論文作成講座講師の意見

2010-10-19 22:55:31 | 日記

高校3年生の論文作成講座を担当している講師から報告がありました。

 

「小学生の頃から本を読む習慣がないと、後になってどれだけ苦労するかと言うことを日々実感しています。

本を読まないから、そこに何が書かれているのかを読み取る力が決定的に欠けています。

ですから、筆者の言いたいこと、実際に述べていることとまったく違う解釈をしてしまうとこと珍しくありません。

これでは、文章を読んで、その後で時分の考えを展開することなど叶うわけがありません。

そういう現実を踏まえた上で、論文作成の授業をしていますので、なかなか初めに思い描いたスピードで先に進むことが出来ません。

 

起承転結の押さえ方は勿論、段落の打ち方、果ては句読点の打ち方までが指導の対象になることさえあります。

接続語の用い方も、時には順接と逆説の意味と違いから教えなければならないこともあります。

そういう苦労を経ていくと、それでも次第に文章の読み方や作り方、論文としての体裁の調え方が分かってきて、これなら得点に結びつけられるなあと思えるようになってきます。

そういうときには、他の科目の指導の時と同じように、とても充実した気分になることが出来ます。

 

でも、それでも敢えて言えば、小学生、それも低学年からもっと沢山本を読み、そして読書感想文なども沢山書く練習をしてくれていればなあと思いますね。そうすれば、誰よりも生徒自身がもっと楽に論文作成をモノにすることが出来ると思います」

 

 



まったくその通りだな、と思った次第です。



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初めから悟るべきは

2010-10-19 16:20:14 | 日記

勉強するということを、あたかも楽しいこと、楽なことであるべきだと考えているような、そんな前提であるかのように感じさせてくれる発言をする子供或いは保護者の方がいます。

 

そういうベースでものを考え、口に出して言うことからは、勉強することに対する苦痛や悩み、不満などのニュアンスしか聞かれません。


「楽しいはすなのに」 「楽であるべき筈なのに」実はそうではなかった。


少し考えれば、これが如何に的外れなことであるかは誰にでもすぐに分かることではないかと思います。

 

勉強するということを楽しいと思う子は、もともと数の上で多い筈は無いのだし、そういう風の思えるようになるには、ある程度の時間と、そこで培う経験が必要です。

 

それがない時点やレベルでは、そもそも勉強するという行為自体が苦しさを伴うものであるのは自明の理であって、それを理解できていれば、ことさらそのことを口に出して言うなどの無駄なことはしなくなるものです。

 

そう、勉強なんて、初めのうちは、そしてある段階までは、誰だって苦しくて辛くて不満を感じるものなのですよ。

初めからそういうものだという理解の下でこれを行うものなのです。



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