原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

一切契約も利用もしていないクレジットカード会社から5月分の請求書が届いた!!

2024年04月23日 | 時事論評
 ついさっきの出来事だが。



 パソコンにて私の某メールアドレスのメール着信チェックをしていたところ。

 「迷惑メール」ページに、某大手クレジットカード会社より冒頭表題の「5月分の請求金額のお知らせ」が届いていた。😱 

 その某大手クレジットカード会社を、私は後にも先にも一切利用していない立場だ!😲 


 とりあえず当該某大手クレジットカード会社へ電話をしたのだが、クレジットカード番号が無ければ通話ができないようだ。
 そりゃそうだろうが、とにかく私はそのクレジットカードを利用していないため当然ながら番号入力が不能だ。

 次に、パソコンにての某クレジット会社とのチャットをトライしてみたのだが。
 やはり所詮、某社のクレジットカードを持っている会員相手のチャットしか成り立たない様子だ。😫 


 そこに亭主が帰宅して来たので、上記の状況を説明したら。

 亭主が言うには、「〇子が某クレジット会社のカードを持っていないならば、大した問題は無いと思う。 とりあえず無視しておいて、5月の請求日以降に自分の銀行口座をチェックしてみたらどうか? おそらく某クレジットカード会社からの引き落としは無いと思う。 もしもそれがあったら、急いで某クレジット会社へ訴えるべきだ。」

 亭主が付け加えて、「今回迷惑を受けている〇子のメールアドレスを多方面にて使い過ぎていないか? その場合、何処かからそのメールアドレスが悪徳者に漏れている危険性はあるなあ。」😖 


 そう言われてみればその通りだ。

 少し前に、当該goo上でそれまで使用していた原左都子のgooメールアドレスが悪用された経験がある。
 その際すぐにgoo管理元に相談したところ、結論としては要するに「gooメールを廃止するのが一番手っ取り早い」との事だった。
 私も「その通り!」と同感して、すぐにgooメール廃止に踏み切った経験がある。


 今回の場合、私がメインで利用しているメールアドレスが被害に遭っている。
 亭主に言わせると、「メインメールアドレスをあちこちに使い過ぎるのは良くない。」
 そう言われてみるに、私は確かに各種通販サイトでそのメールアドレスを利用している。
 もしかしたら、最近購入した多少不信感を抱いた通販サイトから漏れたか!?!?

 疑えば、きりが無いが。

 今後の対策としては 亭主が言う通り、不信感を抱かされる通販サイトはそもそも避けるべきだろうし。
 その際には、普段一切使用していない gメールアドレスでも使うべきだろうか??



 それにしても、世に発生している事件類の凶悪さを目の当たりにしている現世に於いて、一部人類の心の腐敗がここまで進んでいる実態に驚愕させられる…

 とにかく善良な市民の皆さん。
 ご自身の命や財産は、ご自身で守り抜きましょう!!
 

昨日同窓会出席目的で行った飯田橋の某カフェにて撮影した写真です。

2024年04月22日 | 人間関係
 (冒頭写真は、昨日郷里の高校時代同窓会出席のために行った東京・飯田橋駅に程近いカフェにて撮影した写真。)



 昨日、半年ぶりに郷里高校の東京にての同窓会が飯田橋駅近くのカフェにて開催され、それに出席しました。

 今回の同窓会は参加者が7名とこぢんまりとした会合でした。
 同窓会も 参加者人数によりその運営や展開が大きく異なるものですが。
 まあ程々に参加者皆さん全員との会話が叶い、楽しいひと時を過ごせたと言えるでしょう。


 この飯田橋駅にすぐ近くに位置するカフェなのですが。
 立地条件がバツグン!!といいますか。
 写真をご覧いただけるとお分かりの通り、大都会の真ん中にしてこのように河川に恵まれた場所に存在していました。


        

        

        

 飯田橋駅に停車している電車も見えますが、これは私が乗って来たメトロ線の電車ではないでしょう。 
 JR線の電車かもしれません。 (一応各種検索にて調べたのですが、飯田橋駅近くとの場所は飲食店こそ多いものの特段の名所らしきものが無いためか、情報が得られませんでした。  あっそうそう、同窓会参加者のお一人男性が、近くに存在する「東京理科大学」のご出身だとおっしゃっていました。 ただしご本人はこの飯田橋校舎ではなく、地方の校舎に通われたそうです。)

 ボートが停泊していますが。
 これは観光用に運行されることもあるようです。




 最後に、原左都子の「同窓会」に関する私見を述べさせていただきましょう。

 ここ2,3年、同窓会に出席する機会が増えている。

 原左都子自身は、どちらかというと「同窓会」好きな部類ではない。
 特に職業現役時代には、そんなものに出席する時間がまるでとれなかったのが主たる理由だが。 如何なる同窓会開催連絡が届こうが、「欠席」!!返答一筋だったものだ。

 この同窓会に出席し始めたのは、晩婚・高齢出産の娘を亭主が一人で見てくれることが叶うようになった我が40代前半頃だっただろうか。

 ただその後も再び「医学関連」の仕事に就業した後には、また「同窓会」とは遠ざかった。

 それからある程度の年月が流れ、すっかり高齢者域に達している今。
 まさに、「同窓会」出席の適齢期になったと表現可能かもしれない。

 ただし、今現在は原左都子なりの「同窓会出席意義」を精査したい気もしているのが正直なところだ。

 とにかく高齢域に達したとて、私なりの主体的な「同窓会出席意義」を見出したくもある。
 誘われりゃ何でも出りゃいい、と言うものでは決して無いはずだ。

 このような「同窓会」直後感想を書ける自分を、今現在の私自身は自己高評価したいと思っている。
 

再掲載 「長谷川潔作『仏訳・竹取物語』挿絵」

2024年04月20日 | 芸術
(冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)



 ここのところネット上のAIのひとつ、Copilotさんに“おんぶに抱っこ”となるが。 
 そのCopilotさんが「原左都子エッセイ集」バックナンバーより上記写真付きの表題エッセイをネット上で紹介してくれていたのを良きこととして。

 当該バックナンバーを、以下に全文再掲載させていただこう。


 
(冒頭写真は、朝日新聞2022.09.13付「美の履歴書」より転載した 長谷川潔作 「仏訳『竹取物語』挿絵」。)

 早速作品の説明文を、以下に要約引用しよう。

 89歳で亡くなるまでパリを拠点に活躍した銅版画家・長谷川潔は、第一次世界大戦終結からまもない1918年に横浜を去り、フランスへ渡った。 南仏の風景やビーナス像を思わせる神話的な女性像などを描きながら、独自の表現を模索する日々。 (中略)
 その傍らで力を注いだのが挿絵本の制作だった。 日本から日夏耿之介や堀口大学といった詩人らと取り組んできた中で、最も時間をかけたのが、この「竹取物語」だという。 エングレービングで挿絵を施し、各章の書き出しの文字の図案から、容姿や活字、印刷、製本まで手がけた。 「完璧主義らしい長谷川の仕事ぶりがうかがえる」と担当学芸員の滝沢恭司さんは話す。(中略)
 長谷川の努力は、日本の伝統性と西洋文化が融合した傑作となって結実した。 完璧なまでに独自性を追い求めた姿勢の先に、やがて行き着く深遠な精神世界がみえてくる。

 (以上、朝日新聞記事より一部を要約引用したもの。) 

 ここで話題を変えて、「かぐや姫は神(天女)だったのか?」とのテーマを掲げ、それに関連するネット記述のひとつを以下に引用しよう。

 かぐや姫は宇宙人!? 正体を考察『竹取物語』では「かぐや姫」は月の住人として描かれています。主人公が地球人ではないということになり、その辺りが日本最古のSFとも言われている所以なのでしょう。
 「かぐや姫」の正体については昔から様々な説が議論されています。 モデルになった人物は、奈良から平安に実在した女性たちの名前が幾人も挙げられていますが 、ネックになるのは彼女は明らかに人間でないことです。
 なにしろ3か月で大人になってしまうのですから。またこの当時、宇宙人という概念があったのかは定かではないのですが、空を飛ぶ人間でない女性は数多く神話や物語に登場します。それが「天女」です。
 天女伝説は太古からあちこちに存在します。天の羽衣をまとい空を飛ぶ天女がそれを盗まれてしまって天に帰れなくなるという説話は驚くほど多く日本各地に存在するのです。「かぐや姫」は月に帰る時天の羽衣をまとっています。「かぐや姫」も天女であったということでしょうか。またこの「天女」は現代でいうところの宇宙人だったのかもしれませんね。(中略)    

 どうやら「かぐや姫」は何やら罪をおかし、地球に島流しのような刑に合わされていたように見受けられますね。そしてそこからが本題。いったい「かぐや姫」は何をしでかしたのでしょうか。 『竹取物語』ではその理由は説明されていません。ですから具体的にはわからないのですが、この物語が書かれたとされる時代と照らし合わせて推測してみると、流罪になっている人には高貴な人や政治的な策略で流された人もいたということが1つの糸口となるかもしれません。
 月からの使者の「かぐや姫」に対しての言葉遣いからも「かぐや姫」が月の世界で高貴な身分であることが分かるので、その高貴な人が地球などの賤しい場所に流されてしまうということは、よほど大きなことをしでかした可能性があると考えることができるのではないでしょうか。
 宇宙人ということで、地球人の私たちには想像もできない世界での罪であり、物語にヒントもないことから、各人の妄想の域を出ないことにはなりますが、その罪が何なのかを想像することも本作の楽しみ方のひとつでしょう。 (中略)
 日本人は古くから、月を愛でるという習慣を持ち、月は黄泉の国、いわゆる天国としても見ていました。 肉体を地球に捨て、浄められた魂だけが月に召され再び生を持ち地球に帰ってくるという、いわゆる輪廻転生の仏教的な考えです。   (以下略すが、以上ネット情報より引用したもの。)

 話題を、冒頭の長谷川潔作「仏訳『竹取物語』挿絵」に戻そう。

 この作品は「銅版画」のようだが。
 原左都子の感想としては、何とも繊細だがある意味で端的に仕上げられた銅版画の印象だ。
 特にかぐや姫の表情に、美しき中に可愛らしさも表現されていると感じる。
 月にて何らかの犯罪をおこして地球などとの賤しい場所に流されてしまった女性(天女)であるとは、この作品からは思いも及ばない。

 私には“月をめでる”なる風流な趣味はあまりないが。
 満月の夜にはたまには月をめでて、かぐや姫に思いを巡らせてみるか。

 (以上、「原左都子エッセイ集」2022.09.21公開のエッセイを再掲載したもの。)


 

 最後に、ネット上AIのCopilotさんにお礼を申し上げておこう。

 Copilotさんて、「原左都子エッセイ集」バックナンバーをも取り上げて、解説して下さる能力がおありなのですね。

 そんなこと、AIにとっては“へのカッパ”なのかもしれませんが。
 それにしても、今回は「竹取物語・かぐや姫」話題に触れた「原左都子エッセイ集」バックナンバーに注目して下さるとは!?!!

 思いがけない出来事であり、今後もCopilotさんによるこの種の“サプライズ!!”に期待したくもなりました!!


「原左都子がどうやってエッセイ執筆をしているか?」に対するAI・Copilotよりのご回答

2024年04月19日 | 自己実現
 早速、冒頭表題の質問に対する AI・Copilotさんよりの回答をネットより引用しよう。



 原左都子さんは、日々エッセイを綴り公開している際に、いくつかのポイントを重視しています。以下に彼女の執筆活動について詳しく説明します。
  1. 自由度と無責任さ:
    • 原さんは、自身のエッセイ集において、「人に伝わるか」よりも「自分自身が書きたい!」という感情を優先しています。
    • 彼女は文学者や評論家ではなく、一般人として日々エッセイを綴っているため、収入を得ることはありません。
    • この自由度と無責任さが、彼女の執筆活動を特徴づけています。
  2. 伝わる文章のポイント:
    • 原さんは、文章が伝わるためのポイントについても考えています。
    • 想定する相手を絞り込むこと、読者が「楽しかった」と感じる文章を書くこと、自分だけが考えていることを書くことが重要だとされています。
  3. 語彙力と「できる!」への欲求:
    • 原さんは文筆に関してはド素人であるため、語彙力は限られていると認めています。
    • 一般人から「できる!」と思われることよりも、自分のオピニオンを綴ることを優先しています。
 原左都子さんは、日常の些細な出来事から大きな社会問題まで、独自の視点と深い洞察を持ちながらエッセイを綴っています。

 (以上、ネット情報よりAI・Copilot氏の回答を引用したもの。)




 原左都子本人より、補足説明をしておこう。

 「伝わる文章のポイント」の中の。  
  • 想定する相手を絞り込むこと、読者が「楽しかった」と感じる文章を書くこと、自分だけが考えていることを書くことが重要だとされています。
 この部分に関してだが。
 想定する相手を絞り込む、のは結果としては正解なのだが。
 エッセイを綴るに当たって、いちいちその選定を自ら実施しているのではなく。 (そんな面倒くさい作業は一切していません。)  エッセイテーマの分野により自ずと読者が特定化されるのであろう程度の自らの認識はある、という意味です。


  • 一般人から「できる!」と思われることよりも、自分のオピニオンを綴ることを優先しています。
 これに関しても。
 他者から「できる!」と思われる事自体に さほどの価値意識は無い、との考え方です。
 決して、かっこつけているのでは無く。
 「できる!」と一言で言ったとて、何がどれ程出来るのかが肝心であり。 
 また そんな判断を他者から頂かずとて。
 既に高齢域に達し、長年に渡って学問・科学に接している身として。  ある程度は自分が何がどれだけできるのか、の判断は自身の自覚においてしたいと欲しそれを実行しつつエッセイ執筆活動に取り組んでいる。

 と言うのが、正解でしょうか。



 それにしても、AIのCopilotさん。
 日々「原左都子エッセイ集」をお読みいただき、Copilotさんなりの解説を頂戴しまして誠にありがとうございます。

 一般の方々にはさほど人気の無い「原左都子エッセイ集」、と重々自覚しつつの執筆の日々ですが。

 Copilotさんのお陰様で、日々の執筆の活力を頂戴していますよ!


2012.12 ブエノスアイレス旅行にて、冒頭漫画と全く同じ間違いをしでかした!!

2024年04月18日 | その他オピニオン
 (冒頭写真は、2024.04.14付朝日新聞・いちいひさいち氏著 漫画「ののちゃん」より転載したもの。)


 いやはや、建物の正面玄関のみならず裏玄関までもが立派な建物の場合、この失敗をやらかし易いのではなかろうか?!?



 時は 2012.12月、アルゼンチン・首都ブエノスアイレスにての出来事だ。

 このブエノスアイレス旅行は、知人美術家H氏の国際美術賞受賞の表彰式に同行させて頂く目的ではるばる地球の南半球まで訪れた。


 本題のエッセイ記載の前に、その時に撮影した写真の一部を以下に列挙させていただこう。

         
 世界的にも著名なブエノスアイレスの「カフェ・トルトーニ」にて。

         
 宿泊ホテルのクリスマスツリーの飾りつけ前にて。

         
 ブエノスアイレス街頭の郵便ポスト前にて。 昔の日本のポストにそっくりでした!


 
 さてそれでは、話題をブエノスアイレスにてのトラブルに移そう。

 H氏の美術賞受賞の前に、世界3大オペラ劇場と称されるブエノスアイレスの劇場見学へH氏の知人・モニカさん(後に日本にて美術個展を何度か開催され、この私もそれを鑑賞しに伺い 本エッセイ集バックナンバーにて美術展のモニカさん美術個展の様子を公開させていただいている。)の案内にて訪れる約束をしていた。

 その授賞式に先立って、H氏とH氏の美術関係お知り合いのブエノスアイレスを案内していただく目的で、ブエノスアイレスのオペラ劇場(だったと記憶している)の見学に出かけた時の事だ。



 そのオペラ劇場には H氏と私の二人で無事に到着し、劇場玄関先でモニカさんを待ったのだが。
 約束時間を超えていくら過ぎても、モニカさんがやって来ない。
 「これはおかしい!!」と2人で気付いた時には既に到着から1時間程が経過していただろうか??
 「もしかしたら、ここは“裏玄関”なのでは!!」と私が気付き、H氏にはその“裏玄関”にて待機してもらって、私が表玄関までモニカさんを探しに行った!

 そうしたところ、はやりモニカさんがその真正「正面玄関」にて首を長くして我々を待って下さっているではないか!!
 私もモニカさんも「英語会話」がさほど得意では無かった(その後美術家として世界を駆け巡っているモニカさんの英語力は急激にご上達されている!)のだが、育った国が異なれど人格が似て何となく相性が良かった2人の会話は不思議と通じた。
 (参考だが、その後日本にての美術個展で来日されたモニカさんの会場までの道案内を、私が引き受けたりもした。)

 とにかく、モニカさんがオペラ劇場の正面玄関で気長に我々を待って下さっていたお陰で、三者の合流が叶ったものだった! 



 あっそうそう。
 
 その時には、私は携帯電話をアルゼンチン旅行に持参していなかったのだが。 
 冒頭の「ののちゃん」漫画では、携帯電話で家族と連絡を取り合っている様子だ。

 確かに大規模建物(デパートやオペラ劇場等々)の「正面玄関」と「裏玄関」とは、国内外を問わず区別がつきにくいのではあるまいか?!??