先月の初めに、松竹伸幸さんと言う方が共産党を除名された事で、共産党の閉鎖的体質が改めて浮き彫りになりました。松竹さんは、長年に渡り共産党の幹部だった方で、今は「かもがわ出版」という出版社で編集主幹をされており、「超左翼おじさんの挑戦」というブログも運営されています。その方が、今年1月末に、「シン・日本共産党宣言」(文春新書)という自著の中で、「共産党も他党のように党首公選制を導入すべし」「安保も自衛隊も認めるべし」と主張されました。それに対し、共産党は、「党の方針に異論があるなら、先に党内で提起すべきだったのに、それをせず、いきなり党外の出版物で、党を攻撃した」から除名したと反論して、両者の間で論争になっています。
私も、かつて生協で働いていた時は共産党員だったので、この論争には興味があり、「シン・日本共産党宣言」も買って読みました。でも、「党首公選制」には賛成できても、「安保も自衛隊も認めるべき」という意見にはとても賛成できず、自分の考えをなかなかまとめる事が出来ませんでした。今ようやくまとめる事が出来ましたので、ここに公表する事にします。やはり「党首公選制には賛成だが、安保・自衛隊容認には賛成できない」。これが私の考えです。
まず「党首公選制」について。何故、共産党が「党首公選制」を導入しようとしないのか?それは、「民主集中制」という党運営の原則と相容れないからです。「党内では民主的運営に心がけ、党員は自由に自分の意見を公表できる。しかし、党の公式見解と異なる意見を、いきなり党外で発表してしまったら、党の団結は阻害され有権者も混乱する。党内に派閥が生まれ、党活動よりも派閥争いの方が優先してしまう事になる。「党首公選制」なんて導入したら、党内は派閥争いでグチャグチャになってしまう。だから、党の人事は、中央委員会で選ばれた常任幹部会で原案を決め、中央委員会総会や党大会で承認する、今のやり方が最も民主的なのだ」という訳です。
確かに、この理屈にも一理はあります。民間企業でも、社の方針や人事は、社員投票なんかではなく取締役会で決めます。特に共産党の場合は、長年に渡り、権力から弾圧されて来た歴史があります。戦前の党員作家・小林多喜二に対する拷問や、戦後の占領軍によるレッド・パージ(共産党員の公職追放)など、その例は枚挙にいとまがありません。おまけに戦後は権力側からだけでなく、本来なら仲間であるはずのソ連や中国の共産党からも、外部から革命方針を押し付けられたりしました。そのせいで、党が分裂させられ、一時は存亡の危機に瀕しました。
その中から、「議会制民主主義の中で、あくまで選挙で多数派になり政権を取る。ソ連や中国の党に対しても、同じ共産党だからと言いなりになるのではなく、あくまで自主的な立場から是々非々で臨む」という、今の共産党の方針が確立されました。各党の党規約を見ても、党員の権利や義務について、最も細かく書かれているのは、共産党の規約です。「党の会議で、党のいかなる組織や個人にたいしても批判することができる。また、中央委員会にいたるどの機関にたいしても、質問し、意見をのべ、回答をもとめることができる」(党規約第5条)。他の党はここまで書いていません。
逆に自民党なぞは、「公の場所又は公に発表した文書で、党の方針又は政策を公然と非難する行為」は「党の規律をみだす行為」で「処分を行う」(自民党規律規約第9条1のイ)とまで書いておきながら、党議員の一部が党の方針に反して、他党の候補者を応援したり、保守分裂選挙を各地で繰り広げているではないか。そちらの方がよっぽど無責任ではないか。それに、党首(総裁)公選制と言っても、実際に選ぶ権限を持っているのは党所属の国会議員だけで、地方のヒラ党員の票は、議員票の何百分の1ほどの値打ちしかない。そんな形だけの党首公選制を導入するぐらいなら、今のままの方が良い…これが今の共産党の考え方です。
でも、そこには落とし穴があります。いくら民主的な制度を整備した”つもり”でも、長年に渡り、党幹部だけで物事を決めていては、「井の中の蛙」になってしまいます。「世間の常識」が通じない集団になってしまいます。現に私がいた生協でもそうでした。「生協は民主団体で、消費者運動をやっているから、残業代が付かなくても仕方がない。(今はそうでもないが)昔は生協運動がやりたくて生協に就職した人がほとんどだった。基本給とボーナスで、ある程度の生活が保障されているのだから、後はボランティアでも仕方がない。それに不満を抱いて、労働基準監督署にかけこんでも、労基署も警察(権力機構)の一種なので、生協弾圧に利用されるだけだ」。
そう思い込んでいる人が大半でした。だから、残業代不払いだけでなく、パワハラやセクハラも横行していました。生協の配達中に事故でも起こしようものなら、その日の職場の総括会議で、運転者は全員からつるし上げにされました。運転技術の未熟さだけでなく、日頃の勤務態度までやり玉に挙げられて、人格攻撃されました。サービス残業も、ほんの15分のつもりが、2時間、3時間になり、「幽霊出勤」(休日に出勤してタイムカード押さずに仕事しなければ仕事が回らない)や泊まり込みが常態化していました。
生協の中には労働組合もあり、職場には共産党員も大勢いました。しかし、誰一人として、それを是正する事は出来ませんでした。この私も含めて。それでよく「労働者の味方」ヅラできたものだと、今なら言えますが、当時はそれが当たり前だと思っていました。今から思えば、一種の洗脳状態にあったのだと思います。かつてのオウム真理教や今の統一教会と、一体どこが違うのか?
勿論、こんな思い出ばかりではありません。楽しい事も一杯ありました。仕事でも組合活動でも党の活動でも。だから、20年近くも生協におれたのだと思います。でも、最後はもういたたまれなくなり退職しました。そして共産党も離党しました。その後に、今の会社に就職し、非正規雇用で働いてきました。今の会社も、民主的とはとても言いがたい職場ですが、それでも安い給料ながらも、うつ病も患わずに普通に暮らせるのは、当時の教訓があったからだと思います。「もう二度と同じ目に遭って堪るか」と。
生協が政権を取る事はありませんが、政党は政権を取るのが最終目標です。どんな小さな野党でもそれは同じです。だから政党には、労働組合や生協以上に、民主的運営が求められるのです。それは共産党とて例外ではありません。どんなに権力から弾圧されようと、それを口実に、党員の基本的人権や自由を奪う事があってはなりません。
それと同時に、我々有権者の方も、権力のそんな弾圧を見過ごすような事があってはなりません。今も自民党政権は共産党を破防法の対象にして、公安調査庁の職員が共産党員を監視しています。共産党が今の議会主義の政党になってから、もう60年以上にもなると言うのに、いまだにそんな事をしています。共産党に言論・表現の自由や党首公選制を求めるのであれば、共産党の言論・表現の自由も保障しなければ筋が通りません。共産党を破防法の対象から外すべきです。
その一方で、松竹さんは、同じ著書の中で、「安保も自衛隊も容認すべきだ」と書いています。「今や安保・自衛隊賛成論が、国民の9割近くに上るのだから、共産党も安保・自衛隊を容認すべきだ。それを訴え党首選挙に出馬するために、党首公選制を主張しているのだ」と言うのが、松竹さんのもう一つの主張です。私に言わせれば、この「安保・自衛隊容認論」も、一種の「洗脳」に過ぎないのですが。
勿論、松竹さんも今まで共産党員だった方ですから、理想はあくまで安保廃棄・自衛隊解消にあります。しかし、ロシアがウクライナを侵略し、中国も台湾進攻をちらつかせる今の時代に、それを言っても国民は付いて来ないので、「野党共闘の方便」として出して来た安保・自衛隊「凍結」の主張を「容認」にまで引き上げ、「核抑止抜きの専守防衛」を新たな野党共闘の旗印にすべきだと言うのが、松竹さんの主張です。
でも、私はこの主張に与する事は出来ません。現時点で「安保・自衛隊を容認する」事は、「沖縄の基地負担や辺野古移設を容認する」事に繋がります。全国の0.6%の面積しかない沖縄県に米軍基地の75%が集中しており、嘉手納町に至っては町域の82%を占めるまでに至っています。県土の主要部分を米軍基地に占領され、米兵犯罪も日米地位協定の壁に阻まれ治外法権のままです。沖縄県民の人権侵害を見殺しにして、「共産党員の言論の自由」もクソもないだろう(怒)。
昨今、何かと言えば「ロシアが、中国が」と言いますが、米国も中東や中南米で同じ事をやって来ました。その結果どうなったか?アフガニスタンでは逆にタリバンの復活を許してしまい、イラクは今も混乱の中から抜け出せずにいます。中南米でも、今までの米国の横暴に対する反発から、再び左派が大陸を席巻するようになりました。ところが、ウクライナや東アジアではロシアや中国の横暴の方が目に付くので、同じ覇権主義の国でありながら、米国はそれよりもマシな国のように思われてしまっているのです。
「核抑止抜きの専守防衛」も、自民党の良識派が主張するなら私も納得します。今の安保法制容認、43兆円もの大軍拡予算よりは、はるかにマシですから。でも、仮にも社会変革を目指そうと言う共産党が、かつての自民党と同じような主張をしてどうするのか?「その程度の共産党なら、昔の自民党の方がはるかに良かった。確かに今の自民党政治は酷いが、それでも『腐っても鯛』『寄らば大樹の陰』。共産党なんかより自民党の方を支持する」となるに決まっています。
元々、あの安保・自衛隊「凍結」方針は、「専守防衛すら投げ捨て、米国の始めた戦争に地球の裏側まで付き合う」そんなとんでもない安保法制を廃止するために、安保・自衛隊容認の立憲民主党とも手を組んで、まとめた暫定的な政権公約です。最終目標はあくまで安保法制廃止であり、その先はまた選挙で国民の信を問えばよい。そういう公約だったはずです。新自由主義見直しなどの、数ある野党政権公約の一つに過ぎませんでした。
ところが、それがいつのまにか独り歩きしだして、まるでそれだけが野党共闘の踏み絵のように宣伝されてしまった。その為に、立憲民主党も「立憲共産党」と言われるのが嫌で、共産党との共闘に消極的になってしまったのです。ではなぜ、「希望の党」には行かずに立憲民主党を立ち上げたのか?自民党と似たり寄ったりの野党が幾ら集まっても、自民党の劣化コピーにしかならないのに。
安保法制廃止のめどが立たなくなった今となっては、立憲民主党なぞあてにせず、同じ立場を堅持している社民党やれいわ新選組と共闘する方が、よっぽどスッキリします。そこに立憲が乗ってくるならそれでも良いですが、仮に乗って来なくても、共産・社民・れいわの3党でまとまる方が、国民にとっても分かりやすいです。同じ党首選挙をやるなら、そういう選挙を共産党の中でやってもらいたいです。そこでは安保法制だけでなく子育て支援やコロナ対策、賃上げや新自由主義見直しも争点にします。その結果、3党連立派が当選すれば(私はこの可能性も決して少なくないと思っています)、その影響は共産党の中だけに留まりません。次の野党共闘の在り方や自民党総裁選にも及ぶのではないでしょうか?
松竹氏の問題、記事にしてくださってありがとうございます。
私の場合、松竹氏の主張にはくみしませんが、党代表公選には賛成です。というか共産党は変わらねばなりません。
私がこのような考えを抱くようになったのは(私のブログにも綴りましたが)昨11月の小池書記局長が田村副委員長に威圧的な態度を取ったり、年明けには党千葉県書記長が盗撮事件を起こしたことです。
ジェンダー平等などとのたまっていながら女性に威圧的な態度を取ったり女性の敵というべき犯罪を犯したりする「言行不一致」に党のありかたがおかしいのではないかと思ったのです。
残念ながら共産党は朝日新聞などに対し「結社の自由だ。マスコミが党のありかたに口出しするな」などと言うています。これもブログに綴りましたが「結社の自由」を「信教の自由」に置き換えたら宗教系カルトがよくやる発言になってしまいます。(幸福の科学の講談社・FRIDAY糾弾キャンペーンなど)
前のコメントの繰り返しになりますが、私はもうしんどくなってしまいました。
まだうつ症状もよくなりません。
それではまた。
世界一のならず者国家米帝が世界中で横暴の限りを尽くしているのは仰る通り明らかで、世界に大多数の人達が当然に知っていることですが。
それと日共に関して。
こちらももう言うまでもなく、戦前の日共とその内実が全く変わってしまい、今や「共産党」の名を騙るのもおこがましい、今も世界に幾つか残っている真面な共産党にも迷惑をかけるだけのお邪魔虫政治組織に成り下がっています。有体に言って、共産党にあるまじき帝国主義・植民地主義精神丸出しの右派(極右)政党に転落しています。
そして根拠のない感情的・煽情的な反露・反中言説で、🗾権力者=米帝の従属支配層の対中再侵略策動・戦争推進の片棒担ぎを担うだけの存在に。個人的には🗾の再度の対中戦争突入に日共もそれなりの役割を果たす予感がしてなりません。ぜひ党名を変えて貰いたいもの。「日帝協賛党」なんかちょうど現状を適切に表した党名で良いのではないでしょうか。
お尋ねの件ですが、今回の記事のテーマはあくまで松竹さんの除名についてなので、それとは直接関係のないロシア・中国については軽く触れるだけにしておきますね。
ロシアの横暴事例:2014年のクリミア併合、2022年のウクライナ侵略
中国の横暴事例:香港の自治はく奪、台湾への恫喝、日本の領海侵犯、南沙諸島の併合、チベット・ウイグルに対する同化政策。
軽く触れただけでもこれだけあります。