大劇場の観劇録もまだ書けていないまま東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイングを迎えました。脱藩して盛岡を離れた寛一郎は二度としづと子どもたちに、生まれてくる子に会うことは叶わなかったことを知ってみるのでなんとも切ない気持ちでライブビューイングスタート。今さらながらに指揮者はいずれの公演も大劇場と同じなのだと知りました。せっかく積み上げたオケピッと舞台との信頼関係と呼吸、東京にいってまたやり直していたら大変ですもんね、そりゃそうかと思ったしだい。
ライブビューイングならでは、オペラグラスでは細かいところまで追い切れなかった吉村寛一郎が最期を迎える場面、家族を守るために、生きるために人を斬り続けてきた剣客の刀はボロボロになっていて、それでも竹馬の友が差し出した100両の刀は使わずボロボロになった己の刀を自分に向けて最期を迎えた。そのあと大野次郎右衛門は明治政府方の秋田藩を撃ちに行き鉄砲で打たれたということでした。芝居の雪組、日本物の雪組の系譜は層があつく安定しているとあらためて思いました。新選組の殺陣をみながら、『忠臣蔵』が心の中に蘇っていました。女性だけであれだけの殺陣のシーン、すごい。彩凪翔さんの土方歳三、かっこよさがさらに際立っていました。
ライブビューイングのドアップ、麗しくかっこいい。望海さんの横顔、彫刻のように鼻筋が通っていて美しいこと、美しいこと。朝美絢さんの齋藤一の左利きの刀さばきがさらに冴えわたっていたし、芝居力でみせる存在感とドアップのカッコよくさらにいつもどこか斜めにかまえた表情の麗しいこと。自分も飢えていることを隠して自分に握り飯をゆずった寛一郎に、自分が死んでも悲しむものは誰もいない、お前には死んだら悲しむ家族がいる、お前は生きろっていう場面の表情、沁みました。若くしてすでに病に冒されていたであろう永久輝せあさんの沖田総司もドアップで映るたびに麗しかった。真彩希帆ちゃんのしづの歌声はさらに美しく、透明な真水のように静かにさざなみながら望海風斗さんの寛一郎の歌声に重なっていくのが響きました。技術力だけでねじふせない、望海さんの歌声をひきたてつつ寄り添いながら歌う力。二人のデュエットは、わたし旅したことのある雫石、岩手山、そこに流れる中津川の光景が目に浮かんでくるようでした。
フィナーレの大階段を降りてくる望海さんの表情が、やり切った満足感と無事に終わった安心感で満たされているようにみえました。挨拶がかなり意訳ですが、令和になった年に日本人の心を感じさせる芝居をやれてよかった、恵まれた時代に生きていることがありがたいと思う、毎回芝居の最後、満開の桜のシーンにすごく幸せを感じていたと。ショーにはいろんなものがつまっていた。公演中ほんとに暑かった、劇場にいる三時間だけは暑さを忘れて楽しんでもらえているといいな、終わったらみなさん無事に帰れるかなとずっと心配していた。このメンバーでこの舞台をやれるのは今日が最後。この舞台は雪組生の心にもお客様の心にもずっと残ることを願っていると。同期の凪七瑠海さんと一緒に舞台に立てたことがお互いすごく嬉しそうでした。カーテンコールでは、最初専科の凪七瑠海ですとかたかったのに、東京に来る頃にはすっかり雪組に溶け込んでムービーメーカーになっていたと紹介。受けた凪七瑠海さん、専科のジプシー生活なので仲間ってすごくいいなって思いました、明日からまたジプシー生活に戻りますが、また来たいと。組長さん、今後の予定で『モーツァルト』のことも紹介していて雪組の一員として尊重されていると感じました。今日は書ききれませんが、大劇場で披露されたという「どっせい」を最後万歳三唱に代わって、望海さんの音頭で三唱したり、最後の最後は永久輝せあさんが考えたという雪組ポーズ。収集がつかなくなってきたので、無理やり「本日は本当にありがとうございました」と締めようとするところが望海さんらしかったですかね。真彩ちゃん、また痩せたの?すでに細いですが、歌劇の殿堂のクリスティーヌの衣装のウエスト、とてつもなく細かったですがさらにさらに細くなった? 折れそうでした。
ショーはダンスダンスダンス。一カ月ほど前にフジテレビの全国ネットで彩風咲奈さんの足の長いことが日本中に知らしめらましたが、ジャズのシーンで長い足を蹴り上げてキックを繰り出してくれるのはいつみても、なんどみても爽快。全国ツアーには彩風さんいないので、ジャズのシーンどうするのかな。
雪組が終わったということは星組が始まるわけで星組トップコンビのラストラン。三連休を五連休にして東京宝塚劇場に行こうとしていますがその前後はかなりつらい。ひとかけらの勇気をもってローテーション表をようやくみると明日と金曜日、そして五連休明けにお昼休みの
電話当番。つらくて吐きそうです。こんなにわからないことばかりでオロオロなっているのに、不特定多数のある意味前職の対象者たちよりもさらに大変な、不特定多数なのでさらに大変な人たちを相手に顔がみえない電話対応なんて逃げ出したいです。エネルギーもたない。資料は結局読めておらず明日の朝電車の中で眺めるしかないです。吐きそう、いや。生きるために、生活のために人を斬った時代もあったのよ、そう思えば恵まれているじゃないか。そう言い聞かせています。生きることは闘い・・・。
殿堂の『ファントム』の写真も全く整理しきれていないまま、時間切れとなってきたのでこれにて・・・。
ライブビューイングならでは、オペラグラスでは細かいところまで追い切れなかった吉村寛一郎が最期を迎える場面、家族を守るために、生きるために人を斬り続けてきた剣客の刀はボロボロになっていて、それでも竹馬の友が差し出した100両の刀は使わずボロボロになった己の刀を自分に向けて最期を迎えた。そのあと大野次郎右衛門は明治政府方の秋田藩を撃ちに行き鉄砲で打たれたということでした。芝居の雪組、日本物の雪組の系譜は層があつく安定しているとあらためて思いました。新選組の殺陣をみながら、『忠臣蔵』が心の中に蘇っていました。女性だけであれだけの殺陣のシーン、すごい。彩凪翔さんの土方歳三、かっこよさがさらに際立っていました。
ライブビューイングのドアップ、麗しくかっこいい。望海さんの横顔、彫刻のように鼻筋が通っていて美しいこと、美しいこと。朝美絢さんの齋藤一の左利きの刀さばきがさらに冴えわたっていたし、芝居力でみせる存在感とドアップのカッコよくさらにいつもどこか斜めにかまえた表情の麗しいこと。自分も飢えていることを隠して自分に握り飯をゆずった寛一郎に、自分が死んでも悲しむものは誰もいない、お前には死んだら悲しむ家族がいる、お前は生きろっていう場面の表情、沁みました。若くしてすでに病に冒されていたであろう永久輝せあさんの沖田総司もドアップで映るたびに麗しかった。真彩希帆ちゃんのしづの歌声はさらに美しく、透明な真水のように静かにさざなみながら望海風斗さんの寛一郎の歌声に重なっていくのが響きました。技術力だけでねじふせない、望海さんの歌声をひきたてつつ寄り添いながら歌う力。二人のデュエットは、わたし旅したことのある雫石、岩手山、そこに流れる中津川の光景が目に浮かんでくるようでした。
フィナーレの大階段を降りてくる望海さんの表情が、やり切った満足感と無事に終わった安心感で満たされているようにみえました。挨拶がかなり意訳ですが、令和になった年に日本人の心を感じさせる芝居をやれてよかった、恵まれた時代に生きていることがありがたいと思う、毎回芝居の最後、満開の桜のシーンにすごく幸せを感じていたと。ショーにはいろんなものがつまっていた。公演中ほんとに暑かった、劇場にいる三時間だけは暑さを忘れて楽しんでもらえているといいな、終わったらみなさん無事に帰れるかなとずっと心配していた。このメンバーでこの舞台をやれるのは今日が最後。この舞台は雪組生の心にもお客様の心にもずっと残ることを願っていると。同期の凪七瑠海さんと一緒に舞台に立てたことがお互いすごく嬉しそうでした。カーテンコールでは、最初専科の凪七瑠海ですとかたかったのに、東京に来る頃にはすっかり雪組に溶け込んでムービーメーカーになっていたと紹介。受けた凪七瑠海さん、専科のジプシー生活なので仲間ってすごくいいなって思いました、明日からまたジプシー生活に戻りますが、また来たいと。組長さん、今後の予定で『モーツァルト』のことも紹介していて雪組の一員として尊重されていると感じました。今日は書ききれませんが、大劇場で披露されたという「どっせい」を最後万歳三唱に代わって、望海さんの音頭で三唱したり、最後の最後は永久輝せあさんが考えたという雪組ポーズ。収集がつかなくなってきたので、無理やり「本日は本当にありがとうございました」と締めようとするところが望海さんらしかったですかね。真彩ちゃん、また痩せたの?すでに細いですが、歌劇の殿堂のクリスティーヌの衣装のウエスト、とてつもなく細かったですがさらにさらに細くなった? 折れそうでした。
ショーはダンスダンスダンス。一カ月ほど前にフジテレビの全国ネットで彩風咲奈さんの足の長いことが日本中に知らしめらましたが、ジャズのシーンで長い足を蹴り上げてキックを繰り出してくれるのはいつみても、なんどみても爽快。全国ツアーには彩風さんいないので、ジャズのシーンどうするのかな。
雪組が終わったということは星組が始まるわけで星組トップコンビのラストラン。三連休を五連休にして東京宝塚劇場に行こうとしていますがその前後はかなりつらい。ひとかけらの勇気をもってローテーション表をようやくみると明日と金曜日、そして五連休明けにお昼休みの
電話当番。つらくて吐きそうです。こんなにわからないことばかりでオロオロなっているのに、不特定多数のある意味前職の対象者たちよりもさらに大変な、不特定多数なのでさらに大変な人たちを相手に顔がみえない電話対応なんて逃げ出したいです。エネルギーもたない。資料は結局読めておらず明日の朝電車の中で眺めるしかないです。吐きそう、いや。生きるために、生活のために人を斬った時代もあったのよ、そう思えば恵まれているじゃないか。そう言い聞かせています。生きることは闘い・・・。
殿堂の『ファントム』の写真も全く整理しきれていないまま、時間切れとなってきたのでこれにて・・・。