原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

2014年「STAP細胞事件」回顧版

2022年09月10日 | 医学・医療・介護
 今朝我が「原左都子エッセイ集」編集画面を開いたところ。

 医学関係者である原左都子が2014年から2015年3月頃にかけて十数本連載した「STAP細胞事件」に関連する医学カテゴリーエッセイに、沢山の閲覧を頂戴していた。

 それらを一気に自分で読み直してみると。

 2014年と言えば、今から8年前。
 この私も医学分野にて実験研究にかかわった時期から今ほどの年月が経過していなかったこともあり、随分と首尾一貫した医学論評が叶っているのに、自分でも驚いた。
 
 こちらが、昨日2022.09.16のPopular Entiries 。

         

 2014年当時に公開した、「STAP細胞事件」関連エッセイをまとめたバックナンバーがあるため、その部分も以下に再掲載しよう。

   2月3日  「実験好きと理系頭脳とは相関し得るのか?」
  3月12日  「STAP細胞騒動は基礎研究体質のいい加減さを露呈した」
  4月3日   「STAP騒動、私なら未熟者扱いされるより捏造を認めたい」
  4月10日  「4/9小保方会見、むしろ科学者として墓穴を掘った」
  5月10日  「5/8理研調査委『STAP論文取下げ』記者会見を論評する」
  5月21日  「小保方論文“切り貼り”は何故『改ざん』と確定されたか?」
  6月4日   「STAP論文すべて撤回で、今後の小保方氏の行く末は?」
  6月14   「理研の新法人化は当分棚上げにするべき」
  7月2日   「小保方氏って、未だ理研から給与貰ってるの?」
  7月29日  「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない」
  8月5日   「笹井副センター長自殺はSTAP不正を証明したも同然」
  10月25日 「STAP事件は“必然”だったか“偶然”だったか!?」



 上記の中から、2014.7.29公開「小保方氏はもはや不正疑惑から逃れられない」の一部を、以下に再掲載させていただこう。 

 7月27日夜9時からNHK総合テレビにて放送された NHKスペシャル 「調査報告STAP細胞“不正の深層に迫る 疑惑の論文を徹底検証」 を、元科学者の端くれの私は当然ながら視聴した。
 全体的な印象としては特段のトピックス的話題はなかったものの、さすがにテレビ報道番組だけあって、よくぞこの場面を撮影出来たものだとのサプライズ感は十分に得られた。

 報道内容の一部を、私論を交えつつ以下に振り返ってみよう。 (ただし我が簡易メモと記憶のみに頼るため、内容に誤りがある恐れが否めない点をあらかじめお詫びしておく。)

 小保方晴子氏が、現山梨大学生命環境学部附属ライフサイエンス実験施設長・教授、理化学研究所客員主管研究員であられる 若山照彦氏 と知り合ったのは、2010年夏の事だったらしい。
 その時、若山氏はハーバード大学研究室帰り直後の小保方氏を、(私論だが)“ただそれだけの理由で何の根拠もなく”「優秀な研究者」とみなしたようだ。 そして(後で思えば不正だらけの)STAP研究以外には何らの実績もない小保方氏との若造研究者に、自分の研究室の隣に個室研究室を与えた。

 その個室研究室映像をNHKテレビで実際に見て、私は実に驚いた。
 この「小保方個室」こそが、STAP不正騒動の着火点、諸悪の根源ではなかったかとの思いと共に…。

 私事を語ると、元科学者の端くれである私も個室研究室や実験室での作業経験が過去に於いて多々ある。 一つの実験・研究プロジェクト課題を達成するに当たり、ある一定期間個室実験室内で一人で研究に励む事は官民問わずよくある事だ。
 ただその場合重要なのは、プロジェクト目標に向けての計画進捗度合いや達成度の確認、一人で実施した実験内容に関するプロジェクト内での検証作業である。 そのため、例えば1日に一度はプロジェクトメンバーが集結してその状況を確認、話し合う場が設けられたものだ。
 さて、若山氏と小保方氏の間ではそのような会合の機会があったのだろうか?   NHK映像で見た閑散とした風景の理研内個室に於いて、もしや未だ若き小保方氏は科学者として未熟な身にして、日々ただただ孤立感を深めていったのではなかろうか…

 「STAP細胞は存在するか?」
 この絶対的命題に関するNHKの取材及び映像も的を射ていたと、私は評価する。
 NHKはこれに関して100名を超える科学者達を取材したようだ。 
 その取材力の賜物として、NHKは小保方研究室内で見つかった「ES細胞容器」の出どころを突き止めたようだ。 ここでは詳細記述は避けるが、理研所属研究員によるその出どころの証言は信憑性が高いと私も評価する。

 あるいは、小保方ネイチャー論文に関する科学者達の検証場面の映像も、大いなる信憑性があると私は支持する。
 小保方ネイチャー論文に関しては、一般発表によるとその一部のみに「捏造」「改ざん」があったと結論付けられているが、その実7割を超える画像に不正があるとの指摘を、NHKが科学者達の検証場面の映像と共に紹介した事実を私は評価したい。

 NHKの取材は、小保方晴子氏を大々的に取り上げ世に売り込んだとも言える笹井氏にも及んでいた。
 笹井氏なる人物こそが、若き小保方氏を利用して自らの利益(例えば将来の「ノーベル賞」受賞等)を得ようと企んだ張本人ではなかろうかと、私も以前より感づいていた。 
 NHKの取材によると、笹井氏とはES細胞分野で名を挙げている科学者にして“マルチタレント性”があるとの事だ。
 そこで小保方STAP研究にその“力量”を発揮して、ネイチャー論文として仕立て上げ、自分こそが「STAP特許」でも取ってその後「ノーベル賞」に発展させれば、今後国家からの理研への膨大な資金援助にもつながると企んだとの原左都子の理解でもある。 
 理研神戸センターの重要人物である、笹井芳樹氏に関するウィキペディア情報の一部を以下に紹介しよう。
 笹井 芳樹(1962年)は日本の医学者、研究者。京都大学博士。 神経系の初期発生の遺伝子・細胞レベルの研究者として知られる。世界で初めてES細胞による網膜の分化誘導に成功し、立体的な網膜を生成することにも成功した。
 京都大学助教授、教授、理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(Center for Developmental Biology)グループディレクター、同 副センター長を歴任。受賞実績多数。2014年のSTAP研究不正事件では、様々な責任が追究されている。
 (以上、ウィキペディアより一部を引用。)

 NHK報道によると、笹井氏とは国家から「プロジェクトマネー」が取れる類まれな人物として、理研神戸センター(CDB)長である竹内氏らも大いなる期待を寄せられているらしい。
 理研神戸センター長の立場としては、今後も事件解決を先送りして、神戸センターの存続を望みたいとのNHKの報道だが…。
 世論を知るすべもなく、何だかもの悲しい結論を理研神戸センター(CDB)は求めているようだが……

 ただ未だ若き小保方晴子氏の未来を見つめた場合、ご本人よりの「科学者としての未熟さ」故の失態との訴えこそが正しい結論と受け止めて済む話なのだろうか??
 小保方氏の科学者としての資質(の無さ)に関しては、現在まで誰からも適切な指導を受けていない氏のその実態を、理研からまんまと利用された事は間違いないであろう。
 そうであるならば尚更、もしも今一度小保方氏が本来あるべく「科学者」として人生を出直したいのであれば、ここはきっぱりと「理研」を自主退職して欲しいものだ。
 いつまでも科学素人弁護士氏に頼っていたとて、らちが明かないであろうに……
 そして忌々しいまでの理研騒動に巻き込まれない新天地で、ご自身の科学力を今一度一から磨き直しては如何なのか!?

 (以上、「原左都子エッセイ集」バックナンバーより再掲載したもの。)



 その小保方晴子氏が、少し前に都内名店にて「パティシエ」として勤務しているとの情報も得た。
 その報道をみて実に驚くと同時に、私は思った。
 やはりこの方って、元々医学には“ずぶの素人”だったのだろう。その身で、単に実験の腕がよかったのと、笹井氏(上記を参照下さい)に“溺愛”されたがばかりに再生細胞実験を任され、ネイチャー論文(後に取り消し処分)を小保方氏の氏名にて提出してもらうとの厚遇を受ける始末… 
 ただ、そもそも医学界で不正がいつまでも認められ続ける訳もなく、結果として笹井氏は理化学研究所の階段にて首吊り自殺。(再生細胞研究界においては、惜しい人材を失ったとの結末だが…)

 小保方氏もその後姿をくらましたかと思ったら、上記の如く“パティシエ”になったとの情報も出て。

 実はこの私は、この報道に一番驚かされた。
 医学界で自身の業績を積んだ身の人間がいくら手先が器用とて、趣味でお菓子を作ることはあれども、絶体絶命の立場であれ「パティシエ」になることはあり得ない!! (それは、誤解を恐れずに言うと「医学関係者」としての揺るぎないプライドがある故だ。)


 まさに小保方氏が「パティシエ」になった時点でこの事件が完全に一件落着した感が、原左都子にはある。 


専業主婦が大学院へ行くのは自由だが、肝心なのは学問に対する熱意と将来の夢だろう

2022年09月08日 | 自己実現
 朝日新聞2022.09.07付記事内に「専業主婦 思いはそれぞれ」と題する記事があった。


 その記事によると、「『専業主婦は時間もお金にも余裕がある。』そんなイメージを押しつけられているように感じるという当事者は少なくない」そうだ。


 当該記事内より「大学院進学したけれど」と題する記事を、以下に引用しよう。

 専業主婦だった35歳のときに大学院進学を決意し、念願だった大学院生になった。 「主婦業をやりながら大学院で研究をしている」というスタンスでSNSを発信すると「夫に養われて働く気がない裕福な主婦とみなしたようなコメントが多く寄せられた。主婦や専業主婦と言っても様々な背景を持ち、様々な生き方をしている人がいるということを知って欲しいです。(40歳女性、主婦、大学院生)

 (以上、朝日新聞記事より引用。)



 これを読んでの原左都子の感想を書かせていただくと。

 せっかくSNSにて発信したのに、肝心要の“ご自身が何故大学院にての学問を目指されたのかその詳細背景や、ご自身の現在の生き様をもっとSNS内にて語れば、そのようなマイナスの反応は届かなかったのではないかと想像する。

 あるいは、大学院にてのご自身の学問の専攻分野や将来的に何を目指しているのか、等々を具体的に記述してもよかったはずだ。
 それを明瞭に語った内容であるならば、「夫に養われて働く気がない裕福な主婦とみなしたようなコメント」が届くはずも無かったであろうと考える。

 そんな熱い思いを本人がSNSにて本心で伝えたいのならば、特段「主婦」であることを強調せずにも済んだであろうし。
 それこそ「学問の自由」の時代だ! その心の底から燃え滾る思いこそをSNSにて発信すれば、読む人にブレない思いを伝えられたはずだ。



 原左都子の私事に入らせていただこう。

 この私も、30代にして2度目に入学した大学・大学院にて6年間に渡り一心に学んだ身だが。
 とにかく学問への熱い思いがまさに燃え滾っていて、結婚などしている場合では無かったものだ。(いや、恋愛活動には十分積極的だったが。😜

 医学分野にて一応の成功を遂げ、自力で首都圏に一人で暮らせる不動産物件を購入する財力も既にありそれを実行した。
 そんな身にして、余裕で大学・大学院の学費(公立大学・大学院だったため授業料が安価だったことに助けられたが)を自力で収めつつの学業三昧だったものだ。
 独身の身で誰に文句を言われる筋合いも無く、とにかく自由奔放に学問に没頭できる環境下にて成績優秀(これ、ホントです)にして「経営法学修士」を無事に取得した後。 偶然に依頼が来た「県立高校教諭」を勤めることとなった。
 私本人としては大学院終了後、またもや医学界へ戻るとの選択肢も十分にあったのだが、せっかくの教諭依頼も人生経験の一つと考え喜んで受け入れた。
 これらの経験が更に我が人生を豊かにしてくれたと、後に実にありがたく振り返っている。


 世を見渡すと、今時は主婦等の学生を迎え入れる大学・大学院が全国に量産されている様子だ。(失礼は承知だが底辺私学は経営難のため、せめてものその財源として利用しているのだろうが…)😫 

 私の場合は、通常の若者が入学する正規の大学・大学院へ再入学したため、それらの学問環境を全く承知していない。
 一体如何なる授業を施していて、卒業・修了後に如何なる特典があるのだろう???

 主婦等々に就職斡旋サービス等々をする学内体制があるのだろうか??
 それがあるのならば、せっかく学位を取得するのだからそれにチャレンジするとの夢も描けようが…

 まさに上述の大学院生となられた主婦の方のように。
 「夫に養われて働く気がない裕福な主婦とみなしたようなコメント」になど、心を痛めている場合ではなく。
 大学院修了後は、是非共“職業人”として生きる覚悟と希望を持って学問に励んで欲しいものである。


 実際、今時「大学院修了者」の社会における扱いの程が(特に我が国日本では)極度に劣悪なのが、悲しいかな現状だ。
 現役学生ですら、「大学院(特に博士課程)を出たら職が無い」と言われる悲惨な現実である。😱 


 そんな中、主婦の立場でせっかく大学院へ入学したのならば。
 繰り返すが、どうかそのまたとは無い機会を有意義に活用され、学問に対する大いなる熱意とご自身なりの将来の職業的夢を描きつつ、精進していただきたいものである。


私が生まれ育った地では「蚊に“かまれる”」と言います。

2022年09月07日 | その他オピニオン
 表題の「蚊に“かまれる”」を、単身上京後の夏場に私が頻発すると。


 周囲から「そんな表現するの、〇ちゃん(私の事)だけだよ!」と、皆にせせら笑われたものだ。😁 

 そういう“東京人”の皆さんは、「蚊に“さされる”」派が断然多く。
 中には、「蚊に“くわれる”」派もいたなあ。



 これを久々に思い出させてくれたのは、2022.09.05付朝日新聞「天声人語」である。

 早速、以下に要約引用しよう。
 
 昨夏、この欄で蚊の話題をとりあげた。 「蚊にかまれる」と書いたところ、読者から相次いで問い合わせをいただいた。 いずれも「かまれる」という言い方は聞いたことが無いとのご指摘だった。
 山形県内の読者は電話で、「私は『蚊にさされる』と言うのですが、これは方言でしょうか。」 神奈川県の方からはメールが。「東京で生まれ、東北を転勤し、横浜で半世紀以上を過ごした。『かまれる』という表現は初めて目にした。 どこの地域で『かむ』というのか知りたい」
 国立国語研究所(東京都)に、大西拓一郎教授を訪ねた。 蚊に血を吸われる現象をどう表現するか、2009年に全国調査をした。 「さされる」という回答は、秋田、岐阜、長崎など広域に及んだ。 「くわれる」も青森から新潟、愛知、沖縄で確認された。 
 対照的だったのは「かまれる」だ。 近畿と四国東部に集中し、東日本では使われていなかった。
 「それでも、さされるが標準語の地位にあるとは断定できない状況です」
 <蚊の居ない夏は山葵のついかない鯛の刺身のやうなもの>と物理学者の寺田寅彦は書いた。 蚊に襲われないと夏を迎えた気がしないそうだ。 とてもそんな境地にはなれないが、それにしても今夏は蚊の襲来が少なかった気がする。 猛暑続きでも蚊も夏バテに参っているのだろうか。
 と思いきや、暑さが和らいできたとたん、連中が猛攻を再開した。

 (以下略すが、以上朝日新聞「天声人語」より引用したもの。)



 
 原左都子の私事及び私見に入ろう。

 上記「天声人語」引用文最後の、「今夏は蚊の襲来が少なかった気がする」に関してだが。

 東京に暮らす私は、この“蚊の襲来が少ない現象”が既に数年前に始まりその後ずっと続いている気がする。

 その理由に関してだが。
 ちょうど藪蚊が都内の大規模公園等々に大量発生した頃から、我が家内での蚊の発生が絶滅した記憶がある。
 我が家は、都内大規模公園に比較的近い場所に位置するのだが。
 あくまでも私の推測に過ぎないが、その頃から藪蚊感染対策として大規模公園内に大々的に薬剤散布を実施し始めて、その後毎年初夏になる前にその散布が恒例となっていると把握している。
 このお陰(とまで言ってしまうと、薬剤の人体への悪影響を無視した表現となり語弊があるかもしれないが)で、大規模公園周辺の家庭で発生する“家蚊”もその薬剤についでにやられ“イチコロ”状態なのではないか?? と推測するのだが。

 実際、数年前から我が家では夏の“蚊対策”がまったく必要無くなる程に、家内で蚊が発生していない状況だ。😲 

 これを有難いと捉えるか、今後の副作用が怖いと考えるべきか、よく分からないまま。 とにかく蚊に“かまれて”痒い思いをする事態から解放され、清々しているのは確かだ。



 さて、本題であるその“かまれる”表現に話題を戻そう。

 上記「社説」によれば、蚊に“かまれる”との表現を使用するのは「近畿と四国東部」にのみ集中しているとのこと。

 そうだよなあ。 
 どう考察しても、「蚊に“かまれる”」は誤った表現だ。(“くわれる”に関しても同等だが。

 蚊さん達は決して、人を「噛んだり」「食ったり」していない。
 いや、人の血を吸ってそれを食料としているため、「くわれる」に関しては全面的に誤りとは言えないだろうが。 
 「かまれる」に関しては100%誤り表現である、と結論付けられよう。

 
 この私はまさに「四国東部」の出身だが、あの辺の人種はそもそも“頭が悪いのか??”
 いえいえ、それは表現が悪いとしても。😖 

 未だに、我が出身地域で「蚊にかまれる」と表現しているとすれば。
 そろそろ、「蚊にさされる」と訂正してもよさそうかな…

 ただ、地方の方言って。 味わい深い部分もあるしなあ…
 

シニア世代にしてピューロランドへ一人で行く奴、いるの?!?

2022年09月06日 | 自己実現
 (冒頭写真は、昨日原左都子が一人でサンリオピューロランドへ出掛け、乗ったアトラクションにて自動撮影した写真。)


 表題の解答だが。
 は~~い、それはこの原左都子で~~~す!!
 
 いえね、昨年の秋頃、 昔小さい頃にキティちゃんの大大ファンだった娘と「久々にピューロランドへ行こうか?」との話になって。
 娘が、「行く。」 と言うので、私が2枚分電子チケットを申し込んだのだが。
 その後、それを実行しないまま放置して。 さらにその後、娘が親元から離れて独立して。
 すっかり、そのチケットの事を忘れ去っていたら。
 今年の夏になって、そのチケットがひょっこり出て来た。

 「安くもないチケットなのに無駄にするのはもったいない。」と考えた私が娘にどうするか確認すると。 「仕事が多忙に加えて、コロナ禍が気がかり…」との娘からのご返答。 「それじゃあ、各自で考えよう」と私が決定。

 そして、親の私がとりあえず一人で予約(コロナ対策で必ず事前予約が必要です。)して、昨日出かけたとのいきさつだ。


          
 ピューロランドの入口正面玄関です。

 入口で「手荷物検査」があり、それを終えてチケットを係員に手渡すと。
 「お一人ですか?」とやや怪訝そうに問うため、「そうです!」と力強く応えると、係員も笑顔になって、「どうぞお楽しみください!ナンタラ…」と返してくれた。

 これらは、入り口を入ってすぐの館内の様子。
          

          

          

 

          


          
 あっ、これこれ。 以前娘と2人で乗ったなあ。
 これ(Mymeroaddrive)に乗ると途中で自動写真を映してくれるんだ。 一人で来ると写真を映してくれる人がいないから、この自動写真でも買って帰ろ!

 そして、乗車しました!   

          

          

          

 と、調子よく楽しんだ私です!♪♪

 降りる際に係員の女の子が「洋服とマスクのコーディネートが素敵ですね!」と、なかなかのリップサービスだ!😁 

 
 さてお次は、何のアトラクションにしようかな?
 と思ってはみたが、月曜日にして結構な混雑ぶり!
 船のアトラクションは40分待ちとのことで、(そんなに待ってられないなあ)と考えている時に、ちょうど広場でショーが始まった。

          

          

          

           

          
 それを見た後。


 ピューロランド売店やその他のアトラクションを少し見学して。

           

           

           

 シニアの身としては、早めに退散することとした。


 係員の皆さんがなかなか気を使って下さったりして、シニア一人で行っても特段“場違い”感は抱かずに済んだなあ。

 でも、もう行く機会は無いかな??? 
 (孫とは一生縁が無さそうだし、それで十分良き人生!と実感出来ている我が身だし…。 いや実際問題、高齢出産の娘が親の真似して40歳近くで孫を産むとして、それを80歳過ぎた私に育てろ!と言われても、過酷だよ…😱  )
 

娘の大学受験、こちらはかなり “茨の道” だったかな??

2022年09月04日 | 教育・学校
 昨日は、娘の中学受験に関するエッセイを公開したが。


 そうなると、次は必然的に「大学受験」をテーマにするべきか??

 何分、我が娘の場合は中高一貫私学へ進学したため、高校受験はパスできた。

 そうだとして、それはそれで難題も抱えたものだ。


 我が娘の場合、中学生時点で「美術系大学」への進学希望があったため、当初はその方向で親の私も動いていた。

 とは言えども何事も“不確実性”を念頭に置いておかないことには、どんな落とし穴があるか予想がつかないものだ。
 いずれの方向へ進むにせよ、“石橋を叩く”行動を採らねば、との覚悟はこの私には常にあった。

 昨日の“中学受験版”にても記述したが。
 我が娘が進学した私立中高一貫校は、「大学推薦入試制度」の利用が可能だった。
 それを利用するためには、いくつかの関門がある。
 例えば、高3当初の推薦入試申し込み時点に於いて、教科評定平均5点満点の4.2以上(これは入試を受ける大学・学科により異なるが、最低でも3.6以上だったかな?)、「英検準2級」「漢検準2級」以上合格、高校欠席日数何日以内、その他にも本人の健康状態に関する評定もあっただろうか??)

 とにかくこれら“数値”を完璧にクリアしていなければ、推薦入試の“箸にも棒にも掛からない”ことは念頭に置いておくべきであろう。


 そこで、私は娘中学生時代から娘に対してその対策を採った。
 まずは、「英検準2級」「漢検準2級」以上合格だが。 (参考だが、我が娘は中学生以降は学科に関しては一切塾や予備校の世話にならず、高校教師経験のあるこの私がすべてその指導を担当した。
 (更に参考だが、娘は「数検」も中学生時代に3級を取得している。これも元々理系の私が指導した。)

 私の場合、時代背景的に「漢検」は今までただの一度も経験していないのだが。
 娘の場合は「3級」から受験し始めただろうか。 割と得意の様子で、中学生時点で「漢検準2級」合格をクリアしてくれた。

 「英検」に関しては、この私も「英検2級」を取得している。
 私がこれを取得したのは、30歳を過ぎてからの事だ。 2度目の大学受験にて頑張った英語力を形に残したく考え受験したら、合格した。
 この資格に関しては、様々な場面で履歴書欄に記入する機会が多い。 私の場合は医学関連資格が多い中、この履歴記述をしておくと結構重宝されたりもする。

 娘の場合は「漢検準2級」を取得するのは早かったが、「英検準2級」資格取得は高校まで持ち越した。 それでも、大学推薦制度利用までには余裕で間に合った。


 そんな娘の当初の進路は、やはり「美大受験」だった。
 そのため高1から美大予備校へ通わせ、夜間はそこでデッサン等々を頑張った。
 ところが高2の終わり頃になって、娘が母の私に涙ながらに訴えるには。
 「デッサンがどうしてもできない… もう金輪際美大受験はやめたい…」
 我が子は決して我がままでも気移りしやすい人種でもない。 それは、一貫して娘のサリバン母を勤めて来たこの私が一番よく知っている。

 時は、高2の終わりだ!
 これは、進路変更を急がなくては!!

 そう考えた私は娘に対し、「貴方の思いはよく分かった。進路変更をしよう! 今ならまだ大学「公募制推薦制度」の利用が間に合う。 泣いている場合ではなくて、今から早速、高校から配布されている『公募制推薦資料』を2人で見よう。」

 そうこうして、その夜のうちに2人で公募制推薦大学学部を決定した。
 そして娘に告げた。 「次回の高校での親子面談時に、某大学某学科の公募制推薦制度を利用したい旨は母の私が担任に告げる。 私の調査では貴方はその条件をすべて満たしている故に、それに反対される筋合いは無い。 貴方は安心して今まで通りに勉強に励みなさい。 学校の出席状況に関しては高3も含まれる故に、今後も健康に留意して学校は出来る限り欠席しないように。」

 その後、学校からも娘の希望大学学部の「公募制推薦」が認可され、秋になって娘はその受験に向かう事となった。

 受験科目は、「小論文」と「面接」。 それも、サリバン母の私が徹底指導した。
 小論文に関しては娘はテーマの的は外さないのだが、文字数がどうしても不足してしまうのを、受験前日の夜に至るまでサリバン母が指導した。


 当日「公募制推薦入試」を終えて帰宅した娘の表情が明るかった。
 寡黙な娘が元々得意ではない「面談」に於いても、ラッキーにも娘の高2までの「夜間美大予備校通い」履歴を大いにプラス評価してくれる教授が面接官にいた模様だ。


 これは、いけてるかな!?!
 と思った母と娘の手元に、数日後「大学公募制推薦・合格」通知が届いた!