たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

宝塚歌劇の殿堂より_『Memories of 紅ゆずる展』(2)

2019年09月15日 13時32分02秒 | 宝塚
 新幹線に乗る前に、大きな荷物をもってはきついですが十数年家賃を払いながら必死に生き抜いた街に寄り道中。別にあったかいわけでもなんでもないですが拒否もされない。駅近くに銀行やら生活に必要なものや息抜きできる店が集まっているのは便利でありがたい。歩いて生活できるから高齢者にも暮らしやすいよなあ。

 息抜きに宝塚歌劇の殿堂の『Memories of 紅ゆずる展』の写真をアップ。8月11日に訪れた時は二度目だったのでマネキンの袖があまっているところを撮ってみました。ほんとセンスないですがよろしかったらご覧ください。

 二日間連続、日比谷の東京宝塚劇場で観劇。日頃の不眠のツケで体がつらいですが幸せでした。「星なんていらない、星なんていらない、お前にくれてやるよ、アイリーンが笑顔でいてくれたらそれでいいんだ」。わかっていても涙が出ます。アイリーンにキュンとなっているところがわかりやすくなってここに至る流れがより自然になりました。笑ったり泣いたり客席もほんと忙しい舞台。楽しくって笑う、人を嘲笑したりする笑いじゃなくて、楽しくて、アハハ!って笑う。劇場中が笑っている、みんな笑顔、みんな幸せ。いいですね。ほんといい。










飛躍のきっかけとなったのは、『アンナ・カレーニナ』の劇団オーディションに植田景子先生が熱出して休んでいた紅さんに電話して呼び、カレーニン役に抜擢されたことだそうな。そのあと小柳菜穂子先生の推しで『スカーレット・ピンパーネル』の新人公演最後の機会に主演。女性演出家、すごい。









『スカーレット・ピンパーネル』新人公演。













『メイちゃんの執事』。映像みたいなあ。








トップ御披露目『スカーレット・ピンパーネル』。LVでしたがリボンがよく似合って麗しかった。













紅子さんも。




『霧深きエルベのほとり』との二本立てがよかった思い出の『エストレージャス』。








相性がよく、演目に恵まれた幸せなトップコンビ、もちろん努力の上にも努力があってのこと。デュエットダンスは幸せのおすそ分けをもらえている感じ。






























いつもすみっこにいた紅さんが最後は劇団に愛された感にあふれた幸せな展示でした。

苦悩していた日々を思い出す_実習記録ノートより(6)

2019年09月15日 10時59分53秒 | 祈り
「実習三日目。何もかまえず素の私でここにいることを大切にかみしめてみようと考えた。非常勤のYさんが台所の掃除を始めたので一緒にやったり、簡単な事務仕事を頼まれたのでテーブルでやったりしながら、来所者同士の会話に耳を傾ける。時々スタッフの方をまじえた会話に加わったりしながら過ごす。かけがえのない生命をもった人達がここに集っているのだ。各々すごいエネルギーを放ちながら自分の世界を生きている。利潤追求の中では個人の感情や都合は後ろに追いやられる。私はそんな毎日の中で緊張感を強いられ、プレッシャーを受けて本当に無理をし続けてきているのだと感じる。わかないことがあればたづねる、間違えたらごめんなさいとあやまる。そんな素直な心を忘れかけていた。個人の小さな出来事のひとつひとつが受けとめられている。ひとりひとりが受けとめられているここに、利用者さんは、自分の居場所を求めてやってくるのだろう。それぞれに歴史がある。ここにくるまでの道のりがきっとあったんだろうな。

Sさん、男性、出る杭は打たれるんだよ、という話をした。打たれるとつらいよね、と受け応えるのにとどまった。彼はきっと打たれた経験があるのだろうか。
Tさん、女性、男性が多いのでなかなか来づらいという話をした。私が女性ということで嬉しい気持ちもあったのだろうか。
世間話的な内容の会話をしばらく続けた。
どこが病気なのだろうと思ったが、腕にはリストカットの跡がいくつも残っている。他の利用者さんがそのことで話しかけていたが、私にはとてもきついことなので、その様子をただ見つめていた。何かしら、そうしないではいられないようなことがあったのだろうか。
Sさん、男性、警察の話を繰り返していた。彼はいつもそうであるらしいことが引き継ぎの時にわかる。
その話をことば通りにずっと聞き続けることはかなりきつい。こだわっていることの背景がなにかあるのだろう。
警察官だった?グループホームに暮らしているらしいことがわかる。
Hさん、初めて会ったのであいさつと自己紹介をした。
MY灰皿がちゃんとあってよかった。
Iさん、大工の仕事をしていたらしいことがわかった。利用者さんそれぞれにどんな背景があって今ここにいるのかわからないが、私はたままた実習生としてここに来たことで、彼らが自分の世界を生きるプロセスのほんの一瞬により添ってみる。それが少しでもできればそれでいいではないか。
人は本来すごいエネルギーをもっているのだと強く感じている。
オブラートに包まれていない素のエネルギー。
ただそこにいるだけでエネルギーを放っている。
実習はテキストでは決して学べないことを勉強できる。
私も鎧を取りはずして、素で過ごしたいと思う。」

「平成18年10月25日(水) 晴 実習四日目。

本日の目標
 
母を思い出し、ストレスで不安定になると自分もどこかおかしいのではないかと思い続けてきた。そんな自分と静かに向き合おう。ただここにいること。そして利用者さんに巻き込まれることなく、耳を傾けることを心がけたい。」

 彼らの話はどこまでが本当だったのか、話の内容そのものはかなり妄想がはいっていたであろうからどうでもよかったのかもしれません。前職で若い頃統合失調症を発症して何十年も施設にいる人もいることを知りました。現職でも、この人もう治ることなくずっと病院なんだろうなっていう人が何人もいることを知りました。比べてはいけませんが初老に発症して最後まで家で過ごすことができた母はまだ幸せだったのかもしれないなあと思ったりもします。正解はありません。家から物理的に距離を置くことで向き合うことができた日々でした。ずっと「家族」がおもかった人生。父も母もいなくなったので解放されました。本当に自分の人生を生きるために今はまだしばらく断捨離。本と卒業アルバムと妹の写真を整理しなければなりません。そのために名残惜しいですが、車ビュンビュンの郷里に戻ります。雑草ぼうぼうのテーボーを毎日横断しなければならないのきついし、雑草ボーボーの光景をみるだけでなんだかすごく哀しくなります。郷里はこんな場所だったのかと・・・。とにかく車にはねられないようになんとか生き延びてまた日比谷に帰ってきます。死なないために12月の日生劇場を予約したのです。希望に出会っていくために生き延びていきます。

 昨夜はベッドスペースが満杯で予約できなかったので、休憩スペースに敷かれたマットで休憩。眠剤一錠で6時間余り眠ることができました。慣れない暮らし、慣れない仕事の疲れ押し寄せ。眠剤ないと眠れなくなってしまったのは危ないですが、今は吐きそうな仕事をやれるところまでやるしかないので抜け出せません。駅まで遠いから恐ろしいのよ。電車の一本逃すのが恐ろしいのよ。いっぱいお金使ってしまったから辞めることはできないのよ。明日は現実。に戻らなければなりません。明後日はまた電話当番。二日出勤したら今度は花組のさゆみさんの退団公演を見届けるためにまた休んで大劇場日帰りバスツアー。体がついていくかしらね。無事に果たせますように・・・。