◎気温が低かったが、エンジンは一度でかかった
雑誌『自動車の実務』第三巻から、宮本晃男の「東日本一周ドライブから」という連載記事を紹介している。本日は、その七回目。本日、紹介するのは、連載第四回(第三巻第四号、一九五三年四月)の前半。
=国産乗用車=
東日本一周ドライブから ⑷
弘前から青森・十和田・三本木・盛岡・仙台・山形へ 宮 本 晃 男
津軽富士と美人にみとれながら
弘前は岩木川流域の津軽平野の中心にあり、西に岩木山、東に八甲田山を望み、雪国だけに道は悪いが、最近は手入れがややすすみ、大分よくなってきているというのが地方の自動車人の意見であった。
この地域は、雪どけの季節には特に道路が壊れるらしい。
朝〔10月17日〕8時40分旅館を出発、弘前トヨタの工場で点検手入れの後、約1時間して出発。
川部、浪岡、青森と、57キロであるが約2時間の行程であった。新城を過ぎると東北に陸奥湾をへだてて、下北半島の朝比奈岳や恐山が美しくそびえている。
弘前も青森の〔ママ〕空襲の洗礼を受けた街だけに、街路は広く整然と改良され、明るい街となっており、なかなかの活況にさすが青森港をひかえた港町にふさわしい感じである。
市街地を一巡、各学校及び青森トヨタを訪門、小額の後、八甲田山麓を登り、すが湯〔酸ヶ湯〕温泉に一泊した。
途中は急坂の連続であるが、はるか見下る〔ママ〕陸奥湾の風光と、八甲田山のゆるやかな山のすそはまことに美しい。十和田湖観賞の旅客を運ぶ国鉄バスと民営バスが、シュシューッと勇ましく登ってくる。
箱根とちがって国立公園ではありながら道はせまく砂利は荒く、わだちは深く、小型四輪ではとても上れない。乗用車はフォードやトヨペットが上っていた。美しいバスガールが熱心にアナウンスしている。
橋本記者の上手な運転でエンジンの調子も上乗、3時間余ですが湯温泉についた。
この硫黄泉は、昔この八甲田山に住む鹿がけがをするとこの自然の温泉に足をふみ入れて傷を直す様子を猟人が見て、この温泉が始められたとのことで、昔は鹿の湯といったそうだ。なるほどと感心するほど入浴してみて良い湯だと思った。
温泉宿は大きいが一軒よりなく、昔の陸軍の兵営のような二階建であるが、女中さんはまじめな人たちで、翌日の宇樽部〈ウタルベ〉とちがってまことに純朴で深切なのに感心した。
旅館の設備も大切だろうが、やはりそれ以上に大切なのは従業員の心づくしだと思った。
今日からはいよいよ南下のコースで一歩一歩東京が近くなると思うと子供のようにうれしかった。
山々もみじが美しくやがて夜も暮れ、東京トヨタからはるばる激励に見えたトヨタの森さんと3人で久し振りで盃を傾けた。
十和田の絶景にほれた桂月
翌朝〔10月18日〕9時20分すが湯温泉を出発、急坂を登って蔦〈ツタ〉温泉に出だ。途中急坂を登り降りする多数の国営バス、民営バスの運転者の労苦には頭が下る思いがした。
大町桂月は十和田湖畔の自然の美しさを恋人としついに居を蔦温泉に移し、ついにこの景勝の地に後世を終えた人である。
奥入瀬〈オイラセ〉の溪流は紅葉し、その燃えるような美しさは例えようもない。
すが湯から、蔦温泉まではわずか16キロであるが約1時間を要する。
焼山〈ヤケヤマ〉から1時間余で十和田湖畔に出た。道巾はせまく一車線半である。
紅葉にはえる山の木々と紺碧に濃い十和田湖の水の色の対照は全くすばらしい。
休屋の湖畔を逍遙し、車をもどして宇樽部の東湖館に泊った。湖畔には十和田の観勝に集る人々がにぎわい、多数の国産新型バスがならんで帰りの人を待っていた。
乗合自動享の便がなかったなら、十和田景勝も知らずに終える人も多いことだろうと思った。
喜々として湖畔にたわむれる人々を見ても自動車のありがた味をしみじみ感じた。
夜盛岡及び、三本木から電話があり、明日〔10月19日〕午後3時までに盛岡に到着してほしいとのことで、翌早朝6時半出発と決めた。
翌朝は気温が低く朝もやがたれこめて、始動を心配したが、トヨペットのエンジンは一度で気よくかかった。
しばらく煖気の上出発した。
焼山から右へ三本木に向うと、右側の川ぞいに美しいダムがある。
まるで絵はがきに見るスイスかドイツのライン河の景色のようでまことに美しい。
文中、「三本木」とは、青森県上北郡三本木町。三本木町は、一九五五年(昭和三〇)に三本木市となり、さらに一九五六年(昭和三一)に十和田市と改称された。
また、奥入瀬川沿いの「美しいダム」というのは、たぶん立石ダムのことであろう。