生活リズムと勉強の関係

2010-10-16 19:11:07 | 日記

もう何度もここで書いてきましたが、「勉強する」などというのは、生活全体の中でどうこれを位置づけるか、或いはこれを組み入れるかというレベルから考えなければ、なかなかその成果を挙げることは出来ません。

 

人によっては、生活の中に占める勉強の時間的量が少ない場合もありますよね。

それはそれで、その少ない時間の中身を如何に濃くしていくかという点で知恵を働かせていかなくてはなりません。

 

反対に、時間の量だけは存分に確保できるという生活リズムの人もいるでしょう。

 

これらの差が、まさに「生活リズム」或いは「生活サイクル」というものです。

 

勉強するというのは、これらのサイクルやリズムの中に如何にして効率的・合理的にこれを組み込めるかで結果に大きく影響してきます。

 

勉強だけをピックアップしてみても、なかなかうまく行かない理由がここにあります。




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子供への向き合い方

2010-10-16 11:40:48 | 日記

「三つ子の魂百まで」と言いますが、学習塾に通う子供やその親たちに接するにつれ、際限なくこの言葉の重み・真実が増していくような気がします。
 
幼いときにしっかりとした基礎教育がなされている(と思しき)家庭の子供は、小学校から中学に至る過程での、いわゆる反抗期の通貨もきわめて健康的なものであるのに対し、ここでそれがなされないまま大きくなってしまった子の場合は、見ていて悲惨を感じることさえあります。
 
その中でも最も大変だなあと感じるのは、子供が親に対して何かを要求し、親がこれに応えないか、応えてもそれが不満なときに、子供が「だったらもう勉強なんかやめてやる」などとうそぶく姿です。
 
個人的には、私だったら子供がそんな台詞をはいた瞬間に張り倒してやるところですが、幸いにして我が家では、子供が幼いときに節度を保ちつつ厳しい躾(の真似事)をしていたせいか、そういう場面にはなりませんでした。
 
で、子供が偉そうに親に向かってそういう台詞をはいて粋がった時、しかも、そこに何がしかの取引要因(欲しいものを要求するなど)が絡んだときは、親としては激昂せず、あわてず騒がす、しかし、親としての威厳を保ちながら、毅然とした対応をしなければなりません。
 
そこでうまく処理できれば、その後の展開に大きく好作用しますし、時期的に多少遅くはなりましたが、これが本来の基礎的教育であることは事実です。
 
「要求を入れられなければ何々をしてやらない」
 
そういう物言いをして、一回でもこれが許されてしまえば、確実に間違った考え方が子供の中に根付いてしまい、その後の人生が悲惨なものになることはほぼ確実でしょう。
 
親がそれを望むなら話は別ですが。



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