原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

教員経験のある私も、娘の学校教員が出す宿題の手伝いは実に鬱陶しかった…

2024年03月23日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.03.19付朝日新聞・漫画「ののちゃん」より転載したもの。)



 表題に掲げたその最たるものは。

 比較的最近の2024.03.09付「再掲載『娘の高校夏季課題より憲法第21条『表現の自由…』に関して」にて紹介した、娘高校1年生時の「情報」にて出題された課題だったが…

 これに関しては 私自身の専門学問の一つが「法学」だったが故に。 時間は要したものの、完璧に仕上げて娘に提出させたものだ。
 (その結果、学校側が後にこの課題が難題過ぎるため適切でないと判断して提出不要措置となった。 我が娘にはせっかく私が仕上げた課題を提出させたところ、提出者が全校生徒の中でわずか3名だった事実をバックナンバーにて記載した。)


 さて、表題に戻ろう。

 私の場合はそもそも教員経験者であるため、教員の立場で生徒に宿題を出すのはお手の物だった。 
 とは言えども、宿題を出される生徒(やその家族)の身にいつもなったものだ。
 生徒の中にはアルバイト等々の仕事に励む子も少なからず存在したし。  
 (底辺高校においての教員である身にして)、その生徒のレベルの程に関してはいつも宿題を出す時の主要課題でもあった。
 そして肝心なのは、私が出す宿題に生徒の親を巻き込むべきでない、との私なりの基本的理念が必ずや存在した。

 そんなこんなで我が教員時代には、私が出題した宿題で親御さんにご迷惑をおかけしたことは皆無と心得ている。


 
 それに比して、冒頭の漫画「ののちゃん」では。

 ののちゃん曰く、「SDGsとやらについて、おかあさんと話し合いましょう。Chat GPTとやらについて考えてみましょう。」とやらの宿題が出されたようだ。😖 😵 

 いえいえこれが我が娘が現役小学生時代に担当教師から出されたとすれば。
 
 ののちゃんのお母さん同様に、究極「めんどくさく」て まずは怒り心頭状態になるであろう!!
 (我が娘も鬱陶しい教員に当たったものだ!! 子を持つ親とてやるべきことを抱えて日々多忙を極めているのに、担任教員のアンタの宿題に付き合えと喧嘩を売って来たな!!)😡 

 それでも負けず嫌いの私ならば、絶対に「理想回答」を仕上げて娘に提出させるだろうが…


 そうだとせよ教員経験のあるこの私も、ののちゃんのお母さんの味方だし、「めんどくさい」に尽きるよなあ。



 娘が私立高校1年生時の “若き独身数学女子教師”が日々提出してくる数学宿題の多さにも、参った経験がある。

 我が娘の高校生時代の特徴として、やることはちゃんとできるのだが時間がかかる、との事情を抱えていた。(幼き頃よりの「発達障害」が未だ解決していない時期だったが。)

 若き独身女子数学教師が、日々娘に提出してくる数学計算問題の多さに辟易としつつ。
 とにかく娘の健康を最優先課題と考慮し、睡眠時間を確保してやることを最優先する結果として。 私がすべての計算問題に解答したものを、娘のノートに写させるとの手段に出たものだ。
 これ、実はその後娘の高校1年生終了まで日々続いた! (数学得意な私にとってはなんてことはないのだが。) 横で解答を必死でノートに写す娘の健気な姿を今尚忘れることは無い…

 ただ その甲斐があったのか、我が娘は中3時点で「数検3級」をゲットしてくれるに至った。


 
 最後に、現在の世の学校の先生達に物申したいが。
 
 学校の宿題に家庭の家族を巻き込むとの手段は、如何なものか??
 特に今時、各家庭の形態(あり方)が大いに複雑化していることを理解した上での措置なのか!?!?

 親が確実に子どもの学校の手伝いを出来る時代は、既に終焉しているのではあるまいか???
 その発想の下に、学校教員は児童生徒に対する宿題の出し方を工夫して欲しいものである。
 

再掲載 「正しいお金のため方」

2024年03月22日 | お金
 こんなバックナンバーを、原左都子としては少しも再掲載したくはないのだが…


 何故か、公開後十数年の年月が流れているにもかかわらず、未だに時折上位にランクインするバックナンバーであるため。

 本日、再掲載させていただこう。




 私は住宅ローンの早返しが得意技のひとつであることは、当ブログのバックナンバーで既に述べた。(“お金”カテゴリーの「住宅ローンの早返し」をご参照下さい。)
 上記のバックナンバー記事「住宅ローンの早返し」において、現在までに居住用住宅物件を4件購入し(うち、2件は買い替え)すべて住宅ローンは短期間で完済していることを既述した。

 早期にローン返済するための第一条件は言わずと知れているが、返済できる資金が手元にあることである。
 資金を手元に保有するためにはどうすればよいか。その答えは簡単、お金を貯めればよいのである。

 近頃、主婦向けのマネー関連の雑誌が数多く刊行されているようだ。私はその種の雑誌を購入したことも、しようと思ったこともないのだが、新聞の下の方の広告欄で垣間見るとその内容には涙ぐましいものがある。一日の食費を1000円で抑えるだとか、年収300万円でも月10万円は貯蓄しようだとか…。 そんなに血眼にならないとお金って貯められないものかなあ、私に相談してくれたら普通に生活しながらお金が貯まる方法を伝授するのに…、といつも不思議に思ってしまうのである。
 
 私は物心がついた頃からお金を貯めていた。昔、学校の長期休暇前に「肝油ドロップ」を購入する慣習があったのだが、そのドロップの缶に小遣いの残りの小銭を貯め込んでいた。 決して親からそうするように教育された訳ではなく、自主的に貯めていた。小さい頃の小遣の使い道といえば駄菓子屋で駄菓子を買ったり、夏はかき氷を冬はお好み焼きを食べに行ったりすることなのだが、周囲の友人や姉といっしょに普通にそういうことも楽しんでいた。それでも、ドロップ缶の中の小銭は増える一方だった。そのドロップ缶貯金が増えることがうれしかった感覚の記憶は今でも私の脳裏にある。
 中学生になると月額で小遣をもらえるので、ドロップ缶の中身は小銭に加えて札も目立つようになっていた。
 そして高校生になると私の貯金は万札に形が変わり、それが何枚にもなった頃、私は自主的に近くの郵便局へ行って郵便貯金通帳を作った。今度はこの通帳が私の貯金箱となった。やはり、この残高が増えていくのが面白かった記憶がある。高校卒業時点でその残高は私の記憶によると10万円を超えていた。受験生であったためアルバイトをしていた訳ではない。あくまでも小遣をちまちま貯めた結果である。

 大人になって一人暮らしを始めてからは几帳面に家計簿をつけるようになった。もちろん自主的に。そして金融商品の金利に興味を持ち、郵便貯金一本からだんだん通帳を増やしていった。その残高がどんどん増えるのが快感なのである。
 私は外見的に派手好みであるし、特に独身の頃は行動も派手だったため一見ちゃらんぽらんな浪費家人間に見えたようだ。私がお金を貯め込んでいることは知る人ぞ知るのだが、周囲のほとんどの人たちはまさか私が預金通帳の残高を見ながらほくそ笑んでいるとは想像だにしなかったであろう。
 当時は高金利時代であった。預貯金の年利が8%という時期もあり、郵便局の定額預金など10年間で元利合計が元金の2倍以上になる美味しい時代もあった程だ。私は新聞の経済面の金融商品欄はいつも欠かさず注視していた。私はお金を貯める事に関しては石橋をたたいて渡るタイプで、ハイリスクハイリターン商品には決して手出ししなかった。20歳代後半で預金が1000万円を超えたとき、その大部分を信託銀行のビッグ(貸付信託複利5年もの)に入れ替えた。当時の安全商品の中では金利が最高だったためだ。あの時、お金をビッグに入れるために信託銀行に行った時の係員の無礼な対応は今でも忘れない。一見ちゃらちゃらした派手な小娘が信託銀行に何の用かと係員が思うのは無理もない話だ。

 結婚後はずっと低金利状態が続いているため、お金を貯めることよりも住宅ローン返済に集中してきた訳である。

 という訳で結論として、私のような庶民にとっての正しいお金の貯め方とは何か。“正しい”かどうかについては確信はないが、その秘訣はお金が貯まることがうれしいと思う気持ち、そしてお金を貯めることに対する興味ではなかろうか。まさに“好きこそ物の上手なれ”である。私の周りを見渡しても、浪費家というのはそもそもお金を貯めようという発想自体がさらさらないように見受けられる。
 そして、何よりもライフスタイルである。私は派手好みではあるけれど、ブランド物で身を固めたいなどという欲望がほとんどないことについてはバックナンバーでも既に述べている。私は小さい頃から物欲があまりない方であると思う。人の持ち物が欲しいと思う気持ちは昔からほとんどなく、マイペースで自分の人生を貫いてきている人間である。
 加えて、お金を貯めるために要求されるのは情報収集力であり、計画力であり管理力である。これらは最低限の必須条件であろう。

 このように考えてくると、やはりお金とは付け焼刃では貯まらないものなのかもしれない。持って生まれた適性や能力もお金を貯めるひとつの重要な要素となろう。

 お金を貯めたい皆さん、少しは参考になりましたでしょうか? 

 (以上、原左都子エッセ集初期頃のバックナンバーより再掲載させていただいたもの。)



 2024年の現在、私自身の「カネのため方」も大きく移ろいでいるかもしれないが。

 それでも 高齢期に達している今尚。

 原左都子は カネに困る事が一切無い暮らしを営みつつ、今後我が命が滅びるまで自力でこの世を生き残れる自信がある身にして。
 
 いま現在 当該バックナンバーを再公開して許されるだろうと、考察している。 


 (ドジャースに移籍した大谷選手の通訳を務めていた人物が「違法賭博」事件を起こしたニュースを見て、このエッセイを綴りたくなりました… どうして違法行為をしてまで自己資金を増やしたかったのか、原左都子には一生理解できない事件です… )

原左都子手作り「フェルトのミニバッグ」です♪♪

2024年03月20日 | 自己実現
 (冒頭写真は、先だって原左都子が手作りした「フェルトのミニバッグ」。)



 これ、もしかしたらご存じの方々もいらっしゃるだろう。


 某デリバリー釜めし店舗が “幼児用付録” として持参してくれる 「フェルトのミニバッグ」キットとその作り方説明書。
          
 
 このキット説明書を読みつつ原左都子が冒頭写真のミニバッグを作り終えた後の、残りの針・糸と作り方説明書を撮影したもの。

         

         
 これらは、全体像。


         

         
 こちらは、アップ像です。



 さすがに「幼児用付録」とあって、作り方は簡単!

 付録のとじ針に毛糸を通してフェルトの本体をぐるりと繋ぎ、取っ手を取り付けて。

 同じく付録フェルトパーツの花や蝶を自宅にあるボンド等で貼り付ければ完成です。
 (参考ですが、我が家には「木工用ボンド」しかなくフェルトがくっつかなかったため、ホッチキスで止めました。)


 まさに幼児用付録であり、今のところ用途不明ですが。

 久しぶりに「針仕事」などに勤しめて、楽しいひと時を過ごしました。
 作成時間は、約5分間でした。

 この作業を実施して感じたのは。
 幼き子どもの「立体感」育成教育に、大いに有効であることでしょう。😃 



 最後に参考ですが。

 この私、中学校までの「家庭科」が実は優秀でした!!😜 
 中学卒業時点で各教科の上位5名に科目ごとの「教科賞」が授与され、卒業式にて表彰されたのですが。
 私め 原左都子は「数学」「英語」「音楽」に加えて、「家庭科」でもその「教科賞」を受賞しました!!

 数、英、音楽に関しては 元々得意教科で、受賞に際し “当然感”😁 😝 があったのですが。
 「家庭科」での受賞は予想だにしていなくて、大変驚きで嬉しかったものです!
         

今の時代、「商売っ気」って邪魔なのかも?!?

2024年03月19日 | 人間関係
 本エッセイ集開設初期頃の 2008.06.03付バックナンバーに、「商売っ気を出そう!」なる表題のエッセイが存在する。
 これを今自分で読み直してみても、結構笑える。😁 



 とりあえず、当該バックナンバーの一部を以下に再掲載しよう。

 近頃買い物に行くと、この店「売る気あるんだろうか?」と呆れる場面によく出くわす。

 店に入って店員が暇を持て余しているように見えても「いらっしゃいませ!」の一言もなかったり、レジで会計をしようとしたら店員が面倒臭そうだったり、はたまた大手スーパーで買い物をしていると商品棚に商品を陳列しているパートのおばさん(?)に“忙しいんだからそこどいてよ”と言われんばかりに邪魔者扱いされたり、商品を手にとって見ているとその傍らで店員が無言でたたみ直したり…、例を挙げるときりがない。

 ある時、腕時計(一応ブランドもの)のベルト部分の接着が取れてきたのでベルト交換も視野に入れ時計屋へ行った。
 とりあえず私は尋ねた。「すみません。このベルトが取れかかっているんですが、接着し直していただくということは可能ですか?」 店主と思しき人物から返ってきた回答は「そんなのできないよ。ベルト替えなきゃダメだよ。」客として取り付く島がまったくない。
 相手は商売をしているはずなのに客に対して何でそんなに否定的なのか。少し柔らかく「修理はできませんが、ベルト交換はいかがでしょうか?」と何で言えないのか。そう受け応えした方が幾ばくかの収益につながると私は思うのだが…。
 「わかりました。」と一言だけ言い残し商売っ気のかけらもない店を去り、他店へ向かった。
 今度は親切だ。まず時計をじっくり見てくれて「この時計の場合ベルトはお取り寄せになりますが、もしお客様がこのメーカーのベルトでなくてもよろしければ今すぐベルト交換できますが。」  「はい、それで結構です。」と、私。
 そうして時計に合うベルトを何点か丹念に探してくれ、その中で私が一番気に入ったベルトにその場で付け替えてくれた。その腕時計は今でもバリバリの現役で活躍中である。

 またある時、糸を買いに手芸店へ行った。 私は、手芸の趣味はなくド素人だ。
 自分で目的の品を求めて店内を探せばよかったのだろうが、店員が暇そうだったのでいきなり尋ねた。「すみません。普通の糸が欲しいのですが。」
 確かに私のこの“普通の糸”の表現はちっとも的を射ていないであろう。それは認めるが、何分素人のためこういう表現しか思いつかないのだ。
 すると店員が少しイライラしつつ返ってきた答えは「普通の糸って何ですか!」 (だからそれをこっちが聞きたいんだってば…。)
 「どういうことに使用されるのですか?」と何で聞き返せないのだろうか?
 しょうがないので、素人の私が説明した。「ボタンをつけ直したり、ほつれた箇所を手で縫い直したりする糸です。」 それを聞いたか聞かないか呆れ顔の店員はそっけなく「ボタン付け糸ならこっちです。」と言い残してその場を去った。 たかが糸ひとつなので不本意ながらその店で買って帰った。

 いい例の話もしよう。
 つい先日、ブティックで夏物ワンピースを買った。 私はデザイン、柄とも気に入り試着してみてもサイズもバッチリ合うので買うことに決め、会計のためレジへ持って行った。 私の場合、洋服は自分の年齢より相当若好みなのだが、レジでは自分の年齢を考慮すると多少気後れする。 このブティックは小規模で店長と思しき若い女性ひとりが切り盛りしていたが、その女性店長は会計をしつつ「これ、すごく柄がいいでしょ!」と私を盛り立ててくれるのだ。なかなか商売っ気があってこれは気分がいい。このワンピース、私のお気に入りの一枚になりそうだ。またこのブティックに買いに来よう! (顧客なんて実に単純なものよ、商売人さん。)

 いずれにしても、上記のような小売店舗の商売っ気のなさは今の時代の人間関係の希薄さに源を発しているように私は考察する。
 人間関係が円滑に機能していた時代においては、商売も人間同士のコミュニケーション中心に成り立っていたように懐かしく思い出す。 私の子ども時代は、親に連れられて買い物に行ってその小売店の店主や店員や他の顧客も交えて一時話し込んだものだ。 子ども心に買い物は楽しい娯楽であったような記憶もある。
 都会に移り住んで以降は、大型小売店舗等における顧客に付きまとっての押し売りもどきの過剰サービスが敬遠されてきたのは私にも理解できる。
 ところが過剰サービスの廃止に便乗し過ぎて、商売の基本である顧客の要望に応えることまで排除してしまったのはなぜなのか。 大袈裟に言えばこの現象は現在の日本経済の低迷につながっていると言っても過言ではないようにも思う。

 私には小売商売経験はないが、日常の買い物くらいある程度気持ちよくしたいものである。そんな顧客のささやかな要望にさえも応えらない程、小売店舗にとって現在は余裕のない厳しい時代であるのか? 

 (以上、2008.06付バックナンバーより一部を引用したもの。)




 2008年と言えば、今から16年も前の話となる。

 2024年現在までの長き年月の流れと共に、世の「商売形態」も大幅に変遷を遂げた感がある。

 スーパーへ行けばレジには人影が無く、顧客個々が自分でセルフレジを「ピッ、ピッ」と通して一人でレジ清算をして買った商品を持ち帰る。

 今時の大型商業施設では、係員側から顧客に声を掛けることはまれだ。 用件があれば順番札を配られて係員が来るのを待ち、個別対応となる。
 
 そうそう 小売店では店員より声を掛けてくれる場面もあるが。 今時都会では“小売店”という店舗の存在すら見かけなくなっている。

 そんな時代背景の下では、「商売っ気」なる言葉自体が形骸化して当然とも考察可能だ。
 
 よく言えば、「売買関係における合理化・洗練化」とでも表現できようか?? 

 買い物の本来の目的とは、顧客側からすれば “自分が欲する商品を手に入れる事” であり。 本来はそこに人間関係が入り込む必要など皆無と結論づけられそうにも思う。
 ネット通販など、その最たる存在とも言えよう。

 とにかく、この世の「人的商売形態」は大きく移ろいだ。

 利便性が確実に高まった今の世の中でもあり、またちょぴり寂しい時代の到来でもある…


小学校の校歌、今でも歌えますよ!!

2024年03月17日 | 教育・学校
 (冒頭写真は、2024.03.16付朝日新聞「be」(between 読者とつくる)ページ、「小学校の校歌、歌えますか?」より転載したもの。



 小学校の校歌に関しては、本エッセイ集バックナンバーにても取り上げたことがあると記憶しているが。


 私は小学校を2校経験している。
 決して「転校」をしたわけではなく、自治体内公立小学校の統廃合が進んだ時期だったせいだ。

 小5(小4だったかな?)時にその統合に関する説明があった。
 私が通っていた小学校もその統廃合の対象となるとのことで、私の場合、最後の6年時のみ、新たに建設された新統合校舎にて学ぶこととなった。
 (参考だが、この新たな小学校が「モデル校舎」として全国的に名を馳せた時期があったようだ。 確かに通常の公立学校とはかけ離れたモダンでスタイリッシュな造りだった記憶がある。
 参考だが、私が公立小中学校時代に育った自治体は、「公営ボート競艇場」を抱えていて、そこから多額の収入を得ているいわば “ギャンブル市政” だった。😱 😫 


 その新たな統合小学校ではなく、もともと存在した「木津神(こつがみ)小学校」との大変珍しい校名の市立小学校へ私は入学したのだが。

 その小学校の校歌の歌詞が、これまた素晴らしかった!!

 未だに一番のみ覚えているので、以下に紹介しよう。


      木津神の 浦に年経て 寄る波も 同じ所に
      帰るなり 帰るなり
      ゆかし郷土に 輝ける 木津神校


 この校歌、曲も美しく情緒ある作りで 素晴らしく。
 
 元々音楽好きだった私は、幼心に大変気に入った校歌だった。

 だからこそ、今尚 記憶に残っている。

 小学校の統廃合と共に、この名曲の校歌が消えゆく運命にあったのが残念だったものだ。
 ただ 児童の一人だった我が脳裏には、今でも鮮明にこびりついている。

 
 参考だが、(ギャンブル市政にて)新しく建設された“モデル校舎の「〇〇市第一小学校の校歌を、少し紹介しておくと。

      みんな元気で頑張ろう
      みんなの力 第一小学校

 当時既に6年生だった私は、がっかりした…

 生徒を馬鹿にするんじゃないよ!! 😣 




 話題を大きく変えて。

 私が30代に二度目の大学として入学した大学校歌(古関裕而氏作曲 西条八十氏作詞 だったと記憶している)も、素晴らしかった!!

 (この話題に関しては、バックナンバーにても紹介した記憶があるが。)


 歌い出しからして、凄い!!

     ♪ ああー 〇大の 俊英 我ら!!  ♪♪


  これを本学学生達が高らかに歌っているのを、他大学の学生が聞くと。

  お前ら、アホか …   と思うらしい…