原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

組織の風土はそこで働く人々の心(ハート)により創られる

2019年03月08日 | 医学・医療・介護
 昨日は、高齢者介護施設に暮らす義母の“耳鼻科受診”付き添い定例日だった。


 あいにくの春の雨の中、施設を訪れると。
 私を一見した義母が驚きつつ、「〇子さん(私の事)、その目どうしたの?! 真っ赤じゃないの!!」

 私こそが、その義母の言葉に驚かされた。
 認知症を抱える義母の着眼点がそんなところにあるのかと、意外性を持って実に驚いた。

 補足説明をするならば、我が「結膜下出血」はお陰様で随分と快方に向かっている。 自己診断だと(まあ、徹夜で受験勉強でも頑張って目が充血した程度かな?)感覚にまで気が楽になっていて、既に2日前からサングラスを外して外出している。

 そんなサングラスを外した私を見て素直に驚きを表現してくれたのは、義母が初めてだった。
 何と表現すればよいのか、現在の義母とはまるで子供のように気付いた事を直ぐさま相手に表出できる程に心が実に素直な状態なのだろう。

 そして、病院好きな義母が付き加える。 「眼科へ行かなきゃだめよ!」
 後の話が面倒臭い私は。 「はい、既に行きました。」(結膜下出血で眼科へ行ったのは10年前の一度きりなのだけどね…。「単に老化現象で問題ないそうですよ。」
 これを聞いた義母が曰く、「〇子さんがもう“老化現象”の年齢なのね…」

 ただこの開口一番義母から出た私に対する“思いやり?”発言により、昨日の耳鼻科受診付添い業の肩の荷が少し下りたのも事実だ。


 実は、義母はお世話になっている当該耳鼻科に一人勝手に“電話を掛け過ぎる”とのご迷惑を掛け続けている。
 認知症故にどうしても補聴器の使い方を心得えないがため常に耳の聞こえが悪い義母は、それがすべて補聴器と耳鼻科のせいだと信じて疑っていなかった。 
 そして聞こえない都度耳鼻科へ電話を入れて、「また聞こえなんですけど、どうにかしてくれませんか!」と訴え、それに対応した親切な耳鼻科が「それでは診察しましょう」と応えて下さっていたのだ。
 施設から耳鼻科が近い事もあり、一人で歩いて出かけては苦情を言っていたようだ。

 あるいは、義母が補聴器の電池を耳鼻科に置き忘れたと勘違いして耳鼻科へ電話を寄越し、「私の電池を返して下さい!」との勘違い電話を掛けたこともある。(この事件に関しては、本エッセイ集バックナンバーにて公開したようにも記憶しているが。)

 そんな義母に対し、やっと耳鼻科より「自分1人の判断で電話を掛ける事を慎んで欲しい」旨と「今後は必ず付添人と共に耳鼻科を受診して欲しい」意向が、義母本人に伝えられたらしい。

 昨日の耳鼻科付き添いの際、必ずや保証人である私の方からこそ日頃の義母の電話での悪態ぶりを謝罪せねばと考えていた。

 そうしたところ義母が検査中に、耳鼻科担当者の方から付添いの私との面談を設けて下さった。 
 こちらこそが義母の醜態を謝罪せねばならない身であるのに、耳鼻科担当者氏の丁寧かつ認知症を抱える義母への配慮ある言葉の数々に恐縮させられる有様だ。 
 それでも私は義母の醜態を謝罪しつつ、今後は必ずや私が受診に付き添う旨と、今後また義母より意味不明の電話等があった場合には、保証人である我が家が電話対応する旨に快く同意した。 

 この耳鼻科への義母付き添いをしていつも感じるのだが。 とにかく医院職員皆さんの対応が懇切丁寧なのだ。 例えば、帰り道のタクシー迎車予約をしてくれたりもする。
 (何分“病院へ行かない主義”の私であり、近頃の病院・医院の患者に対する対応の実態を露知らない身であるが。)

 ただとにかく当該耳鼻科医院は院長であられる(?)医師先生を筆頭として、パラメディカル及び事務職員氏皆さんの対応が揃って素晴らしいのだ。
 ついでに付け加えると、外部から提携している補聴器会社職員氏(継続読者の皆様は覚えて下さっているだろうか? バックナンバーにて紹介した“ギリシャ彫刻イケメン氏”のことだが。 もちろん昨日もお会いしましたよ~~ )全ての対応が完璧に近いものがある。

 そんなこんなで考え付いた今回の我がエッセイ表題が、冒頭の通りと相成った訳だ。


 その実態は、義母が暮らす高齢者施設に於いても同様であろう。

 昨日義母を迎えに行った時にケアマネ氏と短時間の面談を持った時にも、それを実感した。
 ケアマネ氏曰く、「お義母さんが時折愚痴を私に訴えて来ますが、その内容とは高齢者が抱える本来の苦悩とは異質のものと私は捉えています。 施設に暮らす高齢者の主たる苦悩とは「自身の致命的疾患」、あるいは「金銭問題」でしょう。 その分、〇様(義母の事)に関しましてはそれらには一切該当せず、その他分野の(二の次の)訴えです。 要するにご自身に各方面で余裕がある証拠ですし、むしろその実態に安堵させられます。」
 
 ケアマネ氏のおっしゃる通りであろう。
 と感じた私も、「そのご意見に賛同致します!」との返答をした。


 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 義母が暮らす高齢者施設のケアマネ氏のご発言は、実に的を射ていると捉えていいだろう。
 結局義母の苦悩とは、自分自身の“我がまま”以外の何でもない事を実感させられる。

 それにしても私の老後とは如何なるものか? との命題を再度突き付けられた思いもある。
 集団嫌い故に、決して高齢者施設などへ入居したくない私の場合、何処へ“二の次の訴え”を起こせばいいのやら…

 それぞ、当該「原左都子エッセイ集」がその役割を担ってくれるのか…
 と思っても、今からこの毒舌言いたい放題の“我がまま”ぶりでは、先が危ういよなあ…… 
 

左都子コレクション -実母の手編みニット編 ー

2019年03月06日 | 雑記
 (写真は、郷里の実母が孫⦅私の娘⦆のために編んでくれた手編みニットの一部。)


 先週末の事だが、我が娘が自室クローゼットの“大規模片付け”に取り掛かった。
 こんな事をサリバン(私の事だが)の指示ではなく自主的に実行する娘を見るのは珍しい事だが、クローゼットに入り切らない衣類が部屋中あちこちに散乱している状態に、自分でも辟易としたのだろう。

 不要品に関しては私も手伝って分別した後。

 
 不要ではあるが、どうしても捨てがたい衣類が残ってしまった。

 それぞ、冒頭写真の実母手編みのニット類である。


 実母が地方公務員を定年退職した頃からだろうか。
 元々「手芸」が趣味だった実母が、今まで以上に精力的に様々な手芸物を制作し始めた。
 それはそれはいろんな作品(手作り人形、アクセサリー、置物、造花、等々)を作っては展覧会に出品後、娘の私と孫である我が娘に宅配して来たものだ。

 実母の定年退職と我が出産とがほぼ同時期だった事もあり、娘の出産前から、ベビードールやらケープやら何やら娘用の多種多様なニットを手編みして送ってくれた。 (その一部は今尚押し入れに保存してあるが。)

 我が母の行動力とは凄まじいものがある。 (その性質は娘の私も引き継いでいるが。)
 その後も母は精力的に手芸に励み、娘のみならず私と亭主のニット類も物凄い数を手編みして送って来るのだ!

 ところが私はウールにアレルギーがあるようで、どうもウール混のニットを着ると皮膚に痒みが出る。 そこで「私の分はもういい」と申し出たところ、その分娘と亭主のニットが増えた。


 正直に話すと、母の好意にもかかわらず、この過剰とも言えるニット送付に娘の母である私はウンザリした時もあった。
 と言うのも、とにかくお洒落には敏感な私だ。(ニットばかり送られても、私にだって娘に着せたい洋服が山とあるのに… )
 それでも、せっかく送ってくれた手編みニットもコーディネートに取り入れる努力もした。
 何分素直な我が娘である。 私が「今日はこれ着て学校へ行こうね!」と声を掛けると喜んで着てくれる娘だった。
 娘が通った小学校が公立だった事もあり、日々サリバンコーディネート(ヘアスタイルからつま先まで毎日念入りにコーディネートしたものだが)により娘は学校へ通ってくれた。 (それがために、女子児童からいじめに遭ったりもしたが……)
 ただ、この時代の経験が娘の“お洒落心”育成に大いに役立ったようだ。 本人が持って生まれた色彩感覚をフルに発揮しつつ、日々おめかしをして通勤している。


 冒頭の写真は、我々一家が現在の住居へ引越して来た後に実母から娘宛に送り届けられたニットだ。
 (その前のものは引越時に既に廃棄処分している。 娘が未だ幼少だった等の理由により汚れが目立った故だ。)

 さすがに小学校高学年にもなるとそれ程衣類を汚さないとの理由の他に、洗濯にはまめな私がきちんと手作業にて丹念に洗った事が功を奏しているのか、今見ても新品同様だ。

 それに加えて。

 私自身が老齢域に入ろうとしている現在、ちょうどその年齢期頃より我が実母がせっせとこれらを手編みしたのかとの感慨深さがこの親不孝者の私にも過るのだ… 
 娘に着せていた頃は、まさにサリバンとして心身共に張り詰めかつ超多忙の時期で、そのような感慨に浸る余裕など皆無だった。
 

 今、これら実母手編みのニット類を眺めて思うに。

 あの人(実母の事だが)もあの人なりに娘である私と、実母にとって孫である我が娘の事を愛おしく思ったのだろう。 その実母の(下手な)愛情がこのニットに編み込まれているのかと想像するに、やはりどうしても捨てられない……

 

子供に課せられる奨学金地獄、某高校現場でのその指導の実態

2019年03月05日 | 教育・学校
 私は本エッセイ集に於いて、“奨学金”をテーマとしたエッセイを何本か綴り公開している。

 それらエッセイに於ける共通した我が信条とは、「可愛い我が子に後々まで“奨学金”なる借金を背負わせることなく、子供の学費は親こそが負担せよ!」との一言に尽きる。


 以下に、比較的最近の2019.01.08 に公開したバックナンバー「何故、可愛い我が子に“奨学金”との借金を背負わせる?」 より、私論を述べた部分を再掲載させていただこう。

 本エッセイ集にて再三“子供の学費”に関する私論を公開しているが、私は断固として「子供の学費は親こそが負担するべき!」と主張する派だ!
 その私見に関して綴ったエッセイバックナンバーが何本か存在するが、そのうち、2012.04.05バックナンバー「子どもの学費は親の責任に於いて負担するべき!」の一部を以下に再掲載させていただこう。
 私論としては子どもの学費とは親が支払って当然と考える。
 どういう訳かこの国の親どもの中には、自分の愛車を購入・維持する費用や携帯電話(現在はスマートフォンであろうか)を家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けの人種が数多く存在するようだ。
 親とは決してそうではなく、愛車を売り払ってでも携帯電話を解約する等自分自身を多少犠牲にしてでも、可愛い我が子の教育費支出を最優先するべきではないのか! (との内容の記事を既に何度か公開している。)
 今回の我がエッセイに於いては、大学生の学費に関して私論を述べさせていただく事を主眼とする。
 私事になるが我が娘が今春(2011年)入学した大学に於いても、なんと!4割にも上る学生が学費を各種「奨学金」に頼る現実との大学からの説明であった。 その「奨学金」を将来返済するのは卒業した学生本人であるらしい。 すなわち“出世払い”とでも表現できよう。
 この現象とは好意に解釈するならば、学問意欲や将来の就職の安定を我が身の事として自覚できている自立心旺盛な学生達が、親の経済力などに頼らず奨学金を利用してでもその道を極めたいとの“美談”と解釈できるのかもしれない。
 この現象を大学経営者である法人側から考察するならば、学校法人経営維持発展のため入学生に「奨学金」に依存させてでも定員以上の学生数を揃えたいとの、(特に私立)大学側の差し迫った事情もあろうか?
 ところがもっと厳しい現実問題として、この奨学金の返済滞納者が増えている実態でもあるようだ。
 日本学生支援機構に於いては、現在1万人を超える滞納者登録があるとのことだ。 その滞納が9ヶ月以上に及ぶと、奨学金返済を求めて裁判所に督促を申し立てられる運命となるようだ。 
 そのような厳しい「奨学金」制度の現実を招いている諸悪の根源とは、現在の「奨学金」とは名目のみで、その実態は「教育ローン」に他ならない程の高金利を課せられる事実との報道も見聞している。
 この現状では、現行の「奨学金」とはもはや「奨学金」とは呼称できない事実であろう。 子どもの学費を「奨学金」に依存し、その返済を子どもの“出世払い”に頼る親達とは、そんな厳しいこの世の現実を理解した上でそうしているのであろうか?? ( 中略 )
 可愛い我が子を大学へ入学させたい等々、子ども達に出来得る限りの高等教育を身につけさせたい親の思いは我が身を通じて重々理解申し上げる。 そうした場合、親の役割としてはまずその「学費」こそを確保することからスタートするのが常識なのではなかろうか?
 もちろん子ども達の個性はそれぞれであろう。 自立心旺盛に育った子どもの場合「奨学金」を頼ってでも大学へ入学して学問を探究したい!と親に訴えることでもあろう。 そんな健気な我が子に親が甘えて済む話なのだろうか? 
 少なくとも、現在の各種「奨学金」制度が於かれている厳しい現実を親の立場として認識する事から始めるべきだ。 現在の親の経済力の範囲内でその奨学金の返済が将来ままならない状況下を想定できたにもかかわらず、子どもの“出世払い”で大学へ入学させたとすれば、それは一種の“子ども虐待”と私は結論付ける。
 この厳しい経済情勢の中、我が娘と同じ大学に入学した学生の4割が“出世払い”の「奨学金」に頼っている現実である。 もしかしてそれら学生達が近い将来就職難にあえがないとは限らない。 その場合、この国の「奨学金」制度とは親の責任を二の次に位置付け、現役学生達に更なる厳しい道程を歩ませるべく魂胆の上に成り立っている“弱者虐待ローン制度”との結論となろう。
 冒頭に紹介した東京都千代田区の場合、奨学金返済援助職種を “保育士と介護職員” に限定しているようだ。 これらは区側にとって必須職種であろうし、しかも厳しい労働条件下の現場で働く職員を支援せんとの意思は尊重したい。
 ただその内容を読むと、その援助金額が10年間限度で総額がたったの240万円とのこと。 単純計算すると年間24万円、月額2万円の援助だ。 この少額の学費を、どうして親が可愛い子供に出資してやれないんだ?!?  しかもこの種の親程、可愛い我が子の働き・稼ぎに自身の生活や老後を依存せんとしている軟弱さ・愚かさであることが想像出来てしまい、実にやるせなくもある…。 
 更にはこの類の親ほど、(上述のごとく)自分の愛車を購入・維持する費用やスマホを家族皆が持つ事こそが、子どもの教育費や義務教育過程の給食費を支払う事よりも重要との位置付けなのだろう。
 世の子供を持つ親達よ。
 真に我が子が可愛いならば、その子の学費負担は“最低限”親の経済力で成すべきだ!
 その手段とは世の貧富の格差にかかわらず幾らでもあるはずと、私は推測・期待する。 とにもかくにも自分が産んだ可愛い子供の教育費くらいは、親の責任として負担して当然!、と私は今後一生に渡り主張していきたい!!
 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより引用したもの。)



 さて、我が「原左都子エッセイ集」を通じて応援メッセージやメールを頂いたり等々の手段で、長きお付き合いが続いている方々が全国津々浦々にいらっしゃる。

 昨日、その中のお一人であられる現役高校教師先生より、久しぶりにメールを頂戴した。
 その教師先生(以下E先生と呼ばせていただくが)が、ありがたくも我が「奨学金」に関するポリシーに同意下さったとの事だ。

 E先生は現役教師の立場で昨年「奨学金係」を担当され、そのご体験に基づいた貴重なご意見をメールに記載して下さった。

 そのご体験及びご意見を以下に転載させていただくこととしよう。(E先生より掲載許可を頂いております。)

 本校から進学する生徒の半分くらいは日本学生支援機構に申し込みます。
 勤務校は経済的に厳しい家庭が多いため仕方ないと考えていましたが、その多さには改めてびっくりしました。
 驚いた事、感じた事を挙げてみると
 ①書類を持ち帰っても保護者が内容を読み込むことが出来ない。提出書類がそろわない、記入漏れが多い。
 ②借りる金額は3~5万円くらいを想像していましたが、中には8万以上も。
 ③無利子と有利子があるが、条件さえクリアすれば希望した全員が無利子を借りることが出来た。
 ④給付型(返還不要)に申し込んだ生徒も全員通った。(校内選考をしましたが)
 ⑤親御さんの収入が想像以上に少ない中で、生徒はよく頑張っているな・・と感じました。
 ⑥機構と保護者の借金の手続きの仲介をしているようなもので、これが教員の仕事だろうか。などなど

 補足
→①記入量が多く、また色々なパターンがあり(最近転職したなど)学校へ記入方法の電話がかかってくるが、係で分からない場合機構へ電話をかけて説明してもらうが機構へはなかなかつながらず、大変でした。
→②授業料は親が出すが(一括払いなので)、生活費(仕送り)はほとんどしないのか。
→③無利子はかなり条件が厳しいと想像していたが意外でした。ただ、無利子がかりられても、無利子の上限でも足りないので、あえて有利子を希望する場合もあった。
→④昨年から始まりました。本校の枠2名を申し込んだところ、2名とも許可が出ました。高い成績と厳しい経済状況という条件はありますが、ありがたい制度です。
→⑤書類のチェックの時に、収入を係に見られることに抵抗感はないのでしょうか。
→⑥すべての保護者から質問が来ると対応しきれないでしょうから仕方がないと思いますが、学校業務とは感じられませんでした。(せめて事務室)

 まず、無利子、有利子(超低金利)でどんどん貸してくれるということはものすごくたくさん資金があるのでしょうか。返却できない人が増えているのだから、慎重に貸すべきではないのかと不思議に思いました。就職後、毎月借りた金額の4分の1くらいを返還するようになりますが、アパートでも借りて住むようになるときついでしょうね。
 よく聞くのは転職したり給与体系が変わったり、病気で仕事をやめたりしたら、とたんに返せなくなるようです。
 生徒本人が30代半ばになったころは親御さんも定年を迎えたころになるので破産の連鎖が起こるという新聞記事も印象に残りました。

 親御さんとしては、自分で返すお金だから大切に有効に使ってくれる、と期待しているのかもわかりませんが8万円も子供に借りさせる親御さんに、そのような教育はできてないでしょうね(笑)
 美容系、ネイル、声優・・・、将来の収入に不安がある進路に進む生徒が本当に心配です。

 尊敬する先輩の先生が3年の保護者の前でよく言ってました。
「保護者がお子様の進路実現のためにできることは、経済的な援助です。それが最も重要です。」
「懇談で、我が家は経済的に厳しいので国公立へ行ってもらいたい、自宅から通ってもらいたい・・・。とよく聞きますが
それは親御さんの事情でしょう、お子様に何の責任がありますか? そのためにお子様の希望進路の道を断つのですか?」
 少し過激な発言とは思いますが、その通りだと思います。

 子供に大借金を背負わせてまで進学させるのはかわいそうですね。

 奨学金とは別ですが、今メールを書きながら自分の大学時代のことを思い出しました。
 周囲に授業料全額免除、半額免除を受けている人がいました。「お前も申請出せば、半額免除なら通ると思うよ」
 それで自分としては数万円でも浮けば親の負担がなくなるかな、お小遣いが増えるかな、という安易な気持ちで、そのことを父親に相談しました。 父は特に理由は言いませんでしたが、険しい顔で「そんなことをする必要はない」と一言それだけ言いました。
 後で思いましたが、父親のプライドのようなものを傷つけたのかなと反省しました。
 
 (以上、現役高校教師E先生より頂戴したメールより転載させていただきました。)



 最後に、原左都子の私論に入ろう。

 その前に、E先生へのメッセージを記させていただこう。

 E先生、この時期学校現場は学年末の超多忙な時期であることと想像して余りあります。
 そんな大変な中、「原左都子エッセイ集」をご訪問下さり、「奨学金」に関する貴重な学校現場での実態をお伝えいただきました事、実に嬉しく存じます。
 E先生からのメールのお陰で、学校現場に於ける奨学金を巡る保護者や生徒、そして貸す側の学生援助機構の実態が手に取るように理解出来ました次第です。

 特に私が印象深いのは、生徒が自力で奨学金を借りて一体何処へ進学するのかとの記載です。
 美容系、ネイル、声優・・・、 将来の収入に於いて不確実性が高い進路に進む生徒が本当に心配、とのE先生のご記載に、私もその将来性を思い心が痛む思いです…
 
 加えて、学力の無い(?)生徒に「カネが無いから国公立へ行け!」なる親の無茶ぶりに関しても、何だか我が過去を辛く思い出します。  私の場合、親にカネが無かった訳でも私に学力が無かった訳でもないのですが、「長女が大阪の大学へ進学したから、お前は過疎地の自宅に残れ!」なる親の身勝手さに付き合わされた私も未熟者だったと振り返ります… (そんな親に対するリベンジもあり、私は20代にて上京し30代に再び首都圏の大学へ学費全額自己負担にて再入学、卒業・修了しました。)

 その点、E先生の親御さんはE先生が奨学金を借りようとした時に、「その必要無し!」とE先生の面前できっぱりと言い放たれたとのこと。 その事実こそが、E先生が高校教諭として成功されておられる源であるように私は感じます。
 E先生。 今後共に高校教師としてのご活躍を応援申し上げます! 
 またお時間が取れます時に、我がエッセイ集をご訪問下さいますように。


 いやはや、今後何処かの大学や専門学校へ進学せんとしている生徒を抱える高校現場で、多大なる時間を割いて「奨学金」に関し保護者や生徒に指導せねばならない立場の教員の日頃の努力・ご苦労の程が身に染みた思いだ。

 やはり、未成年である生徒よりも、その保護者こそを教育し直さねばならない感覚に駆られるが。
 現安倍政権の下劣な実態をメディアにて観察するにつれ、その実現が程遠い感覚に襲われる……

「網戸」はマンション“共用部分”の備品か??

2019年03月03日 | その他オピニオン
 「結膜下出血」を患い意気消沈している私の元に、またもや無理難題が押し寄せて来た。


 その元凶とは、昨日我が家に届けられた「第16期 マンション管理報告書」である。

 その報告書内に、以下の文面があった。
 今期理事会ではプリーツ網戸の劣化について意見が挙がり、その交換に関し検討を行いました。 管理規約を確認したところ、網戸は共用部分にあたる旨が明記されており、全戸一斉に交換する見積書を取得致しました。 網戸の劣化が高いため、今夏までに工事を実施したく、工事実施について今回定期総会に上程することになりました。
 金額・仕様については、次期理事会にて再度検討をしていただきたくお願い申し上げます。

    工事費用見積額 :  7,398,000円 を限度に理事会に一任

 (以上、昨夜我が家に届けられた「第16期 マンション管理報告書」より一部を引用したもの。)


 ここから、私見だが。

 何だと! 網戸が“共用部分の備品”だと!!
 何を寝とぼけた事を言ってるんだ! そんなの長谷工(我がマンション管理会社だが)に管理組合理事が騙されているだけだよ。 そう言ってマンション住民が積み立てた「修繕積立金」を長谷工が勝手な高額見積もりをして高利潤を上げようとしているだけだ! 
 何でこうも、庶民は易々と大企業に騙される程に素直なんだ!? ボーッと生きてんじゃねーよ!! あんたらが承知しても、この私が承知しないよ!


 そうして怒り心頭の私は、早速反撃行動に踏み切った。

 以下に、本日午前中に管理組合及び管理会社宛に記した「意見書」の全文を紹介しよう。

      「網戸交換工事承認の件」に関する意見書
              〇〇〇〇マンション 〇〇号室  原〇〇(私の氏名)

 日頃より、管理組合の皆様及び長谷工コミュニティ管理組合担当者の皆様には大変お世話になりまして、誠にありがとうございます。
 早速ですが、上記表題に関する意見を以下に述べさせていただきます。
 今回配布された「第16回管理組合報告書」を読ませて頂き、驚きました次第です。
 それは「網戸交換承認の件」内、「網戸は共用部分にあたる旨が明記されており、全戸一斉に交換する見積書を取得しました」との記載に関してです。
 実は我が住居(〇〇号室)に於きましては、既に数年前に網戸の劣化とプリーツ網戸の元々の性質である使い勝手の悪さ(開閉がスムーズでない、掃除がしにくい等々)の理由により、私費にてすべての網戸を交換済みです。
 以下に、その詳細を申し上げますと。
 南面のプリーツ大網戸2枚は元の施行業者である〇〇サッシに依頼し、網部分のみ交換。
 東面5カ所のプリーツ網戸は民間リフォーム会社に依頼し、枠ごとすべてをロール式網戸に交換するとの大々的リフォーム工事を実施済です。
 付け加えますと、北面の普通網戸2枚に関しましては、3年程前の貴社長谷工による第1回大規模修繕の際に修繕期間中網戸を預けるとの有料オプションを利用し、その際に「網交換オプション」も追加し私費にて新しく交換しております。
 以上の理由により、我が住居(〇〇号室)の場合、今回の全戸網戸一斉交換には「反対」の立場を取らせて頂きたく存じます。
 当該議案が住民の賛成多数で議決され工事が実施される場合に関してですが。
 修繕積立金(あるいは管理費?)から今回の工事費用を拠出する場合、住民間での明らかな不公平が生じてしまいます。
 もしも賛成多数で「修繕積立金」にて工事実施の場合、私どもの希望と致しましては、費用総額を全戸数30で按分した金額を「修繕積立金」より返金願いたく考えております。
 「網戸が共用部分にあたる」(??)との調査を事前に怠り既に網戸交換を実施した私どもの落ち度も認めますが、網戸が劣化するもう少し早期に、管理会社よりその辺の情報を頂戴したかった事実も主張させて頂きたく存じます。
 加えて、長谷工実施の第1回大規模修繕時の「網交換オプション」の実施が各戸の個別私費扱いとなった件に関して、今回のように“共用部分”扱いとしなかった事実との整合性の程も不可解です。
 以上、何卒ご善処の程、お願い申し上げます。

 (以上、本日私が記した「意見書」全文を引用したもの。)


 最後に、私論に入ろう。

 これ、明らかに長谷工担当者の“はやとちり” あるいは“悪意ある詐欺行為” であろう。

 マンション各戸の網戸が共用部分??であり「修繕積立金」にて修理可能、な訳があり得ない。
 そんな事がもしもまかり通るならば、「窓」とて同様扱いとなろう。 例えば「うちの子が窓割ったから、修繕積立金にて修理して!」との住民の嘆願が通用する訳があり得ない事は、誰が考えたとて歴然だ。 私費負担にての修理に決まっているじゃないか!!

 しかも、マンション各戸の窓や網戸のレイアウトは住居ごとに大幅に異なる。 私が住む住居は角部屋のため、窓(網戸)が四方に数多く存在する。(角部屋かつ隣室との接触面積が少ないため、東西南北すべての部屋に窓が配備されている。)
 それに対し中部屋の場合、窓(網戸)の数はさほど多くない事だろう。
 それら全部の住居の網戸を「修繕積立金」にて修理した場合の費用を等分割するとするならば、当然ながら網戸が少ない住居からクレームが出る事であろう。

 明日当該意見書を提出する予定でいるが、この事案に対して私が「結膜下出血」を悪化させてまで気をもまずとて済むような予想もしている。
 我が家同様、既にプリーツ網戸をロール式網戸にリフォーム済みの住居が多い事も想像可能だ。

 それにしても長谷工さんよ。

 住民が“血のにじむ思い”で毎月積み立てている「修繕積立金」を深い思慮なく暴利をむさぼる“あぶく銭”と化す事を慎むべきだ! 
 いくらマンション住民たちが素直かつ無知だからと言って、それに便乗する悪徳商法押し付けはいい加減にして欲しいものだ。

 確かに、経済的には余裕がありそうな面々が暮らす我がマンションだが……
 それにしても、「悪」は「悪」として叩き潰さねば!! 
 この私こそが「結膜下出血」による真っ赤な目で、今後の成り行きをしかと監視するぜ!

絵むすび (朝日新聞2019.03.02編)

2019年03月02日 | 自己実現
 (写真は、朝日新聞本日2019.03.02付 パズル「絵むすび」に原左都子が解答したもの。)



 冒頭より、「絵むすび」から話題を外して恐縮だが… 


 私ども原左都子が現在「結膜下出血」を患っている事実に関しては、本エッセイ集を継続してお読み頂いている読者の皆さんはご存知であろう。

 本日になって、真っ赤な左目の白目の隙間からほんの少し「白(と言うよりも、汚らしい黄色)」が見え隠れし始めている。
 これは回復に向かうサインと受け取っていいだろう
 
 真っ赤に染まっていた白目の血は、一体何処へ行くのかといえば…
 私が自分の目を観察した範囲で説明すると、重力の法則に従い徐々に白目の下へ移行して(あくまでも白目の中で)赤いドロドロとした血の塊となるようだ。  その先の事は、目を解剖してみたら判明出来るであろうが…
 おそらく老廃物となり、そのうち体外へ排出されるものと推測する。


 やはり娘の仕事が本日から2日間休みとなったのに伴い、サリバンの私も昨夜はゆっくりと睡眠出来たのが快方に向かった大きな理由と心得る。

 ただ油断は禁物だ。
 未だ完治していない状態下に於いて多方面で無理を重ねたら、「結膜下出血」がぶり返さないとも限らない。
 用心、用心……



 さて、そんな身体的事情を抱える現在の私にとってラッキーだったのは、本日の朝日新聞「絵むすび」の難易度が低かったことだ。

 「難易度3」を確認した私は、(あ~~、これで我が「結膜下出血」が悪化せずに済む。)と大いに安堵した。


 今回は解説の必要は無い、と思いつつそれを以下に展開するならば。


 まずは、右上及び左下にある「鏡」を素直に結んでしまって問題ないだろう。

 次に着目するべきは「つくし」だ。 これは上左回りで回して放置しておこう。

 「桃」もある程度素直に結んでも、他のアイテムの邪魔にならないような気がする。


 ここまで線を結ぶと、解答の全貌が見えて来る。

 後は、「飴瓶」「家」「にんじん」の整合性を取りつつ結べば投了(いえいえ“完成”)だ。



 最後に、今一度我が「結膜下出血」に話題を戻して恐縮だが…


 実際問題この持病発症が10年来に及ぶ事実に、発症の都度辟易とさせられている…
 別段命に別状がある訳でもなのだが。

 とにかく、外見を繕いたい趣味(と言うよりも「信条」と言った方が適切だろう)がある私にとり、とてつもなく許し難き持病なのだ!
 こんな持病が定期的に繰り返すせいで、我が人生が翻弄され歪め続けられる事態が実に嘆かわしい!

 ただ、今後もこれを受け入れねばならないのかもしれない。
 加齢と共に症状が悪化する事態にも、不本意ながら既に想像が付いている…


 この病気にかかったならば、やはり外出時には「サングラス」に依存するしか方策が取れないのだろうか?
 そうなると。

 世間の皆様相手に、「サングラスを掛けていても決して不審者でも芸能人でもなく“単に目を患っている”との事実」を訴える運動でも起こすべきか! との発想も湧いてしまう程に、現在持病との闘いに切実な思いの原左都子だ…。