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山口自民よりも広島が健全というお話  文科系

2021年06月19日 19時10分39秒 | 国内政治・経済・社会問題

 広島では、河井の「1・5億円選挙違反・懲役3年」で自民党員を止める人々が続出と伝えられている。当然だろう。過去に安倍を批判した溝手議員(岸田派)を落とすべく立候補させて、1・5億円ばらまいて当選を果たしたのが河井のお連れ合いさんだったのだから、「こんな安倍独裁自民党(員)などアホらしくてやってられるか」ということだろう。

 一方、「桜を観る会」という「国政功労者を祝い励ます会」をば「政権党の国会議員後援者を祝い励ます会」に替えてしまって、「桜で出会ったのは山口県人ばかり」という事態がバレて取りやめという事件からは、山口県自民党員が止めているという話は聞けない。安倍後援会員が選挙違反の出汁、手段にされたのに。それどころか、桜前夜祭5000円会費に安倍後援会の供応支出があったという事件で罰された安倍筆頭秘書は地元では復活して、相も変わらず大活躍しているのだそうだ。

 以上から言えることはこれ。自民党内で安倍独裁がどんどん進んで、低脳アベチルドレンだけが急増して来たということ。安倍が顧問をやっている日本会議の、有名なあの文書「日本会議がめざすもの」を一度でも読んでみていただきたい。なんせこんな事が書いてあるのである。

『私たちは、皇室を中心に、同じ歴史、文化、伝統を共有しているという歴史認識こそが、「同じ日本人だ」という同胞感を育み、社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力になると信じています』

 皇室を尊重しない人は「(日本)社会の安定を導き、ひいては国の力を大きくする原動力」にはなり得ないと断言しているのである。こんな信念の持ち主である政治家らは、断じて民主主義者とは言えない。「天皇を敬愛しない日本人」を憎み、排斥したいというような人々は民主主義者であるわけがない。民自身が国の主人公だという思想を否定しているのであるから。民主主義政治とは、民が民自身として国の主人公として尊いとする政治なのである。

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八十路ランナーの手記(358) 〝ランニング賛歌〟  文科系

2021年06月19日 07時51分19秒 | 文芸作品

 これは、2015年春に所属同人誌の月例冊子に掲載したもの。以来6年たっていますが、年を取る程にランニングの意味がもっともっと分かって来たものです。

【 ランニング賛歌 

 五十九歳からランニングを始めた僕は、五月が来ると七四歳になる。ランが老後にこれだけの恵みを与えてくれるとは、想像もつかぬことだった。
 膝が痛い? 新聞広告に満載される、コンドロイチンにグルコサミン? 若い頃椎間板ヘルニアで手術をしたこの身体なのに、その腰ばかりか膝にも、何のサプリメントも要らない。そもそも肩や首など、こったことがない。だから、パソコンに向かい続けていて、ふと気がつくと四~五時間なんてことはざらである。痩せるための健康器具? 体質もあるだろうが、僕が二十代に作った式服を着られるのは、スポーツ好きと今のランニングのおかげと確く信じている。身長一六九センチ体重五七キロで、二八インチのジーパンをはいている。ずらずらとこう書くとこの時代には特に自慢にしかとられないのは承知だが、まー一生懸命やってきたランニングの絶大な効果を伝えたいのだと、ご理解願いたい。
 医者たちからはこんな話も聴いている。「時速七キロ以上で歩ける人は長生きする」。当然、そうだろう。血管も含めた循環器系統が健全ならば、成人病も逃げ出すというもの。歯医者さんでこんなかけ声が行き交っているが、同じ理屈関連とも教えられた。「八〇歳まで自分の歯が二〇本ある人は、長生きする」。「健全な循環器系は細菌に対して免疫力があるということ。虫歯菌にも歯槽膿漏などにも強いのです」と教えられた。

 さて、こう考える僕だったから、六九歳新春に起こった慢性心房細動には、対する心臓カテーテル手術・ランニング禁止では、僕の人生が終わったと感じた。手術以前も、つまり慢性心房細動になる直前までは、不整脈を抱えてずーっと走り続けていたのである。それが手術の後には、無期限でもう止めなさいと医者に宣告されたのである。そんな未練からなのだが、七一歳の夏に医者に隠れて走り出し、「大丈夫」という実績をほんの少しずつ作っていった。秋には、主治医からの公認も取り付け、ジムに通い出す。以降故障や事故や試行錯誤等々も重なったけれど、今は心房細動前六六歳ごろの走力に戻っている。この一月七日、一時間の走行距離が念願の一〇キロに達した。僕にとっては六〇歳台半ばの走力に回復して、数々のメリットを改めて体感しているのである。最も嬉しかったのはこんなことだ。
 階段の上り下りが楽しいのである。地下鉄などの長い階段を一段飛ばしで登り切っては、脚の軽さを味わっている。一時無理がたたってアキレス腱痛に長く悩まされたが、試行錯誤を重ねつつこれを克服し終えた時に、新たに生まれた脚の軽さ、弾み! スキップが大好きだった子ども時代を思い出していた。

 昔の自分の小説で思いついて書いた僕なりのランニング賛歌を最後に加えて、結びとしたい。自分ながら好きな文章なのである。 
『ボスについて走り続けるのは犬科動物の本能的快感らしいが、二本脚で走り続けるという行為は哺乳類では人間だけの、その本能に根ざしたものではないか。この二本脚の奇形動物の中でも、世界の隅々にまで渡り、棲息して、生存のサバイバルを果たして来られたのは、特に二本脚好きの種、部族であったろう。そんな原始の先祖たちに、我々現代人はどれだけ背き果ててきたことか?! 神は己に似せて人を作ったと言う。だとしたら神こそ走る「人」なのだ』 】
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