私には高校教員経験があるため、第二次反抗期を過ぎ思春期真っ只中にいる年齢層少年少女達の複雑な心理に関して、ある程度理解出来る自負はある。
それでも還暦に達しようとしている今現在、現実社会で当該年齢の少年少女達に実際にかかわる場面に出くわすと、一体如何なる対応を採ればいいのやら途方にくれる事を実感させられる。
昨日まさにその現場に出くわし困惑したのだが、この話題に関しては後程述べよう。
それに先立ち、本エッセイ集2013.6.8 公開バックナンバー 「中学生を叱るのは、やはり私も怖い…」 なる表題のエッセイの一部を、以下に紹介させて頂く事とする。
集合住宅高層に位置する我が家の住戸の南側に片側一車線の公道があり、近くに存在する公立中学校の通学路ともなっている。
学校が新学期を向かえて少し経過した1ヶ月程前から、この“通学メインストリート”が中学帰宅時に“大騒ぎ”をしでかす男子中学生軍団の“溜まり場”と化しているようだ。 ちょうど中学生の帰宅の午後3時過ぎ頃から夕方近い時間帯に、当該「原左都子エッセイ集」をパソコンに向かって執筆する機会が多い。 5月に入り夏日を経験するようになって以降南側ベランダの大窓を解放している我が家だが、近頃南側の公道で繰り広げられる男子中学生どもの“大喧騒”にエッセイ執筆の集中力を妨げられる事この上ない。
いえいえ、原左都子自身に高校教員経験があるため、中高生ぐらいの子どもの中には今時人前で“普通に”騒ぎ散らす人種も存在する事など重々承知している。 単なる“おちゃらけ”等々大抵の事ならば許容範囲とも心得ているつもりだ。 ところが、どうも我が家前の公道上の男子中学生軍団からは「いじめ」と表現するべきニュアンスの会話も聞き取れるのだ。 しかも日々聞き取るその音声から、“いじめ側”と“いじめられ側”が既に固定化している実態も私は嗅ぎ取った。 ここは元教員でもある私が住居階下へ降りて公道へ出向き、一言注意しようかとも一瞬考えた。 結果としては残念ながらそれを断念した理由に関しては後に述べよう。
一昨日の事だが、何と男子中学生軍団20名程が片側一車線道路を横列で塞いで、訳が分からない暴言を吐きつつ大行進しているではないか!! そこをたまたま通りかかった車が通行妨害をしている中学生軍団にクラクションを鳴らしていたとの実態だ。 こういう場合、車の運転手氏が「お前ら、迷惑だから集団で車道を歩くとの馬鹿な行動をやめろ!!」とでも説教すればいいのかとも思いつつ、クラクションを鳴らす事しか打つ手立てが無いことにも同情せねばならないのであろう。
と言うのも、集合住宅上階ベランダに出てひとまず(何やってんだ、お前らは!!)と公道に向かって叫びたかった私も、その異様な風景を一見するなり一瞬にしてひるんでしまったからだ…… ましてや、階下に降りて20人程の男子中学生軍団相手に「説教」する勇気など皆無だったことを恥じ入るしかない……
話題を変えて、朝日新聞6月8日別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、(私に言わせてもらうと“単に”説教好きな)“何か社会にお役に立ちたい”意向の60代女性からだった。 その相談内容は割愛するが、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる三輪明宏氏が「危険には近づかない方がいい」との適時適合的回答を述べておられるので、その結論部分のみを少しだけ紹介しよう。
相談者が生きてきた時代とは現在はまったく様変わりしてしまっている。 それをわきまえず人に説教する事には危険が伴う事を自覚するべきだ。 この相談者が命を失ってもいいとの覚悟まであるなら、見知らぬ相手に説教してもよいのかもしれない。 まだ小学生までの小さな子どもは危険が少ないので、他人がアドバイスをしてあげると良いでしょう。 中学生になると逆恨みもするし、小型ナイフを持っているような場面もありますからやめておきましょう。 相手に注意をしたいのなら、その辺の危険性を見分ける感覚を持っている必要があります。 とおっしゃるのが、三輪氏によるご回答である。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)
それでは昨日私が実体験するはめになった、中学生による「迷惑行為」に関して述べよう。
私は定期的にスポーツジムに通っているが、このスポーツジムとは公立体育館併設の形で業務を執り行っている。 そのため普段より高齢者が圧倒的に多いのに加え、地元の中高生(公的施設のため承認制にての無料扱いのようだ)が時々ジムを訪れ身体鍛錬に励んでいる姿を見かける。 ジム内に関しては実質的に民間企業への業務委託形式を採用しているようだ。 そのため民間から派遣された専門トレーニング係員等が現場を牛耳っている関係で、もしもジム内で中高生が予期せぬ行為を取ろうが係員より厳しい指導が執り行われる手筈が整っている。
補足説明をするなら、私はジム使用時にジムから直結している体育館内の走路を毎回ランニング練習場所として利用している。 ところがジムから離れた体育館内部ともなれば、民間企業のトレーニング氏による指導が及ばない状況下にある。
この体育館内走路に時々やって来るのが、中高生部活グループだ。
いやもちろん、真面目にランニング練習をするグループも数多い。 その種の中高生グループに関してはさほど気にならない。 (ただ正直に言うなら、体育館走路の幅とはわずか1.5m程だが、その狭い隙間を超スピードで追い越される時には恐怖感を抱く。 雨天の際に室内走路を利用するのは致し方無いとして、そうでない場合は出来れば中高生部活練習を屋外で実施してもらえないか? と思うのが、高齢庶民の正直な感想だが…。)
昨日も上記体育館内走路に、中学生と思しき男女数名がやって来た。
私が走路にてランニング練習をし始めてから少し時間が経過した後の事だ。 そもそも中高生年齢連中とは何処の場面に於いても、他者の存在など無視して自分達の行動に没頭するのが時の常識であろう。
ところがどうしたことか!? その集団連中内の一人の女子が、走路ランニング練習中の私に対し片足を走路に出して進路妨害行動に出ようとするではないか! これは危険だ。 咄嗟にランニング練習を中断しようとしたのだが、集団内の一男子が「危ないからやめろ!」と女子生徒相手に注意した模様だ。
その男子生徒の“指導”に安堵して周回コース走路を走り続けていると、またもや当該女子から私が近づいた時咄嗟に走路に出るとの進路妨害を受けた。
2度に及ぶ女子生徒による進路妨害に対し私は悟った。 (この女子生徒はもしかして私個人に対し、何らかの観点から興味を持ったのではなかろうか??) と言うのも、当時走路にてランニング練習をしていたのは私一人ではなく、他にも男性3名がいた。 それら男性に対しては、一切の進路妨害をしていない事実を私は嗅ぎ取ったのだ。
この少女は私がランニング練習を終了して体育館走路を出ようとした時にも、私の目の前で退出を妨害しようとした。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
もしも私の見方が誤っていないとすれば、この女子中学生は私に対して“何らかの内面心理”を訴えたかったものと推測する。
その内面心理に於ける偶像とは「母」であったのか、あるいは“誰なる女性”であったのかは図り知れない…
それにしても我が20年程前の高校教員時代には、私に対して“この種の嫌がらせ”をしてくる生徒とは男子と相場が決まっていた。 それら男子生徒達の心理など当時よりお見通しだ。 要するに「(出来れば若い女の先生に)構って欲しい!」に決まっていたものだ。
今時は、中学生年齢程の女子が同姓の見知らぬ女性に「構って欲しい」との深層心理を抱く世の中に変貌しているのだろうか? そうだとすれば、人間関係希薄化現象はまさに極限まで達していると結論付けられそうな気もする。
年端もいかない女子中学生が現実世界の地元体育館走路にて一期一会の私に対し、「構って欲しい」心理を含め何らかの深層心理を“身を挺して”訴えて来た事実に如何に対応するべきだったのか、重いテーマを突き付けられた原左都子だ…
次回ジム直通の体育館走路へ行ってもしも当該女子中学生に再開出来たならば、思い切って声を掛けてみようか。
それでも還暦に達しようとしている今現在、現実社会で当該年齢の少年少女達に実際にかかわる場面に出くわすと、一体如何なる対応を採ればいいのやら途方にくれる事を実感させられる。
昨日まさにその現場に出くわし困惑したのだが、この話題に関しては後程述べよう。
それに先立ち、本エッセイ集2013.6.8 公開バックナンバー 「中学生を叱るのは、やはり私も怖い…」 なる表題のエッセイの一部を、以下に紹介させて頂く事とする。
集合住宅高層に位置する我が家の住戸の南側に片側一車線の公道があり、近くに存在する公立中学校の通学路ともなっている。
学校が新学期を向かえて少し経過した1ヶ月程前から、この“通学メインストリート”が中学帰宅時に“大騒ぎ”をしでかす男子中学生軍団の“溜まり場”と化しているようだ。 ちょうど中学生の帰宅の午後3時過ぎ頃から夕方近い時間帯に、当該「原左都子エッセイ集」をパソコンに向かって執筆する機会が多い。 5月に入り夏日を経験するようになって以降南側ベランダの大窓を解放している我が家だが、近頃南側の公道で繰り広げられる男子中学生どもの“大喧騒”にエッセイ執筆の集中力を妨げられる事この上ない。
いえいえ、原左都子自身に高校教員経験があるため、中高生ぐらいの子どもの中には今時人前で“普通に”騒ぎ散らす人種も存在する事など重々承知している。 単なる“おちゃらけ”等々大抵の事ならば許容範囲とも心得ているつもりだ。 ところが、どうも我が家前の公道上の男子中学生軍団からは「いじめ」と表現するべきニュアンスの会話も聞き取れるのだ。 しかも日々聞き取るその音声から、“いじめ側”と“いじめられ側”が既に固定化している実態も私は嗅ぎ取った。 ここは元教員でもある私が住居階下へ降りて公道へ出向き、一言注意しようかとも一瞬考えた。 結果としては残念ながらそれを断念した理由に関しては後に述べよう。
一昨日の事だが、何と男子中学生軍団20名程が片側一車線道路を横列で塞いで、訳が分からない暴言を吐きつつ大行進しているではないか!! そこをたまたま通りかかった車が通行妨害をしている中学生軍団にクラクションを鳴らしていたとの実態だ。 こういう場合、車の運転手氏が「お前ら、迷惑だから集団で車道を歩くとの馬鹿な行動をやめろ!!」とでも説教すればいいのかとも思いつつ、クラクションを鳴らす事しか打つ手立てが無いことにも同情せねばならないのであろう。
と言うのも、集合住宅上階ベランダに出てひとまず(何やってんだ、お前らは!!)と公道に向かって叫びたかった私も、その異様な風景を一見するなり一瞬にしてひるんでしまったからだ…… ましてや、階下に降りて20人程の男子中学生軍団相手に「説教」する勇気など皆無だったことを恥じ入るしかない……
話題を変えて、朝日新聞6月8日別刷「be」“悩みのるつぼ”の相談は、(私に言わせてもらうと“単に”説教好きな)“何か社会にお役に立ちたい”意向の60代女性からだった。 その相談内容は割愛するが、今回の“悩みのるつぼ”回答者であられる三輪明宏氏が「危険には近づかない方がいい」との適時適合的回答を述べておられるので、その結論部分のみを少しだけ紹介しよう。
相談者が生きてきた時代とは現在はまったく様変わりしてしまっている。 それをわきまえず人に説教する事には危険が伴う事を自覚するべきだ。 この相談者が命を失ってもいいとの覚悟まであるなら、見知らぬ相手に説教してもよいのかもしれない。 まだ小学生までの小さな子どもは危険が少ないので、他人がアドバイスをしてあげると良いでしょう。 中学生になると逆恨みもするし、小型ナイフを持っているような場面もありますからやめておきましょう。 相手に注意をしたいのなら、その辺の危険性を見分ける感覚を持っている必要があります。 とおっしゃるのが、三輪氏によるご回答である。
(以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより一部を引用。)
それでは昨日私が実体験するはめになった、中学生による「迷惑行為」に関して述べよう。
私は定期的にスポーツジムに通っているが、このスポーツジムとは公立体育館併設の形で業務を執り行っている。 そのため普段より高齢者が圧倒的に多いのに加え、地元の中高生(公的施設のため承認制にての無料扱いのようだ)が時々ジムを訪れ身体鍛錬に励んでいる姿を見かける。 ジム内に関しては実質的に民間企業への業務委託形式を採用しているようだ。 そのため民間から派遣された専門トレーニング係員等が現場を牛耳っている関係で、もしもジム内で中高生が予期せぬ行為を取ろうが係員より厳しい指導が執り行われる手筈が整っている。
補足説明をするなら、私はジム使用時にジムから直結している体育館内の走路を毎回ランニング練習場所として利用している。 ところがジムから離れた体育館内部ともなれば、民間企業のトレーニング氏による指導が及ばない状況下にある。
この体育館内走路に時々やって来るのが、中高生部活グループだ。
いやもちろん、真面目にランニング練習をするグループも数多い。 その種の中高生グループに関してはさほど気にならない。 (ただ正直に言うなら、体育館走路の幅とはわずか1.5m程だが、その狭い隙間を超スピードで追い越される時には恐怖感を抱く。 雨天の際に室内走路を利用するのは致し方無いとして、そうでない場合は出来れば中高生部活練習を屋外で実施してもらえないか? と思うのが、高齢庶民の正直な感想だが…。)
昨日も上記体育館内走路に、中学生と思しき男女数名がやって来た。
私が走路にてランニング練習をし始めてから少し時間が経過した後の事だ。 そもそも中高生年齢連中とは何処の場面に於いても、他者の存在など無視して自分達の行動に没頭するのが時の常識であろう。
ところがどうしたことか!? その集団連中内の一人の女子が、走路ランニング練習中の私に対し片足を走路に出して進路妨害行動に出ようとするではないか! これは危険だ。 咄嗟にランニング練習を中断しようとしたのだが、集団内の一男子が「危ないからやめろ!」と女子生徒相手に注意した模様だ。
その男子生徒の“指導”に安堵して周回コース走路を走り続けていると、またもや当該女子から私が近づいた時咄嗟に走路に出るとの進路妨害を受けた。
2度に及ぶ女子生徒による進路妨害に対し私は悟った。 (この女子生徒はもしかして私個人に対し、何らかの観点から興味を持ったのではなかろうか??) と言うのも、当時走路にてランニング練習をしていたのは私一人ではなく、他にも男性3名がいた。 それら男性に対しては、一切の進路妨害をしていない事実を私は嗅ぎ取ったのだ。
この少女は私がランニング練習を終了して体育館走路を出ようとした時にも、私の目の前で退出を妨害しようとした。
最後に、原左都子の私論でまとめよう。
もしも私の見方が誤っていないとすれば、この女子中学生は私に対して“何らかの内面心理”を訴えたかったものと推測する。
その内面心理に於ける偶像とは「母」であったのか、あるいは“誰なる女性”であったのかは図り知れない…
それにしても我が20年程前の高校教員時代には、私に対して“この種の嫌がらせ”をしてくる生徒とは男子と相場が決まっていた。 それら男子生徒達の心理など当時よりお見通しだ。 要するに「(出来れば若い女の先生に)構って欲しい!」に決まっていたものだ。
今時は、中学生年齢程の女子が同姓の見知らぬ女性に「構って欲しい」との深層心理を抱く世の中に変貌しているのだろうか? そうだとすれば、人間関係希薄化現象はまさに極限まで達していると結論付けられそうな気もする。
年端もいかない女子中学生が現実世界の地元体育館走路にて一期一会の私に対し、「構って欲しい」心理を含め何らかの深層心理を“身を挺して”訴えて来た事実に如何に対応するべきだったのか、重いテーマを突き付けられた原左都子だ…
次回ジム直通の体育館走路へ行ってもしも当該女子中学生に再開出来たならば、思い切って声を掛けてみようか。