礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

服部四郎氏のもうひとつの満洲土産

2019-03-01 00:40:49 | コラムと名言

◎服部四郎氏のもうひとつの満洲土産

 橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)の紹介にもどる。同書の巻末にある「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その一五回目で、〔和歌山県〕と〔三重県〕の項を紹介する。

〔和 歌 山 県〕
 和歌山県は多士済々であり、方言集も多い。それらを集めて大成したのは吉岡静雄氏の「和歌山県方言」である。これには約一万語を収めてある。沖縄県は別として、内地の方言集で約一万語を集めたものは外に類が無い。これを四六判三一一頁にまとめた手際もよい。
 杉村楚人冠氏は新聞人として有名な人であるが、この人に「和歌山方言集」の著がある。新聞記者の方言集は六種を数へるが、それにしても、杉村氏の様に、天下国家を論ずる地位にありながら、その筆を以て方言集を編んだ人は他に比類を見ない。柳田〔國男〕さんの朝日新聞社入りが、杉村・荒垣〔秀雄〕二氏を刺戟して方言集を編ましめ、同僚中神氏の有する滋賀県の方言調査書を発見して出版する事に成功した事を思へば、孤ならざる徳の偉大さに驚嘆する。
 この外、和歌山県方言としては、松本正信・上山景一・楳垣【ウメガキ】實〈ミノル〉・木下虎一郎・片山竹之助・藪重孝・吉村隆一郎氏をあげる事が出来る。
〔三 重 県〕
 三重県は研究者が少ない。伊勢に最上孝敬〈モガミ・タカヨシ〉氏、志摩に玉岡松一郞氏、紀伊に高田昇氏の採集があるが、伊賀は菊澤季生【スエヲ】氏の今後に期待する。「郷土の生物方言調査」の孫福正〈マゴフク・タダシ〉氏は生物学者である。
 服部四郎氏は東京帝大言語学科の学生時代から秀才の誉が高かつた。郷里亀山から、汽車に乗つて東上する途中、桑名の渡しを過ぎると、アクセントが俄に〈ニワカニ〉一変するのを早くから不思議に思つて居た。言語学科に入つて、西洋の諸家の説を読み、日本の方言学の勃興を目のあたり見て、これには重大な意義あるべき事を洞察し、科学的調査に着手したのは卒業も間近い頃であつた。その結果は予期以上の収獲をあげた。桑名は西方アクセントの東の端であり、対岸の長島は東方アクセントの西の端であり、東方アクセントと西方アクセントとは揖斐川〈イビガワ〉を境として居るといふ事実を発見したのである。これだけでも大発見であるが、同君はこれだけに満足せず、更に中国・四国・東北と調査の手を延ばし、全国に及ばうとした。しかし、これだけでは同君の雄心大志を満足させるに足りなかった。時恰も満洲事変起るや、同君の冒険心と知識慾とは極度に昂揚された。満洲国建国と同時に、匪賊跳梁の北満に赴き、幾度か生命の危険にさらされつつ、つぶさに辛苦を嘗めて、満洲土語と蒙古語の資料を蒐集して帰朝した。いま、東大に蒙古語を講じて居る。同君には今一つ大きな満洲土産があつた。それは、ロシヤ語と蒙古語とに通ずる韃靼人の花嫁である。いま、蒙古の包【パオ】ならぬ東京のアパートに、日満親善を身を以て実践して居る。この花嫁は、蒙古語について、夫君の良き助手ともなるであらう。
 先に、日露戦争起るや、金田一〔京助〕博士は、単身、軍用船に乗つて、樺太に渡り、樺太アイヌ語を研究し、中頃、日韓併合せらるるや、小倉〔紀蔵〕博士は朝鮮に渡つて、朝鮮語を研究し、近くは、日独戦争起るや、松岡〔静雄〕海軍大佐は陸戦隊を率ゐて南洋群島に渡り、右手に剣をひつさげ、左手に言語採集帳を携へ、南洋の土語を採集し、今又、満洲事変起るや、服部四郎氏は朔北の地に土語の研究に生命を賭する等、言語学者が常に第一線に立つて、国民の進路に指導者的役割を務め、懦夫〈ダフ〉をして起たしむる檄がある。

 若干、注釈する。「同僚中神氏」とあるのは、『近江史稿』(古川書店、一九一四)の著者・中神利人〈トシト〉(号は天弓)ではないかと思うが、確証はない。
 また、「藪重孝」とある人名は、たぶん、藪〈ヤブ〉が姓で、重孝が名であろう。重孝の読みは不明。

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