日本代表五輪金メダリスト羽生結弦選手と中国代表のエンカン選手が、リンク内で激突するではないか!  その時未だライブ映像と認識していなかった私は、これはてっきり日本のテレビ局が“お遊び心”で来る日中首脳会談を模倣した“前対決映像”を映像操作により捏造して面白おかしく庶民に提供したものと考えた。(テレビ局には申し訳なく思うが、本心でそう捉えざるを得なかった。それ程までに日中の政治関係は安倍政権に移って以降冷え込んでいるのが実情だ。

 そうしたところ、やはり日中双方で私と同様の感覚を抱いた観客やテレビ視聴者は少なくなかった様子だ。
 その一例を、ネット情報より引用し紹介しよう。
 フリー男子直前練習で羽生結弦と衝突した中国の閻涵(イエン・ハン)が、中国版ツイッターでコメントを発表し、一部でささやかれた「(中国側)陰謀論」に反撃したと報じた。
 リンク上で激しく衝突し、なかなか起き上がれない二人。あごを負傷した閻涵は一度は控室に引き上げたが強行出場を果たした。だが演技ではジャンプで転倒するなどミスが目立ち、最終順位は6位に終わった。
 片や、頭にテーピング、あごに絆創膏(ばんそうこう)を貼って再びリンクに戻った羽生も、5回も転倒しながら2位に食い込む演技を披露。 二人のプロ精神は人々を感動させた。
 閻涵は演技後、自身の中国版ツイッターでコメントを発表。「あごの出血は止まった。レントゲンも撮った。胸の筋肉とあごに少し問題はあるけど、意識はしっかりしているので安心してほしい。さきほどのアクシデント(羽生との衝突)は、僕たちは背中を向け合い、スピードが出ていたので見えずに避けきれなかった」とした上で、一部でささやかれた「陰謀論」について、「外野の一部がばかげたコメントをしているがやめてほしい。僕も羽生選手もこんなアクシデントが起きることを望んでなんかいない」と反論。「今後も試合は続くのでけがを治して出場したい。心配してくれてありがとう」とファンに感謝の気持ちを伝えることも忘れなかった。
 (以上は、中国エンカン選手が発表したネット情報より要約引用したもの。)

 日本代表 五輪金メダリスト羽生結弦選手よりのこの事故に対する公式コメントは未だ発表されていないものの、おそらく中国代表エンカン選手と同じ思いでいる事であろう。

 ただ一点、この「事故」に関し原左都子が大いに気になる事がある。
 それは、両者の“激突事故”後ずっとテレビ映像が羽生結弦選手を追いかけ、それを日本のテレビ局がライブ映像を放映し続けた事実だ。
 これこそとんでもない!  この番組は「フィギュアフリー大会」こそを放映するのが使命だったはずだ。 それならば、男子最終組に残った後の4選手をテレビ映像は捉え続けるべきだった。 にもかかわらず、ライブ映像は羽生選手の負傷した姿を追っかけるばかり…
 それに対し、中国エンカン選手側の対応は早かった。 すぐさま「棄権」を表明し、表舞台から一時姿を消した。 
 その間羽生選手は本番出場を宣言しつつ、負傷した苦悩の程をテレビ映像を通して“みっともなくも”表出し続けた…。

 確かに羽生選手とて未だ20年程の人生経験しか積んでいない事を勘案すれば、テレビ視聴者は彼を擁護する立場に回るべきかもしれない。
 ただ一旦五輪金メダリストとして世界に名を馳せた人間が取るべき行動とは、そうではなかったのではないかと私は考えるのだ。 本人自身がその判断対応が無理ならば、周囲のスタッフこそがそれを彼に指導するべきだった。
 「多くのファンが見ているテレビライブ映像で負傷し苦しむ姿を訴え続けるより、五輪金メダリストとしては素晴らしいまでに栄光に輝く“演技そのもの”だけを披露するべきだ!」と。 そうした場合、今回は“棄権”との選択肢も十分にあり得たはずだ。 勇気あるその選択こそが、今後の羽生選手の更なる活躍に繋がったのではないかと思えて、私は残念でならない…
 にもかかわらず羽生選手はフリー演技で辛うじて2位死守後も、テレビ映像にていつまでも鬱陶しく体調不良を訴えるべくカメラを意識しつつ、自分こそが犠牲者と言わんばかりに苦しんでいる“演技”を繰り返してしまった…。


 既にトップアスリートの地位を築いている人物に要求されるのは、その地位にあるが故の「宿命」及び「責任」の自覚ではなかろうか? 
 例えば羽生選手と同じくフィギュアスケート界にて、長年世界のトップクラスで君臨した高橋大輔など既に引退を表明している。 浅田真央選手とてほぼ同様だ。 その決断とは、トップアスリートとしての「宿命」「責任」自覚故の行動と私は受け取っている。

 余談に過ぎないが、私が昨日出場した市民ロードレースとて同然だ。
 昨日は運悪く悪天候の下での開催故に、予期せぬスタート地点直前変更等で会場内が大混乱していた。
 5kmレースに出場した我がスタート地点が一体何処なのか直前まで分からない中、既にスタートしている“ハーフマラソン”選手がその真横をトップスピードで潜り抜ける…
 その際係員氏が「箱根駅伝に出場した選手達もいますから5㎞出場者は道を譲って下さい!!」と叫ぶのだが、そんな事お構いなしに、傍の雑木林に遠回りしてでもトップスピードを絶やさなかった箱根駅伝アスリート達の頑張りを見れた事こそが、私にとって収穫だった。
 もしもこのシチュエーション下で箱根代表選手が「5㎞の素人ランナーども、どけ!」とでも叫んだならば、「お前ら、何様だ!!」と叫び返したかったものだが、決してそんな醜態を晒すことはなく、彼らの方が遠回りして衝突事故が発生することなく事無きを得た事に安堵した。

 まさに、試合中(及びその前後)とはプロ・アマを問わず予期せぬ事態が発生するものだ。
 特にトップアスリートの皆さんに要望したいのは、その地位を特権意識とするのではなく、周囲選手や観客に配慮して紳士的に行動出来るマナー意識ではなかろうか。

「自分史」書くのは自由だが“読め”と強要するの勘弁して

2014年11月08日 | 自己実現
 表題の通り「自分史」を書く事自体は本人が好きにすればよい話だが、それを配られた立場としてはとてつもなく迷惑なものだ。

 配ったきりで後々感想等のフィードバックを求めないのならば、配られた側としても「古紙回収」に出す等の手段が取れるため特段の迷惑はない。

 ところが「自分史」を書いて配る人種とは、どうもフィードバックを求めたい気質の持ち主であるのが大方のようでもある。


 原左都子自身が、他者より「自分史」を配られる事を現在まで何度か経験している。

 その中で一番迷惑だったのは、知人の友人氏が綴り出版したと言う「癌闘病記」を知人より手渡された経験である。

 これぞ、実に困惑させられた…
 それを手渡されたのが、私が20年程前に癌に罹患した直後だったのだ。
 私に医学経験がある事をその知人に話していたにもかかわらず、その本を手渡された私は大いなる違和感を抱かざるを得なかった。
 渡したご当人曰く「これを読んで元気を出して」。  そんな“勘違い気配り”に端を発していたようだが、そもそも私自身は既に自分の癌を医学専門観点より冷静に分析出来ていた。

 それにも増して、時は癌手術直前の入院準備期だ。 当時若干の事情を抱えて産んだ娘が未だ2歳だった。入院中娘の面倒を実母に上京して見てもらう手配やら、留守中家庭内が上手く機能するための方向付けやら、癌保険の保険金受け取りの段取りやらと、時間的にもまったく余裕がない時期だった。 心身共に疲労困憊している時期に、この本を読め!と私に手渡す知人の非常識ぶりに大いに落胆させられたものだ。

 そこで申し訳ないが私が採った行動とは、その「自叙伝」とやらをパラパラとめくったのみで、すぐさま知人へ返却するとの行為だった。 
 その本を手に取りパラパラとページをめくってみた際、医学を経験している我が脳裏にどよめいたのは、「自叙伝」を書いて出版した知人の友人とやらの癌の進み具合が、相当悪化状態にあるとの印象だった。  「もしかしたら自叙伝筆者の命は短いのかもしれない…」  それ自体は気の毒な事には間違いない。 元医学関係者の立場としては、むしろこちらこそが癌で苦しむ自叙伝筆者のために何らかの働きかけをしてあげるべきかとも少し考えた。 
 ただ、私自身がその直後に入院して癌摘出手術を受けねばならない運命下にある。 今は自分の癌闘病を優先するべきだ。 そんな切羽詰まった時によくぞまあ、知人は私に友人の「自叙伝」を手渡し、これを読め!と強制出来たものだと改めて呆れ果てるしかなかった。 
 その後当該知人とは音信不通状態であるが、その“非常識”ぶりを時折思い浮かべ、今となってはあの人は自分が犯した過ちを少しは反省しているのだろうか、あるいは同じ過ちを他者に対し繰り返しているのだろうか等々と想像する。


 次に紹介するのは、我が実姉の事例だ。

 40年程前に米国に渡り生涯永住予定の実姉が、「自叙伝」を執筆して自費出版すると言い始めたのは10年程前の事だったと記憶している。
 若かりし頃よりミスコンテストなどに恥ずかしげもなく出場(ミスインターナショナル地元代表を経験している)したり、タレント活動に興じる等々、我が姉の自己顕示欲の強さはその時始まった事ではなかった。
 私よりもずっとリッチだし、好きにさせてやれば… 等々母と話し合っているのを尻目に、姉はさっさと「自叙伝」を仕上げて自費出版に踏み切った。 その費用たるや、3000部発行で200万円也!  増刷希望の場合は、冊数に応じて追加代金が発生するシステムだ。
 英語で記して米国で自費出版してくれれば日本の家族の顔に泥を塗らずに済むものを、何と姉は日本の出版会社を通じて日本で発売すると言う。  
 「どうせ売れる訳がないから、家族が恥をかかされる事はないと思うよ。」と私が母に告げた通り、売れずに返却された「自叙伝」はもはや自ら古紙回収に回すしかない。

 ところが、我が姉の自己顕示欲はその後も続く。
 1冊目は失敗だったが、2冊目こそ!との勢いの下、再び200万円を投じて「自叙伝vol2」を発刊したのだ!
 この時既に家族としては何も言うことはなかった。 カネを投じて自己実現し満足できるのならば好きにさせてやろうよ… 
 
 ここで何故我が姉が更なる200万円を投じ、2冊目出版に踏み切ったのかを説明しよう。
 それは初版「自叙伝」に対し、配布した周囲の知り合いの中で感想なり評価なりを述べてくれる希少な方々が存在したからに他ならないのだ。  私もその気持ちは分かる気はする。 自分の何らかの「業績」に対し周囲からフィードバックがあるという事実自体が、自分自身の一時の「達成感」に繋がるかの気になれる事は私も理解可能だ。 
 ところが我が姉の失敗とは、他者よりのフィードバックを“社交辞令”範疇と受け止められず、少しばかり“いい気”になってしまった事にあると私は分析するのだ。 
 それが証拠に姉の場合2冊目出版後は周囲より何らのフィードバックももらえず、心底落胆したとの事だ。 これでやっとこさ、姉は自費出版に私財を費やす趣味から目覚められた様子である。    


 かく言う私自身も、国内某自費出版企業等々より一時自費出版を促された経験がある。 ただ私の場合は姉程の資金力がないのが一番の理由で、即刻お断りした事が幸いしている。

 それにしても、私にとっては当該 「原左都子エッセイ集」 自体こそが我が「自分史」の位置付けにあると自覚している。
 一銭の収入にもならないのと並行し、私側の支出もほぼ無料同然で我がエッセイを日々綴りネット上で公開出来ている事実に、今一度 goo に感謝申し上げたい思いだ。
 今後共、原左都子自身はこのスタンスで我がエッセイを綴り公開する事を我がライフワークと位置付けたい。


 世間を見渡せば、時は「自分史」活況期と聞く。

 子供から高齢者に至るまで、「自分史」を綴り配布(公開)してよいであろう。
 ただ初心に戻って自ら考察して欲しいのは、その「自分史」の価値が相対的に如何程かとの事実だ。
 商業主義に安易に流され自己資産の一部を失うのではなく、「自分史」を綴れた自己の力こそを内面で相対評価する力を身に付けつつ、自分なりの達成感を得られる忍耐力を培って欲しいものである。

 とにかく「自分史」を直ぐに周囲へ配布する行為は避け、その価値があるのか否かを自分なりに精査した後に実行して欲しいものだ。

上面カスって満足するより自分の脳で思考し直そうよ

2014年11月05日 | 自己実現
 他人の事などどうでもいいのが本音だが、12時間にも及びくだらぬ戯れ話を一方的に聞かされ続けたのでは、原左都子としては爆発して反撃に出たくもなる!

 冒頭より私が何に憤慨しているのやら分からないであろうが、今回のエッセイは前回の「旅道中はおしゃべり止めて静かに車窓を眺めませんか」の続編の形となろうか。

 とにもかくにも先週末のバス旅行は娘とスケジュール調整して事前に予約し、多忙な中参加したにもかかわらず、後部座席のご婦人2名の「おしゃべり」大被害に遭いせっかくの休日を台無しにされたのだ。 

 バス旅行とは観光地を訪れる時間以外は、ほとんど移動のために窮屈なバス内で過ごさねばならない宿命にある。 その時間帯は車窓を眺めるか、疲れた体を癒すために睡眠をして過ごしたいものだ。
 私など普段は滅多にこれだけの長時間睡眠時間を確保できる機会がないため、バス旅行とは“寝だめ”のチャンスでもある。  私にとってのバス旅行の一番の効用とは、運転手氏に命を任せて、まさに“グータラ寝て過ごせる”またとはない機会ということだ。


 ところがどっこい先だってのバス旅行における後部座席ご婦人達の一番の目的は、バス内座席での“井戸端会議”にあったようだ。
 その会話内容とは、自分らのご亭主や稼業、はたまた趣味等に徹していたのが特徴である。 その間ツアーコンダクターの話を聞くでもなく、同乗した他の客と交流するでもなく、12時間に及び“2人の閉ざされた空間”でひたすら個人的私話を“大きな声”で繰り返していたのが、私にとってはとてつもなく迷惑だったのだ!

 我が記憶が新しいうちに、これら後部座席ご婦人達の会話内容をエッセイに綴って紹介しておこうとするのが、せっかくの“寝だめ”の機会を妨害された原左都子なりの彼女達に対するせめてもの“復讐行為”である!

 お二人は7対3の比率で12時間中喋くりまくったのであるが、その主犯である7割喋った女性をAさん、3割喋った女性をBさんと名付けよう。
 ご両人共に、50代前半の年齢であるようだ。 何処でご両人が知り合ったのかは不明なものの、知り合ってからさほどの時が流れていない様子である。 両人共に東京都内に居住地があるようだが、その場所が遠距離であるため、(私の推測によれば)今回のバスツアーを利用して合流し、バス内座席で“井戸端会議”をしようかとの事で意見が一致したと捉える。(と言うのも、現在の都内発バスツアーは地元出発便を数多く提供していて、自宅の近くからバスに乗車可能なのが“売り”なのだ。)

 特にAさんの声が大きいのだが、とにかく直ぐ前の座席に座っている私としては、聞きたくもないのにすべての会話を暴力的に聞かされざるを得ない運命下だ。
 とりあえず乗車直後の会話で判明したのは、ご両人共に個人自営業を営んでいるとの事である。  更にはご両人の共通項として、老後の年金及び自営業による収入に関する“不確実性”に話が及ぶ。
 それでもご両人がバス内で一番主張したい論点とは、とにかく自分らは現在経営している自営業がある程度上手く機能しているお陰で、旅行を趣味と出来る程に恵まれているとの事のようだ。 既に数々の国内外旅行をこなしている事実を周囲に吹聴しまくっていた。 (原左都子のとりあえずの感想としては、確かに個人経営の自営業とは自分が好きな時に旅行に出かけられるメリットがあるとの意味では、多少羨ましくはある。)

 お二人の共通点は、50歳前半にして既に子供さん達が社会人になっている事である。 それ故に、当の昔に子育て期間を終了し、まさに50歳前半の若さで既に“老後”の心配に及んでいるのだ。
 これに関しては現在まだ“現役母親”として大学生の娘の自立未来を模索している私にとっては、信じられない程早期の“老後対策”ではなかろうかとの印象しか抱けなかったのが事実だ。

 ここで話が飛ぶがたまに同窓会に出席すると、周囲の女性達が後部座席のお二人同様に信じられない程に老け込んでいる事実に愕然とさせられる。 これとはまさに上記お二人の会話内容のごとく、既に子育てを終えたご婦人達とは概して人生の目的を失い、老後の世界を如何に生きようかとの発想しか浮かばないのが実情とも捉えられそうだ。 (それ故に商業主義に踊らされ、“めくら滅法”既成の旅にでも出る事を実行しないと身が持たないのではあるまいか??)
 私自身は高齢出産で産んだ娘を大学卒業後自立させた暁には、我が欲する人生をこれからこそ貫きたい野望に溢れている。 還暦間近い現在に於いてその種の夢を描けるのは高齢出産故のメリットかもしれないと、むしろ今後の夢をもらえた気分でもある。


 後部座席のAさん、Bさん間の会話に於いて、二人の意見が交錯する場面があった。

 主たる会話主であるAさんに対し、Bさんが異論を唱えたのが興味深かった。  Bさん曰く、「あなたは旦那さんの話をするのが好きなのね。私自身の普段の交流関係では旦那の話題が出る事は稀なのだけど。」
 Aさんがこれに対して何と答えたかは記憶にないのだが、とにかくAさんとは自分のご亭主の事を「旦那さん」と呼んでいた事実に私も仰天していた。 おそらくAさんとは自営業の「旦那さん」あっての人生を結婚後数十年に渡り歩み続けて来ているのであろう。
 確かに自営業とは、堅苦しい世界である事が想像可能だ。 自営業を営む“旦那さん”に嫁いだ限り生涯に渡りその稼業に専念せざるを得ないのが嫁としての宿命と心得る。
 
 そうした場合、Aさんのバス内での12時間に及ぶ自分本位の自慢話の根源が理解できる気にもなる。 特にAさんの場合“旦那さん”との二人の個人経営自営業事務所内で日々が明け暮れる中、私には図り知れないストレスを抱え込んでいるのであろう。

 それが証拠にBさんが先にバスから降りる際、まさにAさんが放った言葉とは「今日は本当にありがとう。日頃のストレスが発散できた!」との言葉だったのだ。
 これにBさんが如何なる返答をしたのかを聞かないまま、我々親子も最初にバスが停留した地元バス昇降場に降りた。
 Bさんの後ろ姿を見ながら自宅への帰路についた我々母娘だが、Bさんの疲れ果てた姿がマイナス面で印象的だ…。
 おそらくAさんとの会話に於いて3割しか話せなかったBさんにとって、12時間のバス旅行は苦痛だったのではあるまいか?

 
 最後に表題に掲げたテーマの私論を述べよう。

 上面カスった付きあいをしたい場合、それを自覚して実行するべきだ。 12時間にも及び面識が浅い相手と“上面カスる”付き合いを強行する事自体が破滅行為だ。 
 特にAさん、まだまだお若い事ですし今後は少し自分の脳を鍛え直して、実りある人間関係を主体的に築くべく努力し直そうではありませんか?