たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『Anne of Green Gables』より‐第32章The Pass List it Out

2024年05月01日 08時02分51秒 | 『赤毛のアン』

 But one evening the news came . Anne was sitting at her open window,for the time forgetful of the woes of examinations and the cares of the world,as she drank in the beauty of the summer dusk,sweet-scented with flower-breaths from the garden below and sibilant and rustling from the stir of poplars.The eastern sky above the firs was flushed faintly pink from the reflection of the west,and Anne was wondering dreamily if the spirit of colour looked like that ,when she saw Diana come flying down through the firs,over the log bridge,and up the slope,with a fluttering newspaper in her hand.

「しかし、ある日の夕方、ついに知らせは届いた。アンは開け放った窓のそばに腰かけていた。美しい夏の夕暮れに見とれている時だけは、難儀な試験のことも、この世の気苦労も忘れることができた。下の庭からは花の息づかいが甘く香って漂い、ポプラの天辺からは、ざわざわと葉ずれの音が聞こえた。もみの森の上に広がる東の空は、夕焼けの照りかえしをうつしてほのかなピンク色に染まっている。それをアンは色彩の妖精のようだと思いながら眺め、夢うつつだった。その時ダイアナがもみの森を抜けて飛ぶように走ってきた。新聞をひらひらさせながら、丸木橋をわたり、また坂をかけ上ってくる。」

 

(松本侑子訳『赤毛のアン』379頁)

 

 

 

 


『Anne of Green Gables』より‐第10章Anne,s Apology

2024年01月25日 00時05分13秒 | 『赤毛のアン』

'But I,m going to imagine that I,m the wind that is blowing up there in those tree-tops.

When I get tired of the trees I,ll imagine I,m gently waving down here in the ferns-and then I,ll fly over to Mrs.Lynde,s garden and set the flowers dancing-and then I,ll go with one great swoop over the clover field -and then I,ll blow over the Lake of Shining Waters and ripple it all up into little sparking waves.

Oh,there,s so much scope for imagination in a wind! So I,ll not talk any more just now,Marilla,'

'Thanks be to goodness for that," breathed Marilla in devout relief.

 

「お祈りの言葉を唱えることと祈ることは厳密には違うわ。アンは瞑想に耽りながら言った。「今、私は風なんだって想像しているの。あの木立の天辺にふわりと上っているのよ。木に飽きたら羊歯の上に舞いおりて葉っぱを揺らして、それからリンドのおばさんのお庭へ飛んでいって、お花をそよそよ躍らせるの。それからクローヴァーの野原までひゅうとひとっ飛びに飛んでいくのよ。そして《輝く湖水》へ吹いていって、水面にさざなみをたてて、きらきらと光らせるんだわ。ああ、風にはなんて想像の余地があるんでしょう!だから、マリラ、私しばらくおしゃべりできないの」

「ああ、ありがたや、神に感謝せねば」マリラは、やれやれと一息ついた。」

(松本侑子訳『赤毛のアン』112頁より)

 

 

 


『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(3)

2023年07月13日 15時30分05秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(2)

しかし、『シャロットの姫』を最初からよく読んでみると、この表現は、くりかえし出ていた。第一部の5行め、同じく第一部の32行め、第四部の149行めにもある。よって、正確に書くと、『シャロットの姫』に「塔がそびえる都キャメロット」という表現は、5回ある。

キャメロットといえば、「塔がそびえる」という、塔の林立する華やかな都を思わせる形容詞が決まりのようについていて、アンはそれを使ったのだ。

では、『シャロットの姫』とは何であろうか。これも文学辞典に出ていた。テニスン初期の作品で、1832年に発表された(1842年に改編)。シャロットの姫もまた、アーサー王の騎士ランスロットに恋いこがれ、舟で流れていく娘だ。それが後に書かれた『国王牧歌』のエレーンに発展していく。逆に言うと、エレーンの原型となった女性である。

面白いことに、カナダで撮影され1989年に製作されたミーガン・フォローズ主演の映画『赤毛のアン』では、原作本にある『ランスロットとエレーン』は登場しない。その代わりに、『シャロットの姫』をアンが朗読する場面が、二か所、出てくる。

まず映画の冒頭で、幼いアンは、テニスンの『シャロットの姫』を朗読している。森の中を歩きながら、半ば陶酔しつつ音読するシーンが、2-3分も続く。映画の字幕をご覧いただこう。

 

乙女は昼も夜も機を織る

色あざやかな魔法の布を

人々はこう囁く

キャメロットの呪いが彼女にと

呪いを知らぬ乙女は機を織り続ける

心に別の思いを抱き

シャーロットの乙女よ

 

(字幕/細川直子訳、映画『赤毛のアン』)

 

ここまで朗読したとき、アンは養家のハモンドの奥さんに呼びつけられ、仕事が遅れた罰として、テニスンの詩集を火にくべられてしまう。アンが読んでいた一節を『シャロットの姫』で探すと、本当に第二部にあった。こういう探し物は、本当にワクワクドキドキする。

もう一か所は、この第二十八章を映像化したシーンだ。

エレーンに扮して小舟で流れていく場面で、アンは「ザ・レディ・オブ・シャロット」とつぶやく。映画の製作者は、テニスンの詩と『アン』の重ね合わせの面白さを、よくわかっているのだ。そういえば私は、アンを演じたミーガン・フォローズが、エレーン姫になって乗った小舟の現物を見たことがある。カナダはオンタリオ州の避暑地バラにあるバラ博物館で、撮影に使われたボートが庭においてあったのだ。日本では、松竹がビデオ販売しているので、ご覧いただきたい。モンゴメリの意図した引用がよりわかりやすいだろう。

 

(略)

 

『アン』を訳していて、アーサー王が出てきたのは思いがけないことだったが、しかし1989年の春に、一人のブルトン人の女性に出会ったときから、私がアーサー王に関わりを持つように、見えない道は開かれていたのかもしれない。

パリで、ドミニク・パルメさんという女性のお世話になった。彼女は日本の純文学の小説をフランス語に訳す翻訳家だが、私のテレビ取材の通訳をしてもらったのだ。口数の少ない人だったが、それでも仕事の合間に、いくらか雑談をした。彼女が日本の大学に留学していた話、彼女の故郷ブルターニュのこと・・・。

そのとき、彼女は言ったのだ。ブルターニュはフランスでも特別な土地だ。ブリタニアであり、ブルトン人の土地、ヨーロッパの原型だと。

(略)

パルメさんとは、それきり会うこともなく二年がすぎ、私はまた渡仏した。JALの機内誌に紀行文を書くためにシャンパーニュ地方へむかったのだ。しかしどう考えても不可解な事情で、シャンパーニュへ行くことはできなくなり、フランス国内の他の土地へむかうことになった。

さて、どこへ行こうか。ノルマンディーもロワールもニースも、魅力的だが、紀行文を書く身からすれば、ありきたりだ。美食の土地ブルゴーニュにも心が動いたが、グルメブームの頃、盛んに紹介された場所だ。もっと個性的な土地を訪ねたい。そう思案していたとき、ふと、パルメさんの言葉が浮かんだ。

ブルゴーニュはフランスで特別な土地だ・・・。そう言った後、何か言いかけて口をつぐんだ彼女の顔も思い出した。

そうだ、ブルトン人の土地、ブルターニュへ行こう、彼女が言わなかった何かを、知りたい。まるで最初からシャンパーニュではなくブルターニュにむかうように仕組まれていたようなめぐり合わせだった・なぜなら、パリでは、ブルターニュ行きの列車が出るモンパルナス駅近くのホテルに泊まっていて、私はブルターニュの名物料理を食べていたのである。

ブルターニュに着いてみると、どう見てもフランス語とは異なる文字、つまりケルト語系の標識が目についた。歩いている人々も、ケルト系というかブルトン系独特の顔立ちだった。パルメさんの風貌は、まさにブルトンの血を引いたブルターニュ人のものだったと思い当たった。

ブルターニュから一度も出たことがないというタクシー運転手の案内で、さまざまな街や村、遺跡を、数日かけて旅した。年老いた彼もまた、ブルトンの顔をしていた。

古代ケルトの遺跡、妖精と霧の土地、濃い色の海、キリスト磔刑(たっけい)の像、イル・ド・フランスの教会とは明らかに異なる土俗的な教会、そしてアーサー王伝説にちなむ土地の伝承・・・。どこへ行っても、日本人の観光客には一人も出会わなかった。

先史時代の巨石遺跡も訪ねた。紀元前500年とも、紀元前5000年とも言われる太古に作られた巨大な石墓(ドルメン)や縦列石柱を訪ねた時、不思議な経験をした。

道路から外れた山の中に、普通の人が知らないような巨大な石塔遺跡があるという。それを探しに、山に入った。もちろん道はない。黄色い花をつけたハリエニシダ。その他には、何も見えない。どこまで歩いても、頭上まで伸びているハリエニシダの茂みの中だ。香水の原料になるこの花からは、むせかえるような強烈に甘い匂いが漂って、息がつまりそうになる。聞こえるのは、やむことなく囀(さえず)りつづける鳥の声だけ。見えるのは、頭上まで伸びるハリエニシダと青空だけ。かき分けて歩くうちに、次第に、方向感覚が失われてきた。なんだか、意識まで遠くなりそうだ。どこまで歩いても、黄色い花をつけた茂みの中。巨石らしきものも見えない。けれど、吸い込まれるように足がどんどん進んで行く。下り道だったのか、足が前に進んで止まらない。危ない、これは帰れなくなる。そう直感して、後戻りした。帰りもまた、どこまでもハリエニシダの花の高い茂みの中。顔にぶつかる花をかきわけて歩く。夢を見ているようだった。妖精の国、伝説の国という言葉が、浮かんだ。

アーサー王を育てた妖精メルラン(英語ではマーリン)が住んでいた湖は、ブルターニュにあったと言われている。魔術を使う妖精は本当にいたかもしれないと、少し恐ろしくなったのは、無事に山を出た後だ。

ワーグナーが、オペラ『トリスタンとイゾルデ』に仕立てた悲劇のトリスタンも、もともとはブルターニュの伝説の英雄である。彼は、いつのまにかイギリスのアーサー王伝説に組み込まれ、王の19番目の騎士となったの。

ブルターニュといえば、ヨーロッパの最果て、古代ケルト、荒れた海、霧と沼、伝説と妖精、中世の城壁の街という言葉で飾られる。陳腐な形容だと思っていたが、行ってみると、本当に病みつきになる不思議な魅力があった。

ブルターニュを離れるとき、何日も行動を共にした運転手に、私は別れの挨拶をした。

「もう二度とブルターニュには来ないだろうけれど、すばらしい所だった」

するとブルトン人の彼は、私の手を強く握りながら、言ったのだ

「そんなことを言うな。おまえは、きっとまたブルトン人の土地に戻って来る」

その予言は、本当になった。私は、アーサー王とエレーンにゆかりの土地に、何度も行くことになったのだ。

数年たった94年、私は、悲劇のスコットランド女王メアリ・スチュアートが住んでいた城を、エジンバラにたずねた。ホリールード宮殿だ。『アン』には、メアリ女王の生涯を描いた詩を朗読する記述があり、興味があったのだ。すると宮殿の裏山が、なんと「アーサー王の玉座」という名前だった。アーサー王は、ブリテン島の南部にいたとされるので、北のエジンバラまでは行っていないはずだが、ケルト系のスコットランド人は、アーサー王にゆかりがある土地だと信じて、王の名を冠しているのだ。

さらに数年後には、アーサー王の円卓があるイギリスの古都ウィンチェスターへ、一人で行った。円卓といっても、アーサー王が生きていた5世紀のものではなく、13世紀に作られたものだ。

ウィンチェスターは不思議な街だった。15世紀に『アーサー王の死』を書いたマロリーは、王の城があった都キャメロットは、ウィンチェスターだと書いている。

またこの街には、1382年創設、英国最古のパブリック・スクールといわれるウィンチェスター大学があるが、その蔵書に、アーサー王伝説の手書きの写本が発見されたのだ。それには、マロリーの原本と思われてきた印刷物『アーサー王の死』とは異なる文章があり、この写本のほうが、原本により近いらしいのだ。都キャメロットはどこにあったのか、邪馬台国論争と同じで、ほかにも候補地はある。いずれ、すべてたずねたいと思っているが、写本の発見には感動した。

なぜなら、アーサー王が実在したにしろ、しなかったにしろ、彼は大昔の人物だ。日本では、古墳時代に相当する。そんな太古の王の物語を、1500年間もの間、ヨーロッパの人々が語り継いできたことに感銘するからだ。印刷のない時代、人々は長い物語を手で書き写して写本にした。そして王は1500年もの間、人の心の中で生き続けてきたのだ。私は王の話そのものよりもむしろ、伝承が続いてきた歴史に感動するのだ。

その旅では、『不思議の国のアリス』を調べるために、オックスフォードへも足をのばした。『アン』には『アリス』も登場するからだ。作者のルイス・キャロルが少女アリスと出会い、金色の時間をすごしたオックスフォードへ、その翌日は、キャロルが亡くなったイギリス南部のギルフォードという小さな町へ行った。

エレーン姫が住んでいたアストラットの百合の乙女は、ギルフォードとする説が有力だった。

そこでギルフォードでは、キャロル関係の小さな博物館へ行ったとき、学芸員の人たちにアーサー王伝説のエレーン姫について質問した。エレーンが都まで流れていくような川が、この町にあるでしょうかと。

するとギルフォードには、ウェイ川という川があり、都ロンドンまで流れているというのだ。エレーンが流れた川である可能性があると教えてもらい、私はタクシーでウェイ川まで行ってみた。

川につくと、私は水辺に生えていた柳の葉をちぎって川にうかべた。それは、きらきらと木漏れ日に光る水面を漂うように、ゆっくりと流れていった。私は川辺にたたずみ、ゆるやかな葉の流れに、美しい姫が、実らなかった恋の悲しみを抱いて漂っていく姿を重ね合わせてみた。まさにアンのように、ロマンチックな想像にひたったのである。」

 

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』97~106頁より)

 

 

 

 


『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」(2)

2023年07月10日 00時52分27秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」

「さて、いよいよテニスン詩集がアメリカから届いた。エレーンとランスロットの詩が詠める、と期待にわくわくしながら、目次を開いた。『国王牧歌』という作品が、たしかにある。

 この詩、長編詩だとは知っていたが、詩だけで150ページもある。しかも二段組みだ。説明によると、もともとは二冊組みで発行された本だと書いてある。こんなに長い昔の英文をアンたちは読んだのかと感心しつつ、長さにたじろぐ。『国王牧歌』は、いくつにも分かれていて、そのなかの一つ『ランスロットとエレーン』(1859)とう詩が、アンたちが習った作品だった。

 

 といっても、この詩だけで行数が1400行もあるのだ。大した分量だ。あまりの長さにしりごみしたが、『アン』と同じ文章があるかもしれない。引用を探すために、最初から読んでいった。

 ちなみに、冒頭を訳すと、

「エレーン、そは麗しく、エレーン、そは愛らしい

 エレーン、アストラットの百合の乙女よ」

 となっていて、詩の二行目にも、エレーンが『百合の乙女』だと書いてある。

 1000行以上ある詩を読んて行く作業は、『アン』翻訳単行本の発行には間に合わなかったが、単行本を出した後も読み続け、引用をたくさん見つけた。重版のときに引用注を追加した。

 これは後でわかったが、『ランスロットとエレーン』からの詳しい引用解説は、カナダの研究者リア・ウィルムズハースト氏も、『注釈付き』の注を書いた北米の学者たちも見つけていなかった。テニスンの大長編詩を一行ずつ読み比べて探す、といういかにもオタクな調査は、本場の研究者もしなかったようだ。

 『アン』第二十八章には、テニスンの詩『ランスロットとエレーン』が引用されていることはもちろんだが、章全体が『アーサー王伝説』の流れを意識していて、それを模倣する形で進行している。もともとこの章は『アン』全体を通じて、一つの山場であるが、そこに、アーサー王伝説の『ランスロットとエレーン』をもりこむことによって、裏文脈とも呼べる伏線が生まれ、興味深い構成になっている。いよいよ、『アン』のお芝居ごっこを読んでみよう。

 

 美しい夏の昼下がり、アンは女友だちと四人で水辺につどい、この詩を芝居仕立てにして遊ぶ。百合の乙女エレーンには、アンがなるようにと、みんながすすめる。

 しかしアンは、エレーン役を辞退する。テニスンは、エレーンが金髪で「輝くばかりの髪が、豊かに波打っていた」と描いているから、赤毛のエレーンは変だと言うのだ。『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1149行めにエレーンは「輝くばかりの髪が豊かに波打っていた」とあった。しかし結局アンは、みんなのすすめに従って、エレーン役になる。

 次にアンは、残りの三人の役割分担を決める。「あんたたち三人はエレーンのお父さんと、兄さんたちになるのよ」と。エレーンの父親と兄二人は、エレーン姫の小舟を川に浮べて、見送る人物である。

 アンは、こうも言っている。

「口のきけない老いた召使もエレーンと一緒に舟に乗らなきゃいけないんだけど、私が舟に横になったら、もう一人乗る余裕はないから無理ね」

 

 『ランスロットとエレーン』を読むと、本当に1146行に、「そして口のきけない老いた召使が(舟に)乗った」とあるのだ。もっと前の部分を読むと、エレーン姫は、死の直前、口のきけない召使を船頭として自分から望んでいる。自分の恋心は、この手紙だけが語ってほしい、お父さんもお兄さんも何も言わないでほしい、だから物言わぬ召使の舵取りで、都のお城にゆきたいと。

続けてアンは、「エレーンの棺となる屋形船には、真っ黒などんすをしきつめなくてはね。ダイアナのお母さんの黒いショールがぴったりじゃないかしら」と言う。

これも『ランスロットとエレーン』の1135行に、「真っ黒などんすを棺衣にして舟の端から端まで敷きつめ」とあったのだ。何から何まで、詩の通りに進んでいくので、詩『ランスロットとエレーン』を探すのが、楽しみになってきた。

アンは、舟の底にダイアナのお母さんの黒いショールを広げて、横たわり、目を閉じ、両手を胸の上に組む。死人に扮したアンを見て、ルビーが心配する。「こんな(死人の)お芝居をしてもいいのかしら。リンドのおばさんは、お芝居ざたなんでものは忌まわしいものだって言ってるわ」と。

するとアンは、「リンドのおばさんの話なんかしないの」「これはリンドのおばさんが生まれる何百年も前の物語なのよ。そんなことを言ったら、雰囲気が台なしだわ」と答えるのだ。これは、そうとうに滑稽な会話だ。リンド夫人とは、村の熱心な世話焼き、初老の善女であるが、体重200ポンド(約90キロ)の超肥満体で口やかましく、大した説教好きなのだ。確かに、失恋の悲しみに世をはかなんだ可憐なエレーン姫になりきろうとしているアンにとって、ここで、口やかましいリンドのおばさんの説教話など持ち出されては、ロマンチックな気分が台なしだ。この台詞は大爆笑もので、訳しながら、何度も思い出し笑いをしたものだ。

死人のエレーン姫が、寝ながらあれこれ指示するのは変だとアンが言い、以後は、優等生ジェーンが、姫の出棺にむけて指示する。女の子たちは、エレーンのなきがらにかける金色の布がないので、日本の絹の黄色い縮緬(ちりめん)で代用する。テニスンの『ランスロットとエレーン』を探すと、1150行に、「金色の布を全身におおいかけ」と、ちゃんとある。

姫に持たせる白い百合の花はなかったが、川辺に咲いている青いアイリスの花で代用した、とある。これも詩を探すと、1148行に、「右手には百合の花を、左手には手紙を」と、書いてあるのだ。

これでエレーンの支度はすべて整った。いよいよお別れだ。

 

「さてと、準備はできた」ジェーンは言った。「みんなでエレーンの静かなる額に口づけをするのよ。それからダイアナは、『妹よ、永久にさらば』と言って、ルビーは、『さらば、愛しの妹よ』と言うのよ」

これも、詩『ランスロットとエレーン』の1143~1145行に、

 

 そしてエレーンの静かなる額に口づけをして、言った。

「妹よ、永久にさらば」、もう一人の兄も

「さらば、さらば愛しの妹よ」と告げ、父と兄たちは涙ながらに別れの挨拶をした。

とあるのだ。優等生のジェーンは、『ランスロットとエレーン』をきちんと暗記しているではないか!しかしこのとき、アンが怖い顔をして舟に横たわっているので、ジェーンに注意されている。

テニスンの詩には、エレーンは「微笑むがごとくに横たわりし」とあるから、もっと穏やかな顔をしなさいというのだ。テニスンの詩を探すと、1154行めに、たしかにエレーンが「微笑むがごとくに横たわりし」とある。そこで案は、微笑んで横たわる。

そしてダイアナ、ジェーン、ルビーの三人は、小舟を岸からゴリゴリと押し出して、水に浮べ、流れていくのを見送る。

アンの小舟が川を流れていくのを見届けると、残りの三人は、下流へ走っていく。彼女たちの遊びの中では、下流はエレーンがたどりつく王都キャメロットという設定なのだ。今度は三人は、騎士ランスロット、アーサー王、王妃グィネヴィアの役に変わり、エレーンの小舟がたどりつくのを待ち受ける。

しかし、アンが身を横たえた小舟は、底に穴が開いて浸透して沈みかけてしまう。アンは川にかかっている橋の脚にしがみついて、どうにか助かる。

けれど、それを知らない三人は、流れてきた小舟が沈んだのを見て、てっきりアンが溺れ死んだと思いこみ、大人を呼びに家に戻ってしまう。

 助けを待って橋の脚にしがみついていたアンは、気づかれることもなく、起き去りにされる。しだいに腕が痛くなり、いよいよ深い川に落ちて溺れるかといいうところで、ハンサムな少年ギルバート・ブライスがボートをこいで、橋の下を通りかかる。

かつてアンは、このギルバートに赤毛をからかわれたことがあり、彼を敵視していたのだが、ここは仕方なく、つんとしたまま助けてもらう。一方、もともとアンに好意をもっていたギルバートは、仲直りを持ちかけるのだが、アンは意地をはって拒絶する。しかしアンは、妙な後悔におそわれる。本当は、自分がギルバートを許していたことに気づくのだ。

以上が、『アン』第二十八章の筋書きだ。テニスンの詩と、アンとギルバートの関係があんまりぴったり一致していて、とても驚いた。

何しろアンは、死せるエレーンに扮して流れていくと、思いがけず舟が浸水して、本当に死にそうな目にある。これがまず一つ目のエレーンとアンの類似点だ。

二つ目の類似点としては、テニスンの詩ではエレーンは流れていった先で、恋しい人ランスロットに見つけられるが、『アン』第二十八章では、瀕死のアンを見つけて助けるのが、ギルバートなのだ。

ギルバートのことを、アンは親の敵(かたき)のように憎んでいるが、内心では彼が気になっている。つまり、アンがギルバートに発見される筋書きは、いずれ二人が恋仲になることを暗示しているのだ。実際、『アン』の結末で、二人は和解して親友になり、後には結婚するのだ。

こうした成りゆきを、それとなく伏線として示しているところが、この章の大きな魅力だ。テニスンの詩を知っている英米の読者は、この章を読んで、おおいにニヤリとしただろう。

こうして大騒動をおこしたアンは、章の最後に、グリーン・ゲイブルズのマリラとマシューにむかって言う。

「(前略)それで今日の失敗は、ロマンチックになりすぎる癖をなおしてくれたのよ。それに、アヴォンリーでロマンチックを期待しても、無駄だってわかったの。何百年も昔の、塔がそびえる都キャメロットならともかく、この時代にロマンスなんて、あわないのよ。だから、そのうち、ロマンチックになりすぎるくせも、ぐっと改善されるのは確実よ」

「そりゃ結構だと、私も確実に思ってるよ」マリラは疑わしそうに言った。

しかし、マリラが出ていくと、いつものように黙って隅にすわっていたマシューは、アンの肩に手を置くと、はにかみながら小さな声で言った。

「おまえのロマンスだがね、すっかりやめてしまってはいけないよ、アン。ロマンスも、少しならいいものだよ。-むろん、度がすぎてはいかんよ-でも、少しは続けるんだよ、アン、ロマンスも少しはとっておくんだよ」

 

こうして第二十八章は、マシューのやさしい言葉で終わる。

97年に出た『注釈付き』の注を読んでいたら、もう一つ引用があると出ていた。

「塔がそびえる都キャメロット(towered Camelot)が、テニスンがエレーンを下敷きにした別の詩『シャロットの姫』第四部122行の「塔がそびえる都キャメロット」にちなんでいるという。

『テニスン詩集』の『シャロットの姫』を調べたところ、たしかに122行に、あった。「重くたれこめた空から雨がふる、塔がそびえる都キャメロットに」だ。」

 

                               ⇒続く

 

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』89-96頁より)

 

 


『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「アーサー王伝説」

2023年07月04日 15時10分03秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-イギリス文学-「太古からの平和がただよえる故郷」-テニスン『芸術の宮殿』より(2) - たんぽぽの心の旅のアルバム (goo.ne.jp)

「この章では、今から千五百年ほど時代をさかのぼって、五世紀のイギリスへと、舞台を移そう。

 こんなふうに書くと、びっくりされるかもしれないが、アーサー王伝説がテーマだ。『アン』第二十八章では、アンと三人の女友だち(ダイアナ、ルビー、ジェーン)が、アーサー王と王妃グィネヴィア、騎士ランスロットとエレーンに扮して、お芝居ごっこをする。

 第二十八章 不運な百合の乙女

「もちろんエレーンの役は、アンがなるべきよ。ボートに寝たまま川を流されていくなんて、私にはとても勇気がないわ」ダイアナが言った。

「私もだめだわ」ルビー・ギリスが、恐ろしそうにふるえながら言った。「二人か三人で舟に腰かけていくなら、こわくないわよ。面白そうだもの。でも、死んだふりをして舟底に横たわって流されるなんて、こわくて本当に死んでしまうわ」

「もちろんアンの提案は、ロマンチックだけど」ジュリー・アンドリュースがうなずいた。「でも、じっと横たわってなんていられないわ。今どこを流れているのか、漂流してしまったんじゃないかって心配で、しょっちゅう頭を持ち上げてきょろきょろしてしまうわ。でもアン、それじゃあ台なしでしょう」

「でも、赤毛のエレーンなんて、おかしいわよ」アンは悲しげに言った。私は舟で流れていくのは、こわくないわよ。喜んでエレーンになりたいわ。でも、やっぱり、赤毛は変よ。ルビーがエレーンになるべきよ。だってルビーは色白だし、長くてすてきな金髪だもの。エレーンは『輝くばかりの髪が、豊かに波打っていた』と描かれているし、それに、エレーンは百合の乙女なのよ。赤毛じゃ百合の乙女っていう感じじゃないわ」

 エレーンのお芝居をしようと言い出したのは、アンだった。前の冬、学校でテニスンの詩を習ったのだ。生徒たちにとっては、うるわしの百合の乙女エレーン、騎士ランスロット、グィネヴィア王妃、アーサー王の四人が、実際に生きていた人物のように感じられた。とくにアンは、なぜ自分がアーサー王の宮廷があった伝説の町キャメロットに生まれなかったんだろうと内心、嘆くくらいだった。彼女に言わせると、あの時代は今よりもずっとロマンティック、なのだ。

 彼女たちは、学校で習ったテニスンの詩をお芝居にしようとしているのだ。そして、エレーンという乙女が、舟に横たわり、川を流れていくのだとわかる。

 では、作者のテニスンとはどんな詩人だろうか。さらに、百合の乙女エレーンとアーサー王が出てくる詩とは、何であろうか。研究者の『英米文学辞典』で、テニスン(Tennyson)を引いた。

 アルフレッド・テニスン(1809~92)、イギリスの桂冠詩人、『イン・メモリアム』『国王牧歌』など多数の作品がある。貴族から大衆、英国王室、さらにはイギリスだけでなく、アメリカでも愛された、とある。つまり、ヴィクトリア朝を代表する詩人で、イギリスから遠く離れたカナダの田舎の島にあるアンの学校でも、教材として取り上げられるような文豪なのだ。

  桂冠詩人とは、何であろうか。『広辞苑』を引くと、イギリスで宮内官に列する名誉ある詩人で、ドライデ、テニスンら、とあった。桂の冠というその名は、古代ギリシャにおいて、名誉ある詩人が、頭に月桂冠の冠を戴いたことにちなんでいるらしい。

 エレーンとアーサー王の出てくる詩とは、何だろう。

 文学辞典と平凡社の『世界大百科事典』で引いた。するとアーサー王は、五世紀頃のイギリスの王。ブリテン島に侵入するアングロ・サクソンを撃退したと伝えられている。実在したかどうか疑わしいが、伝説上の英雄として有名。アーサー王伝説をあつかった作品としては、テニスンの長編詩『国王牧歌』、スペンサーの『妖精の女王』などがある、と出ていた。

 学校でテニスンの詩を習い、そこにアーサー王が出てくると『アン』にはある。ということは、その『国王牧歌』が、アンたちが習った作品なのだ。

 さっそく『国王牧歌』を読んでみようと思い、テニスン詩集を探した。しかしこの詩の訳が、ないのだ。国会図書館を調べても、パソコン通信で書籍データを探しても、テニスンの研究書は出てくるが、テニスンの詩を日本語に訳した全集は発行されていない。代表作を集めた小さな詩集があるだけだ。それも戦前や大正に出た本である。(略)まずはパソコン通信でアメリカの議会図書館の蔵書データにつないで、テニスンで検索した。すると『テニスン詩集』(The Poetical Works of Tennyson)が出てきたので、東京の北沢洋書店に注文した。詩集を待っている間、アーサー王伝説について日本語で書かれた本を、書籍データベースで探して、次々と注文し、読みあさった。

 『アン』に引用されるアーサーの詩を紹介する前に、まず予備知識として、アーサー王伝説とは何か、ご説明しよう。

 アーサー王は、イギリスの先住民族であるブルトン人(ケルト人)の歴史から生まれた武将だ。実在したという説もあるし、伝説上の人物にすぎないという説もある。そういう不確かな人物は、ミステリアスで、ますます興味がそそられる。

 アーサー王は今から千五百年前の五世紀頃、ブリタニアに住んでいた。ブリタニアというのは、今の英国ブリテン島をローマ風に読んだものだ。

 このブリテン島には、紀元前七、六世紀頃から、ケルト人が住んでいた。しかし、紀元前55年、ローマの将軍ジュリアス・シーザーが、ブリタニアに兵を進めてくる。ローマ人は、ブルトン人の土地をラテン語風にブリタニアと呼んだのだ。

 ローマ帝国の侵入によって、島にはローマ文化が入ってくる・そのためケルト独特の文化を持っていたブルトン人は、ローマの影響を受け、ローマ化されていく。

 それから三百年以上たった四世紀になると、今度は、ゲルマン人がブリテン島に侵入してくる。中学や高校の世界史で習ったと思うが、ヨーロッパ大陸に住んでいたゲルマン民族が、西へ西へと大移動してきたのだ。当然、大陸から離れた島であるブリタニアにも、ゲルマン民族、つまりアングロ・サクソン人がはいってきた。

 こうしたサクソン人の侵入に対し、もともと住んでいたブルトン人たちは迎え撃った。その戦いの指揮をとった武将が、アーサー王ではないか、といわれている。

 しかしブルトン人とアーサー王は敗れて、島にはアングロ・サクソン人が入ってくる。ブルトン人は追いつめられて遠くへ逃れていく。北へ逃れた人たちはスコットランドへ、西へ逃れてアイルランドへ、そして南へ逃れた人たちは、フランス北西部へわたった。ちなみに逃れたブルトン人の子孫が、今のスコットランド人、アイルランド人、そしてフランスのブルターニュ地方の人たち。ブルターニュとは、英語のブルトンを、フランス語風に変形させた地名で、ブルトンを意味する。

 つまりスコットランド系のモンゴメリとアンは、スコットランドに逃げたブルトン人の末裔なのだ。アンがアーサー王の詩に夢中なのは、そうした背景もあるだろう。モンゴメリはスコットランドの詩を熱愛していて、『アン』にはたくさん出てくる。

アーサー王伝説に話をもどすと、本当は負けて死んだ王とブルトンの国が復活することに夢をたくして生み出されたのが、すぐれた王の物語、アーサー王伝説だ。

 王はいつか必ずもどってくる、という言い伝えは、今でもイギリス各地に残っている。彼の墓には、ラテン語でしるされていたという。「ここに、かつての王にして、未来の王なるアーサーは眠る」。

 つまりアーサー王は、かつての王であったと同時に、未来の王なのである。こうした武将の伝説が、人々の心をつかまないはずがない。アーサー王にまつわる話は、壮大な物語として発展していく。とくに12世紀後半から13世紀にフランス語で書かれたアーサー王物語は、ヨーロッパの宮廷で長く語りつがれ、読みつがれていく。

 それによると、アーサー王は不思議な力を持つ名剣エクスカリバーをあやつり、魔術を使う妖精マーリンの力を借りて活躍する。王の宮殿はキャメロットという都にあり、城には丸いテーブル、つまり円卓があった。そこに、よりすぐりの騎士たちが丸く向きあって席につき、会議をしたという。いわゆる「円卓の騎士たち」だ。

 その騎士の一人が、ランスロットなのだ。しかし彼は、主君であるアーサー王のお妃グィネヴィアと恋仲になる、という恐ろしい暴挙をおかしている。その一方でランスロットは、エレーンという娘に片思いされる。

 エレーン(Elaine)を『新英和大辞典』で引くと、「ランスロットに失恋して死んだ乙女、アストラットの百合の乙女」とある。これにはびっくりした。『アン』第二十八章のタイトルは、「不運な百合の乙女」だ。ということは、章のタイトルからして、アーサー王伝説のパロディだったのだ。

 次に、アストラット(Astolat)を別の辞書で調べると、「アーサー王伝説に出てくる地名、現在ではサリー州のギルフォードではないかと推測されている」とある。それから何年か後に、私は別の目的で偶然にギルフォードに行くことになる。

 とにかく、アストラットの百合の乙女と呼ばれるエレーンは、騎士ランスロットに恋いこがれるものの、思いはかなわず、失恋の痛手のあまり衰弱していく。

 死にいたる直前、父親に頼んで恋文を書いてもらう。エレーンは、ランスロットへの恋文を手にして、花と布で飾った舟(屋形船)に横たわり、口のきけない老人の舵とりで川を流れていく。そして、アーサー王の城のあるキャメロットあたりに流れついたところで、舟と美しい娘をランスロットたちが見つける。しかしエレーンはすでに死んでいて、手にはランスロットへの恋心をつづった手紙を握っていた。読んだ人々は、純粋な乙女の若い死を憐れみ、悲しむ、という内容だ。

 テニスンが描いたエレーンの詩とは、こういう詩だったのである。このロマンチックで悲しい詩は、ヴィクトリア朝社会では人気があり、そうした詩をアンたちは、学校で習ったのだ。

 アーサー王については、テニスン作品だけでなく、いろいろな文学書がある。たとえば、13世紀にフランス語で書かれた『アーサー王の死』、15世紀にサー・トーマス・マロリーが英語で書いた『アーサー王の死』、そして19世紀には、テニスンが『国王牧歌』と『シャロットの姫』を書き、19世紀のアメリカ人マーク・トウェインも、キャメロットをアメリカ人が尋ねる話『アーサー王宮廷のヤンキー(角川文庫版邦題』(1889)を書いている。

 こうした流れの中で、20世紀の初めに、モンゴメリはテニスンの詩を『アン』(1908)に取り入れた。日本でも夏目漱石が、ランスロットとエレーンの物語を小説化した『かい露行』(1905)を書いている。

 映画では、ジョシュア。ローガン監督『キャメロット』や、ジョン・ブアマン監督『エクスカリバー』があり、ジャン・コクトーによる演劇もある。現代のパソコンゲームでも、名剣を使う王や騎士たちが出てくる物語は、アーサー王伝説を下敷きにしている。

 このようにアーサー王は、中世から近世には文学や絵画の素材として、そして現代でも小説や映画、演劇、ゲームなどにくりかえし登場しているのだ。」

 

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』79~88頁より)

 

                            ⇒続く

 

 

 

 

 


2009年東京国際キルトフェスティバル

2023年04月20日 15時07分13秒 | 『赤毛のアン』
2008年12月29日マイナビニュース、

https://news.mynavi.jp/article/20081229-a008/


「国内最大級のキルトフェスティバル『東京国際キルトフェスティバル-布と針と糸の祭典2009-』が2009年1月16日~1月24日に東京ドームで開催。同イベントでは日本最大級のキルトコンテスト『日本キルト大賞』が開催されるほか、様々な催し物が行われる。

今年で8回目を迎える『東京国際キルトフェスティバル-布と針と糸の祭典2009-』。キルトを愛する人々が集うイベントとして毎年会期中に25万人以上(過去の累計入場者数170万人)が訪れ、キルターから絶大な人気を博している日本最大級のイベントだ。中でも注目されるのが、毎年行われている恒例の『日本キルト大賞』。プロ・アマ問わず国内外からの幅広いキルターの応募総数1679点の応募作品から、日本キルト大賞など様々な受賞作をフェスティバル初日に発表する。

今年の特集企画『私の「赤毛のアン物語」』にも注目。2008年6月に出版100年を迎えたルーシー M.モンゴメリ作“赤毛のアン”では、カナダの“プリンス・エドワード島”でのキルトのある暮らしが生き生きと描かれているが、同フェスティバルでは作品の舞台となったアンの家“グリーン・ゲイブルズ”と農場などを再現。ルーシー M.モンゴメリ自身もキルターとして様々な作品を残しており、14歳の時に制作したキルトや日本で初めて公開される『ベッドスプレッド』の紹介をはじめ、物語に魅了された鷲沢玲子氏と仲間たちが“アン”への想いや物語のシーンをキルト作品を通して展示する。

昔ながらの暮らしの中で培われた質素ながらも独特のデザインと色使い、繊細なキルティングが魅力のたアーミッシュの人々がつくるキルトを展示する『至宝アーミッシュとアメリカンアンティークキルト~19世紀アメリカの新世界キルト~』も目玉企画。今回はアーミッシュの出身国スイスのジュネーブ美術・博物館と蒐集家M.ウィリー氏が所蔵するアーミッシュキルト、そしてペンシルバニア州を中心としたハイクオリティのアメリカンアンティークキルト35枚が展示される。東京ドームの広報担当者は「今年で8回目となる本フェスティバルは、キルトの魅力を伝える祭典として、国内外の作品約1800点が展示されます。第一線で活躍するキルト作家の新作や特集企画の『私の「赤毛のアン物語」』など見どころがたっぷりです」とコメントしている。」

2009年1月22日東京ドーム











 2008年に放送された『3カ月トピック英会話ー『赤毛のアン』への旅』で講師をつとめた松本侑子さんのサイン会があり、有給休暇をとって出向きました。会場には『赤毛のアン』の原書のハードカバーがあり購入しました。プリンス・エドワード島への旅のパンフレットもありました。高校時代に憧れ、モンゴメリさんの最後が自殺だったと知って離れたプリンス・エドワード島へ行きたいという思いが強く再燃するきっかけとなりました。雨の日で、振り返るとこの時異常に足がつらかったのは右足股関節脱臼によるものでした。

 本当にいけるだろうか、いけるかもしれない、いやいくんだよ。

 2009年夏に実現させました。まだ若さが残っていました。2010年春、2012年秋と三回旅しました。現実辛くて辛くていかずにはいられませんでした。乳幼児期、右足の股関節に問題があったいう認識はありましたが。治ったかのように親からきかされていたので全くわかっていませんでした。日々軟膏が摩耗し続けいてこの頃おそらくすでに3センチか4センチかわかりませんが短くなっていたかと思われますが知らなくて幸せだったか。知っていたら怖れてどこにもいけない人生になっていたか。ひとりでものすごくプリンス・エドワード島を歩いたんですよね。夢をみていたような気がします。








『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-イギリス文学-「太古からの平和がただよえる故郷」-テニスン『芸術の宮殿』より(2)

2022年05月09日 20時01分15秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-「太古からの平和がただよえる故郷」-テニスン『芸術の宮殿』より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/c/b9d27633d799a1d66125583bbf39ac15



「しかし幸いなことに、『テニスン研究』(西前美巴著、中教出版)に、詩のあらすじが紹介されていた。この本の記述を参考にしつつ、拙訳をまじえてご紹介しよう。

 そして次の一枚は
 イギリスの家の絵、
 灰色の黄昏が舞いおりる
 夕靄に濡れた草むらと森に
 眠りにつくよりもそっと優しく、
 すべてはあるべきところにあり
 太古からの平和がただよえる

         (テニスン『芸術の宮殿』82-88行、筆者訳)

 草むらと森に囲まれた田園の家、そこに安らかな日没が静かに訪れる。田舎の、平和な夕景を描いた一枚の絵の描写である。その一節が、『アン』に引用されている。アンが、マシューの墓参りから帰る道すがらに丘の上から眺めた、アヴォンリーの夕景もまた、太古からの静けさと平和のただよう美景であった、という引用意図だ。

 しかし、このときのアンは、心の底から満ち足りているのではない。むしろ、一抹の寂寥感とともに、暗くなるまで墓地に佇み、ひとりぼっちで、沈んでいく太陽とあかね色の村を眺めている。

 なぜなら、彼女は、大学進学を諦めたばかりなのだ。家なき子だったアンは、やっと手にした自分の家グリーン・ゲイブルズを手放すくらいならアヴォンリーに残ろうと、進学を諦める。アンを子守やお手伝いとしてではなく、本当の家族として引きとり、育ててくれたマリラに恩返しするためにも、大学を断念して、島に残って教員になろうと決めたのだ。アンにとって、この決断に、悔いはなかっただろう。島に残れば、大切なグリーン・ゲイブルズを守り、夢のように美しい島で、マリラとともに穏やかに生きていける。それはそで幸せだろう。

 けれど、文学学士になるという夢は、まだ消え去らず、アンのなかにほろ苦い余韻を残して、たゆたっている。自分から夢を手放した寂しさを、アンは、マシューのお墓に一人でたたずみ、村の日暮れをじっと眺めながら味わっていたのである。この虚しさを、マリラに話すことはできない。そんなことをすれば、マリラに負い目を感じさせるだけだ。アンは、何も言わなくても、いつも気持ちをわかってくれたマシューの墓前に行き、じっと嚙みしめるしかなかった。この場面は、そうした寂しさの滲む平安、という複雑な心境を示しているのだ。

 実は、テニスンの詩もまた、ただ単に牧歌的で平和なのではない。『芸術の宮殿』は、人生の苦悩と低俗な世間、庶民を侮蔑し、そこから逃避して、高邁(こうまい)な芸術のために、高い丘の上に壮麗な芸術の宮殿をたてる物語だ。冒頭から見てみよう。

第一連

 私は壮麗な歓楽宮を築いた
 魂がそこで永遠に安らかに住めるように、

 私は言った、「ああ魂よ、存分に楽しめ、安逸に
 いとしい魂よ、すべては申し分ないのだから」

 険しい岩場からなる巨大な高台の上に、つややかに輝く真鍮のような宮殿
 はりめぐらした城壁は輝く
 ふもとの草深い牧草地から
 突如として光におおわれて」

 輝く宮殿には塔が立ち、回廊がめぐらされ、美しい庭には噴水がある。屋内には、豪華な絵画が飾られている。さまざまな風景画(イギリスの田園風景のほかに、火山、海、森など)、そして偉大なる人々の肖像画(聖母マリア、アーサー王、シェイクスピア、ダンテ、ミルトン)だ。

 そこに魂は、王としてうつり住み、芸術のための芸術にひたるが、やがて、その孤独、虚しさ、傲慢さに病んでいき、さいごには宮殿を出て、高台を守り、谷間の質素な小屋に移っていく。『テニスン研究』の西前美巴氏によると、この詩は、芸術は人と離れて孤高にあるべきものではなく、人界にこそあるべきだという、テニスンの芸術観が現れているという。

 テニスンの詩の魂の選択は、アンの進路選択と驚くほど一致している。

 アンは、文学という芸術を、大学で孤高に、マリラという家族を捨てて学ぶのではなく、農村の暮らしという日常のなかで文学を愛し続けていこうと誓い、丘の墓地を下りていく。興味深いことに、魂が丘の宮殿を下りるのと同じように、アンもまた、この場面で、丘の墓地(異界)から人界へと下りていくのだ。

 こうした寂寥をたたえた感慨は、しかし物語の最後に、また光を得て急転回し、明るく輝き出す。」

 (松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、169-172頁より)









「初代テニスン男爵アルフレッド・テニスン(Alfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。」(ウィキペディアより)

 19世紀末のヴィクトリア朝は、シャーロック・ホームズ、ジキル&ハイドの時代。
 
『赤毛のアン』が出版されたのは1908年、モンゴメリさんは1911年7月、36歳でマクドナルド牧師と結婚すると、新婚旅行で祖国スコットランドを訪れました(モンゴメリさんもマクドナルド牧師もスコットランド系)。


『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-イギリス文学-「太古からの平和がただよえる故郷」-テニスン『芸術の宮殿』より

2022年05月04日 19時17分28秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-物語の舞台アヴォンリーは、シェイクスピアの生地
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『赤毛のアン』がおしえてくれること
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「『アン』の最終章(第38章)をご覧いただこう。これは、進学を断念したアンが、マシューのお墓参りをして、小高い丘の上から夕陽に染まるアヴォンリーを、しみじみと眺める場面だ。

 次の日の夕方、アンは小ぢんまりとしたアヴォンリーの墓地へ出かけていった。マシューのお墓に新しい花をそなえ、スコッチローズに水をやった。そして彼女は、この小さな墓地の穏やかな静けさを心地よく思いながら、薄暗くなるまで、佇んでいた。ポプラの葉が風にそよぎ、そっと優しく話しかけるように、さやさやと鳴った。思うままに墓地に生い茂っている草も、さわさわと揺れてささやきかける。アンがようやく立ち上がり、《輝く湖水》へ下っていく長い坂道をおりる頃には、すでに日は沈み、夢のような残照の中に、アヴォンリーが横たわっている。それはまさに、🌹「太古からの平和がただよえる故郷」だった。クローヴァーの草原から吹く風は、蜂蜜のようにほの甘く、大気は、すがすがしかった。あちらこちらの家々に明りが灯り、屋敷森をすかして、ゆれていた。遠くには、海が紫色にかすみ、潮騒の音色が、絶え間なく寄せてはかえし、かすかに響いている。西の空は、陽の名残にまだ明るく、柔らかな色合いが微妙に混じり合っていた。池の水面は夕空を映して、さらに淡く滲んだ色に染まっている。このすべての美しさに、アンの心はふるえ、魂の扉を喜んで開いていった。

 「私を育ててくれた懐かしい世界よ」アンはつぶやいた。「なんてきれいなんでしょう。ここでいきていること、それが私の歓びだわ」

第38章「道の曲がり角」」

 このシーンは、アンのかすかな哀愁が、穏やかな諦念へかわり、そして静かな満足感へと移ろっていく、デリケートな描写がなされる。モンゴメリは、複雑な心理描写とは無縁な児童向け作家と思われているが、原文をきちんと訳してみると、情感豊かな描写をしっとりと表出している。

 村岡花子氏訳(新潮文庫)は10代の若い読者が読むにふさわしい名訳だが、省略された場面もいろいろあり、たとえばここにあげた場面も訳されていない。初めてこのシーンを読む読者もいるだろう。

 この場面の案は、マシューの墓参りをして、一人で夕陽のなかに佇み、来し方をふりかえり、行く末に思いをはせている。ほんの数か月前、クィーン学院を卒業した時、アンの未来は薔薇色だった。成績優秀で卒業し、教員免状を手にした。さらに四年制大学への奨学金も獲得して、英文学で学士号をとるという夢が、将来にはきらきらと輝いていた。マシューもマリラも元気で、何の憂いもなかった。しかし今、アンは思いもかけなかった別の道を、歩き始めている。そんな場面である。

 🌹「太古からの平和がただよえる故郷」は、引用符でくくられてる。

 原書のテニスン詩集を探したところ、『芸術の宮殿』の88行に同じ一節があった。次に、日本語訳を、国会図書館で数日かけて総ざらいして調べたが、残念ながらなかった。日本では、英米詩の多くが訳されていないのだと、あらためて思い知る。

 しかし幸いなことに、『テニスン研究』(西前美巴著、中教出版)に、詩のあらすじが紹介されていた。この本の記述を参考にしつつ、拙訳をまじえてご紹介しよう。」

 (松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、166-168頁より)
                           
                                    ⇒続く
 
  






『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-登場人物の名はシェイクスピアのパロディ-「物語の舞台アヴォンリーは、シェイクスピアの生地」

2022年04月21日 18時53分23秒 | 『赤毛のアン』

赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-『アン』の妖精について
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ac3063546e49deb1c259aa61c3177149




「『アン』の舞台は、カナダのプリンスエドワード島にある小さな村、アヴォンリー(Avonlea)だ。

 アヴォンリーという地名は、島にはない。実際にモデルとなったのは、キャベンディッシュという村で、アヴォンリーという地名は、モンゴメリの創作だ。英語の辞典、百科事典にも出ていない。

 ここで思い当たるのは、ウィリアム・シェイクスピアの生まれ故郷、ストラットフォード・アポン・エイヴォン(Stratford-upon-Avon)だ。これは「エイヴォン川のほとりのストラットフォード」という意味の地名で、イングランド中部のウォリックシャー州にある。ストラットフォードという地名は、比較的よくある名前で、イギリスはもちろん、今ではカナダ、アメリカのもある。そこでシェイクスピアの生地といえば、ただのストラットフォードではなく、「エイヴォン川のほとり」と特徴づけられる。

アヴォンリー(Avonlea)は、この生地のエイヴォン川(Avon)に、leaをつけた変形ではないだろうか。leaとはイタリア語的な変形とも読めるし、またleaは英語では、草原、草地をあらわす詩的な言葉だ。
 もちろんモンゴメリは、エイヴォン川を知っていたはずだ。ハリファックス大学ではシェイクスピアについて学び、『アン』を書く前に全集もそろえているからだ。

 アヴォンリーが、シェイクスピアの生地ストラットフォード・アポン・エイヴォンだとすると、『アン』の物語はすべて、シェイクスピアが生まれ育った有名な故郷の上で、くり広げられることになる。シェイクスピアの生地は、モンゴメリのような英文学愛好家にとっては聖地さながらの土地だ。シェイクスピア自身もまた、自分の故郷を、芝居の舞台イメージとして書いている。

 シェイクスピアは、人生の歓び、怒り、悲しみ、愉しみ、そして栄華盛衰を劇的に描いた。モンゴメリは、1911年に新婚旅行で渡英したとき、シェイクスピアの生地を訪れている。モンゴメリはその生地を『アン』の舞台に定め、草原を示すleaをつけたことで、「エイヴォンの草原」を『アン』の舞台装置として創り上げ、シェイクスピアさながらの物語性に満ちた作品を書こうとしたのだ。大作家にちなんだ名付けからは、モンゴメリの作家としての志が感じられる。ちなみに、エイヴォンとは、もともとは古いケルト語で、川という意味である。

 アン・シャーリー最後の巻『炉辺荘のアン』の末尾にも、生地はとりあげられている。この巻末では、アンは近いうちにイギリスに旅立とうとしている。そこで、「シェイクスピアが眠るエイヴォン川のほとりの教会」へ生き、そこにふりそぞぐ月の光を見るであろう、という一節がある。つまりアン本人がエイヴォン川ほとりの生地へ行くのだ。

 ストラットフォード・アポン・エイヴォンへは、私も1994年に行ってみた。街の中央をエイヴォン川がゆったり流れ、ほとりには、彼が埋葬されている聖トリニティ教会がある。近くに彼の正家跡、晩年をすごした家が残されている。そしてエイヴォン川に面したロイヤル・シェイクスピア・シアターという劇場で、喜劇『十二夜』を観た。少し郊外へ出て、シェイクスピアの妻アン・ハサウェイの実家へも行ってみた。立派な豪農の屋敷だった。 」

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、62-64頁より)








赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-イギリス文学-『アン』の妖精について(2)

2022年04月14日 01時33分07秒 | 『赤毛のアン』

『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』より-『アン』の妖精について

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「『アン』第28章でアンがお芝居ごっこをしたテニスンの『国王牧歌』は、ブリテンに5、6世紀から伝わる「アーサー王伝説」を元にして書かれたものだが、王は、魔法の力を持った妖精マーリンが育て、助ける。

 このように『アン』に引用されている作品には、ひんぱんに妖精が姿を現しているのだ。

 イギリスでは、古くから妖精の存在が語られてきたが、中世になると魔女狩りの影響もあって、妖精は魔力を持った悪霊で、人々に災いと危害をおよぼすと思われた。しかしシェイクスピアが、いろいろの妖精を、悪戯好きだが悪意はない存在としてとりあげて以来、再び妖精にたいする認識が少しずつ変わったとされている。

『アン』に出てくる妖精も、ゴブリン(鬼)のほかは、みな善良な妖精だ。一般に、ゴブリンは鬼とされているが、『アン』では、頭がケーキでできていて夢の中でアンを追いかけまわすというのだから、ぜんぜん恐ろしそうではない。むしろユーモラスだ。

 日本でも妖精文学の研究書は出ている。ドラットル著『妖精の世界』(井村君江訳、研究社)、そしてブリッグズ著『イギリスの妖精-フォークロアと文学-』(石井美樹子、山内玲子訳、筑摩書房)は、イギリスの妖精伝説を、文学と民話から研究した専門書である。後者は、トーマス・パーシーにも触れている。

 パーシーは、1765年に『古歌謡拾位遺集を出版し、フォークロアにおける妖精民話に貢献した、とある。彼が『妖精の女王』に書いた妖精のふるまいは、日本人からすると馴染みがないが、妖精とは、深夜に宴会を開くものであり、ドングリのコップで乾杯して、虫を食べることは、英国の民話やほかのバラッド(伝承の物語詩)を読むと、お約束事のようだ。

 私自身は、有名な聖職者のパーシーが、妖精などという精霊を信じていたことが興味深い。キリスト教は、異端の精霊は絶対に認めないが、彼は司教でありながら、その信仰とは別に、妖精研究をしている。イギリスにおいて、妖精伝説がいかに奥深い土着文化を形成しているか、痛感させられる。」

(松本侑子著『赤毛のアンに隠されたシェイクスピア』、141-144頁より)