10月半ば過ぎだというのに今度は台風27号。なんだか落ち着かないのは私だけでしょうか。
26号が日本を通過した16日、朝電車が動き始めるのを待って出勤したので職場に着いたのは11時過ぎ。駅には人があふれかえっていて、あまりの人の多さに気持悪くなってきそうでしたが、有給休暇あるから休みたいなあ・・・と思いながら気力をふりしぼって人混みの中へ。一時間以上電車の中でした。大混雑の電車の中は、それぞれにお互いに黙々と耐えているのですから、なんだかすごいなと思いました。
私自身はこれぐらいでしたが、被害が大きかった所では今も捜索が続いています。私は今ここにいて祈ることしかできません。
いろんな命がある。天寿をまっとうして静かに旅立ちを迎える命もあれば、思いがけない事故や災害で幼くして旅立つ命もある。志半ばで旅立つ命もある。どうしてなんだろう、どうしてなんだろう・・・。つらつらと考えます。私は特定の宗教を信仰しているわけではないのですが神様っているような気がします。それは、物理的にここにいる、ということではないどこかに・・・。最近、。『ケルト妖精学』という本をようやく読み終えて、『「聖書」が分かる』という本を読み始めました
今あちこちハロウイーン。ヤフーで調べてみると、土着信仰の根付いていたイギリス・ケルト族の収穫祭がもとになっているようです。日本のハロウイーンはなんだか商業主義が行き過ぎているように思えて違和感を感じてしまいます。
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ハローウィン(はろーうぃん)
[ 日本大百科全書(小学館) ] .
本来は聖夜の意味。イギリスでは10月31日の夜、カボチャなどのウリ類をくりぬいて提灯(ちょうちん)をつくり、藁(わら)人形やムギの穂でさまざまの動物をつくり、仮面、仮装して行列し、広場のたき火の周りで歌ったり踊ったりし、最後に人形を燃やす。これは古いケルト人(ドルイド教)の祭りで、秋の収穫を祝い、悪い自然霊や魔女などを追い出す祭りである。ケルト人の暦では10月31日は1年最後の大晦日(おおみそか)であり、翌11月1日は新年である。ケルト人にとってこのハローウィンの一晩だけは、地上をうろつく悪霊たちをすべて動物に移しかえて追い出すことができる夜と信じられていた。ウェールズの若者は女性に変装して村中を歩き、子供たちも「お化け」「海賊」などと叫んで騒ぎ、御馳走(ごちそう)を食べ、お菓子をもらう。現在、キリスト教では11月1日は万聖節Hallowmassであり、ハローウィンはその準備の前夜祭となる。古いケルトの習俗をキリスト教文化に取り入れた祭りの一つである。アメリカに移ってからは、おもに子供の祭りとしてにぎやかに騒ぎ、御馳走を食べる収穫の祝いの行事となっていった。
[ 執筆者:植田重雄 ]
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ケルト族の宗教観・死生観のことはまたあらためて書きたいと思います。
今日もとりとめなく長くなります。
また過去の自分と出会います。
「2005年4月29日(金)
ヘンなストレスと疲れに支配さていることを身体が感じている。眼が寄って吐きそうでものすごくつらい。身体がいやがっていることをやらなければならないというストレス。
これ以上今の仕事を続けながら、国家資格を取ろうなんて無理なのではないか。分厚いテキストは遅々として進まない。
卒業論文を通して学んだことにつながるものがあって自分の選択は間違っていなかったと思う。なんとかやりとげたい。
社会的な仕事、専門職への足がかり。
おそくはない筈だ。今まで自分の中にたまった引き出しの数だけ私は人生を生きてきた。今経験している全てが糧になる。でも休日・・・何もしない時間もほしい。
頭がとっても疲れている。
よく眠れるようになりたい。問題のない人なんて世の中にはいない」
その後ずっと平日は職場にいながら、自分をだましだまし勉強を続けて試験にも合格しましたが(今は資格をもっていることに先を見出せないでいるのですが)、この頃から数字が悪くなって社内の仕組みも変わって、何年にもわたる1.5人分労働の日々が始まりました。私がなんとかやりこなしてしまっていたので、明らかなオーバーワークはずっと見過ごされ続けました。
パートタイマーで採用されて週二日働き始めてわけがわからず大混乱の専業主婦の方に、ランチを誘われて仕方なくご一緒した席でこう言われました。
「私はがつがつと稼がなくてもいいんです。ちょっと家計の足しになるお金と自分の趣味に使うお金を稼げればそれでいいんです。」
私はこの言葉をいまだに忘れることができません。
もちろんヘンな人ではなかったので私を傷づけるつもりなど全くない。ただ社会に目が向いていないだけ。その人自身が悪いわけではない。社会の仕組みがそうさせている。それを頭ではわかっていても、自分の生活をかけて歯を食いしばって砂をかむような思いで踏ん張って毎日何時間も働き続けている私にそんなこと言ってほしくなかった。なんとも言葉にいいようのないやり切れなさ。私の身体は怒りでいっぱいでした。
コンビニやファーストフードのコーヒー店に行けばやたらとあいさつの声は元気ですが心がこもっていない、どこに行ってもパターンは変わらない。スーパーやデパートも変わらなくなってきているように感じます。一生懸命に声をはりあげていてもお客さんの顔をみていない、ただ機械的にやっているだけで心がない、気持ち悪い・・・。ちょっと考えればちゃんとお客さんの顔をみていればこんなことはしないんじゃないと思うようなことがよくあります。小さなことですが、何かヘン・・・。いつからこんなふうになったしまったのだろう。労働の場で人が大事にされていない。自分の仕事に誇りと責任をもてなくなっている。
2000年に出版された本なので情報として古い部分がありますが引用したいと思います。
「雇用のマクドナルド化
1986年に「人材派遣業法」が施行されて以来、派遣業は順調に成長し、不況が続く中、派遣社員の需要は順調に推移している。(略)このように、人材派遣会社はますます多くの企業や労働者を巻き込んで雇用流動化に拍車をかけてきている。さらにこの勢いを後押しする動きもある。これまで人材派遣の対象業務は、ファイリングやソフトウエア開発、編集、アナウンサー、添乗員等、26職種に限られていた。その規制を緩和し、原則自由化を推進する労働者派遣事業法の改正が国会に提出され、1999年5月21日に衆議院を通過し、1999年12月1日から施行された。
「一億総派遣社員化」が実現されそうな勢いであるが、企業で就労する人がすべて派遣社員で賄われる事態にはならないだろう。(略) 企業の意志決定を担う「長期蓄積能力活用型グループ」は、従来どおり、正社員として雇用されていくと予測される。しかし、残りの業務はその場しのぎの社員としての派遣社員・パート・アルバイトがこなしていくだろう。2000年には企業における正社員の比率は60パーセントにまで低下するとの予測もある(『これからは人材派遣の時代』51頁)。
これはいわば“雇用のマクドナルド化”である。なぜなら、マクドナルドは、少数の正社員と大多数のパート・アルバイトという従業員構成で、効率的に利益を収めることに成功してきたからである(『マクドナルド驚異の低価格・高利益戦略』)。
森真一著『自己コントロールの檻_感情マネジメント社会の現実』173-174頁
(2000年2月発行、講談社)
大学の通信教育で私に膨大な量の卒業論文を書かせたのは、「怒り」だと指導を担当していただいた先生がおっしゃられて、自分でなるほどと思ったことがあります。
「怒り」の感情ってとても大事。「怒り」についてもっと考えたいと思っています。
ネガティブな感情は決してマイナスではない。時には心のエネルギーに変わることもある。
父も母もいなくなった今、これからどこに向かって進んで行けばいいのかわからない。
ずっと考えていてもみえてこない。曲がり角の向こうに道はあると信じたいですね。
26号が日本を通過した16日、朝電車が動き始めるのを待って出勤したので職場に着いたのは11時過ぎ。駅には人があふれかえっていて、あまりの人の多さに気持悪くなってきそうでしたが、有給休暇あるから休みたいなあ・・・と思いながら気力をふりしぼって人混みの中へ。一時間以上電車の中でした。大混雑の電車の中は、それぞれにお互いに黙々と耐えているのですから、なんだかすごいなと思いました。
私自身はこれぐらいでしたが、被害が大きかった所では今も捜索が続いています。私は今ここにいて祈ることしかできません。
いろんな命がある。天寿をまっとうして静かに旅立ちを迎える命もあれば、思いがけない事故や災害で幼くして旅立つ命もある。志半ばで旅立つ命もある。どうしてなんだろう、どうしてなんだろう・・・。つらつらと考えます。私は特定の宗教を信仰しているわけではないのですが神様っているような気がします。それは、物理的にここにいる、ということではないどこかに・・・。最近、。『ケルト妖精学』という本をようやく読み終えて、『「聖書」が分かる』という本を読み始めました
今あちこちハロウイーン。ヤフーで調べてみると、土着信仰の根付いていたイギリス・ケルト族の収穫祭がもとになっているようです。日本のハロウイーンはなんだか商業主義が行き過ぎているように思えて違和感を感じてしまいます。
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ハローウィン(はろーうぃん)
[ 日本大百科全書(小学館) ] .
本来は聖夜の意味。イギリスでは10月31日の夜、カボチャなどのウリ類をくりぬいて提灯(ちょうちん)をつくり、藁(わら)人形やムギの穂でさまざまの動物をつくり、仮面、仮装して行列し、広場のたき火の周りで歌ったり踊ったりし、最後に人形を燃やす。これは古いケルト人(ドルイド教)の祭りで、秋の収穫を祝い、悪い自然霊や魔女などを追い出す祭りである。ケルト人の暦では10月31日は1年最後の大晦日(おおみそか)であり、翌11月1日は新年である。ケルト人にとってこのハローウィンの一晩だけは、地上をうろつく悪霊たちをすべて動物に移しかえて追い出すことができる夜と信じられていた。ウェールズの若者は女性に変装して村中を歩き、子供たちも「お化け」「海賊」などと叫んで騒ぎ、御馳走(ごちそう)を食べ、お菓子をもらう。現在、キリスト教では11月1日は万聖節Hallowmassであり、ハローウィンはその準備の前夜祭となる。古いケルトの習俗をキリスト教文化に取り入れた祭りの一つである。アメリカに移ってからは、おもに子供の祭りとしてにぎやかに騒ぎ、御馳走を食べる収穫の祝いの行事となっていった。
[ 執筆者:植田重雄 ]
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ケルト族の宗教観・死生観のことはまたあらためて書きたいと思います。
今日もとりとめなく長くなります。
また過去の自分と出会います。
「2005年4月29日(金)
ヘンなストレスと疲れに支配さていることを身体が感じている。眼が寄って吐きそうでものすごくつらい。身体がいやがっていることをやらなければならないというストレス。
これ以上今の仕事を続けながら、国家資格を取ろうなんて無理なのではないか。分厚いテキストは遅々として進まない。
卒業論文を通して学んだことにつながるものがあって自分の選択は間違っていなかったと思う。なんとかやりとげたい。
社会的な仕事、専門職への足がかり。
おそくはない筈だ。今まで自分の中にたまった引き出しの数だけ私は人生を生きてきた。今経験している全てが糧になる。でも休日・・・何もしない時間もほしい。
頭がとっても疲れている。
よく眠れるようになりたい。問題のない人なんて世の中にはいない」
その後ずっと平日は職場にいながら、自分をだましだまし勉強を続けて試験にも合格しましたが(今は資格をもっていることに先を見出せないでいるのですが)、この頃から数字が悪くなって社内の仕組みも変わって、何年にもわたる1.5人分労働の日々が始まりました。私がなんとかやりこなしてしまっていたので、明らかなオーバーワークはずっと見過ごされ続けました。
パートタイマーで採用されて週二日働き始めてわけがわからず大混乱の専業主婦の方に、ランチを誘われて仕方なくご一緒した席でこう言われました。
「私はがつがつと稼がなくてもいいんです。ちょっと家計の足しになるお金と自分の趣味に使うお金を稼げればそれでいいんです。」
私はこの言葉をいまだに忘れることができません。
もちろんヘンな人ではなかったので私を傷づけるつもりなど全くない。ただ社会に目が向いていないだけ。その人自身が悪いわけではない。社会の仕組みがそうさせている。それを頭ではわかっていても、自分の生活をかけて歯を食いしばって砂をかむような思いで踏ん張って毎日何時間も働き続けている私にそんなこと言ってほしくなかった。なんとも言葉にいいようのないやり切れなさ。私の身体は怒りでいっぱいでした。
コンビニやファーストフードのコーヒー店に行けばやたらとあいさつの声は元気ですが心がこもっていない、どこに行ってもパターンは変わらない。スーパーやデパートも変わらなくなってきているように感じます。一生懸命に声をはりあげていてもお客さんの顔をみていない、ただ機械的にやっているだけで心がない、気持ち悪い・・・。ちょっと考えればちゃんとお客さんの顔をみていればこんなことはしないんじゃないと思うようなことがよくあります。小さなことですが、何かヘン・・・。いつからこんなふうになったしまったのだろう。労働の場で人が大事にされていない。自分の仕事に誇りと責任をもてなくなっている。
2000年に出版された本なので情報として古い部分がありますが引用したいと思います。
「雇用のマクドナルド化
1986年に「人材派遣業法」が施行されて以来、派遣業は順調に成長し、不況が続く中、派遣社員の需要は順調に推移している。(略)このように、人材派遣会社はますます多くの企業や労働者を巻き込んで雇用流動化に拍車をかけてきている。さらにこの勢いを後押しする動きもある。これまで人材派遣の対象業務は、ファイリングやソフトウエア開発、編集、アナウンサー、添乗員等、26職種に限られていた。その規制を緩和し、原則自由化を推進する労働者派遣事業法の改正が国会に提出され、1999年5月21日に衆議院を通過し、1999年12月1日から施行された。
「一億総派遣社員化」が実現されそうな勢いであるが、企業で就労する人がすべて派遣社員で賄われる事態にはならないだろう。(略) 企業の意志決定を担う「長期蓄積能力活用型グループ」は、従来どおり、正社員として雇用されていくと予測される。しかし、残りの業務はその場しのぎの社員としての派遣社員・パート・アルバイトがこなしていくだろう。2000年には企業における正社員の比率は60パーセントにまで低下するとの予測もある(『これからは人材派遣の時代』51頁)。
これはいわば“雇用のマクドナルド化”である。なぜなら、マクドナルドは、少数の正社員と大多数のパート・アルバイトという従業員構成で、効率的に利益を収めることに成功してきたからである(『マクドナルド驚異の低価格・高利益戦略』)。
森真一著『自己コントロールの檻_感情マネジメント社会の現実』173-174頁
(2000年2月発行、講談社)
大学の通信教育で私に膨大な量の卒業論文を書かせたのは、「怒り」だと指導を担当していただいた先生がおっしゃられて、自分でなるほどと思ったことがあります。
「怒り」の感情ってとても大事。「怒り」についてもっと考えたいと思っています。
ネガティブな感情は決してマイナスではない。時には心のエネルギーに変わることもある。
父も母もいなくなった今、これからどこに向かって進んで行けばいいのかわからない。
ずっと考えていてもみえてこない。曲がり角の向こうに道はあると信じたいですね。