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『『レディ・ベス』とクンツェ&リーヴァイの世界』より
「エリザベスーその人生 石井美樹子
プリンセスからレディ、そしてクィーンと呼ばれたエリザベスの波乱に富んだ人生。ミュージカル『レディ・ベス』はもとより、オペラ、映画、小説など多くのモチーフとなった彼女の人生を、青春時代、女王の恋、そしてエリザベスが生きた時代という3つのキーワードで紐解きます。
学問に打ち込む青春
イギリスでは、王位継承権を持つ女性しかプリンセスの称号で呼ばれない。エリザベスg3歳にも満たないときに、母アン・ブーリンが父ヘンリー8世に処刑され、エリザベス女王は庶子の烙印を押されてレディ・ベスとなった。賢い王女は境遇の変化を察知し、養育係に「昨日までプリンセスだったのに、今日からレディと呼ばれるのはどうして?」と尋ねた。養育係は絶句した。みな、不貞のとがで処刑されたアン王妃が存在しないかのように振る舞った。
王冠から遠ざけられたエリザベスは宮廷の隅で身を縮めて暮らした。ゆいいつの救いは、3歳のときに教養ある貴婦人として名を馳せるキャサリン・アシュレイが養育係となり、初等教育が始まったことである。ケンブリッジ大学の有名な古典語の学者ロジャー・アスカムはエリザベスの教育に並々ならぬ関心を抱き、パンと祈禱書とイタリア語の本を贈ったときに、夫人宛てにこんな手紙を書いている。
「あなたにたってのお願いがあります。グラスにワインをいっきに注ぐとあふれて無駄にしてしまいますが、少しずつ注ぎ入れれば、不治まで満たすことができます。時間をかけて王女さまをお教えし、徐々に知識が増すようにしてください」
出来の悪い生徒は鞭で打たれるものが慣例だったが、アスカムは「勉強は楽しくあらねばならない」と固く信じていた。エリザベスが14歳のとき、アスカムが家庭教師
に任命される。エリザベスのカリキュラムにはラテン語、ギリシア語といった勉強のほかに馬術、リュートやヴァージナルの演奏が組み込まれ楽しく勉強できるように工夫されている。エリザベスの知性に瞠目したアスカムは、紀元前のローマの政治家キケロやギリシャ悲劇などもカリキュラムに盛り込み、また、自分の考えを堂々と雄弁に語れるように促した。そのおかげで、政変が起きるたびに、エリザベスは賢く身を処し、危機を逃れることができた。
結婚しない女王
エリザベスが25歳のときに、王冠が回ってくる。父亡きあと、弟エドワード6世が即位したが、悪性の感冒のために早世し、姉メアリーが王位についた。5年後に、メアリーじ女王は卵巣癌のために亡くなり、議会の推挙によってイギリス女王となったのだ。
ヘンリー8世は男子の王位継承者を得ようと、6人もの女性を結婚した。2人を離婚し、2人を処刑し、1人を死なせ、6番目の王妃だけが王より長生きした。
6度の結婚の結果、得たのは1人の王子と2人の王女のみ。メアリー王女は、アン・ブーリンが母キャサリン・オブ・アラゴンから王妃の座を奪ったことを赦さず、アンの娘のエリザベスを憎んだ。王冠を渡すまいと、37歳の身をかえりみず、スペインのフェリペ(2世)と結婚した。子をもちたいと願うあまり、2度も想像妊娠した。フェリペに乞われてフランスに宣戦布告したものの、敗れて戦後処理のさなかに息を引き取った。
25歳で敗戦国の女王となったエリザベス。父と姉の暴挙は、結婚の愚かしさの側面をエリザベスに教えた。無理に後継者を得ようとしても、神の恵みがなければ願はかなわない。女王は最初の議会で非婚宣言をして議員たちの度肝を抜いた。
「全能の神が、わたしが結婚しないで生きるのをお望みになっても、恐れる必要はありません。よい時期をお選びになり、後継者をお与えくださいましょう。わたしの胎から生まれる子よりも君主の資源に富み、この国のためになる人をお遣わしくださいましょう」
戦いに敗れた祖国を復興するのは一生の仕事。苦しみの果てに獲得した遥かなる王冠。後継者は自分の胎を痛めた子でなくともよい。君主の器に相応しい人物に国家の運命を託そう。これほど進歩的な王権論を持つ君主が当時のヨーロッパのどこにいたであろうか。今でさえ、世襲制が王室や皇室を守っている。
女王は結婚しなかった。だが、恋はした。父と違い、一旦信用したら貫く性格だった。宰相も外相も半世紀近く女王に仕えた。恋も一途だった。お相手は同年のレスター伯爵ロバートオ・ダドリー、とびきりの美男子。ロバートの祖父も父も大逆罪で処刑された。その家系もさることながら、女王の寵愛をかさにきて威張るのが何よりも嫌われた。でも、女王はそんなロバートを庇い、亡くなるまで愛し続けた。結婚したくともできなかった。ロバートが妻帯者だったのだ。それに、女王は臣下と結婚できない。卑賎結婚とみなされ、子が生まれても王位継承権がない。女王は独身で生きる運命だったのだ。
花開くルネサンス文化
徹底した男社会の16世紀のイギリスで、ひとりの女性が半世紀近くものあいだ君臨し後の大英国の基礎を築いたのは奇跡に近い。成功の秘訣は女王が古典にもとづくルネサンス教育を受けたことにあった。女王の時代に、きら星のごとく知識あふれる貴婦人が輩出した。エリザベス女王に続けとばかりに、高位貴族のあいだで女性教育熱が高まったからだ。同時代の歴史家ウィリアム・ハリソンがイギリスの宮廷を「ヨーロッパで最も有名で典雅華麗。ギリシャ語とラテン語を自由にあやつり、みずからペンを手にしたり、楽器の演奏や歌唱に秀でた貴婦人たちに、女王は囲まれている」と描写している。
不世出の劇作家シェイクスピアはエリザベス女王時代の寵児である。
列強が侵略により国土を広げる時代に、女王は「他人の土地は一平方たりとも欲しがらない」と宣言して戦争を拒絶した。女王の最大の武器は言葉による外交。得意の語学力を駆使して外交を牽引し情報の収集に努めた。20回以上におよぶ暗殺を防いだのも、ヨーロッパじゅうに張り巡らされた網の目のような諜報機関のおかげだった。1588年の無敵艦隊の襲撃も事前に知り、海軍を一新して備えた。すべてを自分の目で見て、すべてを自分の耳で聞いて統治する、これが女王の信条だった。
ローマ教皇シクストゥス5世はほとほと感心した。「単なる女が、あのちっぽけな国の女主人がスペイン、フランスなどすべての国々から恐れられているのではないか!」
エリザベス女王は一生をかけて敗戦国をヨーロッパ一の強国に育てあげた。その後継者たちは、「他人の土地を欲しがらない」という女王の心情を踏みにじり、7つの海に乗り出して諸国を侵略した。女王はこの皮肉な成り行きを草葉の陰でどう見ているのだろう。」
『罪人を召し出せ』、図書館で借りて読みました。ヘンリー8世が別れたくて、ベスの母、アン・ブーリンが不貞の罪をでっちあげられ、相手とされた男性たちまで次々と処刑されていく描写にぞっとしました。すごい王様。
通信教育レポート-西洋史特殊Ⅲ-近代イギリス国家の成立(中世から近世へ)
『ロンドン・ナショナルポートギャラリー所蔵KING&QUEEN展』at上野の森美術館