たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

土曜日はまた出勤

2021年11月06日 00時49分28秒 | 日記
 一週間前に聞かされざるを得なかった問題という二人に、それぞれ土曜日は遭遇することがありません。バスも電車も平日より本数少ないですが、帰りも坐れる率高いのでいくらか体は楽です。なんか仕事の内容そのものよりも別の意味で続けられそうにない予感しかありませんが土曜日だけでも続けないときびしい、どのみちきびしいですがよりきびしい。午後出勤となっても何も言われませんができれば午前中から出勤したい。疲労してくるとふらふらするので折り畳み杖を使わないと危ないと感じますが、おじいちゃん、おばあちゃんがいっぱいの時に使いづらいし、席を譲ってくださいみたいになってしまうのもいやで踏み出せません。上野の国立科学博物館で始まった大英博物館のミイラ展、杖を使わないともう足痛くて回れないですが決断できず。松葉杖よりいいじゃないと言われればたしかにそうかもしれませんが・・・。

 わたしのように生まれる前から股関節脱臼していて、ひと昔前までなら年金の受給開始までもう2歩・3歩ぐらいまで生きてきて痛みがひどいので受診したら変形性股関節症の末期、手術しかないと宣告されたことを親に話すと親の中では終わったことになっているから、泣かれたりするようです。五体満足で生んだはずなのにと。わたしの場合は親がまだこの世にいたとしても父も母も高齢すぎるし母は統合失調症だから会話が成り立たない、たぶんわたしの言うことがわからない。乳幼児の頃通院していたという記憶が自分でもおぼろげにある病院の医師はすでにこの世にいないかいたとしても高齢でしょう。今さら恨みようもありませんがちゃんと親に説明してくれたのか、その頃は説明義務なんてなかったしそもそも疾患としてまだはっきりわかっていなかったのか。今までめっちゃ歩いてきました。たぶん股関節には相当負担になった山歩きもしたし、階段や坂の上りおり、エアロビクスやヨガだってやってきました。おしえてほしかったよ、負担のないように生きていかないと年くってから手術しなければならなくなると。今の子どもたちはどうなっているんでしょう。健診でわかったなら医師は親に説明するべきです。直接命とられるわけではないですが残酷ですよ、愚かながらもここまでなんとか生き延びてきた人生のオチが生まれる前からって知ることになるなんで残酷、ほんとうに。昨年いくら面接を受けても駄目だったのはたぶん郷里で30年振りの自転車生活で股関節の痛みがひどくなって歩き方がそうとうおかしくなっていたから。自分で気づいていなかって滑稽すぎます。帰るところはありません。たどり着く先はもう見えています。手術しないと歩けないとなった時にはもういいです。それまでどれぐらいあるのか・・・。

 やめましょう、死ぬことはできないので生き延びるために明日はまた午後だけでも出勤、いや午前中から出勤。月曜日はまた近くの整形外科のリハビリ予約していますがどうしようか。手術しないかぎり、死ぬまで通わなければならないのか、いやじゃよ・・・。

この記事についてブログを書く
« 雪組『CITY HUNTER』『Fire F... | トップ | 5時間ぐっすりねむれました »

日記」カテゴリの最新記事