連合副会長(兼自動車総連会長)、金属労協議長(兼国際金属労連副会長)、国際労働財団理事長等を歴任した得本輝人さんが4月5日、7年にもわたる癌との戦いであったがご家族の支えも及ばず永眠された。金属労協、国際労働財団13年間、事務局長、専務理事として私は一緒に仕事をさせていただいたが、得本さんは曲がったことが大嫌いで誠実、清廉を地で行く人だった。欧州が主流を占める国際金属労連でもアジアの代表として途上国の権利や役割の拡大に努めただけでなく、杓子定規に民主化を求める欧米の組合に対し、途上国の労働運動の未熟さや財政力の弱さを主張し、アジア労働運動の支援者として論陣を張り、欧米の指導者も評価せざるを得なかった。
政府の審議会などの役職も多かったが、財団時代に小泉内閣の直属、国家公務員倫理審査委員会委員に就任要請が連合を通じてあった。国家公務員の不祥事が続いていたこともあり得本さんには最適の役割と私は思い就任に賛成した。最初月に一回ぐらいの委員会と聞いていたが、予想以上に不祥事が多く、地方出張まで出てくるほどで得本さんは憮然とされていた。
引退されてからは闘病生活であったが、財団で招聘した途上国労組リーダー研修の講師をこの2月までされていた。享年67歳あまりにも若すぎるこれぞ痛恨の極み、合掌
政府の審議会などの役職も多かったが、財団時代に小泉内閣の直属、国家公務員倫理審査委員会委員に就任要請が連合を通じてあった。国家公務員の不祥事が続いていたこともあり得本さんには最適の役割と私は思い就任に賛成した。最初月に一回ぐらいの委員会と聞いていたが、予想以上に不祥事が多く、地方出張まで出てくるほどで得本さんは憮然とされていた。
引退されてからは闘病生活であったが、財団で招聘した途上国労組リーダー研修の講師をこの2月までされていた。享年67歳あまりにも若すぎるこれぞ痛恨の極み、合掌