すべての子が自らを鼓舞して積極的に勉強に臨めれば言うことなしですが、実際にはそんなにうまくは行きません。
学習塾に通うくらいですから、まったくやる気のない子はいないでしょうが、それでも隙あらば手を抜いてやろうと内心で思っているくらいは、むしろ当たり前の姿といえるかもしれません。
そういう時でも、保護者の方の多くは「とにかく子供がやる気になってくれるのを期待しているんです」と言われますが、ここで「ん?ちょっと待ってくださいよ」という気が起こります。
「やる気になってくれるのを期待?」 それは違うでしょうと。
まだ分別のつかない子供に、そこまで期待してよいのでしょうか?
はしょって言えば、それは時期尚早であって、ここは大人主導でやる気を注入、あるいはあの手この手で植え付けるのが正解ではないでしょうか。
このことは、少し前のこの欄でも書きましたが、「子どこが自分からその気になるのを待つ」というのは、ある意味逃げでもあって、その間大人は何もしないでよいのだという、いわば当面の免罪符を求めることにも繋がります。
そのあたりをまずは周囲の大人が改めなければ、当面するものを変えていくことなどできないことを悟るべきです。
学習塾に通うくらいですから、まったくやる気のない子はいないでしょうが、それでも隙あらば手を抜いてやろうと内心で思っているくらいは、むしろ当たり前の姿といえるかもしれません。
そういう時でも、保護者の方の多くは「とにかく子供がやる気になってくれるのを期待しているんです」と言われますが、ここで「ん?ちょっと待ってくださいよ」という気が起こります。
「やる気になってくれるのを期待?」 それは違うでしょうと。
まだ分別のつかない子供に、そこまで期待してよいのでしょうか?
はしょって言えば、それは時期尚早であって、ここは大人主導でやる気を注入、あるいはあの手この手で植え付けるのが正解ではないでしょうか。
このことは、少し前のこの欄でも書きましたが、「子どこが自分からその気になるのを待つ」というのは、ある意味逃げでもあって、その間大人は何もしないでよいのだという、いわば当面の免罪符を求めることにも繋がります。
そのあたりをまずは周囲の大人が改めなければ、当面するものを変えていくことなどできないことを悟るべきです。