原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

パズル「推理」 (朝日新聞2017.11.18編)

2017年11月19日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞2017.11.18付 パズル「推理」に原左都子が解答したもの。)



 朝日新聞パズルファンの皆様、お待たせ致しました!

 既に昨日より、朝日新聞ファンの皆様からと思しき「パズル推理」バックナンバーへのアクセスを頂いているようだが、つい先ほどのgooブログリアルタイムアクセスページでも、当エッセイ集にて公開している「パズル推理」に多くのアクセスを頂戴しているのを発見した。



 今回の「推理」は、“難易度4”とのことで、確かにこの私も解答に手間取った。

 解答終了後もこれで正解だろうか? との確認作業を念入りに行った程だ。


 ただやはり、登場人物の発言を忠実に読み解きつつ回答欄に〇✖を書き込んでいけば、自ずと解答が導かれるはずだ。

 特に私が今回の解答に際し一番神経を使ったのは、水野さんが言うところの「陸上部より演劇部のほうが5人多い」との箇所だ。 この“5人差”の文言が最重要ポイントとなろう。 

 例えば、井上さんも「2人以上部員が多い」と言っているが、その差の幅があるため、井上さんが9人の部活には所属していないとの意味でその欄に✖印を入れ、とりあえず後回しにするべきだ。

 吉田さんと川島さんに関しても、川島さんの「吉田の部より部員数が少ない」との発言に従うなら、とりあえず少なくとも川島さんが20人の部活に所属していないことが判明するため、その欄に✖を記そう。

 後はその差を如何に扱うかの駆け引きだが、“陸上部と演劇部の差が5人”との重要ポイントを思い起こしつつ人数計算を実施すると、後は自ずと解答を導けるのではあるまいか。



 このように書いてくると、何だかパズル解答も“人間付き合い”と共通項があるように考察出来そうだ。

 ネットではなく生身の人間同士の付き合いに於いては特に、相手が何を伝えたいのか?を聞き取る事と相手が抱えている内面心理を見抜く作業が欠かせないのではあるまいか?


 現実世界では一応“聞き上手”の誉れを頂いている私の場合、まさに日々それに徹している感すらある。


 要するに、パズル解答が得意な人材(私がそれに匹敵するとは一言も述べていないつもりですが)とは。 
 とにかく相手の発言にとことん耳を傾け、その背景事情を探り出す能力が欠かせないとの結論に至りそうな気もする。

 
 そもそも人の話を一生懸命に聞く気も無ければ、鬱陶しい話など御免蒙りたいから勝手にしろ! と投げ捨てる聞き手人物には、「推理」の解答は叶わないのではなかろうか?  などと我が推理を発展させてしまいそうな私だ。

 話題がいつもの「原左都子エッセイ集」バージョンに移り、自分本位に飛躍しました事をお詫び申し上げます!

郷里医学部の故恩師より贈り届けられた小論文集

2017年11月18日 | 学問・研究
 (写真左は、昨日我が郷里の医学部故恩師のご遺族より私宛にお贈り頂いた、恩師が生前に記された小論文集。 右側は、当恩師が40年程前の私の卒業後に医学雑誌へ投稿して下さった我が卒業研究論文の小冊子。)


 昨夜残業のため遅い時間帯に帰宅した娘が、上記写真の左側 我が故恩師よりお贈り頂いた書物を郵便受けから持ち帰って来た。

 随分と分厚く重い書物と感じつつ、一体恩師が如何なる書物を私にお送り下さったのだろうとの興味深い思いで開封した。
 恩師ご本人は、昨年秋にお亡くなりになっている。 その記憶が未だ浅い中、当該書物をお送り下さったのは恩師の奥様と二人の息子さんの連名となっていた。


 昨夜届いたばかりで、恩師著「道を求めて」との小論文集に未だほんの少ししか目を通していない段階だ。
 そのため、本日のエッセイでは右側の我が卒業研究論文を通して、恩師中村先生との学生時代の思い出を振り返ることとする。


 上記「Hayem液を使用しない視算法による赤血球算定法の検討」と題する卒業研究論文こそ、私の「科学者の端くれ」人生の出発点であり、一番最初に公に発表した医学論文(と言えるほどの代物ではないが)だ。

 これを医学雑誌に投稿してくれた張本人が中村先生だ。 
 たかが学生の卒論など、大抵未発表のまま埋もれ去り消えゆくのが通常だろう。
 ところが、中村先生は違った。 優秀と判断する学生論文を積極的に世に発表していく主義の先生だった。 中には、卒業に先立って学生の身分で名立たる(「臨床病理学会」だっただろうか?)医学学会全国総会の場で発表した仲間もいた。
 
 それに比し、我が卒論の内容など医学的トピックス性の欠片も無い内容だ。
 ただただ丹念にサンプリング実験を繰り返し、結論を導いた単純な実験医学論文の部類に過ぎない。 ただ、そんな地道な実験作業を熱心に繰り返す我が姿を、中村先生は必ずや見てくれていた。

 ある時、私が中村先生に訴えた。  学生の卒論など、学生同士でサンプルを採取し(例えばそれが血液の場合、学生同士で採血し合ってサンプルをゲットするのが通常だったが)検体対象としたのが事実だ。 ただそれを繰り返していても、臨床現場に於いて様々な病状を抱える患者氏達の赤血球サンプリングが不能だと考えた私は。
 それを打破するため、大学付属病院にて検査済みの実際の患者氏達の血液を入手できないか、と中村先生に訴え出たのだ。 そうしたところすぐさま中村先生は、大学病院から私が欲する患者検査後の廃棄する運命にある血液の残りを何度も持ち帰って下さったのだ。
 この中村先生のお力添えが無ければ、我が卒論はまるで意味をなさなかっただろう。
 健常人の赤血球では得られない、例えば溶血性(赤血球が体内で溶ける症状)のある患者等々の血液をサンプリング対象と出来た事により我が卒論に幅が出て、ある程度有意の結論が導けたのだ。 

 今一度断っておくが、我が卒論は決して当時の医学トピックスを追う類のものではなかった。
 それでも毎夜遅くまで実験室で幾度もサンプリングを繰り返したり、あるいは、先生に患者の検査後の血液を要求した事実から、中村先生には熱心な学生と捉えられたことであろう。


 その後私が就職活動をするに当たり、当時の時代背景としては大変珍しく、臨床現場である地元の病院ではなく私は上京して民間医学企業への就職を決定した。
 それを快く応援して下さったのは、中村先生一人だった。 その他の先生方は「何もそんな冒険せずとも」「地元大病院で活躍できるのに」等々不快感を提示された。

 その後、何と中村先生は、我が東京の医学民間企業に学生を引き連れて見学に訪れたいと私に直接願い出て来られたのだ。 私が当該企業に就職後、わずか2,3年の頃だ。
 それに私の所属企業も応えてくれ、学生30名程を引き連れてやって来た中村先生と久しぶりのご対面だった。
 いやはや、中村先生の“先見の明”にも驚かされる。 我が所属医学関連企業は(私の大いなる働きもあり??)その後“破竹の勢い”で成長を遂げることと相成って、今や押しも押されもしない東証一部上場大企業に成長している。
 その後、中村先生の働きかけが大きいと想像するが、我が大学の後輩たちは臨床現場のみならず基礎医学分野や民間企業への進出が劇的に増大している様子だ。


 中村先生とはご生前長年に渡り、ずっと年賀状のやり取りをさせて頂いただろうか。

 その後私が当該医学民間企業を退職して新たに大学・大学院進学するに際しても、大いなるエールを送って下さったものだ。 
 更なる後に娘を産んだ暁に某国立研究開発法人にて研究助手を始めた折にも、「頑張り続けているね!」旨の返信を頂いたことを記憶している。


 最後に私論だが。

 徹底した学校嫌い・集団嫌いの私だが、どうやら2度経験した大学(及び大学院)では素晴らしき恩師に恵まれたようだ。

 今思うに実際学生が自分の実力を発揮出来て本気で頑張れる機会とは、自分自身がある程度成長した後に “学問の府”に於いて出会える専門力ある恩師の下に限られるのではあるまいか?

 そういう意味で、今回紹介した中村先生も実に素晴らしい恩師であられたと懐古させて頂ける機会を与えて下さったご遺族に、感謝申し上げたい。

ランスカを手作りしました!

2017年11月16日 | 雑記
 (写真は、原左都子が“手作り”と言うよりも正確に言えば“改造”したランニングスカート。)


 ランニング関係のエッセイが続くが。

 本日午前中、上記写真右のランスカを、娘の要らなくなったスカートを改造して私のランニング用に作り直した。


 「原左都子エッセイ集」長年の読者の皆様はお気付きかと思うが、7年間に渡り出場し続けているロードレース大会に、不本意にも毎年同じランスカを着用して出場している。
 それには理由がある。  数あるランスカ(おそらく20枚ほど所有している)中で、自分の体型に一番フィットしていて、ランニング中の姿が一番美しく映えるだろうと自己評価する程に一番のお気に入りだからだ。
 とにかく美的感覚にこだわりがある私にして、たとえ全力勝負のランニング大会とは言えども“お洒落感覚”は絶対に外せない。  少なくとも自分自身が満足出来るコーディネートで、ランニングコースを駆け抜けたい思いが強靭だ!

 ただ既に7年も同じロードレース大会に出場している身にして、そろそろランスタイルコーディネートを変更するべきと、先だっての大会終了後より多少焦っていた。 
 いえいえもちろんランスカ以外の箇所ではコーディネートを毎年変えている。 例えば、ランシャツは毎年異なる色合いのシャツを着用しているし、ランニングシューズもつい最近派手目の水色に買い替えた。

 更に私特有のこだわりとして、ランファンの皆さんが愛用している(要するに“著明スポーツメーカーのランニング用品”)は絶対使用したくない!との強い意思もある。
 大した記録も出せない身にして、“格好だけ一人前” との恥は晒したくない思いが強靭だ。 しかも(正直なところ)それらが高額なのも困りものだ…  


 さてさて上記の理由で、私は本日午前中に早速新たなランスカ作成に取り組んだ。

 ちょうど娘が着用していた(上記右側)ミニスカートが経年劣化でウエストが伸びたとの情報を娘から得た。
 これ我がランスカに十分利用出来そうだ! と直感した私は早速娘から当該スカートを譲り受け大改造に取り掛かった。 
 とは言えども、改造部分はウエストのみ。 元々私が好むランスカ丈(30㎝)を満たしていたため、ウエストに新たなゴムのみ付け直し、完成だ。
 明日、早速トレーニングジムへこのランスカを着用して向かおうと楽しみにしている。


 上記写真、左側のランスカ説明に入ろう。

 これは、我がワンピースを大改造して作り上げたランスカだ。
 ミニワンピースの上半身の胸まで辺りをザックリと切り取り、それをスカートの下地に利用して手縫いで仕上げた作品だ。
 これを制作したのは2年程前だったと記憶しているが、欠点はスカートに切り替え部分が発生したため、特に短めのランシャツと合わせると違和感が発生してしまう事実だ。 自己評価で少し見苦しさを感じつつも、ジムトレーニングでは活用して来た。


 ここで断っておくが。

 原左都子には一切の手芸の趣味は無いし、今後もその分野の趣味を持とうなる意思も皆無だ。

 それでは何故、こんな改造を実施するのかと言えば。
 あくまでも、自身のトータルコーディネートにこだわるが故だ。 
 普段も我が家を一歩でも出る時には、必ずトータルコーディネートして出かけている。 それはランニング大会とて例外ではない。

 だからこそ、、市販品には満足できないとの事となる。 ではどうするか?
 自分自身が市販品を改造するしか方策が無いと結論付けられる。

 そうやって、私は常に市販品の改造を行って来ている。
 買って来たそのままの状態で外を歩いた事は無い程に、市販洋服を自分なりに改造して着用している。 (もしかして、洋服分野のプロ氏が我が素人改造した服を一見したならば、その下手さと浅はかさに仰天していいることだろう。


 原左都子の私論でまとめよう。 

 思い起こせば、我が衣服改造劇は高校時代にまで遡る。

 本エッセイ集バックナンバーでも幾度か公開しているが、私は郷里名門高校卒業間際時期にその制服を「スケバンスタイル」に大改造した歴史がある。 
 
 人があらゆる場面で着用する衣類とは、個人のポリシーを“一番表現可能なもの”であるべきと私は捉えている。
 手芸の趣味など今後も皆無の私であろうが、その立場にして私が人目につく場で着る衣装を、今後共に一生涯掛けて自分が満足できる形に改造したい意思が強靭だ。

 (何故ランスカすべてが黒色かを説明するならば、やはり60代中盤に差し掛かっている女性ランナーにして下半身は黒でまとめるのが礼儀、かつ美しい印象をアピール可能かと心得ている故だ。)

ロードレース7年連続出場、すべて完走です!!

2017年11月13日 | 自己実現
 (写真は、昨日2017.11.12 に東京都練馬区に於いて開催されたロードレースの我が「完走証」「ゼッケン」 及び大会のパンフレット。)


 昨日、冷たい風がやや強かったものの晴天に恵まれる朝を迎えた。

 実は今年のロードレース大会程、事前練習が思うように叶わなかった大会は未だかって無かった。

 10月中旬頃より歯痛に苛まれ歯科医通いが続いているのに加えて、10月終り頃には娘が外から持ち帰った風邪をうつされる始末。 娘共々微熱程度で済んだのは幸いだが、娘が早期に回復するのに対し。 老体のこちらは喉の痛みが激しかったり下痢を伴う風邪症状が続き、歯茎が腫れるわ、持病の痔が悪化するわで、踏んだり蹴ったりの日々だった。

 そんな悪体調条件の中、やっとこさ最後にランニング練習をしたのが先週の11月5日の事。 何とか好記録を出せたのは良かったものの、その後風邪症状が悪化し身体の衰弱感が強まってしまった。
 その間もフルートスタジオ練習は続行しつつも、さすがにランニングやジムトレーニングは慎む日を過ごし、これでロードレースを走れるのか?との大いなる不安材料を抱えつつレース当日の朝を迎えた。

 1年ぶりのランニング大会(ロードレース)出場にして、朝の目覚めは比較的良好だった。
 ただ、やはり下痢が続いている。  ここのところの体調不良で体重も減ったままだ。(スリム体型を好む私としては嬉しい現象だが。) おそらく体力がかなり低下したままの状態で走る事になろうと覚悟を決め、単身でロードレース会場へと向かった。


 こんな時とは、不運が追い打ちをかけるものだ。
 何と、昨年までとはランニングコースに大幅な変更があるとの事だ。 走る前から“衰弱感”が否めない身にして、会場到着後そのコース確認に手間取る。 
 ただ何とかスタートライン集合場所に行き着けた時には、体調不良感よりも「今年も頑張るぞ!」感の方が勝っていた!

 参加者数千人の比較的規模が大きい大会のため、レース中の係員氏の誘導等は当てに出来そうだ。 その誘導に従いながら、自分の体調と相談しつつスピードを調整する。
 無理は厳禁、とにかく「完走!」を視野に入れながら、2周周回コースを走り切り陸上競技場のゴールへ辿り着いた。

 タイムは予想通り、過去最低の記録。
 当該ロードレースにて過去最高を打ち立てた自身の記録よりも、4分程遅い記録にゲンナリさせられる…。  それでも、5㎞40歳以上女子部門出場者74名中の高齢順に7番目の私にして、体調不良を抱えつつ51位でゴールに辿り着けた事実に感無量だ。
 
 しかもゴール後、同じ5kmレースを闘う中で同着スレスレだった一高齢男性よりお声を掛けて頂いた。 「ありがとうございました。 貴女と抜きつ抜かれつしつつ貴女が私を引っ張ってくれたお陰で私も無事にゴール出来ました!」  
 過去に於いても、レース中に並走状態の男性(大抵高齢域の方だが)から、「頑張ろう、もう少し!」等々応援を頂いたことはよくある。 今回のように、ゴール後にわざわざご挨拶頂いたことは今回が初めての経験で、私も息絶え絶えの中、丁寧に御礼を申し上げた。


 さて無事にゴールに到着し、荷物を受け取りに荷物預かり所へ辿り着いたら…
 未だ息絶え絶え状態で意識朦朧としている私は、自分の荷物番号を見間違い、誤った預かり所を訪れたようだ。
 そこに待機して下さっているのは、私よりも10歳程年齢を重ねていらっしゃるらしき地域のご婦人の皆様なのだが。 それらのご婦人達の皆が皆、一出場選手である私に随分と優しく接して下さる。
 (荷物を引き取りに来るのが遅い出場者とは、ゴールが遅かったことを物語るのがみえみえ状態の中…)
 そんな事を誰も責めないのはスタッフとしての常識として。
 高齢ご婦人皆さんが、「よく頑張りましたね!」 「完走出来たのは何よりです!」 「来年も必ず出場して下さいね!」とねぎらって下さるではないか。

 それに未だ息が荒い私も、「ありがとうございます。 必ず来年も出場します! 本日はお世話になりまして誠にありがとうございました!」と返答出来たのが何よりだった。

 記録は振るわなかった(というよりも過去最低記録を更新した…)ものの、清々しい気持ちでロードレース会場を後に出来た事実こそが何よりのプレゼント、と思えた今回の大会出場だ。


 私自身の高齢化に伴い、ロードレース大会出場に際し今後ますます年齢に応じ更なる悪条件が押し寄せる事実をも鑑みつつ…。
 当該大会には70代半ば女性も参加されている事実に触発され。
 原左都子もそれに見習うべく、今後も毎年当該ロードレース大会出場を目指すべく更なる精進を続ける目標が描けそうだ。

もしもこの世に「酒」がなかったら

2017年11月11日 | 
 冒頭から表題に対する我が回答だが。

 原左都子の波乱万丈の人生が成り立たなかったかもしれないと思える程に、「酒」とは私にとって無くてはならない必需品的存在だ。


 本日(2017.11.11)付朝日新聞別刷「be」“between”のテーマは、「お酒のない人生は損なのか?」だった。
 早速その問いに対する朝日新聞読者の皆さんの回答を紹介すると、「はい」が41%、「いいえ」が59%。

 早速私見だが。

 その結果にとりあえず安堵した私だ。  意外や意外、酒を飲んでも“損をしていない”と思っている朝日新聞読者が4割以上を超えている事実に、少し勇気を得た。
 一昔前と異なり現在は “ハラスメント” 概念が幅を利かせ過ぎて、飲兵衛が大手を振って酒を楽しめない時代背景と移ろいでいる。 特に外で飲酒する場合など周囲に心配りをしつつ、酔っ払って周囲にご迷惑を掛けぬよう、醜態を晒さぬようと、自己規制しつつの飲酒が実態だ。 (それが分かっていて何故酒飲む? 嫌なら飲むな!と酒嫌い派からバッシングを受けそうだが、それでも飲みたいのが飲兵衛が飲兵衛である所以とも言えるのだが…)

 ここで、上記記事に「いいえ」と応えた “(要するに)酒のない人生は得”、と回答した読者の理由の程を紹介しよう。
 「健康を害さない」 「酒での失敗がない」 「酒がなくても食事は美味しい」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 「酒に頼らずに語り合える」 「酔っ払わなくてすむ」

 今一度私見だが。
 
 元々酒が飲めない体質の方々のご意見は是非とも尊重申し上げたい。 「健康を害さない」 「酒がなくても食事は美味しい」 などはその典型的回答であろう。
 飲兵衛の立場として一番分かりにくいのは、「酔っ払わなくてすむ」とのご意見だ。 何のために酒を飲むのか? それは酔うためだろうと心得ている私としては、理解に苦しむ回答だ。 まあ要するに、限度を超えて酔っ払った経験に基づくご意見なのであろう。
 異論もある。 「健康を害さない」 「お金を浪費しない」 「酒に溺れることがない」 「面倒な付き合いが不要」 がその対象だ。 酒を飲む人間の皆が、決して健康を害したり、金銭浪費したり、酒に溺れたり、面倒な付き合い、を敢えてしている訳ではない。 その種のご経験をされて失敗を経験した方々の個人的なご回答と心得させて頂こう。
 私が一番引っかかるのは、「酒に頼らずに語り合える」との回答だ。 これ、酒好きな人間に対する侮辱とも受け取れる発言との気がする。 誰しも酒飲まずして語り合えて当然だ。  酒の席では重要案件を持ち出さないのが礼儀だ。 酒に頼っての付き合いとは、そもそも人間関係が成立していてこそ成り立つ場である。 その意味で、酒の席とは「語り合う」場ではない事を弁えて参加・不参加を決定するべきだろう。


 更に、表題に掲げた「もしもこの世に酒がなかったら?」との朝日新聞の問いに対する回答を紹介すると。
 「何も変わらない」 「お金がたまっていた」 「もっと健康だった」 「友人・知人が少なかった」 「ふさいでいた」 とある。

 正直言って、原左都子も「友人・知人が少なかった」に該当するのかと、我が身を多少悲観的に振り返る。
 確かにもしもこの世に酒が無かったかあるいは私が飲兵衛でなかったならば、元々 “生真面目” “理屈っぽい” “融通が利かない” “アウトサイダー” “天邪鬼” 気質の私は、単なる「嫌われ者」として世を渡る運命にあった事も考えらなくはない。
 そんな私も酒が飲めることによって得た人間付き合いは数多い。 我が良き部分を引き出してくれた酒に心から感謝したいものだ。 
 それにしても、「ふさいでいた」なる回答が信じ難い私の場合、酒に寄らずとも“ふさがずに生きる”方策は自身で開拓出来たであろうと心得る。


 この朝日新聞記事の最後の部分に2カ所、捨て置けない記述がある。

 その一つは、飲める女性からの「妊娠・授乳中」の記述だ。(この文章は割愛するが。)
 実はこの原左都子も、我が子を高齢にて妊娠した時に酒をまったく受け付けなくなり、自分から「妊娠」を確信した。 それ程に「受胎」要するに「妊娠」とは、女体にとり劇的な変動を引き起こす事態と認識させられる事件だった。
 私の場合も上記投稿女性同様、自分から酒を遠ざける暇もない程に体が酒を拒否してくれた。 その後、授乳期を過ぎ去り我が子がある程度成長を遂げるまで、我が身体が酒を受け付けない時期があったものだ。


 最後に、朝日新聞最終章の記述を紹介する事により、この「酒」エッセイの結論としよう。

 立川談志師匠の「酒が人間をダメにするんじゃない。人間はもともとダメだということを(酒が)教えてくれるものだ」という言葉を胸に。 

 まさにその通りだ!
 ダメ人間の私に、酒がどれだけ「お前はダメだ!」と日々教え続けてくれていることか!!
 自分のダメさ加減をもっと知り探求し続けたくて私は酒を愛好し、今後もその道を欲しているような気もして来た。