自己満足の愚

2010-10-11 17:11:09 | 日記

限界を設けてあきらめる口実にする愚について書きました。

これとは反対に、「勝手に満足して、それ以後の努力を放棄する愚」もあります。 生徒の中には、(特に高校生くらいの自我が相当に芽生えた年齢に)、これが見受けられる気がします。

講師は生徒と最前線で向き合っていますし、その様子やテスト結果などのデータから、総合的のその生徒の何が良く、何が足りないかについて、ほぼ正確な見方が出来ます。

 それに対して、こういう自己満足の度合いの強過ぎる子は、勝手に自己満足のラインを低いレベルに引いて、それ以後の努力を払おうとしないか、払ってもかつてのような真剣さがないので、必然的にそれからの成果は低いものになるか、ひどければまったく望めないということにもなります。

これが受験生であったら、その結果は悲惨なものになるわけで、こうした自己満足は時として致命的になります。

そして、一度はこうした「自己満足の愚」或いはそのリスクに気付き、体勢を立て直すことの出来る生徒は結果的に「雨降って地固まる」であるのに対し、例えば受験での失敗に至るまでそれに気付かない、気付けない子は、これはもう哀れとしかいいようがありませんよね。

もちろん、私たちはいつも全力でこれを排除してはいるのですが。

 

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限界というモノについて

2010-10-11 14:43:20 | 日記

モノには限界があります。


それが限界であるのか、それを限界と感じるのかの違いは有りますが、確かに人が何かの瞬間をもってこれを限界と感じる時やモノは有るようです。

 

何かをするとき、或いはしようとする時、大抵の人、いや、全ての人はそういう局面に向き合います。


勉強でも勿論同じです。

 

程度の違いはあっても、誰もが同じであるのなら、結果が違ってくるのは、その時どういう対応をするかという、いわば当面或いは事後の行動によるものに違いありません。

 


言葉を換えれば、限界を限界として簡単に受け入れてしまうのか、いやいやそうではなく、これはこれとして改めて戦闘体勢を取り直すのかという姿勢の問題であって、前者が身についてしまった人は、勉強だけではなく、およそ生きていくうえで負け戦の道を自ら選んで歩んでいるのと同じだと私は思います。



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