「心が折れる」などと言う言い方が流行っているようです。
言い方はどうであれ、何かをするに当たって、途中で諦めたり投げ出したりしてしまうことに変わりはありません。
問題は言葉、或いは表現の方法ではなく、実体がなんであるかということに尽きます。
諦めたり投げ出したりすることにある種の後ろめたさがあるような場合には、人間は(特に子供は)あれこれ理由をこじつけて周囲のみならず、己自身さえも騙そうとする傾向があるといいます。
一般に甘やかされた子供、もしくは今現在生活に緊張感やルール遵守の精神の乏しい子供は、特にそういう傾向が顕著です。
しかし、そういう子供に対しても、試験や成績や受験という関門は他の子と平等にやってきます。
そういうときに、普段の状況を考えて、そこで不本意な結果に終わることを初めから受け入れるのであれば、それも致し方ないこと思います。
しかし、大方の子は、その場において、悪あがきするものです。
これはいかにもみっともない。
そういうことを予想できない子も子ですが、それをも予想できるはずの周囲の大人たちが平素から子供たちに注意を喚起して(よい意味で)追い込んで行く事が、最低限こういう悲喜劇を防ぐことに繋がるのではないかと思います。