たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

水木しげる「人生を、いじくり回してはいけない」

2015年12月12日 22時52分04秒 | 日記
 FBを始めてしまって2カ月ぐらいでしょうか。情報のあふれかえりと人間関係が如実に現れるこわさにやっぱり性分にあわないかなっていう感じですが、こんな記事を人がいいね!していて心が揺れたので、そのままアップします。

 人生をいじくり回したりせず自然の流れに身を委ねる-頭の中で考えてばっかりいると難しいですね。幸福論というタイトルの本がいくつもありますが、なんだか考えてしまいます。そもそも幸福か不幸かを考えること自体、なにかにすごく縛られているということなのかもしれません。


「好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。そんな時に、あたふたと騒がないほうがいい。幸福だの不幸だのといちいち口に出さないほうがいい。人生にはいろんなことが起こって当たり前。それらに一喜一憂するのではなく、放っておくことです。人生をへたにいじくりまわしたところで、何の解決にもなりません。起きてしまった不幸はもうどうしようなもない。ならば自然の流れに身を委ねてしまったほうがいい。しょせん人問の力ではどうしようもないこともあるものです。ラバウルの人たちは実にわかりやすい人生を送っています。神様から与えられた人生を決していじくり回したりしません。だから、幸せの空気に包まれているのでしょう。」

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http://illcomm.exblog.jp/22608072/

上記サイトからの転用です。

 「入隊して問もなく、私は南方の島、ニューブリテン島のラバウルヘと送られることになりました。腕を失って前線から後退した私は、島で暮らす人たちと仲良くなった。彼らは朝起きると、主食であるバナナを採りにいく。そして昼問は涼しい家のなかでのんびりしている。客人が来れば心からもてなす。祭りの日にはみんなで歌い踊る。ただそれだけの生活です。彼らには義務のような仕事などありません。もしかしたら人生の目標なんていうものもないのかもしれない。それでも彼らは、とても満ち足りた表情をしていました。彼らのなかには「幸せ」という言葉はありません。それでも彼らの村には「幸せ」の空気が充満しています。それは彼らの日常生活の中に、幸せが自然に組み込まれているからです。あえてこれが幸せですと取り出して確かめなくても、ほのぼのとした幸福感に包まれているんです。「幸せ」なんていう言葉がないほうがいいと私は思います。そんな言葉があるから、人は「幸せ」を叫ぶのです。もっと幸せになりたいと叫ぶのです。本当の幸せとは、叫んだからといって手に入るものでもない。私は彼らの村に流れる幸せの空気を、日本に帰国してからも思い出しながら、暮らしてきました。やりたくないことは無理にやることはない。自分にできないことは他人に任せておけばいい。小さい頃から私はそう考えていました。自分の好きなことをやる。そのために人は生まれてきたのだと私は思っています。やりがいだとか、充実感といった言葉をよく耳にしますが、結局は自分が好きなことにしか、そういうものは見つからないような気がします。やりたいことが見つからないと言う人がいますが、まずは自分が好きなことは何かを考えること。小さい頃に熱中したものを思い出すんです。ただし、好きだからといって成功するわけじゃない。いくら情熱を傾けて努力をしても報われない人はたくさんいます。努力は人を裏切るということも知っておくことです。それでも、好きなことに情熱を傾けている問は、きっと幸せの空気が漂っているものです。私は自分が幸福だと思っています。好きなことに情熱を注いで、人生を生き切ること。うまくいく時もあれば、うまくいかない時もある。そんな時に、あたふたと騒がないほうがいい。幸福だの不幸だのといちいち口に出さないほうがいい。人生にはいろんなことが起こって当たり前。それらに一喜一憂するのではなく、放っておくことです。人生をへたにいじくりまわしたところで、何の解決にもなりません。起きてしまった不幸はもうどうしようなもない。ならば自然の流れに身を委ねてしまったほうがいい。しょせん人問の力ではどうしようもないこともあるものです。ラバウルの人たちは実にわかりやすい人生を送っています。神様から与えられた人生を決していじくり回したりしません。だから、幸せの空気に包まれているのでしょう。」(水木しげる「人生を、いじくり回してはいけない」2005年)


ようやく

2015年12月12日 00時02分00秒 | 日記
 ようやくボランティアから始めたいのスタートラインに立ちました。もう少し早く雇用保険を受給している時から始められているとよかったですが、気持ちの切り替えができませんでした。一年前の今頃は会社に責任を認めさせるために全身のエネルギーを振り絞って闘っていました。年内に終局を迎えられないとわかり、陳述書を書くしかないところにきていました。ボロボロになりながら、歯を食いしばっていました。食いしばり過ぎて今頃歯がボロボロです。10年以上働いたけれど、その会社でしか役に立たないことばかり身についてしまったことを思い知らされています。同じ会社で長く働ければ働くほどそうなります。実績として次への評価につながるものがほとんどありません。そこにうすうす気づきながら、長くなればなるほど抜け出せず結果的に貴重な40代を棒に振ってしまいました。失われた10年間を取り戻すことができるのでしょうか。やり直すのにまだ間に合っているのでしょうか。今はまだわかりません。とりあえず生活のためにはアルバイトを始めないとです。仕事は選ばなければあるなんていいますが、就労先と労働者とのマッチングって、色々な要素がうまくぜんぶかみあうことはまずないので本当にむずかしいです。今は入口の仕組みがまずおかしなことになっているので、なおさらむずかしいです。もう少しやってみてだめだったらその時は家に戻ろうと思います。

 自分をオブラートで何重にもがんじがらめに包まないといられなかった10年以上の歳月。オブラートに包むことができなくなった方々の対話の時間は、自分をオブラートに包む必要がないので、オブラートに包んだらいられない場所なので、私自身がほっとしました。まだまだ心身がすり減っているので癒されました。ようやく体を動かす第一歩が出ました。事務仕事もみつけていかないとです。今年はこれで終わりなのかな。早めに家に帰ろうとしていますが、荷物は全部この部屋にあることを考えると家での滞在が長いのも落ち着きません。前の部屋に入った時かったすのこベッド。10年以上使ってガタがきているので捨てたいと思いながらなかなかできないでいます。モノを捨ててシンプルに暮らすってむずかしいですね。

 オランジェリー美術館のモネの睡蓮をチャンネルで公開しました。まだなんにも書けていません。前の携帯で撮影しているので解像度が低いですがよろしかったらご覧ください。ではおやすみなさい。