礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』を読む

2019-03-14 01:31:54 | コラムと名言

◎『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』を読む

 気になっていた白田著『府中三億円事件を計画・実行したのは私です。』(ポプラ社、二〇一八年一二月)を一読した。どう考えても、「真犯人」が書いたノンフィクションではない。
 しかし、ノンフィクションを装った小説として読めば、それなりに楽しめる。「楽しめる」というのは、小説としての完成度が高いという意味ではない。「本当に、真犯人が書いているのだろうか」、「いや、やはり、フィクションだろう」、などと考えながら読み進めてゆくと、結局、最後まで読んでしまう。そういう意味で「楽しめる」という意味である。
 読んでいて気づいたことだが、書き手は、二〇代か三〇代だと思う。ことによると、女性かもしれない。いずれにしても、三億円事件(一九六八年)のころの世相・風俗の描き方はリアルとは言えない。この時代については、団塊の世代の人々(その当時、二〇歳前後)に取材したか、あるいは、書籍や映像で調べたのだろう。
 当時は、今と違って、乗用車や自動二輪を持っている家庭は多くなかった。車の価格そのものが高かったし、免許を取るにも金がかかった。車検代・ガソリン代などの維持費も、現在に比べれば割高だった。ところが、この本の主人公の「私」(白田)は、乗用車も自動二輪も自由に乗りこなし、そのうえ、大学にまで通っている。
 無免許でなかったとすれば、いつ乗用車や自動二輪の免許を取ったのだろうか(先に自動二輪の免許を取ったはずである)。犯行を可能にした高度な運転技術は、いつ、どうやって身につけたのか。乗用車や自動二輪を乗り回しながら、受験勉強にも励んでいたというのだろうか(当時、東京で学園紛争が起きていた大学と言えば、そのほとんどが、今日でいうMARCHか、それ以上の名門大学だった)。大学の入学金は、誰が払ったのだろうか。このあたり、主人公や、その家庭の姿が、うまくイメージできない。紛争当時の大学構内、セクト間・セクト内の抗争、男女の活動家たちについての描写も、いまひとつリアリティがない。
 犯行計画は、警官の父親を持つ「省吾」とふたりで練った。当日は、その省吾を差し置いて、「私」と恋人の「京子」だけで実行したという。この展開は、それほど意外ではなかった。むかし、テレビで見た三億円事件のドラマ(ビートたけし主演)も、それと似た展開になっていたと記憶する。ただし、「現場」(現金輸送車を停止させた「現場」ということだと思う)に、「本物」の警察手帳を落してきたというという設定は、これまでの関係書には見られなかったものである。
 本書を、「ノンフィクションを装った小説」として読んだとき、最も違和感があったのは、「三神千昌」という女性の存在である。人物の造形に不自然なものを感じたわけではない。「私」は当初、三神を犯行に「助力」させようと考えていたという(一〇四ページ)、そのように考えた「必然性」が、感じられなかったのである。「小説」の上では、三神千昌を登場させる必要があったのだろうが、「犯行」の上では、この女性の助力は必須とまでは言えない。
 ほかにも気になる点はいくつかあったが、この著者が、読者を最後まで引っ張ってゆく筆力を持っていることだけは間違いない。続編または次作を期待する。

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