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2018年雪組『凱旋門』東京公演プログラムより、2000年初演時の柴田俊治氏寄稿文
歴史の証人「凱旋門」より引用します。
1989年、ベルリンの壁が崩壊した。
大戦後の世界を分断していた冷戦時代は終わる。
つぎに来る時代は、欧州連合(EU‗15か国)を基盤にする統合の時代である。2002年には、各国のお金は消え、ユーロという単一通貨の新時代が来る。
ラヴィックたち亡命者を、あんなに苦しめた国境やパスポートは、形だけのものになってしまう。域内のひとびとは、もう夜になるまぎれたりせず、真昼に堂々と、なんの警戒心ももたずに国境をこえている。
凱旋門は、ナポレオン軍の戦勝を記念して、1830年代に完成した。
全長約2キロのシャンゼリゼ大通りは、コンコルド広場から凱旋門のあるシャルル・ドゴール広場まで、歩いても気づかないほどのわずかな勾配で上りになっている。
だから、コンコルド広場の端に立っても、車道とおなじほど広い歩道をぶらぶらしていても、いつも真っ直ぐに延びる大通りの全部が見通せる。中央をひしめいて上り下りするクルマ、背の高い並木、散策する人の群れ、キャフェの軒、デザインを均質化した建物‐それらが弓の弦の上にのったようにせりあがって尽きるその先に、凱旋門がある。
角張った角型のアーチの下には、無名戦士を悼む火が、昼も夜も、青白い炎となってちろちろ燃えている。
パリがドイツ軍に占領された時代も、連合軍に解放された日も、凱旋門はそこに立っていた。毎年7月14日の革命記念日(パリ祭)のように、パレードが催されるときは、いつも凱旋門が出発点か到着点になる。
ラヴィックたち避難民、亡命者たちの苦難の日々も、凱旋門は黙ってみつめていた。
霧と雨の季節には、凱旋門の頂上は灰色にかくれて見えなくなる。そんなとき、凱旋門は歴史の証人の役に疲れるのか、重苦しく、沈鬱な表情にみえる。
冬の晴れた日、空の位置の低い夕陽が、セーヌをこえてさっと射し込むと、巨大な門が、一瞬、バラ色に燃えあがる。
このときの凱旋門は美しい。
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たしかにシャンゼリゼ大通りを凱旋門に向って歩いた道は、かすかにゆるやかな上り坂でした。凱旋門の前に立つシャンゼリゼ大通りを見渡すことができました。
イギリスのEU離脱は、あらたな欧州統合時代の夢がついえたということになるのでしょうか。時は流れました。世界は動き続けています。パリで英語が話せないのでタクシーの運転手にぼったくられたり、地下鉄の駅をたずねたパリジェンヌに笑われたり、間抜けなことだらけですがまた旅に出て世界を、大陸を感じたいです。遠い夢・・・。