礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

本山桂川氏は市川町会議員に最高点で当選

2019-03-10 00:32:49 | コラムと名言

◎本山桂川氏は市川町会議員に最高点で当選

 橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)の紹介に戻る。同書の巻末にある「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その二三回目で、〔長崎県〕、〔大分県〕、および〔宮崎県〕の項を紹介する。

〔長 崎 県〕
 本山豊治(桂川)氏は、早稲田大学の政治経済科を卒業の後、長崎商工会議所の書記となり、後千葉県の市川商業学校の教諭となり、無産党華かなりし頃、市川町会議員選挙に無産党から立候補して、最高点当選の栄冠をかち得た事もあつた。早くから土俗学に興味を持ち、その方面の著書が多い。方言に対する興味も早くから萌して居たが、昭和四年〔一九二九〕の末頃から熱を帯びる様になり、「長崎方言に於ける語法・声音及テ転訛に関する研究」「長崎方言の研究」「長崎方言に於ける外来語の研究」「分類長崎方言語彙」「長崎県西彼杵〈ニシソノギ〉・東彼杵両郡方言分布調査」等を続々と刊行した。又、方言書の複刻も二三ある。
 山本靖民氏には「肥前千千石町〈チヂワチョウ〉方言誌」「肥前島原語彙稿」の著あり、又、神奈川県方言を調査して発表した。
 「壱岐島方言集」の著者山口麻太郎氏は大正十四年〔一九二五〕から方言の蒐集に着手したといふから、先駆者である。同書刊行後もなほ方言の蒐集を続け、前書を凌ぐ程の「続壱岐島方言集」を近く刊行する運びとなつた。その飽くなき蒐集欲と、ねばり強さには驚嘆の外は無い。同氏は、また、土俗学者としても有名であり、その方面の著書も多い。東邦電力会社の社長、松永安左衛門氏(壱岐出身)が、同氏の研究に感激して、郷土研究費の寄付を申出たといふ美談が伝へられて居る。
 島原小学校の「島原半島方言の研究」は菊判百九十八頁の大著である。小学校として、これ程大きな方言集を出すのは稀有の事である。この外、西彼杵郡には小川信一氏あり、対馬には島居〈シマズエ〉伝・大浦政臣の二氏がある。
〔大 分 県〕
 大分県立第一高女の「豊後方言集」は、市場直次郎・波多野宗喜・近藤佶三氏の共同労作である。師範学校と違ひ、女学校の生徒は市内の人が大部分を占めて居るので、全県的分布調査には不便だらうと思ふが、本書はこの困難を克服して、よく全県的調査に成功したのは敬服にたへない。
 大分県師範学校の「大分県方言考」の方は、調査に恵まれた地位を占めてゐるのだから、「豊後方言集」を凌ぐ分布調査を出して貰ひたかつた。
 三ケ尻浩氏の「大分県方言の研究」は、広く各県の方言と比較してある点が特色である。
〔宮 崎 県〕
 若山甲蔵氏に「日向の言葉」全三巻の著がある。これは語源?究を志したもので、学術味には乏しいが、肩のこらない随筆的面白味はある。日向に於ける殆ど唯一の方言集である。著者若山氏は、宮崎県政評論社長、土地での有力者である。郷土研究者として名あり、図書館長たりし事もある。
 日野巌氏は、宮崎農林学校教授、農学博士にして、郷土研究に造詣深く、方言に関する報告も多い。八面六臂の活動ぶりに驚く。

 大分県の近藤佶氏の「佶」の読みは不明。〈タダシ〉あるいは〈ツヨシ〉か。

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