礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

半殺しにした蛙を「カヘルバ」で生き返らせる

2014-04-16 05:20:41 | 日記

◎半殺しにした蛙を「カヘルバ」で生き返らせる

 数日前、某書店の百円均一の台から、橘正一・東条操『本州東部の方言』(明治書院、一九三四)という本を拾い上げた。本文五五ページの小冊子であるが、橘正一〈タチバナ・ショウイチ〉(一九〇二~一九四〇)の文章が載っているというだけで、間違いなくこれは掘り出し物であった(あくまでも、私にとって)。
 ここに収録されているのは、「前編 東北方言」(橘正一)、「後編 関東方言」(東条操)という二つの文章である。東条操が執筆している後編は、「関東方言」の概論であって、手堅くまとまっているところはサスガだが、ただそれだけの文章である。
 いっぽう、橘正一が執筆している前編は、一見すると概論風だが、実は一癖も二癖もある、民俗学的な「東北方言」論である。橘の文章は、第一章「東北方言の音韻」、第二章「東北方言の文法」、第三章「東北方言の単語」の全三章からなるが、特に第三章が「橘流」である。
 橘は、この第三章で、コトヒ・ベコ・ネマル・アッパ・アケヅ・スガル・キツ・ハウタウ・マギ・カヘルバ、以上、計一〇の単語について考証をおこなっている。これがどれも、非常に興味深い。
 本日は、これらのうち、「カヘルバ」について考証している部分を紹介してみたい。

一〇〕カヘルバ。「蜻蛉日記」に、「山ごもりの後は、あまかへるといふ名を付けられたりければ、かく物しけり云々」といつて次の一首がある。
  おほはこの 神の助や なかりけむ 契りし事を 思ひかへるは
 このオホハコの意味が判らなくて、オホハラの誤だらうとか、いやオホソラだらうとかいふ説が昔あつた。しかし誤ではない。このままで、善く意味が通る。蛙を半殺しにして、地に小穴を掘つて、車前草〈シャゼンソウ〉〔おおばこ〕を敷いて、その上に、半殺しにした蛙をのせて、また単前草をかぶせ、「蛙殿お死にやった、おんばく殿の御とむらひ」と口々に唱へれば、蛙が蘇るといふ子供の遊びは、江戸にもあつた(嬉遊笑覧、禽虫)。この遊びは平安朝の京都にもあつたと見える。「蜻蛉日記」の女主人公が山ごもりから帰つたので、尼帰ると仇名を付けられた。アマカヘルを雨蛙に取りなして、車前草を持ち出し、「思ひかへるは」に蛙葉〈カエルバ〉を隠した俳諧歌がある。これによつて、カヘルハが事前草の異名であつた事もわかる。「おほばこの神」と詠んだのは、何か、童謡を踏まへてゐるのかも知れない。
 車前草をカヘルッパと呼ぶ所は、今日では、青森・岩手・宮城・福島・茨城・千葉・栃木・埼玉・群馬・新潟・長野・山梨・静岡・愛知の十四県である。所によつて、多少の訛〈ナマリ〉はあるが、大した事ではない。岩手県福岡町辺ではゲェログサといふ。東北地方では、蛙をビッキといふので、これが車前草の方言にも現れて、ビッキキサ(山形)、ビッキグサ(秋田)、ビッキノハ(秋田・岩手・宮城)、ビキ草(岩手)などとなる。九州では、蛙をドンキューといふので、車前草の方言もドンキューグサである。埼玉県入間郡宗岡村で、ぎばうし〔擬宝珠〕をゲーロッパといひ、鳥取県西伯〈サイハク〉郡逢坂村〈オウサカソン〉で、どくだみをギャールクサといひ、上総〈カズサ〉で、たがらし〔田芥〕をカヘルノキヅケといふ、これは車前草の代りに、こんな物をも、蛙に投薬した子供等の医学史を語るものだらう。【以下は次回】

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 光文社版『鷲の唄』および『... | トップ | 「蛙葬」の遊びを近ごろの子... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事