以前も書いたことがありますが、勉強嫌いのお子さんを、ただ学習塾に入れたからといって、それだけで自動的に勉強し始めることはありませんし、であれば、自動的に成績が上がるなどということもありません。
「ありません」というよりも「あり得ません」と表現した方が正しいでしょうか。
ですから、そういう子の点数や成績が上がっていくという場合、そこには塾の側や保護者の方の相当の努力や工夫、そして結果が現れるまでしばらく時間がかかるという事実を受け入れる辛抱の機関が必要です。
1ヶ月ほど前、ある中学生の女の子が保護者に付き添われてやってきました。
聞けば、数学が大の苦手で、かなりの危機意識をもっているとのこと。
それ自体はよくある話ですので、別段驚くこともないのですが、問題だと思ったのは、その中学生も保護者も、少なくともそこで話を聞いている段階では、まったくもって危機意識というか、当事者意識が感じられなかったことです。
数学がわからないというのは、その生徒本人、あるいは自分の子であって、他人の話ではないにも関わらず、話す内容はどこか上の空。
話し方の特徴がそうだというのとは少し違い、「数学の何がわからないか」「いつからつまずき出したか」「普段の勉強時間ややり方は」などといった、「わからないことをわかるようにするための質問」に対する姿勢が上の空であっては、いくら時間や費用を掛けても決して効果は出ないでしょう。
学習塾は、誰でもその門を叩けば、後は勝手に成績が上がっていく魔法の場所ではありません。
これとは反対に、こうした話のかみ合い方が実にしっくりとくる生徒、或いは保護者の方も勿論沢山おられます。
そういう方々の場合、時間の長短はあっても、ほぼ確実に全ての方が、点数や成績を上げて見せてくれます。
お互いの向き合い方が正しく、また、お互いの向く方向が正しいならば、そして、そこに一定の努力と工夫が伴えば、それこそ自動的に上向いていくということです。