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2018年5月26日(土)
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2018年6月9日(土)
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2018年6月24日(日)
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2018年『モーツァルト』、帝国劇場での最後の観劇から早3か月近くが過ぎようとしています。ゆんヴォルフガングはすでに次の作品でフェルセン伯爵になっていて博多座は盛り上っているようですが、わたしの心はまだまだモーツァルト。カーテンコールあとの生オケが体に沁みて沁みて、心の底から生きていてよかったと思えた幸せなひとときでした。思い出すのはエピローグから観客の心をぐっと捉えていく楽曲と圧倒的なコーラス、「神がつかわした奇跡の人~♪」、皇帝の御前でピアノを弾くアマデ。大人になってからも幼い頃の自分の影アマデから逃れることができなかったモーツァルト、大人になり切れなかったモーツァルト。山崎さんヴォルフガングはありあまる才能をもちながら、ありあまる才能にもてあそばれもがきながら生きたモーツァルトの姿を、不器用にしか生きられなかったモーツァルの姿を、同時に後世まで残る楽曲をかいた天才モーツァルトの姿を、安定の歌のうまさであますところなく魅せてくれました。古川さんヴォルフガングは自由奔放で無邪気なモーツァルト。ママが亡くなったあと、パパが亡くなったあと、「ろうそくの灯りみたいに消えた」「世の中は何も変わらない」「残酷な人生、ゆがんだ世の中~♪」と打ちひしがれる姿に共鳴してしまいました。涼風さんヴァルトシュテッテン男爵夫人はどすのきいた歌声。
タータンヴァルトシュテッテン男爵夫人はどこまでも柔らかく包み込むような歌声でしびれました。歌に芝居をのせていく力のすごさに圧倒されました。こんなにキラキラさせる必要があるのかしらというぐらいキラキラなドレスを着こなせるのはさすがでございました。宝塚時代を知らない人は男役だったってびっくりするかな。タータンが退団後にここまで舞台活躍するとは思いませんでした。安定の実力。祐一郎さん、市村さん、阿知波さん、役者がそろい過ぎた舞台の中で2014年、2018年を通して一番わからなかったのがコンスタンチェでしたが、5回観劇してようやくコンスタンチェがわたしの中に降りてきた感です。
コンスタンチェ、たまたまヴォルフガングとヴァルトシュテッテン男爵夫人のダブルキャストのどちらもみたいとチケットを取った結果、5回とも平野綾さん。だから他のキャストどう違うということはわかりません。ただ2014年と2018年を比べたとき、平野綾さん自身が4年の歳月を経てすごく成長されたなあと感じました。2014年はダブルキャストのソニンさんと比較して辛口な批評もあったとSNSで目にしました。ご自身のブログによれば『レディベス』のオーディション時に『モーツァルト』のことを知って、モーツァルトの方が先にキャスティングされることが決まったとか。平野綾さん、役の振り幅がすごい。去年秋の『レディベス』、今年1月の『ブロードウェイと銃弾』、そして『モーツァルト』、歌が上手いのは言うまでもありませんが上手いのと役を生きるのとはまた違うわけで、ただ上手いっていうのとも違う。平野さん自身の中にコンスタンチェという役が今回はさらに深く入り込んでいってコンスタンチェそのものを舞台の上で生きたのかなと。不思議なことに4年前よりもヴォルフガングと出会った頃のコンスタンチェは若くて可愛かったです。一幕と二幕の冒頭、未亡人となり再婚したあとの黒ずくめの衣装で、震えながらモーツァルトの墓をさがす姿で登場。そこからヴォルフガングと出会った頃の少女へと戻り、すれ違っていくまでを演じきらなけばなりません。年齢の振り幅をくっきりと出すことを今回は意識しながら演じられたとか。ヴォルフガングと出会った頃、ほんとにヴォルフガングのこと好きだったの?なんか打算があったんじゃないのっていう違和感が4年前はあったのですが、今回は
3回の観劇を通して、ヴォルフガングに初めてであった時どんな人なのかしらって興味しんしんな姿に、すっとほんとにヴォルフガングのこと好きになったんだってはいってくるようになりました。ちょっと頭が弱くって、勉強嫌いで努力ができなくって、そんな自分にもどかしさを感じているコンスタンチェ。夫は作曲家、インスピレーションを与えなくてはとがんばるコンスタンチェ。いちばんのナンバー、「ダンスはやめられない」。いきおい余って薔薇の花を投げたり、ワイングラスを飛ばしたりと精魂込めて全身で歌われていました。これだけ歌えると気持ちいいでしょうね、でも上手いだけじゃない、コンスタンチェとして舞台で生きて歌われていました。二幕でヴォルフガングとすれ違いはじめ、「今は魔笛仕上げなければならないんだ。出て行ってくれ」とヴォルフガングに拒絶されるコンスタンチェ。貧乏な頃の方がよかった、お金持ちになった、「全部つかっちゃたけどね」っていう時の言葉の響きに、コンスタンチェの寂しさとむなしさがにじんでいるように感じました。聡明とは言えないけれど、一生懸命にヴォルフガングを愛したコンスタンチェの姿がようやくわたしの中にすっと降りてきた2018年『モーツァルト』でした。平野綾さん、応援したくなるようなな可愛らしいコンスタンチェでした。年齢大丈夫、またやっていただきたい。わたしの中でコンスタンチェ=平野綾さんかな。
まだまだ書きたいような気がしますが長くなったので今日はこれにて。
山崎さんヴォルフガングと平野綾さんコンスタンチェ。
(東宝の公式FBより転用しています)
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これからお風呂に入って先週の澱んだものを洗い流します。もうすぐまた日中の居場所を失います。人の心配している場合でないのですが、援助職が実は自分すごく不安定なんてすごくおかしな話だなあと思うのですが今が精一杯。またすごい一週間が待ち受けています。
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2018年6月9日(土)
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2018年6月24日(日)
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2018年『モーツァルト』、帝国劇場での最後の観劇から早3か月近くが過ぎようとしています。ゆんヴォルフガングはすでに次の作品でフェルセン伯爵になっていて博多座は盛り上っているようですが、わたしの心はまだまだモーツァルト。カーテンコールあとの生オケが体に沁みて沁みて、心の底から生きていてよかったと思えた幸せなひとときでした。思い出すのはエピローグから観客の心をぐっと捉えていく楽曲と圧倒的なコーラス、「神がつかわした奇跡の人~♪」、皇帝の御前でピアノを弾くアマデ。大人になってからも幼い頃の自分の影アマデから逃れることができなかったモーツァルト、大人になり切れなかったモーツァルト。山崎さんヴォルフガングはありあまる才能をもちながら、ありあまる才能にもてあそばれもがきながら生きたモーツァルトの姿を、不器用にしか生きられなかったモーツァルの姿を、同時に後世まで残る楽曲をかいた天才モーツァルトの姿を、安定の歌のうまさであますところなく魅せてくれました。古川さんヴォルフガングは自由奔放で無邪気なモーツァルト。ママが亡くなったあと、パパが亡くなったあと、「ろうそくの灯りみたいに消えた」「世の中は何も変わらない」「残酷な人生、ゆがんだ世の中~♪」と打ちひしがれる姿に共鳴してしまいました。涼風さんヴァルトシュテッテン男爵夫人はどすのきいた歌声。
タータンヴァルトシュテッテン男爵夫人はどこまでも柔らかく包み込むような歌声でしびれました。歌に芝居をのせていく力のすごさに圧倒されました。こんなにキラキラさせる必要があるのかしらというぐらいキラキラなドレスを着こなせるのはさすがでございました。宝塚時代を知らない人は男役だったってびっくりするかな。タータンが退団後にここまで舞台活躍するとは思いませんでした。安定の実力。祐一郎さん、市村さん、阿知波さん、役者がそろい過ぎた舞台の中で2014年、2018年を通して一番わからなかったのがコンスタンチェでしたが、5回観劇してようやくコンスタンチェがわたしの中に降りてきた感です。
コンスタンチェ、たまたまヴォルフガングとヴァルトシュテッテン男爵夫人のダブルキャストのどちらもみたいとチケットを取った結果、5回とも平野綾さん。だから他のキャストどう違うということはわかりません。ただ2014年と2018年を比べたとき、平野綾さん自身が4年の歳月を経てすごく成長されたなあと感じました。2014年はダブルキャストのソニンさんと比較して辛口な批評もあったとSNSで目にしました。ご自身のブログによれば『レディベス』のオーディション時に『モーツァルト』のことを知って、モーツァルトの方が先にキャスティングされることが決まったとか。平野綾さん、役の振り幅がすごい。去年秋の『レディベス』、今年1月の『ブロードウェイと銃弾』、そして『モーツァルト』、歌が上手いのは言うまでもありませんが上手いのと役を生きるのとはまた違うわけで、ただ上手いっていうのとも違う。平野さん自身の中にコンスタンチェという役が今回はさらに深く入り込んでいってコンスタンチェそのものを舞台の上で生きたのかなと。不思議なことに4年前よりもヴォルフガングと出会った頃のコンスタンチェは若くて可愛かったです。一幕と二幕の冒頭、未亡人となり再婚したあとの黒ずくめの衣装で、震えながらモーツァルトの墓をさがす姿で登場。そこからヴォルフガングと出会った頃の少女へと戻り、すれ違っていくまでを演じきらなけばなりません。年齢の振り幅をくっきりと出すことを今回は意識しながら演じられたとか。ヴォルフガングと出会った頃、ほんとにヴォルフガングのこと好きだったの?なんか打算があったんじゃないのっていう違和感が4年前はあったのですが、今回は
3回の観劇を通して、ヴォルフガングに初めてであった時どんな人なのかしらって興味しんしんな姿に、すっとほんとにヴォルフガングのこと好きになったんだってはいってくるようになりました。ちょっと頭が弱くって、勉強嫌いで努力ができなくって、そんな自分にもどかしさを感じているコンスタンチェ。夫は作曲家、インスピレーションを与えなくてはとがんばるコンスタンチェ。いちばんのナンバー、「ダンスはやめられない」。いきおい余って薔薇の花を投げたり、ワイングラスを飛ばしたりと精魂込めて全身で歌われていました。これだけ歌えると気持ちいいでしょうね、でも上手いだけじゃない、コンスタンチェとして舞台で生きて歌われていました。二幕でヴォルフガングとすれ違いはじめ、「今は魔笛仕上げなければならないんだ。出て行ってくれ」とヴォルフガングに拒絶されるコンスタンチェ。貧乏な頃の方がよかった、お金持ちになった、「全部つかっちゃたけどね」っていう時の言葉の響きに、コンスタンチェの寂しさとむなしさがにじんでいるように感じました。聡明とは言えないけれど、一生懸命にヴォルフガングを愛したコンスタンチェの姿がようやくわたしの中にすっと降りてきた2018年『モーツァルト』でした。平野綾さん、応援したくなるようなな可愛らしいコンスタンチェでした。年齢大丈夫、またやっていただきたい。わたしの中でコンスタンチェ=平野綾さんかな。
まだまだ書きたいような気がしますが長くなったので今日はこれにて。
山崎さんヴォルフガングと平野綾さんコンスタンチェ。
(東宝の公式FBより転用しています)
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これからお風呂に入って先週の澱んだものを洗い流します。もうすぐまた日中の居場所を失います。人の心配している場合でないのですが、援助職が実は自分すごく不安定なんてすごくおかしな話だなあと思うのですが今が精一杯。またすごい一週間が待ち受けています。