九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆  「気品ある」サッカー選手   文科系

2021年06月18日 10時28分29秒 | スポーツ
 イングランドのフットボール界で、十八年ぶりのある珍事が起こっている。二部降格が常で一部にはたまにしかいないレスター・シティーが十八年ぶりにプレミアリーグ開幕二連勝を収めて、強豪相手の第三戦目も引き分けに持ち込んで、暫定ではあるが首位に立っている。なんせ選手給料総額で二十チーム中十九位という貧乏チームのこと、地元レスター市では大変な大騒ぎだ。日本でいえば野球とサッカーとを合わせた規模をも遙かに超えるイングランドサッカー界のこととて、大騒ぎの程度も違うのである。

 さて、この大躍進の立役者・攻撃陣三人のうちの一人が今期新加入の日本人だとは日本の人々は案外知らないようだ。今期ドイツからここに移ってきた我が日本代表FW、岡崎慎司。いつかはイングランドでやりたいという幼い頃からの夢をとうとう今年叶えたのである。リーグ開始後の三戦を先発した彼のプレーは何と生き生きと見えたことだろう。

 点取り屋として前にいるだけではなく、守備時にはかなりの距離を後ろに下がって行くのは彼のいつものプレーだ。下がっていくゆっくり走行が相手ボール保持者の視野の外に出た辺りから得意の猛ダッシュが始まって、あっという間に相手とボールの間に身体か脚をねじ込んでいる。その時の一メートル七四センチが、すぱっと思い切りよくって、一歩も引かない強靱さを示すのである。一九〇センチの大男相手にも迷いなど一切ない。相手ボールが浮いたある場面では、こんなプレーさえ観られた。相手の長い脚が、高く浮いたボールを迎えに上がらんとする。その脚とボールとの間に岡崎が得意のダイビング・ヘッドで飛び込んだ。短い足で競り合ってもボールを奪えないという窮余の判断なのだが、次に何が起こるかは誰にも想像が付く。スタート地点が高い頭でジャンプしていけば相手の脚は最後の一瞬緩むことにもなり、紙一重の差で頭が競り勝つ。そんなことまでを岡崎は計算済みなのだ。頭が奪ったボールが左前方の味方へと飛んだときには、当然頭と脚の衝突である。相手反則でプレーが止まり、蹲る岡崎、すぐに飛んでくるドクター。頭に流血があるらしく、吹き付ける血止めで髪の毛が真っ白だ。ちょっと頭を抑えた岡崎、ドクターの制止素振りを振り切って、すたすたと歩き出す。こんな彼のプレーがイングランド人には堪らないのである。

 後先を考えないような全力疾走とぶつかり合い。天空に頭を突き出し合う跳躍合戦。こういった果断、勇気にどっとわくのが、真冬にも詰めかけるイングランド観衆だ。かくして、岡崎のプレーにはこんな寸評が付される。第三戦に『ロンドン・イブニング・スタンダード』(相手の本拠地ロンドンの新聞である)に実際に書かれた表現である。
『気品ある疲れ知らずのランナー。素晴らしい獲得であると証明できた』
 別の新聞にはこんな問答もあった。
「凄い勇気ですが、怖くないんですか?」
「いいえいいえ。これがやりたくてプレミアリーグに来たんですから」

 さて、こんな岡崎を見ていると今年に入ってからは特に、日本国内ゲームが何とぬるく見えることか。サッカーという競技を足技サーカスと勘違いしているようだ。そんな日本人の締めとして、往年の代表FW武田修宏の相応の岡崎評を上げておく。
『日本代表で最多得点記録を持つ釜本邦茂さんには申し訳ないけど、日本人(歴代)最高のストライカーだと思っている。……現代サッカーで必要な技術はすべて兼ね備えている選手じゃないかな。』
 
 
(15年8月24日当ブログに掲載)
 
 上で「足技サーカス」と書きましたが、ここ数年日本のサッカーも随分変わりました。これではアジア・チャンピオンズ・リーグでさえ勝てなくなって10年近く。その反省から、今は日本のゲームもこうなっています。「サッカーはまず、格闘技である!」。「1対1で負けていては、まず、どうしようもない!」。これは、日本のキャプテン長谷部誠の言葉です。ちなみに、岡崎の特技は、1ゲームの「規定ダッシュ回数」。100mを15秒以上のスピードで1秒以上走るその回数ですが、日本の並みの選手は先ず30回も無い。岡崎はこれを時に50回近くやります。ドイツ・ドルトムント(今リバプールの監督をやっている、ユルゲン・クロップ監督)が起こしたゲーゲンプレス隆盛以来、格別に攻守に走り回ることを要求される現代サッカーになりました。ダッシュ回数が少ないと、攻守にわたる格闘にさえ参加させてもらえないのです。ダッシュ回数が少ないと、攻撃選手なら守備に走れず、守備選手なら攻撃に参加できないということ。この能力はせいぜい高校生までの鍛錬で決まってしまうものですが、ガンバの天才宇佐美は僕が思うにはこれが弱かった。逆に、今この能力によって脚光を浴び始めたのが、知る人ぞ知る、横浜の前田大然。ゴールに駆けつける回数が断然多い分で点が増えるのは、岡崎と一緒と観ています。
 
 
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中田英寿のメモリー  文科系

2021年06月18日 10時26分35秒 | スポーツ

 これは、06年ワールドカップ直後に僕の同人誌に書いたものだが、再掲させていただく。日本サッカーは、彼にどれだけ感謝してもしたりないはずだと、そういう思いで書いた物だ。サッカーが盛り上がって欲しい時になると、いつも思い出すべき事と、自分に言い聞かせている内容である。
 
【 最後に、〇六WCドイツ大会終了を待って、二九歳でサッカー界からの引退表明をした中田英寿のメモリーを記しておく。彼が日本サッカーにどれだけの革命をなしたかという諸事実の記録である。

 この20歳のジャパン登場がどれだけ衝撃的だったか
 九七年、フランスワールドカップ・アジア予選途中で絶望的な苦戦続きから加茂・代表監督解任という結末、窮地が訪れていた。前回の「ドーハの悲劇」を経て、「今回こそは、WC日本初出場!」という国民の期待が崩れかけていた瞬間である。この瞬間に、突如出現した新米の二十歳。チーム危機の中、実力でレギュラーをもぎ取り、あまたの先輩たちが即座に「チームの司令塔」と自然に認めて、その後数ゲームで日本初出場という結果を出して見せた「日本の救世主」。日本中を大フィーバーさせたのも当然のことだろう。この二十歳の出現がなければ、フランスでワールドカップ日本初出場という歴史自身がなかったはずなのだから。クライマックスとして上げられるのが「ジョホールバルの奇跡」、対イラン第三代表決定戦。得点したのは中山、城、岡野。この三得点それぞれへの最終パス(アシスト)は全て中田が出したものだった。
 さて、この彼、その後も日韓、ドイツと三回のワールドカップを引っ張り続け、さらに希有のアスリートであることを証明し続けて見せた。これが、中田の二十歳から二九歳までの出来事なのである。そもそも「三大会連続出場」は他に川口、小野だけだし、「三大会レギュラー出場」ともなればもちろん、中田以外にはいない。こうして、日本サッカー界の常識を覆した革命児と表現しても、サッカー界の誰一人反対はできないという選手なのである。
 これは今回に付ける注だが、その後三大会連続名選手がもう1人生まれた。長谷部誠である。彼はしかも、三大会連続キャプテンだ。長谷部については、このブログで、岡崎慎司に次いで多くのエントリーを書いているのでお読み願えれば嬉しい。その長谷部が、常にこう語っている。「ヒデさん、日本サッカー界に必ず戻ってきて下さい!」。と、ヒデはそんな長谷部の憧れの選手でもあったのである。

 サッカー選手として、どんな特長をもっていたか
 二十歳の彼のパスは、「『追いつけ!』という不親切この上ないもの」と日本の評論家たちから総スカンを食った。が数年後にはもう、彼のパススピードでしか世界には通用しないとは、周知の事実となった。
 「フィールドを鳥瞰していることを示すようなあの広い視野はどうやって身につけたものなのか?」。こちらは、反対者のいない関係者全員が初めから一致した驚きの声だった。どんなプレー中でも背筋を伸ばし首を前後左右へと回してきょろきょろする彼のスタイルは、その後日本の子ども達の間に広がっていったものだ。正確なロングパスは正確な視野からしか生まれないのだから。
 「人のいない所へ走り込まないフォワードにはパスをあげないよ」。これも今や、「フォワードは技術以上に、位置取りが全て」という、日本でも常識となった知恵だ。これについては日本FW陣の大御所、中山雅史のこんな証言を読んだことがある。
 「中田が俺に言うのね。『そんなに敵ディフェンダーをくっつけてちゃ、パスがあげられない。どこでも良いから敵を振り切るように走ってって。そこへパスを出すから。そしたらフリーでシュート打てるでしょう』。俺、そんな上手くいくかよと、思ったね。でもまー、走ってみた。きちんとパスが来るじゃない。フォワードとして『目から鱗』だったよ!」
 この出来事が中田二十歳の時のことだ。十年上の大先輩によくも言ったり!従ってみた中山もえらい。中山のこの「えらさ」こそ、三九歳の今日まで現役を続けられている最大の理由と、僕には思えるほどだ。封建的な日本スポーツ界では、希有なエピソードなのではないか。

(なお、これも今回付ける注だが、中山が2回得点王になったのは、この年98年と、2000年のことだ。31歳、33歳のゴンのこの得点力急増に従って、いわゆる「J至上最強チーム・ジュビロ磐田」が生まれる。このことについて、間接的にせよヒデの影響があったのは間違いない。僕はずっと、そう観てきた。)

 中田はまた、今では当たり前のことだが当時としては珍しく自分個人用のサッカー専用体力トレーニングにプロ入り以来毎日、汗を流し続けている。「走れなければサッカーにはならない」、「外国人には体力負けするなんて、プロとしては言い訳にもならないよ」。自らのプレー実績で示してきたこれらのことの背景こそ、このトレーニングなのである。

 こんな特徴・「世界」をどのように知り、身につけたのか
 さて、これら全ては今でこそ日本でも常識になっているものだ。しかし、中田はこれら全ての「世界水準」を二十歳にして、どうやって身につけたのか。「世界から習った」、「例えば十六歳で出会ったナイジェリアから」などと彼は述べている。ほとんど世界の相手を観察してえた「知恵」なのである。もの凄い観察力、分析力、練習プログラム考案力、自己規制!それら全てにおいて、なんと早熟だったことか!この上ない頭脳の持ち主が、観察のチャンスに恵まれたと語りうることだけは確かであろう。

 スポーツマスコミを軽蔑していたから、ナカタ・ネットを作った
 彼はまた、世の全てが媚びを売るがごときマスコミへの反逆者でもある。「嘘ばかり書く」、「下らない質問ばっかり投げてくる」と主張し続け、「こんなものは通さず、自分の大事なことはファンに直接語りたい」と、スポーツマン・ホームページの開拓者にもなったのだった。弱冠二一歳、九八年のことである。それも、日本語、英語、イタリア語だけでなく、中国語、韓国語版まで備えたサイトに育ち上がって行った。国際人というだけではなく、アジアの星にもなっていたということなのだろう。
 他方、日本のサッカーマスコミは未だに程度が低い。テレビのサッカー中継でも、ボールばかりを追いかけているように見える。サッカーの神髄はこれでは絶対に見えてこないはずだ。この『ボール追いかけ』カメラワークは野球中継の習慣から来ているものだろう。野球はどうしてもボールを追いかける。その習慣で、サッカーでもボールを追いかける『局面アングル』が多くなっているのではないか。それにもう一つ、新聞などの野球報道でも、勝ち負け、得点者に拘りすぎているように思われる。サッカーの得点は、ほとんど組織の結果と言って良いのだから、フォワードよりも組織を写して欲しいと思うのだ。得点を援助したラストパス、いわゆる「アシスト」報道がないのも、日本の特徴だろう。

 ありがとう、中田英寿。僕をこれほどのサッカー好きにしてくれて。僕の生活にサッカーを与えてくれて。】

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サッカーダイジェスト「天才論」に呼応して  文科系

2021年06月17日 14時14分15秒 | スポーツ

 月2回刊行のサッカーダイジェスト最新号が、「サッカー天才論」をやっている。この本をよく読みつつ日本人の世界的実績と付き合わせなどをしてみると、とても面白かった。
 なによりも、日本サッカー界の「天才論」と歴史的名選手とが必ずしも合致しなかった。誰もが認めた「天才少年」がJ1からさえ消えていった例もあるし、中田英寿や岡崎慎司のように10代までは「上手い」などとは言われなかったのに世界的選手になった例もある。逆に、「天才少年」と世界的名声とが一致した例は小野伸二ぐらいのもので、この小野伸二がこの雑誌にも登場して、中村憲剛との間で非常に興味深いやり取り、対談を展開している。びっしり6ページもの対談であって、そこから学べることはとても多く、それも興味が尽きない内容だった。

 まず、小野と、中村の天才論は、どんな特徴があるか。
 ボールを扱う身体技術が高いこと。憲剛が小野を評した表現を上げてみよう。
『ボールを取りにいけないんです。しっかりボールを止めるので隙がなく、アイデアも豊富なので寄せられず、奪いにいったら逆を取られるんだろうなと。・・・そして遠くも見えているので、展開されてしまう』
 この小野評に対して、小野は逆に憲剛をこう評価するのだ。
『周囲の選手との関係性もあるはずだけど、見えてないとパスは出せないし、ある意味、ノーステップくらいにトン、トンと出す。視野が広いなぁと感じるし、あのトラップはやろうと思っても簡単にできるものではない。俺の遊びのトラップは練習でやっても試合中にできないと意味がなくて、ケンゴが見せるトラップのほうが実践で生きるはずだよ』 
 過去に消えていった天才少年が「実戦で使えない遊びのトラップ」だったとか、そういう実戦的トラップの特長が「遠くが見える視野の広さ」を要するとかと、読める文章である。「練習では抜群に上手いんだけど、試合に絡めない(人も居る)」という表現も使われていた。

 さて、こういう天才と比較するという意味で、過去の世界実績上トップに上がってくる日本人選手を観てみよう。現在の世界最高峰日本人、長谷部誠がこんなことを語ったことがある。本当に世界トップ選手と呼べる日本人は、イタリア・ローマの中田英寿と、イングランド・マンチェスターユナイテッドの香川真司ぐらいと言える、と。ローマ時代の中田も、マンU時代の香川も、それぞれリーグ優勝、そのレギュラーという実績を持っているのだから、当然のことなのだ。ついでに言えば、ドイツ2年目でリーグ優勝とベスト11選出という実績を持つ長谷部は、中田、香川に次ぐ世界的選手であったと言えよう。すると、彼らにあって消えていった天才達に無かったものは何かという問題が生じる。そういう名選手の要素とは、走力と当たり強さだった。3人とも走(持久)力がある上に、長谷部、香川はスピードがある。また、中田と長谷部の体力強化訓練、習慣は史上有名な話になっている。

 日本人のサッカー天才論は、「吸い付くようなトラップ、ドリブル」など、ボール扱い技術に偏っていたのではないか。これにプラスして、視野の広さ、走力、当たり強さなどが揃っていなければ名選手にはなれないというのが以上の結論になる。ちなみに、走持久力はせいぜい高校生までで決まってしまうものであって、これがここまでに鍛えられなかった「天才」は、結局J1にさえ定着できないことになる。また、走力と言っても次のことはちょっと例外だろう。サッカーで重要な走り出しの瞬間スピードは、もっと後にも鍛えられるようだ。清水で急成長した時代の岡崎慎司がこれを教えてくれている。

 ちなみに、サッカー1ゲームの個人記録でダッシュ回数というのがあるが、これが少ない選手は今は使えない時代になった。攻撃だけでなく守備にも走り回る時代になったからだ。岡崎はこれが50回近くもできるが、30回もできない「名選手」は海外強豪チームでは使われないはずだ。時速24キロ以上で1秒以上走るその回数のことである。なお、時速24キロというのは、100mを15秒で走る速さである。今代表でも騒がれている堂安を押しのけて右サイド攻撃を担っている伊東純也は凄まじいスピードで打っ千切って得点を重ねてきた選手だが、彼のダッシュ回数は一体どれほどになるのだろうと思ったりする。

 ちなみに、現代Jで小野、中村が同時に目を付けている天才は、現在浦和にいる小泉佳穂なのだそうだ。他に二人それぞれが上げたのが、中村は鹿島の荒木遼太郎、小野が広島の森島司だった。僕には、川崎の三笘薫も、今新潟に居る本間至恩もそう見えるのだが。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本サッカーは、こう強くなった  文科系

2021年06月16日 14時42分05秒 | スポーツ

 サッカー日本は、現在世界28位だが、いつも言うようにその数字よりもずっと強くなっていると観てきた。アジアの東涯にいて強い相手となかなか戦うことができないから、順位が上がらないだけなのだ。18年ロシア大会で世界を驚かせたベルギー戦を観るまでもなく、チーム戦術で失敗した14年ブラジル大会辺りから世界20位以内には入って来たと僕は観てきたものだ。17、18、20年の川崎優勝、19年の横浜優勝、20年の川崎巻き返し辺りが、そういう日本強化を象徴する流れなのであって、この流れとともに対世界ではこんな強化現象が見られることになった。ちなみに本論の前にここで一言、前置きの解説がある。横浜の名監督ポステコグルーがスコットランド・セルティックの監督に引き抜かれた。これは実は大変なニュースなのだ。東洋辺境のサッカー後進国のオーストラリア人監督がスコットランド名門の監督になる。世界の観ている人は観ているものだと、思うばかりだった。この日本現在の強豪・川崎に唯一対抗できるかと言うチームを育てた名監督が引き抜かれたと考えたからだ。後は、鳥栖の金監督、浦和のロドリゲスらに期待することとしよう。

 日本強化の証はまずなによりも、10年近くしばらく負け続けていたACLにおける鹿島、浦和など日本クラブの復活。ついで、W杯アジア予選でも、昔見られていたこんな弱点がすっかり消えてしまった。弱い相手でも引いてゴール前を固められるとなかなか崩せなかった日本代表時代もあったのだ。さて、何が、どう強くなったのか。この点についてはこういう日本で現在常勝を誇っている川崎(の歴史)がそのすべてを教えてくれている。
「繋ぎ尽くすサッカーに加えて、潰して繋ぐサッカーを積み重ねたこと」
  ちなみに「繋ぎ尽くすサッカー」の典型がバルサで、「潰すサッカー」はドイツ発祥からリバプールを通じて全世界に広がっていったもの。パリ・サンジェルマンの台頭や、チェルシーの本年度CL優勝も、当然この流れの中に位置づけられるものである。

 こういう世界サッカーの流れという視点で日本サッカーの発展を観て初めて、こんな事もよく分かるのだ。一昔前の日本選手としては、中盤前目の攻撃的選手だけが世界に通用した。それがまず、長谷部、岡崎、大迫らの活躍で攻撃的中盤の前後からも「(外国人)助っ人」が現れたのである。
 ここで注意したいのはこの「助っ人」の意味である。日本でもそうであるように、本国の選手より役立つと観られなければ外国人をチームに置くことはしないし、数段チームの役に立っていなければ先発のレギュラーなどにはなれないということだ。そんな渡航日本選手の流れを見れば、次のことなどはまさに日本サッカー現在の世界的評価として極めて象徴的な出来事と言えよう。
 ドイツ2年目でレギュラーとして優勝して、ドイツ・ベストイレブンにも選ばれた長谷部誠は、リーグ最年長級になった今でも中堅チームのキャプテンに据えられて守備組織を任されている。このドイツでは最近また、遠藤航がリーグ全体でデュエル勝率ナンバーワン選手になった。岡崎がイングランド優勝チームのレギュラーとして、このサッカーの本場で「気品ある選手」とまで呼ばれたその意味は極めて大きい。この「気品ある選手」というサッカー文化的な意味が分かる日本人がどれだけ居るだろうかというような、岡崎の貴重な功績なのである。

 そしてついには、吉田が近年イングランドの中堅チームの先発CBを長く努めるに至ったのである。ちなみに、吉田が居たサウザンプトンは、リバプールに移って世界1のCBと呼ばれたフィルジル・ファン・ダイクや、世界有数のフォワードとして同じリバプールで活躍しているマネらを排出している。若手を見る目が世界有数のチームのその眼力に、吉田が若くして止まったという意味がどれほど大きいことだったか!

 来年のワールドカップで組み合わせさえ良ければ「とうとうベスト8以上」という結果が生まれるものと期待している。ロシアW杯のベルギー級は無理としても、日韓のトルコ、南アのパラグァイ辺りには今なら当然勝てると、目論んでいるところである。また同時に、今年のACLでは、川崎に是非優勝して欲しいし、各大陸代表が戦う世界クラブW杯で川崎・チェルシー戦が是非観てみたいものと、今からワクワクしているところだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

こんな美しい鳥、昆虫写真が・・・   文科系

2021年06月16日 14時15分05秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 ブログには本当に色々あるものだ。最近最もよく観るブログがこれ。『しんばし写真館 - Goo ブログ』

 鳥の写真が中心で、鳥が好きな人なら「こんな珍しい鳥の、得がたいような様子の写真、どうして撮れたの?」との声も上がるだろうし、夏が近づくと蝶など昆虫も入ってくる。その蝶がまた接写のような写真ばかりで、素人の僕でもため息が出たんです。

 このブログ、おおいに宣伝したいと思います。というよりも、「観なければ、損」というブログだと、僕は思っています。 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新自由主義経済は終わらせられる  文科系

2021年06月14日 11時07分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 一面ちょっと不謹慎とは感じつつも今回のG7が面白くて仕方なく、僕は噴飯しきりになる。トランプで一つの頂点に達したここ40年程のアメリカ世界戦略の流れに対して、重大な「反省」が急すぎるからだ。それも、中ロの世界戦略に対抗せざるをえぬという形で強いられた策ばかりと見えるから噴飯物なのだ。G7、因みに今回の実際は、豪、韓、インド、南アを加えてG11だがそこにおいて、こんな事が起こっている。「ワクチン10億を交換条件無しに世界に提供!」というのは「中国の3・5億や、ロシアのスプートニク提供」が無ければ起こりえなかったものだろうし、「途上国にインフラ40兆ドル」なども一帯一路やロシア原油安売りに対抗せざるを得なかったのだろう。その中国に対してわざわざ「中国は偽の多国間主義である」などと声明で叫んでいるのも、多国間主義を投げ捨てたトランプの保護貿易、国境厳重閉鎖やパリ協定離脱を意識しているのが露骨すぎて噴飯なのである。ちなみに、豪、韓、インドを加えたG11というのも、対中戦略が露骨すぎて、噴飯。国連を無視してきたアメリカは多国間主義などすでに放棄しているはずだがというわけだ。国連採決ではもうすでに、アメリカはいつも中国に負けるのである。

 と言ってもすでにもう、アメリカのこれらの姿勢がそのまますんなり他国に受け入れられるわけはなく、ドイツはロシアの石油パイプライン引き込みを止めないのだし、フランス、イタリアも一帯一路同伴をひかえる素振りも無いのである。加えるにアメリカがまた、これまでから見れば信じられぬことを米国内でやりだすという。株式時価総額がドイツGDPをとっくに超えたというGAFAへの「規制法」に、ついに踏み切ろうというのだ。これはまー、世界の顰蹙・巨大ITに「15%税」などの動きに堪り兼ねて国内での規制もということなのだろう。

 こんな中ロ対策で大童の今回G11において、わが無能宰相が「オリンピックをよろしく」とだけにペコペコ頭を下げ回って溜飲を下げているその姿が笑える。「無能をサラしたコロナそっちのけ」『「2%目標放棄」など国民生活そっちのけ』のただ総選挙対策だけと笑われているのを知らぬはご本人だけ。去年春の「無理無理」学校閉鎖辺りと平行して政権がワクチン確保に走っていれば、こんな苦労はしないで済んだはずなのだが。

 さて、こんな折だからこそ、以下の旧エントリーを改めて再掲したい。

 

【 新自由主義経済は誤っていた!  文科系 2019年12月5日

 以下の旧稿は、12月1日「米経済学者達の反省が深刻」に対応して再掲するものです。経済学者も経済ジャーナリストも全米経営者団体でさえ今や、「グローバリゼーション・新自由主義経済は誤っていた」と言いだしたのはなぜか。アベノミクスの生みの親同然のポール・クルーグマンは、こう語っているのだが。
『アメリカの製造業を支えてきた中間層が経済・社会的な大変動に見舞われることに気付かなかった。中国との競争でアメリカの労働者が被る深刻な痛手を過小評価していた、というのだ』
 もっとも、米主流経済学者らや全米経営者団体がこう語り出さなくとも、何よりもこの歴史的事実こそ、グローバリゼーションが誤っていたとの証明。トランプ・アメリカが事もあろうに保護貿易に走ったことが。新自由主義経済の本家が形振り構わず保護貿易に走って、数々の貿易障壁を設けるとは! そもそもこんな姿は、グローバリゼーション競争で自国が負け始めてからその誤りを認めるという醜すぎる醜態でしかないのだ。アメリカ経済は、中国に負けつづけるのか!

 NHK・BSが、こんな番組!  文科系 2018年01月04日 | 書評・番組・映画・演劇・美術展・講演など

 3日の21~23時、こういう題名の放送があった。
『闇の力が目覚める時・・・成長無き時代を生きる世界の知性のシナリオ』


 この放送の結論は題名の通りで、資本主義自身が内部にこれを破壊する闇の力を育て、やがて自壊するだろうというもの。このことを、マルクスの思想でもあり、その後の経済学者シュンペーター、ケインズの言葉にもこうある通りにと再三にわたり紹介するという形で、解説していくというもの。
 もちろんこの結論を主として、現代世界の経済学者、哲学者らに、金融グローバリゼーションが現代の闇の力をここまで育ててきて、「この今の闇の力の行く末は、(新たな)創造か死か」という形でも語らせていく。
 最もよく出てきたのがフランスのダニエル・コーエン、そしてイギリスのスキディルスキー、ドイツのウルリケ・ヘルマン、さらにはアメリカのジョセフ・スティグリッツやチェコの二人に、加えてニューヨークのあるトレーダーまでが、それぞれ何度も何度も出てきたものだ。

 聞き終わって僕はこんなことを感じていた。僕がここに12年間展開してきた金融グローバリゼーション世界支配の現状批判論やその行く末論と、ほとんど同内容であると。この同内容は、言ってみれば必然なのだ。この番組の骨子となる歴史的経済理論が、マルクス、シュンペーター、ケインズらのそれであってみれば。なによりも、闇の力とその目覚めに関わる社会現象として、これらのことが上げられていたこと。

 金融によって雇用が奪われて給料、購買力がどんどん下がっていること。ポピュリズムというのは政治的(危機)用語であって、危機はむしろグローバリゼーションが作った格差、不平等にあること。1980年のちょっと前のレーガニズムとサッチャリズム政治以降、金融資本主義が「悪徳の栄え」のように育って来たこと。これを擁護すべくレーガンが唱えた「トリクルダウン」も、嘘だったこと。銀行と政府とが結託して全てを動かす「富が固定した」社会になったということ。
 ちなみに、最後の方でケインズのこういう予言をスキディルスキーに語らせていた所までが、ここで僕が述べてきたことと同じだった。いやそれ以上にキツイ表現とも言える。
「長期的に見れば、1930年代にケインズが予言したとおりに、週20~25時間労働にならざるをえないだろう」


 感想の最後である。金融資本主義の株売買を通じた世界企業支配の問題点(今の日本では、東芝を見よう)について今のような隠蔽状態が続けられるわけが無く、やがては世界のマスコミが実態調査報道、報告などを次々と始めるに違いない。この支配の結果が、世界に溢れる失業者や不安定労働者の大群、大変な格差の問題などであってみれば、そうならないはずがないのである。NHK・BSのこの特集番組のような報道が、近く世界にどんどん増えていくはずだ。この点で同番組では、アメリカのお膝元、米大陸の大国ブラジルにおける世界有数の酷い格差が、大きく強調されていた。凄まじい格差とは、大金持ちも居るということであって、それと対照をなす超大規模なブラジルのあの貧民地域の酷さを思い浮かべられたい。

 その上で残る最後の問題、決戦の場は、その時にアメリカの国連「実質支配」もしくは「国連無視」が今のように持続できるかどうかだと、愚考していた。金融グローバリゼーションは各国では規制できないからである。むしろ、各国でこれを規制できないからこそ、世界金融による世界企業支配がここまで進んできたのではなかったか。GAFAの時価総額がドイツのGDPを超えるだとか、まだ製造車の数も知れているテスラの時価総額がトヨタの何倍かだとか。どこにもまともな投資先が無い大金がバブルに集まって支え合っているだけの世界主流経済! 国連でこの本格的規制論議が始まって、米英などがその金融専横を諦めてこれに従うしか、世界諸国民が普通に職業を確保していく道はないのだと思う。

 ちなみに、僕には、現在のアメリカ・トランプ体制は、こんな専横を世界に通してきた米国政治勢力による最後の抵抗のようにも見えたものである。

 このBS2時間番組は、普通なら再放送があるはずだ。ここの常連読者200名ほどの方々には、是非ご覧になることをお勧めしたい。ただし、どこかから待ったが掛かって、再放送が無くなるかも知れないなどとも、愚考していたものだ。
コメント (5) 』


 書き終わって今思う。アメリカの本音は、理論ではなく、むしろ、自然成長的経済実力で敗れたところから出てきたのだろうと。少々前までは、米金融でもって中国株式を買い占めることができるから、米金融の世界支配は可能と振る舞ってきた。どうやらこれが無理と認識したらしい。でも、キッシンジャーやネオコンのような政治屋は決して諦めないだろう。そこに現世界の明日、米中衝突という非常な難しさがあるのだ。】

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は、ギター教室発表会  文科系

2021年06月12日 11時51分01秒 | その他

 今日これから午後に、僕の年に一度のギター教室発表会に行ってくる。もっとも、長い断続的な一人習いから定年後に先生について18年目という腕前とて多寡が知れたものなのだが、現代ギターの祖とも言われるタレガ作曲になるアデリダとマリエタ、および古い映画主題歌で有名なヒマワリを弾く。ちなみにこのタレガは、彼の晩年に、有名なセゴビアが10代で出会い、教えを受けたというスペイン人。

 このヒマワリは、難しい編曲なのだが気に入ったもので、発表会では2度目の演奏になる。僕は元々あがり症で、いくら練習を工夫しても自分の普段演奏力の5割出せれば良いと思っているのだが、なかなかそこにも届かないできた。まー、先輩方が残念ながら皆どんどん止めて行かれる中で、ランナーである強い身体でギターもなんとか続けられているというだけだが、とうとう80歳になってまた舞台に出るということで、ちょっと感慨がある。

 ただ今年は、ちょっと易しい曲を選び、練習もいろいろ工夫したから、5割には届くかも知れない。こんな事が楽しみになる年齢があるのだ。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五輪強行は、国政私物化、暴力化の果て  文科系

2021年06月11日 00時56分56秒 | 国内政治・経済・社会問題

 今の「説明抜き」五輪強行開催は、もう政権暴力と言える。この暴力は、これまで積み上げた数々の国政私物化の結末と思えてならないのである。

 桜は、「国政功労者を祝い励ます会」を「保守党議員選挙功労者を祝い励ます会」に替えてしまった、まさに国政私物化行事。それが国民にバレたから、即中止に追いやられた。日銀総裁人事、内閣法制局長官人事、モリカケ、検事総長、日本学術会議人選も、長期政権首相への忖度なども含めて進められてきた国政暴力であって、従来政治慣行から言えば国政私物化の連続である。元法相の河井は「黒川検事総長」で救われると考えていたからこそ、あんな大胆な選挙違反が出来たのではなかったか。こう言う国政私物化の無理の数々が、日本国政に大手を振って徘徊して来た昨今なのであった。

 ところで、無理が通れば、道理が引っ込む。現権力維持だけの政治、政治だけではなく各界からの反対者の排除というこれだけの無理が通り始めたら、日本の政治は一体どこへ行ってしまうのだろう。これらの延長が今、五輪強行開催で演じられている無理なのだと言いたい。

「これだけ無理押しで五輪開催の、その訳は?」と問われているのに、一般的な「五輪の夢」しか語らない総理大臣である。本心なのか、ここでもとぼけているのか、訝らざるをえない答弁である。この五輪一般の夢に、「国民の命第一」というおのれらのその「やり方」を懸けてみようと答弁しているわけだが、彼に自分の命を懸けさせる権限を与えた覚えのある国民など皆無のはずである。ましてやこの五輪は世界に新株、これによる死者をばらまくかも知れず、これに管は一体どう責任を負えるというのだろう。説明になっていない事を繰り返しつつ開催強行に向かってひた走るのは、まさに暴力である。

 ちなみに、こういう政治が繰り返されてくると、国民の中にも政権を擁護する言説が流布されていく。竹中平蔵などはその典型だが、彼らは無理が通れば道理が引っ込む世の中を切り開いているのである。

「人の命を懸けて良い政治執行」など、あるわけがない。それも多数の命というだけでなく、日本政権が責任を負えぬ他国の無数の命まで懸けているわけだ。そういう政治執行に対して「命を守るのは当たり前。万全を期していく」などと語って答えになっているとすること自身も、暴力なのである。これに対してこそ責任ある医者達が、「今、万全などありえない」と口々に述べているのであるから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ニセコのおぢ」さんへ  文科系

2021年06月10日 12時35分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

愛読、交流しているつもりの「おぢのニセコ山暮らし」さんのブログにこういう一文があったから、八十路の先輩として一言と思い立った。彼のブログには、コメントが書き込めないのでここにエントリーするわけだ。

『就寝前には、入念なストレッチとヨガしてますから、朝起きてあちこちが痛いということはありません。「年寄り半日仕事」と思っていても、体力が続かないのですから困ったものだ。続けるうちに体力、筋力もついてくるとは思いますが、これは人生初体験のしんどさです。なんとか体力を取り戻したいけど、コロナ禍で引きこもりがちではどもこもなりません…』

 おぢさん、ウオームアップって識ってますか? ランナーの僕から、この知恵を少々。僕は元々、アップは不要な身体でしたが、70歳過ぎから次第にこれが必要になり、今では20分緩走をしないと今の僕本来の走力は発揮できません。つまりこういうことです。20分間はもう歩くように走る。するとその後見違えるように元気に走れるということです。全身の血管が開いて心臓が上手く回り、酸素吸収が上手く行くようになるのに20分もかかるということなのでしょう。僕は傍らでクラシック・ギターを弾いていますが、アップ抜きで弾き始めると、今の季節だとすぐに汗をかき始めるようにもなった。ストレッチ、ヨガからスクワット(断続的でも、50回程は必要なのでは)などを、力仕事の前にやったらどうでしょう? それだけでも随分違うと思います。

 ランナーで早く走れなくなる人には、アップの効用を知らぬ人か、その時間に耐えられなくなった人なのだと思います。こういう人は言うまでもなく、今まで積み上げた財産を早く、全部失うことになっていく。ちなみに、この12日に年に一度の教室ギター発表会がありますが、僕が今でも出られているのは、ランナーだからと理解してきました。ギター弾きが練習で構えているあの不自然な姿勢は、老人には身体的に辛いものだからなのでしょうが、皆早く引退してしまった。肩とかどこか痛めて・・・。そんな友人の姿が僕にはとても寂しいものがありました。

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この「社説」は、優れた文学だと思う  文科系

2021年06月09日 09時05分15秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

 本日の朝日新聞「オピニオン」紙面の「多事奏論」には、読み進む目だけではなく、読み終わってしばし心まで奪われ、アマチュア文筆家の端くれとして標記のようにため息さえ出てきたもの。編集委員・駒野剛と言う人物の筆になる『コロナ禍の五輪 転げ落ちる石 首相は傍観者か』。

『それほど(天皇から)信頼された東条だったが、外面の強気さから想像できないほど内面は揺れていた。1943(昭和18)年初頭、東条は旧知の陸軍担当の元朝日新聞記者と差しで話し込んでいた。ポツリ東条は語った。
「戦(いく)さというものはね、山の上から大石を転がすようなものだ。最初の五十センチかせいぜい一メートルぐらい転がった時なら、数人の力でとめることもできるが、二メートル五メートルとなれば、もう何十人か何百人かでなければとめることはできない。それ以上になれば結局谷底まで、行きつくところまで行かねば始末はつかないのだよ」(高宮太平著「昭和の将帥」)。そして天皇を太陽、自らを月になぞらえ、「太陽の光が照りつけている間は、黙って辛抱するだけだ」。
 自ら始めた戦を傍観する宰相の下、日本は亡国の急坂を転げ落ちていったのだ。』

『今、コロナ禍という国難の中で五輪という大石が転がり続けている。緊急事態宣言の延長を決めた5月28日の記者会見で管義偉首相は「関係者と協力しながら安心安全の大会に向けて取り組みを進めている」と述べ、開催前提の姿勢を変えていない。
 首相は五輪の傍観者なのか。そう印象づけたのが、3度目の緊急事態宣言を決めた4月23日の会見。「開催はIOC(国際オリンピック委員会)が権限を持っている。IOCが東京大会を開催することをすでに決めている」と述べた。事実とはいえまるで人ごとのようだ。最近は「国民の命と健康を守るのは私の責務で、このことより(五輪開催を)優先させることはない」と述べるなど、心の揺れも見て取れる。しかし大石は転がり続ける。
 国民の安心安全を守る最高責任者など日本にはいないと思えてならない。ならば命を守るには、政権などは頼らず、谷底に落ちない知恵と力を各自がこらすしかない』

 以上、本文中の中間主要部分と末尾部とを抜き出したのだが、一言だけ、解説を加えたい。
 東条に見た「外面の強気さから想像できないほど内面は揺れていた」が「自ら始めた戦を傍観する宰相」を、管首相にもこう観込んでいる人間洞察の表現に、一種凄みさえある真実味が感じられた。「最近は・・・・心の揺れも見て取れる。しかし大石は転がり続ける」。

 時代閉塞が生んだ「人間疎外」から起こった人類史の大惨事って、ほとんどこのようにして進んで来たものなのだろう。特に近代以降に民主主義や人類平等の思想、感性が広がってから以降の人間によって引き起こされた歴史的大惨事では、その「主人公」らのこういう「心の揺れ」は特に大きくなってきたことだろうと信じたいものである。また、「日本会議」隆盛の今の政治世界の中では、この朝日新聞自身も「大石」にされていくという側面が、大石にされないのであれば徐々に潰されつつあるのではないかという恐れも含めて、さぞ悩ましいことだろうとも考え込んだりしていた。安倍がやって来た「無知、無意識の大石転がし」は、すでに「一メートル」を超えていると思う。三権分立の司法権の一角、裁判起訴権を握る検事総長人事までを意のままにする寸前まで行っていた安倍なのであるから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八十路ランナーの手記(357) 10・5キロ/75分、および、孫とのバイク  文科系

2021年06月08日 02時15分36秒 | スポーツ

  3日の外走りから、6日日曜日にはまた孫とロードバイク20キロ程を転がし、7日にはジムで標記のように75分10・5キロのLSDをやってきた。前回書いた好調が続いている。一定持続最高速度は9・5キロ時だったがこれがとても楽に走れた上に、走りそのもの・心拍数・事後疲労度などなどすべて好調と感じられたもの。足は予想以上に極めて快調で、ごく自然にスピードを上げられた9・5キロ時でも心拍数は150ほどと低く(僕の一定持続最高心拍数は165ほど)、事後疲労度もほとんどないから「また今日も走ってこようか」という感じ。こういうのがまさに今の僕の場合の典型的なLSDなのだろう。それも、マシンで走っていても脚を前に出す跨ぐ走りではなく、地面をつついて走る走り方での好調なのである。前にも書いたが「ロードバイク走行が、ランを好調にする」と、またまた体験、痛感したわけだ。

 それで思いついた。試みに今日8日もまたジムで走ってこようかと。

 余談だが、小学5年女孫のバイク能力が凄く上がってきたと、またまた感じた。僕がチューブラーの高級ロード(パナソニックメールオーダー・トリプルバテッドのクロモリ・デュラエースフルセット、1997年製ビンテージ物。ただし、クリート走りは今はしていない)で走ってもきつい坂道をぴったりとくっついて来るから驚いたのである。ちなみに、6日にはこの子の小さくなった6段切り替えレンタル自転車を2段階程大きい同じく24インチへと借り換えたから、急に調子が上がった事も明らかなのだが、それにしても・・・という感じ。この子は今、千種メガロス水泳教室の高校生までの選手コース20名弱に加わって半年という最新入生なのだが、脚だけはどの泳ぎもベテラン同年齢にほとんど負けていないというその原因がどうも僕とずっとやって来たバイク乗りにあるらしい。バイクから発展したのか、学校でずっとリレー選手だし、縄跳び名人で「後ろ二重跳び50回」とかもこなす子なのだ。やはり、バイクって下半身、及び心肺機能の強化に最強の武器なのである。80の僕が60前後にラン入門を果たし、今まだこのように走れているというもともとのその原因も、若い頃から続けてきたバイク経験にあるとも理解してきたのだが・・・、孫が自分から僕のバイクに付き合ってきて、今はもう50キロサイクリングも出来るようになって、それが今日こんな能力に達しているというのは、バイク大好きの僕には望外の幸せである。もうちょっと背が伸びたら、いーバイクを買ってやることになるだろう。僕と同じように一生乗り続けて欲しいと目論んでいるわけだ。やがて、下の弟も引っ張り出して・・・などと考えているのだが、今の僕にとってこんな幸せは他にちょっとないほどだ。ただ、この弟、小学1年生の方は、7月にはメガロスを辞めることになっている。「あそこは怖いから嫌だ」と言うのだが、それも色色なんとなく分かる気がして、娘も僕も引きとめようとはしていない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

随筆 サッカー五輪代表の強さ旧報  文科系

2021年06月07日 14時46分12秒 | スポーツ

 五輪サッカーに関わって、日本の若手がどれほど強いかを示す近年の戦い結果旧報を改めて示してみよう。こういう若手にあのOA3人が加わるとあっては、否が応でも期待せざるをえないのである。

 

 

【 随筆 サッカー五輪代表が有望  文科系  2019年6月22日

 
「流石ブラジルですねー」、こんな解説やアナウンサーの声ばかりが聞こえてくる。確かに、表面上だけなら誰が観ても、ブラジル優勢に違いない。個人プレーばかりに目がいっているのだろうが、そんな声が気になって、音を消してテレビを観ることにした。
「ド素人の目か! サッカーが個人技だけやるものならばともかく、双方の組織も観て、語らないでどうする!」と毒つきながら。
 ちなみに、僕はこのゲームの最初数分で、こんなことを感じていた。

 ブラジルが受ける時のDFラインが非常に低くて、なのに前・中盤は高目に構えているから、間が空いているのである。「これで、どうやってボールを前に運ぶの?」。案の定サイド選手への長目のパスかドリブルでボールを運ぶことになり、日本の、DFラインを押し上げて密集した中盤のコンパクトプレスに手こずって、スムースに前へ運べない。 そのかわり、攻め入った時のブラジルは明らかに今最先端の「高位コンパクトプレスでボール奪取得点」を狙っている。攻撃ばかりを気にして、攻められた時の守備が軽くて薄い、これがブラジルの欠点と見えた。事実、小川航基の一得点は、相手DFのクリアミスから生まれている。
「攻守ともに個人技が上手すぎて、組織としては相手を馬鹿にしてきたチーム」

 このゲームは、この六月にあったフランスはプロバンス地方の歴史あるトゥーロン国際大会の決勝戦。五輪世代の二三歳以下国代表選手たちで戦われるものであり、日本代表は初の決勝進出。圧倒的な点差で勝ち上がってきたブラジルが相手なのだ。他方、この大会に限れば、日本だって負けてはいない。予選リーグ戦では過去ここで三連覇のイングランドや、さらに南米の強豪チリをこともあろうに六対一で負かし、準決勝では、ここで最近優勝経験もあるメキシコを、同点・PK戦で退けている。
 さて、このブラジル戦だが、日本は本当によくやった。ブラジル相手に一対一のPK戦。それも双方四人成功まで行って、最後の五人目の後蹴りの日本、旗手選手が失敗。敗退。
 もう一度言う。「攻守ともに個人技が上手すぎて、組織としては相手を馬鹿にしてきたチーム」。そう言って良いある数字結果が厳然と残っている。枠内シュートが意外にも日本2に対してブラジル3にすぎず、これだけ個人技に差があっても、良いシュートまで持って行けてなかったことは明らかなのである。逆を言えば、個人技では負けていても、組織では日本が勝っていた。

 振り返れば、準決勝のメキシコ戦もそんな戦いだった。終始メキシコが押していた。初めから攻守ともに猛烈な攻勢をかけていたこともあって。つまり、猛然と走り続けているのを日本が組織で受けているという感じ。得点も常にメキシコが先行。先ず前半五分に得点。これには、同二七分に相馬の中距離シュートで追いつく。だが、後半四〇分にまたもメキシコが先行。それを直後の四三分、磐田の小川航基の得点で追いつく。
 このメキシコ戦の日本は何が良かったのか。両軍ともにDFラインを押し上げてコンパクト陣形で闘う戦いになったが、日本の方が高位コンパクト陣形をきちんと保って相手よりより抑えめで戦っていたと観る。ゲーム後に二得点目を上げた小川が述べた戦評によれば、「あれでは相手が疲れて来ると思ったので、終盤などに得点チャンスが必ず来るはずだと・・・」ということなのだ。

 来年の五輪は有望と観る。ほぼ国内組で戦った今回だが、自チームでレギュラーと言える好選手が多かった。小川航基(磐田)、田中碧(川崎)、相馬勇紀(名古屋)らのことだ。他にもA代表の五輪世代に、久保、堂安、富安もいる。現在A代表が招待されて戦っている南米選手権の、チリ戦の惨敗とウルグアイ戦の健闘とを比較しても、DFラインを上げる勇気次第で日本の成績が決まってくると予告したい。純粋な個人技では、ブラジルはもちろんメキシコにも劣るのである。が、高位コンパクト組織で戦えば、そういう彼我の組織を観抜いて戦う選手らの視野の広さも加わって、初めて互角に戦えるとも。組織を観つつ戦うという視野の広さは、日頃組織的に戦うことによってこれを伸ばしていかなければ身につくものではないという意味で、純粋な個人技とは扱えないものだ。
 来年の五輪に向けてこのことを考えれば、それができる組織統率者こそ必要だと思う。前に岡崎、後ろに吉田という、オーバーエイジを提案したい。岡崎は、トゥーロン国際大会の後に戦われた前記南米選手権ウルグァイ戦で二対二という殊勲の結果をあげた立役者になった。W杯ロシア大会の日本大健闘には、長谷部という統率者がいたが、日本五輪戦には是非岡崎を呼んで欲しい。日本選手の中では、世界的な強豪チームや名選手らと群れを抜いて多く対戦してきた、守備組織が見えるFW、苦労人である。同じイングランドで戦う吉田麻也も彼を尊敬しているはず。若手達にも組織の声を出す名コンビになるだろう。

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

OA組が噛み合って、五輪優勝もあり得る  文科系

2021年06月06日 13時41分11秒 | スポーツ

 U24代表が6対0で勝ったガーナは、若いとか2軍とか言われているが、こう言われるような弱い相手ではない。これは日本の大差勝利という結果から述べている後付け論に過ぎぬのであって、序盤戦に示した組織立ったガーナ・プレスで十二分に分かったこと。むしろ、アフリカの若手で優勝している組織だった強いチームに対して、このゲームは日本が良すぎたといえるものだった。その主たる原因が以下のように、日本のOA組3人の凄さにあったのは明らかだ。日本の若手自身の勝利談話を上げてみよう。

 先ず、堂安律の言葉。
『オーバーエイジの3人が頼もしすぎたなと。後ろにあの3人がいるだけで、前の選手はすごくのびのびとプレーできました。派手な選手たちじゃないのに、あんなにも存在感がある。あらためて、彼らのすごさを肌で感じました』
 次いで、日本で三笘と並んで大評判の、川崎ボランチ・田中碧。ドイツリーグでデュエル勝率ナンバーワンの遠藤を評して曰く。「彼の横でやれるのが幸せです」と来て、いわく。
『(遠藤は)今、日本で一番のボランチの選手。隣でプレーさせてもらっているのは、本当に幸せですし、学ぶものは本当に多い。守備の強度、球際、予測の質、奪取の回数、前を見る意識などは、段違いでした』
 そして、久保建英がまた、右SB酒井を激賞している。「(ロシアW杯で優勝した)フランス代表チームのSBにもなれる選手と観てきた。強いし、速いし、上手いし、何でも出来る選手」。この酒井は、ロシアの立役者パリサンジェルマンのエムバペや、ネイマールとも互角に張り合って来た選手だと、久保もよく知っているのだろう。

 この史上最高のOA3人を有した五輪代表は、とにかく強い。なによりも、身方をも指揮して敵ボールを自由にさせず、とても上手く奪い取れるからだ。ひょっとしなくとも、五輪では優勝するかも知れない。
 因みにこう書くとどこかの馬鹿が、「五輪止めろと言っている人が、五輪サッカーに期待している。ダブルスタンダードだ」と言ってきうる。が、こういうのはまさに屁理屈の典型、僕にはなんとも効かないね。トヨタを批判する人がトヨタ自動車に乗って何故悪いかと語る理屈と同じなのだ。つまり、形式論理批判。こういう批判対象には、大悪から全く悪くないまで、内容的に大差があることを識らぬ馬鹿の批判論法である。

「今五輪開催は大反対である。が、開かれるとしたらテレビは観るし、U24代表優勝を期待している」

 さて、このチームの優勝予測根拠の一つに、森保監督がいない時にチームを任されている横内昭展U-24日本代表監督の手腕を上げておく。決勝でブラジルと見事に渡り合ったトゥーロン国際大会準優勝など、若手国際大会の手腕なら間違いなく森保よりはるかに上という、森保と同じ広島から選手育成・指導者・監督実績を積んできたお方だ。このお方の相手戦略に基づいてOA3人を中心に敵ボールに前プレスの組織的アタックがこなれてくるなら、五輪優勝も夢ではないと考えている。このブログにも書いたけれど、トゥーロン決勝で個人技では数段上のブラジルと互角に戦えたのも、この組織的前プレスのなせる技だったのだから。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「五輪開催」が暴力になっている  文科系

2021年06月05日 02時43分03秒 | 国内政治・経済・社会問題

  感染症対策分科会の尾身会長が一昨日こう述べたと伝えられた。
『今の状況では普通、五輪はない。そもそも一体何のためにやるのか。目的が明らかにされていないから、人々の協力も得られない』
 これに対して管首相は、五輪の一般的開催目的理念を叫んで答えた積もりになっているようだが、これは茶番を通り過ぎたお笑いになっている。尾身氏が今悩み、問題にしている内容は、世界の人々の、子どもでも分かるような生死の問題だからである。
『日本だけでなく世界に色んなコロナ株をばらまくかも知れない五輪を、今どうしてやらねばならないのか?! それほど強い目的が何なのかを明らかにして』
 医者として当然のこの問に対して、オリンピックの通常理念のようなものを復唱して答えになっていると思えるのは、まともな答えが出来ないと、つまり邪な目的を持っているからに他ならない。五輪で顔売って政権党の人気挽回を図る選挙勝利博奕なのである。

 ちなみに、橋本組織委員会長も、失礼だがこんなピント外れを正式表明している。
『「尾身会長の発言は非常に重要であり重く受け止めている。より簡素化最適化に一層努力しなければ国民の理解をいただけない」と受けとめ、開催意義について語った。「困難な状況だからこそ、どのような対策を講ずれば、開催できるのかを示せれば、今後の日本に世界の観光客を受け入れることに向けて、大きな前進がみられることになる。大きな意味がある。世界共通の課題を東京五輪が乗り越える姿、レガシーを見せることが東京大会の使命」とし・・・』
 これで尾身氏への答えになっていると考えているのだ。

 こうして、「もし、日本と世界にコロナを広げることになったら誰が責任を取るのか」という問に誰も答えていないのである。こんな態度は、もはや説明などというものではなく、決定権がある権力者の暴力になり果てている。この五輪強行は実は、あの桜を見る会と同じやり方なのである。「国政功労者を祝い励ます会」をいつの間にか「政権党国会議員の選挙功労者を祝い励ます会」に換えてしまい(これも暴力というものだ)、そのことがバレてしまったからこそ、この行事が取りやめになったことと。

 酷い政治があったものである。幸い今の日本は太平洋戦争時と違って「治安維持法など明白な暴力で反対を押さえつけつつ戦争継続」は出来ない仕組が存在する。

 世界の命を懸ける行動を正当化する何の説明も無しというこんな理不尽な五輪暴力的決行は、国民が今後忘れてはならぬものと言いたい。この上もし次の選挙で自公与党を勝たせるようなことがあったら、自民党の説明抜き暴力政治が今後いっそう進んで行くだけなのである。この暴力が、巷間言われている真の狙い、政権党を死守したいという狙いから発しているものなのだから、自分が選挙に勝つという自公政権の権力死守という「政治」しか期待できぬからである。後の政治目標は安倍、アベノミクスが示したように、すべて「口だけ」。もっとも以上の政権党暴力については、国民も悪いのだ。「次は平成です」とか「令和です」とかでテレビに何度も出て来た権力者を押し上げてきたというような「実績」がある国なのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八十路ランナーの手記(356) ランだけでは走れなくなる年  文科系

2021年06月04日 09時15分29秒 | スポーツ

  少なくとも僕の場合は、前回書いたこのたびの経験から標記のことが学べたと身に沁みて感じている。一週間走らず、たまたま自転車だけを1日置きで3日やったら、中7日おいた走りがこの頃珍しい好調に変わっていたのだ。ちなみに、バイク走行の程度は、距離25~30キロで、瞬間最高速度は35キロ時ほどだが、その後の6月1日、3日と2回のラン好調の証拠は、これだけある。

①同一スピードでの心拍数が近年の好調時程に下がっていた。このことは、走行中の汗の少なさによっても実感できた。
②走った後の筋肉疲労度、心臓疲労度が違っている。最高スピードは3日外走りの最後1キロ6分15秒(この日全体では、7キロ走ってウオームアップ走行1キロを除いたキロ平均6分50秒)と相当出したのに、どこかが張っているとかの筋肉の違和感も無かった。
③普通の生活での身体遣い、例えばちょっとした小走りなどでも、軽く楽に動けるようになっていることが分かる。

 こうして得た実感がこれ。走っているだけでは走力も衰えるのだし、「走りだけでは鍛えられない走る筋肉」もあるということだろう。僕のような高齢者の場合はと付け加える必要はあろうが。
 この年として凄く良い勉強が出来た思いだ。これで恐らく、急速な衰えを感じていた僕のラン継続年齢が何年か延びたことは間違いない。今年の秋にはまた、7~8キロ程の外走りでキロ平均6分25秒ほどは狙えるかなどと想像している。

 ちなみに、最近の衰えの現象というか結果というか、僕の走行フォームとしてはこんなところに現れていたと、分かる。左脚の地面つつきが弱くストライドが狭くなりがちなのに対して、大きい右ストライドは外に流れ気味になる。これを意識してあれこれと修正したその結果、とても気分いいリズムで走れるようになって、それが3日の最後1キロ6分15秒につながっていった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする