私が今回のエッセイにて言いたい 「木」 とは“国民一人一人”の意味合いだ。
安倍晋三氏程、一人一人の国民(特に底辺庶民達)が視野に入っていない一国の首相は、未だかつて存在しなかったのではなかろうか?
それを一番感じさせられるのは、安倍政権が民主党より政権奪取直後より高らかに掲げる「アベノミクス経済政策」に於いてだ。 これ程底辺国民をないがしろにする経済政策は今までに類を見ないであろう。
安倍政権発足直後に人為的金融操作により株価を大幅に吊り上げ、極端な円安に持ち込んだ。 それにより確かにごく一握りの上層部企業や、円安に恩恵を与る企業は現時点では表向き潤っているかに見える。
そんな目くらませ心理操作により、「ほ~~ら、底辺庶民達よ。我が国はこんなに経済が活気づいたよ。お前らにもそのうち上層部から“おこぼれ”が回ってくるから、今後も自民党に票を入れて指示しろよな~!」
ところがどっこい、単なる人為的金融操作によって上層部からの“おこぼれ”が底辺まで滴り落ちて来る道理がない。 にもかかわらず、大方の国民達はアベノミクスの目くらませ心理操作に引っかかり未だ目が覚めず、相変わらず自民党政権支持率が我が期待ほどの下降線を辿らない始末…
つい最近川崎市で発生した簡易宿泊所の大火災など、まさに悲惨極まりない。
昨日の報道によれば、死者が10名に上っているとの事だ。 周辺では法令に違反する建築の疑いがある簡宿が35棟確認されている。 市はこのうち32棟について、6月1日から所有者に3層以上の使用停止を申し入れることを26日に決めた。 対象は500室以上にのぼり、宿泊者には民間アパートへの転居を促す。(以上、ネット情報より引用。)
原左都子の私論だが、これ程の底辺庶民を放置し続けて上層部の経済活性化のみを視野に入れておきながら、今更ながら底辺宿泊施設相手に「建築法に基づき簡易宿舎を指導する」との“上から目線お達し”を公開して、一体誰が喜ぶと考えているのか!! 政権が採るべき行動とは更なる“か細い木々に過ぎない弱者いたぶり”ではなく、「真正弱者保護」であるべきだ。
しかも、底辺国民が貧乏に喘ぎ貴重な労働生命を死に追いやっている現実下で、安倍首相は性懲りもなく政府チャーター機にて外遊を続け、財政難で巨額赤字を抱える国家財源から諸外国にヘラヘラと多額の援助金をバラ撒き続けている。 まるで、私財でも寄付するかのような“したり顔”で… (あんたのカネじゃないだろ! 国民の血税だよ!)と怒鳴りたくもなる。
あの映像を見せられる都度、私の腸は煮えくり返る。 その貴重な財源を、我が子程の若き世代が日本を担う次なる時代まで温存しておいてもらえないものか! と…
アベノミクス経済政策は必ずや“バブル”としてはじけ飛ぶ(おそらく2020東京五輪後頃)との持論を内心に抱える私としては、それがはじけ飛んだ後の我が国の経済衰退ぶりが、恐ろしくも目に見える思いだ…。
さて表題に掲げた「森見て木をみてない」なる文言は、今現在開催中の国会の場で、安倍氏が野党民主党からの質疑に応える際に 「野党は、木を見て森を見ていない」 と答弁した文言から“逆解釈”で引用したものだ。
現在国会にて審議中の「集団的自衛権」論争に関して、以下にネット情報より一部を引用させて頂こう。
新たな安全保障法制に伴い、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることについて、安倍総理大臣は 「木を見て森を見ない議論」 と反論しました。
「『自衛隊員のリスクが高まるといった木を見て森を見ない議論が多い。 自衛隊員のリスク以前に、安保環境が厳しくなってきており、国民の安全リスクが高まってきているのではないか』と」(自民党 谷垣禎一幹事長) それによると、役員会に出席した安倍総理は新たな安全保障法制をめぐり、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることに、「木を見て森を見ない議論」と反論したということです。 安倍総理は新たな法整備について、「抑止力を高め国民のリスクを低くする」と意義を強調したということです。 一方、谷垣氏は「安全保障法制を変えていく時には常に相当な拒否反応がある」と指摘した上で、「一番基礎的なことから説明をしていく。積み重ねていくしかない」と、丁寧に審議を進めていくべきだという考えを改めて示しています。
(25日20時52分配信のネット常用より一部を引用。)
上記のネット引用文書が“お粗末”である事実を承知しつつ引用したことを、原左都子としてひとまずお詫びしておこう。
その上で、本日(5月27日)昼食前の時間帯にたまたまスイッチを入れたテレビ国会中継にて、ちょうど 「木を見て森を見ず」 論議が、野党民主党議員と安倍総理の間で再び交わされてた。
私の(おぼろげな)記憶を辿り紹介しよう。
野党民主党一議員より「自民政権が打ち出す“集団的自衛権”決行により自衛隊員の奥方達は自分の夫が一体何処の戦闘現場に派遣されるのか、はたまたその命が如何程保障されるのかと怯えている現状だ。 安倍総理は野党は“木を見て森を見ず”と非難するが、貴方こそ“1本1本の木々である自衛隊員の苦悩が見えていないのではなかろうか。」との発言があった。
それに対する安倍氏の回答を紹介しよう。
国会では全体を見て議論することが求められる。 自衛隊の家族云々の議論を野党は国会の場で持ち出すべきでない。 もちろん、政権も自衛隊員には覚悟を持って任務に就くよう要請した上で隊員を選抜している。皆その覚悟の上で任務に就き忠実に訓練に励んでいるはずだ。 「集団的自衛権」可決後には、現行法下よりもピンポイントに於いて自衛隊員のリスクが増えるかもしれないが、それでも我々政権は自衛隊員には今後の危険性を承知の上で雇用して訓練しているつもりだ。」
(以上、本日午前中の安倍氏の国会答弁内容を、原左都子の記憶に頼りつつ多少アレンジして引用したもの。)
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
“森見て木を見ず”して務まるのが、悲しいかな、元々日本の歴代総理大臣の宿命とも考察出来よう。
そうだとして、現在政権を牛耳っている安倍晋三氏に対しては、“特異的事情”が背景にある故ではないかと私は勘ぐっている。
(本エッセイ集バックナンバーでも既に記したが)、安倍氏が抱える“特異性”とは、自身の子供(跡継ぎ)がいない事ではなかろうか。 世襲が当たり前の代々続く日本の政治家一族として、これぞ“破滅的”事情と推察するのだが… おそらく日本の政界歴史上、次世代を継ぐ子供がいない総理など安倍晋三氏のみではなかろうか!?
何故、安倍晋三氏が後世をこの世に産まなかったのかに関しては私には計り知れない事実だが、大変失礼ながら、その事実こそが結果として “森を見て木を見ない” ご自身の人格を創り上げてしまったものと私は考察するのだ。
人間にとってそれ程までに我が子とは“愛しい”存在であるが故の、一底辺庶民である我が考察に過ぎないが…
安倍晋三氏程、一人一人の国民(特に底辺庶民達)が視野に入っていない一国の首相は、未だかつて存在しなかったのではなかろうか?
それを一番感じさせられるのは、安倍政権が民主党より政権奪取直後より高らかに掲げる「アベノミクス経済政策」に於いてだ。 これ程底辺国民をないがしろにする経済政策は今までに類を見ないであろう。
安倍政権発足直後に人為的金融操作により株価を大幅に吊り上げ、極端な円安に持ち込んだ。 それにより確かにごく一握りの上層部企業や、円安に恩恵を与る企業は現時点では表向き潤っているかに見える。
そんな目くらませ心理操作により、「ほ~~ら、底辺庶民達よ。我が国はこんなに経済が活気づいたよ。お前らにもそのうち上層部から“おこぼれ”が回ってくるから、今後も自民党に票を入れて指示しろよな~!」
ところがどっこい、単なる人為的金融操作によって上層部からの“おこぼれ”が底辺まで滴り落ちて来る道理がない。 にもかかわらず、大方の国民達はアベノミクスの目くらませ心理操作に引っかかり未だ目が覚めず、相変わらず自民党政権支持率が我が期待ほどの下降線を辿らない始末…
つい最近川崎市で発生した簡易宿泊所の大火災など、まさに悲惨極まりない。
昨日の報道によれば、死者が10名に上っているとの事だ。 周辺では法令に違反する建築の疑いがある簡宿が35棟確認されている。 市はこのうち32棟について、6月1日から所有者に3層以上の使用停止を申し入れることを26日に決めた。 対象は500室以上にのぼり、宿泊者には民間アパートへの転居を促す。(以上、ネット情報より引用。)
原左都子の私論だが、これ程の底辺庶民を放置し続けて上層部の経済活性化のみを視野に入れておきながら、今更ながら底辺宿泊施設相手に「建築法に基づき簡易宿舎を指導する」との“上から目線お達し”を公開して、一体誰が喜ぶと考えているのか!! 政権が採るべき行動とは更なる“か細い木々に過ぎない弱者いたぶり”ではなく、「真正弱者保護」であるべきだ。
しかも、底辺国民が貧乏に喘ぎ貴重な労働生命を死に追いやっている現実下で、安倍首相は性懲りもなく政府チャーター機にて外遊を続け、財政難で巨額赤字を抱える国家財源から諸外国にヘラヘラと多額の援助金をバラ撒き続けている。 まるで、私財でも寄付するかのような“したり顔”で… (あんたのカネじゃないだろ! 国民の血税だよ!)と怒鳴りたくもなる。
あの映像を見せられる都度、私の腸は煮えくり返る。 その貴重な財源を、我が子程の若き世代が日本を担う次なる時代まで温存しておいてもらえないものか! と…
アベノミクス経済政策は必ずや“バブル”としてはじけ飛ぶ(おそらく2020東京五輪後頃)との持論を内心に抱える私としては、それがはじけ飛んだ後の我が国の経済衰退ぶりが、恐ろしくも目に見える思いだ…。
さて表題に掲げた「森見て木をみてない」なる文言は、今現在開催中の国会の場で、安倍氏が野党民主党からの質疑に応える際に 「野党は、木を見て森を見ていない」 と答弁した文言から“逆解釈”で引用したものだ。
現在国会にて審議中の「集団的自衛権」論争に関して、以下にネット情報より一部を引用させて頂こう。
新たな安全保障法制に伴い、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることについて、安倍総理大臣は 「木を見て森を見ない議論」 と反論しました。
「『自衛隊員のリスクが高まるといった木を見て森を見ない議論が多い。 自衛隊員のリスク以前に、安保環境が厳しくなってきており、国民の安全リスクが高まってきているのではないか』と」(自民党 谷垣禎一幹事長) それによると、役員会に出席した安倍総理は新たな安全保障法制をめぐり、野党側から「自衛隊員のリスクが高まる」という懸念が出ていることに、「木を見て森を見ない議論」と反論したということです。 安倍総理は新たな法整備について、「抑止力を高め国民のリスクを低くする」と意義を強調したということです。 一方、谷垣氏は「安全保障法制を変えていく時には常に相当な拒否反応がある」と指摘した上で、「一番基礎的なことから説明をしていく。積み重ねていくしかない」と、丁寧に審議を進めていくべきだという考えを改めて示しています。
(25日20時52分配信のネット常用より一部を引用。)
上記のネット引用文書が“お粗末”である事実を承知しつつ引用したことを、原左都子としてひとまずお詫びしておこう。
その上で、本日(5月27日)昼食前の時間帯にたまたまスイッチを入れたテレビ国会中継にて、ちょうど 「木を見て森を見ず」 論議が、野党民主党議員と安倍総理の間で再び交わされてた。
私の(おぼろげな)記憶を辿り紹介しよう。
野党民主党一議員より「自民政権が打ち出す“集団的自衛権”決行により自衛隊員の奥方達は自分の夫が一体何処の戦闘現場に派遣されるのか、はたまたその命が如何程保障されるのかと怯えている現状だ。 安倍総理は野党は“木を見て森を見ず”と非難するが、貴方こそ“1本1本の木々である自衛隊員の苦悩が見えていないのではなかろうか。」との発言があった。
それに対する安倍氏の回答を紹介しよう。
国会では全体を見て議論することが求められる。 自衛隊の家族云々の議論を野党は国会の場で持ち出すべきでない。 もちろん、政権も自衛隊員には覚悟を持って任務に就くよう要請した上で隊員を選抜している。皆その覚悟の上で任務に就き忠実に訓練に励んでいるはずだ。 「集団的自衛権」可決後には、現行法下よりもピンポイントに於いて自衛隊員のリスクが増えるかもしれないが、それでも我々政権は自衛隊員には今後の危険性を承知の上で雇用して訓練しているつもりだ。」
(以上、本日午前中の安倍氏の国会答弁内容を、原左都子の記憶に頼りつつ多少アレンジして引用したもの。)
最後に、原左都子の私論で締めくくろう。
“森見て木を見ず”して務まるのが、悲しいかな、元々日本の歴代総理大臣の宿命とも考察出来よう。
そうだとして、現在政権を牛耳っている安倍晋三氏に対しては、“特異的事情”が背景にある故ではないかと私は勘ぐっている。
(本エッセイ集バックナンバーでも既に記したが)、安倍氏が抱える“特異性”とは、自身の子供(跡継ぎ)がいない事ではなかろうか。 世襲が当たり前の代々続く日本の政治家一族として、これぞ“破滅的”事情と推察するのだが… おそらく日本の政界歴史上、次世代を継ぐ子供がいない総理など安倍晋三氏のみではなかろうか!?
何故、安倍晋三氏が後世をこの世に産まなかったのかに関しては私には計り知れない事実だが、大変失礼ながら、その事実こそが結果として “森を見て木を見ない” ご自身の人格を創り上げてしまったものと私は考察するのだ。
人間にとってそれ程までに我が子とは“愛しい”存在であるが故の、一底辺庶民である我が考察に過ぎないが…