北陸へ、北海道へと新幹線網が伸び、既存の東北、上越新幹線も1兆円掛けて大規模改修を行い安全性を向上させるとJR東が発表した。人口減、低成長の日本経済下で新幹線を地方に延長すれば赤字路線になると予想していたが、インバウンドで外国人観光客が2000万人になるという幸運に恵まれ、新幹線を保有するJR各社の決算は好調だ。
しかし、北陸新幹線の関西への延長では米原で東海道新幹線に接続する案とか琵琶湖の湖西を通し、京都で接続する案とか地元出身の政治家が我田引鉄でうごめきだした。東海道新幹線では当初の名古屋から大阪へのルートは雪の多い関ヶ原を避け、鈴鹿トンネルでショートカットすることであったが、大野伴睦という当時の自民党副総裁が動き、選挙区の岐阜を通るルートに変更させた。岐阜の新駅は田んぼの中にでき、駅前には大野伴睦夫妻の銅像が建っている。冬になると関ヶ原の雪のために20分から30分ぐらい東海道新幹線がおくれ、1940年代よく利用した私は大野伴睦氏を恨めしく思った。スピードが身上の新幹線では10分でも遅れることは許されないことから、車体の雪を落とすスプリンクラーを関ヶ原沿線に設置したりして今では遅れることはなくなったが、政治で線路を曲げることは2度とやってはならない。
ところが、北陸新幹線の関西延長で、舞鶴経由で京都へという案が出てきたのには驚きを超えて笑ってしまった。自民党の整備新幹線建設推進プロジェクトチーム検討委員会の西田昌司委員長の案だという。彼は京都府出身議員でこれこそまさに我田引鉄で、舞鶴経由にすると10分から20分余分にかかるだろう。