「かわいい年賀状をありがとうございました。美しい文字で書かれている、かわいい蛇が大すきです。何べんも読んでは見直しています。私も今年63才の正月です。たんぽぽさんはたしか13歳でしょう。大へんなちがいですね、でも一生懸命働いています。健康にも気をくばっています。人のためになるようなことをさがしては手足を動かしています。たんぽぽさんもがんばって中学生活をおくってくださいね。苦しい目をすることは、あとになって楽しい想い出になるものです。心の中で応援をしています」
昭和52年の年賀状。ひどい内弁慶で竹やぶに囲まれた家から外に一歩出るとなにも言えなかったわたしを先生はかわいがってくれました。母と同じ名前の先生が好きでした。毎年のようにわたしが送った
年賀状にていねいにお返事をくれました。苦しいことはあとになって楽しい想い出にかわる‐63才の先生のことばの重さが今読み返すと沁みます。
今月中の締め切りを守るべく、ひとつずつハードルをクリアする毎日。母がいなくなった8年前、てんがいこどくになっていたことに気づくこととなった郷里での生活は、より深い孤独が待っていました。気になっていた遺品整理、3トンから4トン分ぐらいの荷物は整理したかな。結果的に本当に遺品整理のための帰省となりました。自分がおきっぱにしていた大量の本も処分。それでもまだまだ荷物はあり、今無理に断捨離しなくてもなのですがさらに荷物を減らしていきたい。でもまた一人の暮らしをたてていくために必要なものは購入しないわけにはいかず、捨てたのにまたモノが増えてしまう~と嘆いている場合ではなく、冷蔵庫など揃えなければなりません。一度離れてしまったところで居場所を見つけることができるのか、どこまでやっていけるのか、本当にこれでいいのか、不安の海に呑み込まれそうですが、自分を信じて進んでいくという道しかありません。部屋をひきあげて帰ってきてしまってから、家は数年先に処分するから出るようにと言われていました。マンションを買わなかったのはバカなの
だと。今さらのこのこと帰ってきた自分がほんとにいけなくって、後悔の海の中でもがいて泣いていても何もない、いろいろとわかっていなかったことを反省。さらに歳をとる前にこうならなくてよかったと思うことにして、もうあとがないのだから前に進むしかありません。統合失調症を発症する前の母がはりきって建てた大きな家はいくつもの意味で今さらわたしの安住の地ではありませんでした。さみしいです、すごくさみしいですけどね。今さらこの地域に住みつづけることは無理でした。
締め切りまで10日ほど、幼い頃のアルバムはもうみないつもりです。父が遺した若い日の写真なども整理しようとしていましたが時間切れなのであった場所に戻しました。あとは自分の納得のいくようにするでしょう。これだけの大きな家、残った大量の家具など全部処分して壊すのは大変なこと、お金で解決できますかね、私にはその力はないので去っていきます。同級生がいうように気がつけばひとりぼっちの気の毒な人生、おはずかしいかぎりですがさらけだし・・・。
「ふるさとは遠きにありておもうもの」とうたったのは室生犀星でした。
昭和52年の年賀状。ひどい内弁慶で竹やぶに囲まれた家から外に一歩出るとなにも言えなかったわたしを先生はかわいがってくれました。母と同じ名前の先生が好きでした。毎年のようにわたしが送った
年賀状にていねいにお返事をくれました。苦しいことはあとになって楽しい想い出にかわる‐63才の先生のことばの重さが今読み返すと沁みます。
今月中の締め切りを守るべく、ひとつずつハードルをクリアする毎日。母がいなくなった8年前、てんがいこどくになっていたことに気づくこととなった郷里での生活は、より深い孤独が待っていました。気になっていた遺品整理、3トンから4トン分ぐらいの荷物は整理したかな。結果的に本当に遺品整理のための帰省となりました。自分がおきっぱにしていた大量の本も処分。それでもまだまだ荷物はあり、今無理に断捨離しなくてもなのですがさらに荷物を減らしていきたい。でもまた一人の暮らしをたてていくために必要なものは購入しないわけにはいかず、捨てたのにまたモノが増えてしまう~と嘆いている場合ではなく、冷蔵庫など揃えなければなりません。一度離れてしまったところで居場所を見つけることができるのか、どこまでやっていけるのか、本当にこれでいいのか、不安の海に呑み込まれそうですが、自分を信じて進んでいくという道しかありません。部屋をひきあげて帰ってきてしまってから、家は数年先に処分するから出るようにと言われていました。マンションを買わなかったのはバカなの
だと。今さらのこのこと帰ってきた自分がほんとにいけなくって、後悔の海の中でもがいて泣いていても何もない、いろいろとわかっていなかったことを反省。さらに歳をとる前にこうならなくてよかったと思うことにして、もうあとがないのだから前に進むしかありません。統合失調症を発症する前の母がはりきって建てた大きな家はいくつもの意味で今さらわたしの安住の地ではありませんでした。さみしいです、すごくさみしいですけどね。今さらこの地域に住みつづけることは無理でした。
締め切りまで10日ほど、幼い頃のアルバムはもうみないつもりです。父が遺した若い日の写真なども整理しようとしていましたが時間切れなのであった場所に戻しました。あとは自分の納得のいくようにするでしょう。これだけの大きな家、残った大量の家具など全部処分して壊すのは大変なこと、お金で解決できますかね、私にはその力はないので去っていきます。同級生がいうように気がつけばひとりぼっちの気の毒な人生、おはずかしいかぎりですがさらけだし・・・。
「ふるさとは遠きにありておもうもの」とうたったのは室生犀星でした。